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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編小説

ひなたの吸血鬼

 吸血鬼は、日光を嫌うらしい。

 

 それは俺の妹と同じクラスの『ヒナタ・レ・フォユ』ちゃんも同じことで、体育の時間なんかは日傘必須の見学必須だっていう話だ。


「ヒナタちゃんって、すんごい美少女なんだよ! 映画の中から飛び出してきたっていうか、深窓の令嬢がこんにちはって感じなんだから!

 だから、お兄ちゃんは、ずぇったーい近づかないでね!!」

「は? うるせぇ、揉みしだくぞ」

 

 妹からはこんな風に言いつけられていたわけで、俺としても近寄る気ゼロどころか、ブラジルまでふっ飛ばしてやろうかと思っていた。

 

 思ってはいたが……お気に入りのバカンス地(近所の公園)に現れたとなれば話は別。お昼寝中の愛くるしい寝顔を覗き込んできたともなれば、最早それは治外法権に踏み込んだビザなし異星人だった。


「……なんだ、てめぇ、木星ぶつけんぞ」

 

 病的なまでに白い肌、気色が悪いほどに紅い瞳。

 

 吸血鬼の少女というものを初めて見たが、画面に映り込んだ南極のオーロラみたいに綺麗だった。コイツを豚に例えたら狼は舌なめずりをして腹を晒し、どう食おうか算段を立てるだろう。


「あ、ひ~う~」

 

 真っ白な日傘を差した彼女は、意味不明な言語を羅列してニコニコと微笑む。


「そういや、舌の構造が特殊で日本語を話せるようになるまで時間がかかるとかなんとか、ミサがお抜かしになってやがったな。

 仕方ねぇな。せっかくだから、日本語で『これからも仲良くしてください』ってなんて言うか教えてやるよ。オラ、言ってみろ。『エロ同人に出てきそうなつらしてますね』だ。オラ、言え、オラ」

 

 不可思議そうに瞬きをした吸血鬼に飽きて、ガキどもを蹴散らしながら砂場を陣取る。


 呆れたのか、少女は、ちまちまとした歩き方で木陰に向かった。


「ハル兄、また、がっこサボってんの?」

「うるせぇクソガキ、俺はひとりレジスタンスの隊長なんだよ。公的機関に歯向かうことで、世界に愛と自由を叫んでんだ。文句あんなら、PTAのババアにオススメのアニマルビデオでも聞いてこい」

 

 わーわーじゃれてくるクソガキどもに力量の差を見せつけていると、木陰に入ったヒナタちゃんは日傘を放り捨てた。

 

 木の葉の隙間から、射し込む日の光。純白の皮膚が煌めいて、目を閉じた彼女が光に包まれる。

 

 まるで、太陽に愛されているような――そう思えたのは一瞬で、彼女の顔が苦悶で歪み、肉の焼ける臭いと煙がこちらにまで漂ってくる。


「ハル兄……お姉ちゃん、つらそうだよ? 痛そうだよ?」

「うっせぇ、見ればわかんだよ。バーベキューで焼かれる肉が、親類縁者にでもいるんだろ。ほっとけ」

 

 数十秒間、そうしていた少女は、火傷でただれてとろけ落ちた自身の皮を見つめ、残念そうな顔をしてから去っていった。


 日傘を差して、よろよろと歩いていく彼女を見送って――自室に戻ったら、妹の膝が顔面に叩き込まれた。


「ふざけんな、このバカッ!! 見てたんなら止めろ!! つうか、当たり前のようにエロ動画見てんじゃねぇ!! 妹の前では止めろ!!」

「お前、バーテンダーが、カクテル作りを途中でやめるの見たことあ――」

 

 もう一発、膝を喰らったので、俺はお気に入りの動画を閉じて向き直る。


「で、なんの話?」

「ヒナタちゃん!! ヒナタちゃんの話!! あの子たちから聞いたよ! お兄ちゃん、見てたのに止めなかったって!! いくら、吸血鬼が人間よりも体が丈夫だからって、火傷していいわけじゃないんだから!!」

「仕方ねぇだろ。日焼けサロンかもしれないんだから」

「そんなこと言いだしたら、世界どこでも日焼けサロンだわ!! 見てたなら、とめてよっ!!」

 

 ミサは俺の部屋をぐるりと見回し、ため息を吐く。


「お兄ちゃんさ」

 

 床に放り捨てられたトロフィーを持ち上げ、妹は輝きを失ったソレを見つめる。

 

