深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめている
「怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない。
深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめているのだ。」
フリードリッヒ・ニーチェ 『ツァラトゥストラはかく語りき』
「結婚しよう」
牧瀬哲也は天使のような屈託ない笑みを浮かべて、そう呟いた。
日本人とアメリカ人のハーフである彼の碧眼は雲り一つない青天霹靂。
だが、爽やかに笑いながらも、彼の眼光は草食動物を捕らえる肉食動物のような獰猛な鋭い光を放っていた。
「なぜ、私が貴方と結婚しないといけないの?」
牧瀬は飽きれたように手錠で拘束された両手を挙げて、白髪の髪を右手の指でぼりぼりと軽く掻いた。
「なぜって、簡単だろう?犯罪心理分析官である君は連続殺人犯であり、君の妹を食べた僕のことをもっと知りたい。しかし、赤の他人でもあり、しかも、僕を次回の著作のネタに利用しようとしている君に僕は素直に心を許して話すことができない。だけど」
「だけど?」
牧瀬はこれまた下らないと言いたげに深いため息を吐いた。彼の一挙手一投足がどこか役者がかっていて、観る者を惹き付ける。
「だけど、家族なら僕も素直に話すことができる。みんなと一緒さ」
今度は先ほどとは打って変わって、牧瀬は意地悪そうにニヒルな笑みを浮かべた。その瞬間、私はこの男の正体は悪魔だと確信した。
彼の名前は牧瀬哲也。白髪碧眼に透き通るような白い肌。IQは理論物理学者のホーキングやアインシュタインと同程度の160越え。透き通るような声に、時折、天使のような愛くるしい笑顔を浮かべる。
だが、油断してはいけない。この男は人間を文字通り4人も食べた凶悪犯罪者だ。今は執行猶予期間だが、確実に死刑判決が下るだろう。
そんな彼に、なぜ、私は獄中結婚を申し込まれているのだろう・・・