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女を喰った男  作者: シス
2/12

人間の欲望は他者の欲望である

 今年の春、妹が殺された。それも人間に食べられて。

しかし、その連続食人事件の犯人は無事捕まった。というよりも、その犯人は自ら警察に自首したのだった。

 彼の名前は、牧瀬哲也。現在27歳。アメリカ、イギリス、中国、日本で各一人ずつ計4人の女性を食べた男だ。その内の一人が私の妹だった。

当時はショックだった。あの人一倍努力家で、人一倍他人のことを思いやる心を持った妹が、この見ず知らずの男に突然命を奪われたことに。

しかし、それ以上にもっとショックだったことは、牧瀬に食べられた4人の女性被害者の全員が、みな同意の上で、彼に食べられていたということだ。すなわち、妹も彼に同意の上で命を奪われ、食べられていたのだ。実際に、後の警察の調査によると、牧瀬に食べられた4人の女性被害者の全員が彼が用意した食人契約の同意書にサインしていたのだ。

 そんなものだから、当時、この連続食人事件はマスコミやSNSでは世界的なビッグニュースだった。牧瀬は容姿端麗、頭脳明晰であり、しかも、相手と食人契約を結んだ上での犯行ということで、世論はかなり騒いだ。時にバッシングされ、時に冤罪を疑われ、時に彼を題材とした小説や映画の企画が持ち上げられ、時に彼に食べられたいという女性まで現れるほどだった。

 だが、世間というものはイワシの大群のように、また違う餌が現れたら、あれよあれよとそちらの方に飛びついていく。つまり、この連続食人事件は既に世間では過去の事件として扱われている。そう、一部の熱狂的な信者を除いて、1年という時間は他の凶悪犯罪と同様に世間が忘却するのには十分すぎる年月だった。

 しかし、私はこの事件を1日たりとも忘れたことはなかった。それは自分の妹が殺されたからだけではない。なぜ、あの天真爛漫を絵に描いたような妹が、なぜ、誰かに食べられることを同意したのか。それは犯罪心理分析官として、今後、妹のような犠牲者が出現しないためにもどうしても調べなければならない重要な事件だった。

 だから、私はこの1年間、この連続食人事件と向き合った。妹の死。牧瀬哲也のプロファイリング。今思うと、私は友人といても、恋人といても、家族といても、仕事をしていても、趣味に興じてみても、常にこの2つの事柄が頭の中で複雑に絡み合っては交差していたように思える。

 だが、それももう2つの意味で限界が来ていた。1つ目は、精神的限界。四六時中、妹の死と牧瀬哲也ついて無意識に考えてしまう精神構造は不安定極まりなかった。何度か心理カウンセリングへ相談したが、慰め程度のカウンセリングと休職の勧めと抗うつ剤を処方されるだけだった。だが、それでは気休めにしかならない。なぜなら、私のこの虚しさや疑問は心情吐露や休職や薬では埋め合わせることが出来ないほど、心の中に大きな空洞を作ってしまっていたからだ。2つ目は、情報的限界。妹と牧瀬哲也の関連する事件についての捜査ファイルを世界各国飛び回り、隈なく調べ尽くしてみたものの、やはり納得ができなかった。確かに捜査ファイルを読む限り、私の妹は牧瀬に自ら同意の上で食人されていた。しかし、そんなことをデータで見せられて、どう納得すればよいのだろうか。我が愛しい妹が殺人犯に同意のもと食べられるなんてそんな理不尽な出来事に。

 それゆえ、私は牧瀬哲也に面会することにしたのだ。今思うと、それは肉親を殺された犯罪心理分析官として、行動の必然的な帰結だったのかもしれない。


 私は必要な事務手続きを済ますと、刑事ドラマでよく見かけるような真っ白な内装の面会室でパイプ椅子にしっかりと座って、牧瀬哲也の入室を待った。何通かの手紙のやり取りを通して、彼は私との面会を許諾したのだ。