 陸上、水泳、水彩画にルービックキューブ……種目は違えど、大体は同じ順位。中途半端に優れていることを示す証左。


「生きてて楽しい?」

 

 ゴミだらけの部屋で、俺は吐き捨てる。


「あぁ、最高だね」

「……なら、いいけど」

 

 部屋から出ていく前、妹は悲しそうな顔でささやいた。


「ヒナタちゃん、本当に心配なの。日本語が話せないみたいだから皆に嫌煙されてて、お昼も輸血パックだから気味悪いって言われてるし……コレで怪我までしてたら、ミサ以外、誰も寄り付かなくなっちゃう」


 無視していると、扉がゆっくりと閉められる。


「昔のお兄ちゃんなら、助けてあげてたよ」

 

 机の上に置き直されたトロフィーを床に放り捨て、俺はPCの電源を点けた。




 ヒナタ・レ・フォユちゃんは、またも公園に現れた。


「……つーか、この時間にいるってことは、アイツもひとりレジスタンスの隊長じゃねぇかよ」

 

 なんせ、時刻は14時。良い子は午後の授業に出て、教師の顔にあるほくろを数えている頃合いだ。

 

 ヒナタちゃんは両腕に白い包帯を巻いていて、昨日の火傷の痕がまだ消えてはいないようだった。人間とは自然治癒能力に歴然とした差があるから痕は残らないだろうが、まぁ痛々しくは見える。


 ベンチで寝転ぶ俺を見かけると、彼女はパァッと笑顔を広げて駆け寄ってくる。なんせ超がつく美少女だ、ただ駆けてくるだけでも、映画のワンシーンみたいだった。


「あ、あうあ!」

「誰が超絶ハンサムだ」

「ひみるお~」

 

 ニコニコとしながら、彼女は胸ポケットから手帳を出した。


 表紙に四葉のクローバーがラミネートされていて、裏側には写真が挟まっているようだった。

 

 なにしてるんですか?

 

 みみずがのたうち回ったみたいな、とんでもなく汚い字だった。たぶん、幼稚園児のほうがマシな文字を書く。『な』があまりにもへろへろとしていて、水に溶け落ちる絵の具みたいに見えた。


「見てわかるだろ、世界を救ってんだよ」

 

 どうやら、日本語の聞き取りはできるらしい。ヒナタちゃんは目を丸くして、胸の前で両手を組み合わせた。


 へんたいですね


「誰が編隊だ。俺が二機以上の航空機に見えんのか、コラ」


 両目を大きく見開いて、頭をぶんぶんと振るヒナタちゃん。慌てた様子で、クマのキーホルダーがついたシャープペンシルを走らせる。


 たいへんのまちがい。たいへん、ごめんなさい


「次、間違えたら、遊郭に売り飛ばすぞ」

 

 小首を傾げる彼女に、眠気覚ましの質問を送る。


「あんたさ、昨日、なにしてたの? 自傷行為? もしくは、デモパフォーマンス?」


 思い当たる節がないかのようにぼーっとしていたので、両腕に巻かれた包帯を指してやると、合点がいったのかペン先を動かし始めた。


 ひなたぼっこ、です


「吸血鬼が?」


 そう言うと、彼女は、寂しそうな微笑みを浮かべて頷いた。


「……別に、あんたの趣味にとやかく言う気はねぇけどよ。

 俺の妹が。あぁ、あれな。永坂未紗な。あれがよ、あんたのことを心配してんだよ。で、とばっちりで、俺の高尚たる裸体鑑賞会を邪魔されたからな。またやられたらたまったもんじゃないから、そのひなたぼっことやらやめてくんね?」


 長台詞はまだ上手く聞き取れないのか、困惑気味に口をパクパクさせている。仕方ないので、ゆっくりと『永坂未紗が心配してる。もうひなたぼっこはするな』と言い含める。


 申し訳なさそうに、ヒナタちゃんは顔を伏せた。


「え、みると、ろあ~」

「文字にしろ。あんたの文字、割と好きだ」


 髪をかきあげてから、耳元を赤くした彼女は書き込んだ。


 それは、できません


「なんで?」


 下唇を噛み締めて、ヒナタちゃんは目を伏せた。


「俺はクイズ番組の司会じゃないからな、答えるまで尋ねたりはしねぇよ。アレだけの火傷を負ってもやめねぇんだから、それなりの理由があんだろ。好きにやりな」


 ありがとうございます


「ただし、ココ以外の場所でだ。

 見て見ぬふりをすると、また、妹に怒られ……クソ」


 頭をかきむしる。ダメだ。俺はもう見てしまっている。この子はひなたぼっこと称する自殺行為をやめないし、やめないことを知っている。この公園以外で続けられたら、それは最早見て見ぬふりだ。


