第八話 着任
「ううっ、ソロン副部長、僕には無理で……す……?」
ふっ、とレイゼルが目を覚ますと、心配そうにのぞき込む顔がいくつもあった。金物屋のジニー、守護隊のナックス、村長のヨモック、シスター・サラ。
水車小屋──薬湯屋の、レイゼルの私室である。
「あれ……僕、また、寝込んじゃった?」
夢の影響か、少々男言葉に戻っているレイゼル。
「そうだよレイゼル」
「何か食べるかい?」
「いつもの薬湯は?」
レイゼルを甘やかす大人たち。
「あ……じゃあ、一番右下の引き出しに、カフシの根とシスの葉を混ぜたのがある、から……」
シスター・サラが、彼女が常備している薬湯の材料を煎じている間、他の大人たちは店の隅でこそこそと相談していた。
「村長。今度来る守護隊の隊長殿、ちょっと気をつけた方がいいな」
「どうやらレイゼルの知り合いらしい」
「そうだな、さっきうなされて言った一言……王都で何かあったんだ」
「そういえば昼間、何かイヤなことを思い出したような様子が」
大人たちは密かに、アザネ中に情報を流した。
数日のうちには、「守護隊の新隊長には要注意」という共通理解が、アザネの大人たちの間にできあがっていた。
そして。
「お待ちしておりました、シェントロッド・ソロン隊長。村長のヨモックでございます。アザネ村を、どうぞよろしくお願いいたします」
ヨモックが、頭を下げた。
「うむ」
アザネ村役場の近くにある守護隊の隊舎の前で、村の要職の人々や守護隊員たちが迎えているのは、リーファン族のシェントロッド・ソロンだ。
アザネではついぞ見かけることのない、緑の髪に緑の瞳、とがった耳。すらりとした長身を、黒の軍服に包んでいる。
英知を湛えた目が細められ、シェントロッドは村長を見た。
「隊舎を確認させてもらった、礼を言おう。この村で最も天井が高い建物を、隊舎に改装したそうだな」
彼の作る上から目線な雰囲気に、村長もアザネ駐在の守護隊の人々も、すでに飲まれている。
「は、はい。隊長は長身と伺いましたので」
「まあギリギリ、快適に過ごせそうだ」
褒めているのかいないのかわからない調子でシェントロッドは言い、その場の全員に向けて続ける。
「明日から、アザネ村の様子を視察する。一人で回るから付き添いは必要ない。何かあれば、隊舎の鐘を鳴らせ。村のどこにいても、私になら聞こえる」
「か、かしこまりました。……あの」
村長は、気になっていたことを聞いた。
「二日前においでになると伺っておりましたが、今日になったのは、何かこちらの連絡不行き届きでもありましたでしょうか」
「ああ……いや」
シェントロッドは、長い前髪をかきあげる。
「私が、界脈を捉え損ねて迷ったのだ」
「迷った……?」
理解できない村長の様子を無視して、シェントロッドは不意に話を変えた。
「ところで……この村に、レイ・オーリアンという坊主はいるか? 黒髪の、細っこいやつだ。王都で会ったことがあるんだが」
言わずもがな、レイはシェントロッドが王都ティルゴットの王国軍界脈調査部の副部長をしていた折、学業のかたわら副業として、調査部の仕事を手伝っていた『少年』である。
ひょろっとした頼りない体躯のその少年は、緊張しやすい性質なのか、シェントロッドの目から見ていつもバタバタとしていた。しかし仕事ぶりは真面目で丁寧、薬学校の成績もよく、故郷の期待を一身に背負って王都に来ているのが感じられた。
シェントロッドは彼に目をかけ、色々と便宜を図るなどしていたのだが、その彼も薬学校を卒業して調査部の仕事も辞め、故郷アザネに戻るのだと聞いていた。
アザネ村には自分以外のリーファン族は住んでおらず、自分は浮くだろうということはシェントロッドも想定している。
(それで揉め事が起こるようなら、レイに丸投げしてしまえばいい。レイなら、村と私の橋渡しくらいはできるだろう。忙しいときは仕事も手伝わせよう)
それが、シェントロッドの緩い目論見であった。
一方、アザネの人々の間には妙な空気が流れている。皆、『レイ』のことを知っているからだ。
村長ヨモックももちろん、男装していたレイゼルのことだとすぐにわかった。『レイ・オーリアン』の偽装をしたのは彼なのだから当然である。
しかし、レイゼルは何か、この隊長に思うところがあるようだ。
そもそも『レイ・オーリアン』は、レイゼルが王都にいる間だけ女であることを隠すための存在だったので、レイゼルがアザネに戻ってすぐ、ヨモックは役所にある『レイ・オーリアン』に関する書類を破棄させていた。役場の人間も、快く協力した。アザネの大人たちはレイゼルに甘すぎて、やることが結構むちゃくちゃである。
そんなわけで、ヨモックはこう答えた。
「そういった子は、アザネ村にはおりませんが」
嘘はついていない。『レイ』は、もういないのだから。
「そうなのか」
シェントロッドはぴくり、と片方の眉を上げた。
「おかしいな。レイはアザネに帰ると言っていたのだが」
「おや、そうですか。何しろ若者が少ない村なもので、そういう子がいれば私は知っているはずなんですが……。何か事情があって、アザネの名を使ったという可能性は」
「ふん。まあ、いないならいい」
シェントロッドはさっさと歩き出す。
「皆、それぞれ仕事があるのだろう、戻ってくれ。俺は隊舎の中を見せてもらう」
「はい」
ヨモックを始め、一同、立ち去るシェントロッドの背中に頭を下げた。
彼がいなくなり、顔を上げると、皆はちらちらと目を見合わせて温く微笑み、それぞれの仕事に戻っていく。
しかし、ヨモックは心配そうに眉根を寄せた。
(あの、鋭い目。今のままでは、秘密は見抜かれてしまうだろう。レイゼルが本当に隠し通したいなら、準備をさせなくては)
ヨモックは急ぎ足で自宅に戻ると、息子のルドリックに言った。
「おい、わしのところにリュリュを来させてくれ」
ムム農家で住み込みで働いているリュリュは、レイゼルと仲がいい。彼女の助けが必要だった。