 正直、私は牧瀬に対して、どんな心情を抱けばいいのか分からなかった。妹を殺された姉として、彼に怒りの矛先を向ければいいのか。それとも、犯罪心理分析官として、彼の事件当日に至るまでのプロセスを冷静に聞き出せばいいのか。だが、一ついえることは、ここで牧瀬に私の精神的不安定さを悟られたら、それこそ彼の思う壺になりかねない。なぜなら、彼は4人の女性を同意の上で食べ殺した知能犯なのだから。その事実を認識することで、奇妙なことに初めて私は落ち着きを取り戻すことができた。


 トントンと面会室の扉をノックする音が聞こえると、ガチャと音を立てて扉が開いた。次の瞬間、大柄の看守と共に、1年前、新聞、テレビ、SNSを騒がせた連続食人事件の犯人である牧瀬哲也が顔を覗かせた。

世間で出回っている画像や捜索ファイルで見た通り、彼は絶世の美青年だった。白髪碧眼に二重瞼、整った鼻筋にシュッとした輪郭。彼の身のこなしは手錠をはめられているにも関わらず、まるで夜の公園を散歩するような軽やかな足取りだった。


 「ここに座れ」


 大柄の看守は厳しい剣幕で牧瀬にパイプ椅子に座ることを指示した。牧瀬は黙って頷くと、ゆっくりとパイプ椅子に座って目を瞑った。


 「30分です、どうぞ」


 その看守は面会可能時間と共に面会開始の合図を告げると、私から見て部屋の左隅の椅子に座って、手記の準備に取り掛かった。

牧瀬はというものの目を瞑って、黙って、下を向いている。

私はというものの、面会前は不安で一杯だったが、しかしそこは犯罪心理分析官として彼に冷静に対処することに努めることにした。犯罪心理学分析官としてのキャリアは5年。

大丈夫、私には数多の犯罪者と面会を通して身に着けた心理誘導のテクニック、そして、牧瀬哲也に対して徹底的かつ膨大な量のプロファイリングを施行してきたのだ。だから、私ならこの面会をやり通せる。

そう自分に言い聞かせた。


 「牧瀬さん、初めまして、井之上静香です」


 「・・・」


 「刑務所の方ではどうですか?」


 「・・・」


 牧瀬はただ沈黙を貫いた。

凶悪犯との面会において大切なのは、相手の人格を尊重した上で、相手が心を懐柔し始めた段階で、相手の情報を聞き出すこと。だから、ここで急になぜ私の妹である井之上春香を殺したのか?または、そもそもなぜ食人をしたのか?といった刺激的かつ突飛な話題を初めから出してはいけない。それは喩えると、最近、疎遠になっていた友人を遊びに誘う時に、まずは近況報告から始めて、打ち解けてから、本題に入るのと同じことだ。要は、凶悪犯といえど、人間として扱う。これが凶悪犯との面会の鉄則だ。

 

 「静香さん。春香さんの件、怒ってますか?」


 「え」


 「井之上静香。28歳。犯罪心理分析官であり、僕が殺した井之上春香の姉。母親の再婚相手である警察庁長官、井之上重治を尊敬する君は大学では犯罪心理学を学び、父重治のコネクションも奏して、若手でありながら犯罪心理分析官としてキャリアを進める。その綺麗な容姿と相手を懐柔する話術を武器に様々な凶悪犯から犯罪者の心理形成を紐解くための情報を引き出し、再犯防止のために多くの凶悪犯のプロファイリングに貢献する。著書も多数出版しており、一時期は若手美人分析官としてテレビに顔を出すことも」


 「・・・」


 「そんな貴方は今、私に怒っていますか?」


 どうやら、私の個人的な情報は調べられる限り、全て調べ尽くされているみたいだ。おそらく、私は牧瀬の被害者である妹の井之上春香の姉だから、牧瀬は妹の生前に私の情報を直接聞いていたのだろう。しかも、牧瀬は日本の超難関大学、東王大学大学院に通っている時に犯罪心理学を研究していた男だ。私が犯罪心理分析官として世に出版した一般書、専門書を含めて目を通したこともあるのだろう。要は、牧瀬は私に対するプロファイリングが完成している。ならば、ここは嘘を吐いても仕方ない。