 ――昔のお兄ちゃんなら、助けてあげてたよ


「……今はもう、目は覚めてんだよ」


 俺の気を損ねたとでも思ったのか、おろおろしている彼女の腕を見つめる。水疱が潰れて滲み出たリンパ液が、血と混じって赤黄色に白を染めていた。まるで、彼女の白は、この世界とは相容れないと言わんばかりに。


「ひなたぼっこ、やめる気はないんだな?」

 

 意思の籠もった瞳で、少女は俺のことを射抜いた。

 

 俺の、昔の目によく似ていた。


「ヒナタちゃん!!」


 学校から拉致してきた未紗は、ヒナタちゃんを見つけるや否や、涙をにじませて彼女のことを抱きしめた。


 面食らっている当人を無視して、ぎゅうぎゅうと、胸へ胸へと押し付けている。


「心配したよ……がっこ、休んだから……お兄ちゃんみたいに、この世のアウトサイダーになったらどうしようって……内閣総理大臣に相談しようと思ったんだから……」

「相談先の間違え方が、壮大過ぎるだろ」

「お兄ちゃん」


 久しぶりに、妹は満面の笑みを俺に向けた。


「ありがと」

「強要しといて、礼を言うんじゃねぇよタコスケ」

「素直じゃないんだから……ヒナタちゃん、話、聞いたよ。

 ひなたぼっこ、したいんだよね?」


 抱きしめられたまま、彼女はこくりと頷いた。


「大丈夫だよ」


 未紗は、彼女の髪を撫で付けながら、優しくささやいた。


「その夢、ミサが叶えてあげる」

「はい、タイム」


 腕を引っ張ってヒナタちゃんから引き剥がし、声が聞こえないくらいの距離をとってから喋り始める。


「無理だろ。全裸の状態でアメリカ旅行に行って、自由の女神の下で『全裸こそフリーダム』って言うくらい無理だろ」

「無理じゃないよ」

「いや、お前、税関で股間のライフルが間違いなく引っかか――」

「無理じゃない」


 俺の茶化しを物ともせず、悔しそうな顔で妹はつぶやく。


「無理じゃ、ないもん……」

 

 あ、やべ。コイツ、泣くわ。


 昔から、妹はそうだった。何をするにしても俺の後ろをついてきて、俺以上に悔しがって俺以上に悲しむのだ。自分が骨を折った時はケロリとしていたのに、俺が膝を擦りむいただけで大泣きしていた。


 だから、今も、コイツは俺の代わりに悔しがって泣いている。


「わーったわーった、無理じゃない無理じゃない。諦めない諦めない。

 でも、お前、そこまで言うからには、なんらかの考えはあんだろうな?」

「……ある」


 ぐしぐしと手の甲で涙目を拭いて、妹は俺にウェブページを見せつける。そこには愛らしいイラストとセットで、吸血鬼の体の仕組みが描かれていた。


「お兄ちゃんは、日焼けの仕組みって知ってる?」


 黄色のスクエアフレームをもつメガネを身に着け、俺に身体を寄せつつ問いかけてくる。常日頃、遊び呆けていそうなルックスをしているが、こう見えても勤勉で真面目、学内成績も常にトップ・ファイブにいる。


「太陽がつえー」

「アホ丸出しの回答、ありがとう。

 名前に騙されてる人もいるけど、日焼けっていうのは熱傷と同じ……つまり、太陽光による火傷の一種なの。脊椎動物は、表皮の最下層なんかにある色素細胞メラノサイトでメラニンを生成して、太陽光からの紫外線を吸収していて――」

「やめろ、頭が火傷するだろ」


 嘆息を吐いて、妹はメガネをかけ直す。


「簡単に言えば、吸血鬼はメラニンの合成量が異様に少ない。照射された紫外線がメラニンの保護能力を超えた時に起こるのが日焼けで、そもそもメラニンによる保護が期待できないから短時間で浅達性I度からII度の熱傷になる」


