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女を喰った男  作者: シス
11/12

最期の面会

 ガチャ。面会室の扉が開いた。その瞬間、牧瀬の縋り付くような透明で明るい声が真っ白な面会室に響き渡った。


 「静香、静香!!!!!!!!!」


 牧瀬哲也は面会室の対談相手と自身を隔てるアクリル板に手を当てた。

訳も分からず私も涙を流しながら、牧瀬と衝立越しで手を重ねる。


 「13番。椅子に座りなさい」


 看守の野太く低い声が室内に響き渡る。

牧瀬はというものの、そんな看守の仲裁の声に一切動じなかった。そして、ただ興奮し切っている彼は私の名前を叫んだ。


 「静香!!!!静香!!!!!」

 

 「13番、椅子に座れ!!」


 看守はアクリル板に手を付く牧瀬を背後から引き離すと、乱暴にパイプ椅子に座らせた。

看守は私に対して軽蔑の目線を向けて忠告した。


 「貴方も、椅子に座って」


 涙を両手で拭きながら、私もパイプ椅子に座ることにした。

牧瀬哲也を眺めると、相変わらずの白髪碧眼の美青年ではあるものの、頬もコケて、髪もボサボサでやつれていた。

先ほどの興奮した余韻が残っているのか、肩を上下させて、呼吸を正そうと努めているようだった。


 「哲也、随分痩せたんじゃない?」


 「お陰様でね。それに初めて下の名前を呼んでくれたね。静香の方も痩せに痩せて・・・何だろう、ダメだ、上手い喩えが見つからないや」


 照れ恥ずかしそうな表情を牧瀬は浮かべると、睫毛を少し濡らした。

私も自分の感情がもうよく分からなくなっていた。この感情は錯乱なのか、恋慕なのか、自棄なのか。

もう自分にはよく分からなくなっていたし、もうそれが何なのかはどうでもよくなっていた。


 「時間がない。静香、僕は今まで4人の女性を殺して、食べてしまった。でも、僕も君と同じで嘘ではないけど、本当でもない建前を信じていたことに気が付いた」


 「嘘ではないけど、本当でもない建前?ちょっと、待って、どういうことなの」


 いつもの牧瀬らしくない。いつも懇切丁寧に説明してくれる彼が珍しく取り乱している。

牧瀬はすっと大きく息を吸って、ゆっくりと息を吐いた。


 「ゴメン。多分、これが君に会う最後になりそうだから」


 「最後?死刑はいつなの?」


 「明日だよ」


 鈍痛のような衝撃が胸に押寄せた。

牧瀬哲也が死ぬ。彼の存在は私の中で私が思っていた以上に大きなものとして私を満たしていたのかもしれない。

 牧瀬は陰りある表情を浮かべながらも、決意の籠った鋭い視線を私に向けた。


 「静香、嘘ではないけど、本当ではない建前。僕が連続食人事件を起こした本当の理由は、僕の恵まれない環境が生み出した異常妄想にあるのではない」


 「どういうことなの」


 「それも半分の真実。だけど、もう半分の真実は」


 牧瀬は最初に逢った時のように、無邪気な笑顔を浮かべた。


 「僕は、愛が知りたかったんだ」


 愛を知りたい。

その言葉は親の愛情を信じることが出来ず育った私の心の奥底に深く突き刺さった。

 

 「僕が唯一愛する母親は18歳の頃、自殺した。確かに、母は優しい人だった。けれど、僕には僕を人として定義してくれる家族が1人もいなかった。それは新しい父親もそうだった。彼の名誉の為にいわなかったけど、僕は最初から身体目当ててで養子にされていたんだ」


 牧瀬は10歳の頃に養子にしてもらった父親に性的虐待を受けていた。これも彼の供述の中では一つもない事柄だった。


 「それは僕も同意の上だった。僕はこのクソみたいな社会から這い上がるために、世界各国に店舗を持つ不動産会社の社長の義父に身体を売った。その代わり、僕は莫大な富を彼から受け継ぐ契約をしたんだ。この件に関しては彼と僕との同意の上での性交渉だから、性的虐待ではない。だから、彼の名誉の為に僕は広言を控えた」


 「それで、貴方はなぜ愛を知りたくて連続食人事件を引き起こしたの」


 「きっと、僕がこんなこといったら、普通なら死刑前だから敬虔な気持ちになって、気持ちを新たにしただけだと人は思うかもしれない。僕は親に疎外された孤独、天才ゆえの周囲との断絶、そうした心の虚しさを満たすかのように膨れ上がった性的衝動と破壊衝動が織りなす妄想、それらの要因が複雑に絡み合うことによって、僕はその時付き合っていたアメリカ人の彼女に対して初めての食人を開始したんだ。その結果、僕は3年周期で人を食べ殺すサイコパスになっていた。僕と同じように悲惨な家庭環境で育ち、孤独に生きる女性たちを狙って、相手を恋に落として、女性を食べ殺し続けた。ただ僕は今まで彼女らと3年という月日を共にして、しっかりと彼女らと愛し合ってると思っていた。でも、今思うと、それは自殺した母親からの愛情の埋め合わせでしかなかったように思える。僕は彼女らに求められることをいつも求めて、必死に彼女らに好かれるようと自分を演じていた」