 「怒っていないといったら嘘になるわ。でも、今は犯罪心理分析官としてあなたに面会しに来たのよ」


 「ふーん。流石、犯罪心理分析官殿。嘘を吐いていると思われない言い方が上手だな」


 「あら、ありがとう。どうやら、あなたは私のことを詳しく知っているみたいね」


 「あぁ、君が僕のことを知り過ぎているのと同じようにね」


 牧瀬は私をからかうような笑みを浮かべた。

彼との会話はベテランのチェスプレイヤーと試合をやっているような気持ちにさせられた。まず、相手の思考を読み、次に、相手が読んだ自分の思考を読み、それらを元にさらに相手の思考を読み込んで、次の一手を瞬時に考える。


 「僕はね、君の感情に興味があるんだ」


 「私の感情に?」


 「犯罪心理分析官として、今回の事件を客観的に分析したら、明らかに君の妹の井之上春香は僕に同意のもと食べられていることになる。つまり、彼女の普段の行動傾向、彼女の普段の僕とのやり取り、彼女がサインした食人契約の同意書、それらすべてを総合的に分析すれば、彼女が僕に好意を持って、彼女は彼女の意思で僕に食べられることを望んだということが理解できるはずだ。にもかかわらず、君は肉親の妹が僕に自ら望んで食べられたことが主観的に納得できていない。だから、その真相を自分自身で確かめてみたくて、犯罪心理分析官による心理捜査という建前を利用して、僕と面会を図った。違うかな?」


 「一本取られたわ。流石IQ160越えの知能犯は違うわね」


 私は素直にお手上げと言わんばかりに手を挙げた。そして、一泡喰わされたという表情を浮かべた。

数多くの知能犯は自らの有能性を証明したがる。犯罪史上でいうなら、IQ136といわれた全米を震撼させたシリアルキラー、デッド・パンディもその一人だ。

パンディもこの牧瀬哲也と同じように容姿鍛錬、頭脳明晰な男だ。だが、30人以上の女性を強姦、殺害した連続殺人者でもある。

彼もFBI心理分析官のインタヴューに雄弁に自己弁護を図った際に事件の経緯を供述したという史実が残っている。このまま牧瀬にも気持ちよく事件の経緯について話してもらおうか。

 

 「ダメだよ静香さん。おだてて木に登るのはパンディだけ。僕のプロファイリングはここから始まるんだよ?」


 「何を言ってるの?」


 私は虚を突かれて少しだけ後ろに退いてしまった。そのことを確認すると、牧瀬は一瞬だけニヤリと笑みを浮かべた。


 「君は妹を食べ殺した僕に怒っている。けれど本当は違う。君は妹を食べ殺させる状況を見逃した自分に怒っているんだ。なぜなら、聡明な君ならば、僕と君の妹さんが何ら強制やマインドコントロールの介入した歪んだ関係ではなく、単純に好意で結びついた関係だと気づいているはずだからだ。つまり、君の妹が僕に食べられたのは理屈が通っている。そして、人間という生き物は理屈が通らないことにいら立ちを感じるものだ。ならば、本件を通して君がいらだちを感じていることは、本当は僕に対する怒りではないはずだ。考えられる可能性は1つ。犯罪心理分析官である自分の妹にもかかわらず、妹の心を読み取ることが出来なかった自分に対する憤り、そうじゃないか?」