 髪から肌まで白いヒナタちゃんを指し、賢そうに見える妹は続ける。


「先天的なメラニンの欠乏があるから、ヒナタちゃんの髪は白いし肌もあんなに真っ白なの。瞳が紅いのは毛細血管の透過によるもの。

 アルビノと同じって言ったらわかりやすい?」


 サファリパークのCMなんかで出てくる、ホワイトライオンなんかもアルビノの一種なんだっけな……俺は首を縦に振る。


「でも、アルビノの人だって、たかが1,2分であそこまでの熱傷になったりはしない。紫外線によるDNAの損壊が、常人の数十倍から数百倍の速度で行われているせいだって言われてるみたい。

 たぶん、数分程度だろうと、日光を浴び続けてたら命に関わるよ」


 命懸けのひなたぼっこ、か。


 ヒナタちゃんの方を盗み見ると、彼女は日傘に守られながら、眩しそうに空を見上げていた。たぶん、直視できない太陽を見つめているんだろう。


 なにが彼女をそこまで惹きつけるのか、ちょっとだけ気になった。


「で、どうすんの?」

「コレ」


 ミサが鞄から取り出したのは、ポップな文字が描かれたチューブ……いつも、持ち歩いている日焼け止めクリームだった。


「いや、お前、日焼け止めクリームって……ヒナタちゃんをバカにするのも大概にしろよ。アホ面してるけど、それくらいは試してそうな無垢顔イノセンス・フェイスしてんだろオラ」

「でも、ヒナタちゃんが使ってたとしても、市販で売られてるようなSPF10から20程度のものだと思うよ」

「…………」

「SPFっていうのはね」

「おいコラ。なにも言ってないのに、人を小馬鹿にしたような顔で解説を始めるな。裸婦画書いて、廊下に飾んぞオラ」

「Sun Protection Factorの略で、日焼け止め剤の効果を数値化したものなの。一概には言えないんだけど、高ければ高いほどに紫外線の散乱剤と吸収剤が多く入っていて、皮膚に紫外線が届くのを防いでくれる時間と効果を高く望める」

「つまり、皮膚に塗る日傘だな」

「うん、違うね。

 だから、海外製のSPF50から100くらいの日焼け止めクリームを使って、ヒナタちゃんの火傷を食い止められるか試してみようと思うの」


 成績が良いだけあって、対応策がまともだ。案外簡単に、ひなたぼっこが、できるようになるかもしれない。


 というか、アレ? 俺、いらなくない?


「お兄ちゃん」


 己のアイデンティティを探していると、妹がはにかみながら耳打ちしてくる。


「一緒に頑張ろうね」


 いや、一緒に頑張る部分、特にないんだけど……そう思いながらも、嬉しそうにヒナタちゃんの下へと駆け出した妹を見て、たまにはこういうのもいいかと思った。


 だが、順風満帆だったのはソコまで。


「……ダメだ」


 バイト代を費やして、ありとあらゆる日焼け止め剤を揃えたミサは、今にも泣き出しそうな顔でチューブの葬列を眺める。


「ヒナタちゃんの肌に合うクリームがない……スキンタイプが人間とは違うんだ……SPFが高いものを使えば、接触皮膚炎を引き起こすのは知ってたのに……浅はかだった、また怪我させた……」


 前髪をぐしゃぐしゃにして両手で顔を覆っている妹は、ブツブツとつぶやきながら、己の不明を恥じるように歯噛みしていた。

 

 完全遮光日傘を用いたりUVカットフィルターを応用したり、紫外線を遮断しているオゾン層について調べてみたり、妹は妹なりに数多くの手段を講じてみたものの、完全に日光を遮断させるような方法はヒナタちゃんの望むところではなかった。


 彼女は彼女自身のままで、ひなたぼっこがしたい。そう願っている。


 そしてその願いに最も近かったのは、日焼け止めクリームを用いた作戦だったが……ついに、万策が尽きたらしい。月日を重ねて彼女の負担にならないように試してきたが、最後の一種類もまたダメだった。