 「貴方は誰かと一緒にいてもずっと孤独だったのね」


 「ああ。僕は誰かを食い殺し続けたい、母親の代わりを見つけたい、そんな妄想を埋め合わせるために、心なく彼女らを弄んでいたんだ。本当はそこに僕の心はあると思っていた。でも、気づいたらいつも心は空っぽで、僕は次の女性を狙い続けていた。次はきっと上手くやれる、もっと上手く愛し合える、ってね」


 牧瀬の発想は連続殺人者が次々と殺人を犯していく異常心理と完全に重なっていた。

連続殺人者は初回の殺人で自分の思い描いた殺人を行う。それが成功すると、今度はもっと上手く殺人を行えるように妄想を稼働させる。そして、それは止まることを知らず、次へ次へと妄想が膨らんでいくことに比例して、殺人件数はどんどん増えていくのだ。


 「だけど、僕は4人目の女性、井之上春香を食べ殺した時にようやく気が付いた。僕は誰も愛すことができないサイコ食人マシンでしかないということを。笑えない冗談だよな」


 牧瀬は卑屈な乾いた笑いを見せた。

いつも自信満々の彼が自信喪失している姿は初めて見る。身長183㎝の身体が小さく見えた。

 だが、次の瞬間、パッといつもの天使のような無邪気な笑みを小さく浮かべた。


 「そこで、僕は静香さんと出会った。君の妹の春香さんから聞いていた通りの人だった。社会から爪弾きにされたこちら側の人間。そう確信したんだ。それからというもの、僕は君と面会を二回、三回と続けていく度に、僕の胸の中で暖かい感情が生まれた。それは今まで出会ってきた女性には感じなかった感情だ。僕はその感情を分析した。分析して分析して分析した。育った感情が同じだからか。頭がいいからか。容姿が綺麗だからか。だけど、そんなものは僕が出会ってきたどの女性にもある程度当てはまった。そこで僕は理解ではなく、直観したんだ」


 牧瀬は顔をやや紅潮させながら、雲一つない青天霹靂な碧眼で私を真っ直ぐ射止めた。


 「僕は君を愛してしまった、ってね」


 ドクンと心臓の鼓動が高まった。

多分、今鏡を見たら、化粧もせずに刑務所へと飛び出した私の顔は真っ赤で恥ずかしいことになっているだろう。

この28年間、何人か彼氏を作ってきた。だけど、誰一人としてときめきを感じた人はいなかった。

みんなどの人もいい人だった。顔もカッコよければ、頭もよくて、家柄もしっかりしていて、お金も持っている。彼らに何一つ落ち度はなかった。

だけど、私はいつも孤独を覚えていた。それもそのはずだ。彼らは人生の当たりくじを引いた人たちだったからだ。

それに対して、牧瀬哲也は私と同じで人生の外れくじを引いた人間だった。彼らと牧瀬の分水嶺はそこだろう。

 私は嬉しさが表情に零れ落ちるのが怖くて、つい、ニッコリと作り笑顔で返した。


 「本当かしら?他の女性被害者と同じ手口で、私を誘惑しているだけじゃないの?」


 「バカ。こんな臭い台詞、お前以外に吐けるわけないだろ。普通、引かれるわ」


 「あ、今、目が左上に泳いでた。これって嘘吐いているってことよね?」


 「あーもう、言葉でこの気持ちを表す表現が一つしかないのが本当に不便だよ。ホラ」


 そう照れ恥ずかしそうに呟くと、牧瀬はアクリル板越しに唇を近づけた。

私も彼の意図を察して、穴が開いたアクリル板越しに、彼の薄紅色の綺麗な唇にキスをした。

 牧瀬の立った物音が聞こえたので、看守がこちらを振り向くと、愕然とした表情を浮かべていた。


 「おい、お前ら何をしているんだ!!離れろ!!!!!」


 「青春してるんだよオッサン!!!!!」


 牧瀬は看守にアクリル板から無理矢理引きはがされると、無造作にパイプ椅子に座らされた。

 私も顔を真っ赤にして、そそくさと元のパイプ椅子に戻った。


 「後3分で面会は終了だ。いいか?」


 「はい、分かりました看守殿」


 看守が面会室の片隅の席に戻ると、牧瀬は白目を向いて舌を出していた。

そんな子供のように無邪気な彼をみて、私は涙を流しながら、思わず吹き出してしまった。

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