 「だから、あなたは何を言ってるの?」


 私は平静を装いつつも、気が付いたら手がプルプルと震えていた。牧瀬は私の震動する手を一瞥すると、さらに意地悪そうに頬を緩ませた。


 「そして、ここからが面白い。あなたは自分の可愛がっていた妹が自分の命を捧げてまで愛した牧瀬哲也という男に興味を持ってしまった。それも女として。なぜなら、あなたは妹に嫉妬していたからだ。警視庁長官という厳格な再婚相手の父親を持った君は、その父親の顔色を窺って生活をしていた。なぜか?君は前の父親に虐待されていたからだ。これは君の著書の中で、自らが犯罪心理分析官として志す理由の一つとして書いてあった事実だ。では、なぜそのことが自分の妹への嫉妬につながるのか?君は虐待の中でも性的虐待を受けて育っていたからだ。しかも、妹を庇って、自分を犠牲にしてね。その結果、能天気かつ自由奔放に生きる妹に比べて、男性恐怖を抱いた君は無意識に再婚相手の父親の顔色を窺って進路を進んでしまった。そして、君は男性社会でも自分の力でサバイバルできることを証明したくて警察組織の中でキャリアウーマンとして人生を歩む道を選んだ。美人で犯罪者でもない君が足枷を着けて生きている理由はそれさ。まるで、『羊たちの沈黙』のクラリスのようだ。だが、そんな君も本当は妹のように能天気に自由奔放に生きたかった。そうだろ?その結果、君は無意識に犯罪心理分析官として仮面を被って、その妹が命を捧げた男に会って見たくなった。それも女として。そうだろ?」


 「バ、バカなんじゃないの!!そ、そんなのナルシストの妄言よ!!」


 気が付いたら、私は烈火のごとく叫んでいた。牧瀬は一瞬おどけたような表情をすると、また持ち前のニッコリとした笑顔に戻った。


 「フランスの精神分析家、ジャック・ラカンは「人間の欲望は他者の欲望である」という言葉を残している。その意味は2つ。1つ目は人間は他者の欲望を欲望するということ。2つ目は人間は自分の欲望を他者に欲望されることを欲望するということ。そして、君の場合は前者。すなわち、君は妹が欲望した牧瀬哲也という男を欲望している訳だ」


 「それ以上、私のプライドを傷つけるのであれば、名誉棄損で訴えるわよ!!」


 「あれれ、君らしくないな。君は著書『犯罪心理分析官のセオリー』の中で、凶悪犯が心理捜査を入れる段階で怒りを露わにした時は、そこに真理が隠されていると書いていたよね?それに死刑判決が確定な僕に今更罪を着せてもどうにもならないよ?それとも君は僕を以下のようにプロファイリングで再定義するのかな?自己愛性障害と妄想性人格障害を合併した精神異常者だって。そしたら死刑、免れちゃったりして」


 「あ、あなたは、そ、それが狙いなの?死刑を免れたいから、私に精神異常者というお墨付きをもらいたいから、そんな支離滅裂な妄言を呈しているの?」


 「うーん、違うよ静香さん。僕は死刑になりたいんだ。だから、むしろ、死刑がなくなっちゃ困る。それに臨床心理士の心理鑑定はもう終わっているから、犯罪心理分析官の一言くらいじゃ僕の人格を再定義することはできないと思うよ」


 「じゃあ、あの妄言は何?私があなたを女として意識しているだって?」


 「うん。妄言じゃなくて、事実。それは静香さんの動揺をみれば、火を見るよりも明らかじゃないか」


 「自惚れるのもいい加減にしなさい!!!!!」


 奥にいた看守がビクッと身体を震わせてそっとこちらを眺める。

私は不味い、やってしまったと思いつつも、つい激情に駆られて興奮を抑えきれなかった。


 「あら、犯罪心理分析官殿、面会途中での相手の失礼な発言には距離を取りつつも乗っかってあげないと、適度な友好関係を築くことが出来なくなるんじゃなかったっけ?」


 「あなたと築く友好関係なんてありません!!」


 「僕はあると思ったのにな~、またね」


 私は激怒の余り、パイプ椅子から立ち上がって、面会室の扉を開け放った。

その時、チラッと見えた牧瀬の顔は、子供のように無邪気な笑みを浮かべつつも、どこか哀しそうな瞳をしていた。

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