「ミサ、ヒナタちゃんが来てくれたぞ。日本語を習いたいって」

「……お兄ちゃんに任せる」

「お前に習いたいって――」

「わたしはっ!!」


 右手を、思い切り、机に叩きつける。鈍い音がして、次にくぐもった泣き声が届く。


「なにも……なにも、できなかった……なにも……なにも……あの子に教えられることなんて……なにもない……」

「…………」


 ヒナタちゃんに聞こえないように戸を閉めて、玄関に下りていった俺は、彼女のことを出迎える。


「こ、こにちぁ!」

「悪い。アイツ、世界を救わなくちゃならないらしい。当番制だからな、今日は俺が相手してやるよ」


 外では、雨が降っているらしい。肩が濡れているヒナタちゃんにタオルを渡し、自分の部屋に案内した。


 自室に入れてやると、ヒナタちゃんは、まじまじとPCの画面を注視した。えっちなコンテンツが表示されてたらヤバいなと思っていたが、映っていたのは吸血鬼コミュニティのウェブページだった。


 俺が日本語で立てた相談スレッドには、国籍問わず、数人からのレスが返ってきている。翻訳サイトにかけてみたが、大抵は慰めの言葉と頑張ってくれという励ましだった。ひなたぼっこに対する、具体的な対策はひとつもなし。


 吸血鬼は鏡に映らないとか、コウモリに变化できるとか、新鮮な血液を呑んでいる間は自然治癒能力が高くなるとか……眉唾ものの情報を、熱心に書き込んできたヤツもいた。


 気まずくなって、ノートパソコンを閉じる。


「……前から聞きたかったんだけどさ」

「なひゅでしゅぁ?」

「なんで、そこまでして、ひなたぼっこしたいの? お父さんお母さん、やめろとかって言わん?」

 

 女の子座りしていた彼女は、クローバーの手帳を取り出して書き込む。


 おとおさんもおかあさんも、わたしがあかちゃんのときにてんごくいきました


「……そうか」


 そだててくれたのはおじいちゃんです


 そっと、壊れ物を取り扱うように、表紙の裏側に差し込まれた写真を取り出す。幼い彼女と老人が、ほっぺたとほっぺたをくっつけ合って、満面の笑顔でピースサインをカメラへと向けていた。


「日本人、だな」


 せんそうちゅ、きゅうけつき、さべつされてました。いきばしょなかた。でも、おじいちゃん、かぞくにしてくれました


 彼女は、にっこりと微笑む。


 おじいちゃん、てんごくいきました。おじいちゃん、いってました。ひなたのなかにてんごくがあるって。いつも、えんがわで、いってました


「だから……だから……お前も、天国に行こうとしてるのか……?」


 微笑したまま、彼女はゆるゆると首を振る。


 みんな、はなれてきます。おべんと、すてられます。ひがさ、こわされます。しゃべる、ばかにされます。はだとかみ、きもちわるいいわれます。でも、てんごくにはいきません。おじいちゃん、やくそくしました


 ぎゅっと、縋るように、彼女は俺の手を握った。


 いっしょに、ひなたぼっこする、やくそくしました


 彼女ヒナタは、笑う。


 それが、わたしのゆめです


 心臓を――鷲掴みにされる。


 綺麗な笑顔で夢を語る彼女を見て、俺は打ち捨てられたトロフィーを見つめた。自分だけ、語らないのは公平フェアじゃないと思った。


 だから、口を開いていた。


「俺、昔から器用貧乏でさ」


 ヒナタちゃんは、顔を上げる。


「小学生の頃なんかはいろんな大会に出て、賞とかもらっちゃったりして、自分が天才なんじゃないかってうぬぼれてやがった。

 陸上とか水泳とか水彩画とか、なにをやっても上手くいきやがるんだよ。ある程度のところまでは上手くいく。でも、飽くまでも、ある程度だ」


 鈍色の光を放つトロフィーを拾い上げて、ホコリのかぶったソレを見つめる。そこには、何者にもなれなかった自分が映っていた。


「最初はよ、夢があんだよ。一番になるってな。で、本腰を入れ始めると、途端に敗け始める。勝てないんだ。いつも、二番、三番で終わる。絶対に一番にはなれない。それで面白くなくなって、別の競技に手を出す。それの繰り返し」


 なにも言わず、寄り添うようにして彼女は黙っていた。


「小学生の頃は誰にでも優しくて、なんでもできる人気者。でも今や、夢の残り香に酔って、学校サボってはガキと遊んでる不良高校生だ」

 

 自分の不甲斐なさを直視して、力なく腕が下がっていった。


「怖くなったんだよ、夢を追うのが。何回やってもやり直しても、絶対に叶ったりはしないから。周りから見れば随分と無様で、愚かに映るだろうなと思うと、踏み出せなくなっちまってんだ」


 片手で、顔を覆う。なにも見たくなくて。


「諦め癖がついてんだ……直ぐに『無理だ』って諦める……そんな俺を見て、妹はいつも悔しそうに泣くんだよ……俺が泣かないから……俺の代わりに泣いて……俺の代わりに諦めねぇんだよ……」

「…………」

「わかんねぇよ……俺にはわかんねぇ……諦めろよ……最悪、死ぬんだぞ……爺さんとの約束なんて忘れちまえよ……ひなたぼっこなんて無理だって、諦めちまえよ……なんで、お前ら、いつまでも諦めねぇんだよ……なんで……なんで……」

「らいじょおにゅぶ」


 ヒナタちゃんは、俺の手にふれる。その温かさが煩わしくて手を振りほどくと、彼女の手は諦めずに追いかけてくる。


「らいじょおにゅぶ」

「……やめろ」

「らいじょおにゅぶ」

「やめろっ!!」


 トロフィーを床に叩きつけると、彼女はソレを拾い上げて俺に押し付ける。


「にゅ~めぇ~!」

「なんだよ、なにが言いてぇんだよっ!! 書けよっ!! わかんねぇよっ!!」

「にゅぅうめぇえ~!!」


 自分の胸の中心と俺の胸の中心を指で指し、必死の形相で俺にトロフィーを押し付ける。


「にゅめ」

「……俺とお前の夢は同じじゃない。もう諦めたんだ」

「らいじょおにゅぶ」


 拾い上げろ、そう言わんばかりに、彼女は紅い瞳で俺を見つめる。


「らいじょおにゅぶ」


 俺にトロフィーをもたせると、彼女は破れたり汚れたりしている賞状をかき集め、別の賞品と一緒に押し付けてくる。


 いつの間にか、俺の両腕は夢で溢れていた。


「にゅめ」


 今まで目を背けていた夢の残滓は、俺の腕の中で、ゆらりとした煌めきを放っていた。コレだけたくさんあったことを知らなかった俺は、思わず目を見開いて、その重みと実感に身を委ねる。


「らいじょおにゅぶ」


 励ますように、彼女は俺の背を撫でた。


「らいじょおにゅぶ」


 無意識に――涙がこぼれていた。


 何回も何回も何回も諦めてきて、一度たりとも流れたことのなかった悔し涙が、ぽろぽろとこぼれて、抱え込んだ夢に染み込んでいく。


 夢を抱えたまま、膝をついて嗚咽を上げる。


 そんな俺の背中を、いつまでも、彼女はさすってくれていた。




「……お兄ちゃん、入っていい?」


 その夜、俺の部屋を妹が訪れた。


 綺麗に整頓された賞品を見つめて息を呑み――微笑んで、椅子に腰掛ける。


「ごめん、自暴自棄になってた」

「女の子の日だろ、ならしゃあねぇ。許してやるよ」

「……さいてー」


 吸血鬼コミュニティのページをスクロールさせながら、俺は複数タブを開いて吸血鬼関連の情報を探る。


 一段落ついたところで、背後を振り返った。


「アイツの夢を叶えてやりたい」

「うん」

「お前は、いつも、俺の後ろについてきてたな」

「うん」

「俺の前に出たらどうなるか、わかってたからだろ?」

「……うん」

「たまには、妹の背中も見たい。特にうなじ」


 顔を上げたミサは、瞠目して驚きを示していた。


「前に出ろ、俺はもう大丈夫だ」


 吸血鬼コミュニティのページを見せつけ、俺はたったひとりの妹に笑いかける。


「アイツの夢、お前が叶えてやれ」

「うん……!」


 画面にかじりつくようにして凝視し、ミサはページを高速スクロールさせて情報を探る。凄まじい集中力だ。俺の前では、絶対に見せたりはしない、本気の妹の姿だった。


 そんな彼女が、指を止めたのは――俺の立てたスレッドだった。


「コレだ……コレしかない……なんで、今まで、思いつかなかったんだろう……最初から、コレしかなかったんだ……!」


 妹は俺に抱きついてきて、泣き声混じりに言った。


「お兄ちゃん……やっぱり、お兄ちゃんだ……お兄ちゃんはすごいよ……昔から……ミサの自慢のお兄ちゃんだよ……」

「ミサ」


 抱きしめ返して、俺はそっとささやく。


「お前、意外と、うなじ汚いな」

「くたばれ」


 数秒の感動シーンを経て、涙を拭った妹は部屋を出ていった。




 準備がととのった運命の日、俺たちはヒナタちゃんの家にいた。


 日光が差し込まない部屋の奥。ヒナタちゃんは、言葉少なに、じっと思い出の縁側を見つめている。まるで、そこに彼女のおじいちゃんがいるかのように。


 さんさんと太陽光が降り注ぐ快晴、ミサは俺の手を握り――不安を顔中に貼り付けて「やっぱり、やめよう」と言った。


「なんで、スレッドの人たちが、こんな簡単なことをアドバイスしてこなかったのかわかった。危険だからだよ。なにが起こるかわからない。あまりにも事例が少ないから、ヒナタちゃんもお兄ちゃんも、無事でいられるのか保証がないの。

 ねぇ、やっぱり、やめよう? 今日は日差しも強いし、別の手段を探して――」

「もう探した」


 俺は、ささやく。


「今しかない。わかるんだよ、何回も諦めてきたから。ココで引いたら、俺の心が折れるってわかるんだよ」

「でも」

「あの子の夢は、俺の夢だ」


 ぎゅっと、痛くなるくらいにミサの手を握り締める。


「叶えてやりたい」

「……わかった」


 涙で潤んだ瞳で、妹は俺を見上げる。


「叶えて」


 頷いて、俺は縁側の前に立つ。


 陰と陽、光と影、人と吸血鬼……決して相容れないと言わんばかりに、暗がりに佇む彼女は、別世界の住人のように見えた。


 だからこそ、諦めそうになる。心が折れてしまいそうになる。足が竦んで、動けなくなってしまいそうだ。


 ――らいじょおにゅぶ


 でも、心の底には、彼女の言葉があった。


 手を――伸ばす。


 暗がりの吸血鬼へと、手を差し伸ばす。


 彼女は嬉しそうに微笑んで、一歩、また一歩と歩き始めた。足先がひなたに踏み入れる、じゅうじゅうと肉の焼ける音、異臭が周囲に満ちて思わず鼻を覆ってしまいそうになる。ミサの悲鳴が聞こえた。


 苦悶の表情を浮かべたまま、彼女は俺が伸ばした手へと向かう。


 ゆっくり、ゆっくり、手ひさしで顔を守りながら、じわじわと焼けていく皮膚の痛みに声を上げて踏み込んでいく。


「ヒナタちゃん……頑張って……頑張って……っ!」


 ミサは、祈っていた。ガタガタと震えながら、顔面を蒼白とさせて、泣きながら祈りを捧げている。


「らいじょおにゅぶ」


 少女の美しい顔が、醜く焼き焦げていく。


「らいじょお、にゅ、ぶ」


 でも、諦めない。決して、諦めない。


「らいじょお……にゅ……ぶ」


 彼女は――俺に言い聞かせていた。


「ヒナタ……来い……来い……っ!」


 彼女の、指先が、俺の指に触れて……力なく、ヒナタは崩れ落ちた。


「ヒナタちゃん!!」


 俺は、持ち込んだアイスピックを取り出し、自分の首に先端を向ける。なるたけ素早く、首元の動脈を避けて穴を開けた。


 ――新鮮な血液を呑んでいる間は自然治癒能力が高くなるとか……眉唾ものの情報を熱心に書き込んできたヤツもいた


 首筋を流れ落ちる血液、痛みはほとんど感じなかった。息を荒げながら胸を上下させているヒナタの頭を抱え、その口を自分の首に押し付ける。


「吸えっ!! ヒナタ、吸えっ!!」


 だらんと垂れ落ちた頭、俺の眦から涙がこぼれて流れ落ちる。


「ヒナタ、叶えるんだろっ!! お前の爺さんと会うんだろっ!! 吸えよ!! 諦めんなっ!! こんなところで、諦めるんじゃねぇよ!! お前が教えてくれたんだろっ!! らいじょおにゅぶなんだろっ!! なぁ!! ヒナタァ!!」

「お兄ちゃん……もう、ダメだよ……ヒナタちゃん、聞こえてない……きゅ、救急車……救急車呼ばなきゃ……お兄ちゃん……」

「ヒナタ……」


 俺は、血まみれになりながら、彼女を抱きしめる。


「頼む……ヒナタ、頼む……諦めないでくれ……俺は……もう……」


 強く、抱きしめる。


「あきらめたくない……」


 声に呼応するかのように――ぴちゃりと音が聞こえた。


 なめすすっている。瀕死だったヒナタは目を覚まし、死にかけの状態で、子猫のように俺の血をすすっていた。


「や、火傷が」


 見る見る間に、火傷が治っていく。火傷の進行よりも、彼女の自然治癒のほうが早い。


 眩しそうに、手をかざしたヒナタは太陽を見つめた。


「あ、あうあ」


 そこには――ひなたの吸血鬼がいた。


「ひ、ひみちゅわ」


 両腕を広げて、彼女は太陽光を迎え入れる。


「ひ、ひぁあ……ひぅぁああ……!」


 泣きながら、ヒナタは誰かを呼んでいた。必死に必死に必死に、絶対に届くと信じて、大好きな人を呼んでいた。


 天国にいる、大好きな人を呼んでいた。


「ひぅぁあああ!! ひぁああああああああああ!!」


 俺には、見えた。


 両腕を広げた彼女を見つめて、穏やかな笑みを浮かべて縁側に座る老人を。あの写真に映っているみたいにほっぺたを擦り寄せて、愛する孫になにかをささやいている人を。


 そこには、ただ、ひなたぼっこをする老人と孫がいた。


「ひぁぅあああああああああああ!! ひぁああああああああああ!!」


 ひなたの吸血鬼は、泣き叫び続ける。


 いつまでも、いつまでも、いつまでも――天国ひなたの吸血鬼は、泣き叫び続けていた。




 目を覚ました時、風鈴の音が聞こえた。


 ちりんちりんと、縁側で揺れる風鈴が音を鳴らしている。首筋に鋭い痛みを感じて手をやると、傷口には丁寧な治療が施されていて出血は止まっていた。


 どうやら、貧血で倒れたらしい。


 暗がりに目を凝らすと……申し訳なさそうに、正座している吸血鬼ヒナタと目が合った。


 メモを差し出されて受け取ると、ミサは俺を担いで帰れるように、父さんを呼びに行ったらしい。


「大げさだな、歩けるっつう……おっと……」

 

 立ち上がってふらつくと、ヒナタが身体を支えてくれた。俺の右半身だけがひなたに踏み入れていて、彼女は歯を食いしばりながら、暗がりの中で左半身を抱えてくれている。


 俺は笑って、彼女の日傘を差しかける。


「送ってってくれよ。傘は俺が差すから」


 吸血鬼に支えられて、人間が傘を差しかける。


 ひなたの世界へと踏み入れて、俺たちは帰り道を辿っていく。


「……俺さ、実はピアノやりたかったんだよね」


 俺を支えたまま歩く彼女は、賛成だと言わんばかりに微笑む。微笑したまま、そっと俺を押して距離をとった。


「ヒナタ?」


 拒絶にも思える反応。


 不安で顔を曇らせた俺の前で、彼女は緊張の面持ちで口を開く。


「あ、あいうぅえぉ」

 

 発声練習――日本語だ。ミサとよくやっていた日本語の練習、俺になにか言おうとしている。

 

 思わず聞き入る俺の前で、彼女は真剣な表情で言った。


「え、えろ、どーじんにでぇてぇきそうなつらぁしてーまぁすぅね」

 

 一瞬の沈黙、俺は吹き出して大笑いをする。


 ヒナタは困惑したまま立ち尽くし、あまりにも俺が笑うものだから、ポカポカと殴りかかってくる。


「悪い悪い。最初に話した日本語がソレって。そりゃあ笑うわ。教えたの、俺だけどよ」


 肩を貸してもらって、傘を斜めに差しかける。


 ふたり、寄り添って歩き始める。


「ヒナタ、実はさ、その日本語の意味――」


 不格好ながらも、同じ世界ひなたで生きていく。

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[良い点] 良すぎる。泣いた。 [一言] なろうの短編で1、2を争う秀作とおっしゃられている方がいらっしゃいますが、本当にその通りだと思います。消すなんてもったいないです! 最近忙しくて長編を読む暇…
[一言] 初めて拝読したのは随分と前の事になるのですが… 個人的に、なろうに掲載されてる短編の中で1、2を争う秀作だと思います。 今も「ひなたの吸血鬼」に並ぶ様な作品を見つけられるかな…? と、楽し…
[良い点] 「大丈夫」が私のハートにクリティカルヒットして蒸発しました。 [気になる点] お祖父さんに萌えを感じた私を誰か〇せ [一言] ヤンデレが大好きなので、俺デレ(で良いのか分かりませんが)投稿…
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