第七十四話 物思い、からの、決心
塩漬けや酢漬けにした野菜の瓶詰め、焼き干しの魚や干し海藻、森で収穫した木の実、ベリー類のジャム、じゅうぶんな量の薪。
「よし。後は注文してある薬種がくれば、大丈夫かな」
レイゼルは冬支度の確認をし、うなずく。
霜が降りる季節になり、レイゼルはかまどのそばで過ごすことが多くなった。今日は少し風も強く、菜園の果樹から落ちた黄色い葉が窓にぺたっと貼り付き、また風でどこかへ飛ばされていく。
レイゼルは次に、薬種をいくつも出してきて調薬し始めた。
雪が降る前に、ナダヒナ村で暮らすリュリュに送っておきたい薬湯があるのだ。妊娠後期の身体にいい薬湯である。
フォストベリーを摘んだときに、一緒に葉も摘んで干しておいたもの。子宮のまわりの筋肉を柔らかくする。
つわり用の薬湯にも入れた、ウィニスの種実。界脈流の巡りをよくする薬種の中では、最も匂いが強くないので、妊婦にもってこいだ。
飲みやすいよう、香りづけに、柑橘の香りがするヤマミュントの葉。
混ぜ合わせて、一回分ずつ薬包にしていく。
エルジルディンに、弟子にならないかと誘うかどうか、レイゼルはまだ迷っていた。
(エルジーの人生にかかわることだもの。ひと冬、じっくり、ちゃんと考えよう。どっちにしろ、冬の間は私も自分のことで精一杯になっちゃうから、エルジーのことは春以降になるし……)
彼女は夏に、リュリュとその新しい家族がどんな風に暮らしているかを知った。そして、誰かと暮らすことを考えてみてもいいかもしれない、と感じた。
しかし、秋にエルジルディンを弟子にという話が出て、いきなりこの店で自分と幼い女の子だけという状況になって大丈夫なのか!? と心配になってしまった。
やがて冬が近づき、レイゼルは今年も村長ヨモックやルドリックから、村長の家で冬を越さないかと声をかけてもらっている。
(……思い切って、お願いしちゃおうか……まずは私が誰かと暮らせるのかどうか、見極める意味でも。それに、村長さんの家は孤児院の隣だわ。エルジーの様子も見に行ける)
彼女はそんな風に考えていたのである。
ところが。
「まさか村長さんの家で、トラブル発生なんて」
レイゼルは薬包を作りながら、苦笑いした。
ルドリックには年の離れた兄がいるのだが、レイゼルが王都から帰ってくるのと入れ替わるように、妻と三人の子どもを連れてフィーロに行っていた。兄嫁が子どもをフィーロの学校で学ばせたいと希望したためである。
「アザネ村を守っていくためにも、子どもらにはしっかり勉強してもらわないとな!」
兄もそう考え、自分もまたフィーロを起点に、ロンフィルダ領の様々な町や村の運営を視察した。子どもが卒業して一緒にアザネ村に帰る頃には、村の役に立てるように。いずれは父親の後を継ぐのだ。
しかし、子どもたちが学校で二年学んでいるうちに、兄嫁がすっかりフィーロを気に入ってしまい、帰りたくないと言い出した。
結局、一番上の子がフィーロでもう一年学ぶことになったのだが、その後をどうするかについて夫婦で揉めに揉め……
「もう話にならん! あいつ、何のためにフィーロに行ったと思ってるんだ!」
つい先日、兄が下の二人の子を連れて、プリプリ怒りながらアザネ村に帰ってきたのである。
ヨモックたちは兄と兄嫁をどう仲直りさせるかでゴタゴタしており、ちょっとレイゼルがお世話に……という雰囲気ではなくなってしまったのだった。
というわけで、この冬も水車小屋で過ごすために冬支度をした、レイゼルである。
「エルジーを弟子に、か。……もし、私の方の事情を抜きにして考えた場合でも、エルジーにとって薬湯屋の弟子になるって、いいことだよね……」
改めて、考えてみる。
エルジルディンは、人間族とリーファン族の混血だ。リーファン族は混血の子を受け入れ難い雰囲気があり、彼女はよほどのことがない限り、ずっと人間族の間で暮らすことになる。大人になっても、だ。
(でもエルジーって、見た目はリーファン族に近い。ひと目でリーファンの血を引いているとわかる。となると人間族は、エルジーが人間族にはできないことができるって、思いこんじゃうと思うんだよね……)
レイゼルが危惧しているのは、エルジルディンが今後出会う人々が、彼女に過大な期待をかけてしまうのではないか、ということだった。
そういう意味では、界脈を移動できる能力があることは良かったのかもしれない。けれど、リーファン族なら当然持っているはずの知識をエルジルディンが持っていなかったら、期待外れのような態度を取られてしまうのではないだろうか。
(もちろん、エルジーのせいじゃないわ。それでもあの子は傷つくだろうし……。それに、やっぱり人間族とは界脈との関わり方が違うんだから、自分の身体のために、界脈と薬の知識はあった方がいい)
どう考えても、エルジルディンがレイゼルに弟子入りしてリーファンの薬の知識を学ぶことは、これ以上ないくらいお誂え向きなような気がしてくる。
「あー。やっぱり後は私次第ってこと?」
考え込んでいるうちに、なんだかクラクラしてきた。知恵熱かもしれない。
レイゼルはベンチに腰かけ、そっと横になる。
(私に、エルジーをちゃんと導くことなんてできる? 自信ない……)
リュリュの言葉が、頭に浮かんだ。
『赤ちゃんも、一人で育てるんじゃないんだもん。あたしが失敗しても大丈夫、赤ちゃんはちゃんと育つ』
(そっか。私一人でやろうとするからいけないのかも。そうよ、アザネ村には頼りになる人がいっぱいいるんだし)
そして、レイゼルは一人の顔を思い浮かべた。
シェントロッド・ソロンだ。
(一番お世話になってしまうのは、隊長さんに決まってる。だって、エルジーのためにリーファンとしての知識が必要なんだもの。孤児院とうちとの送迎もしてくれるって言ってたし。でも……隊長さんに助けを求めるなら、絶対にやっておかなくちゃいけないことがある)
レイゼルは、天井の梁からぶら下がっている薬草の束を見つめた。
(『レイ』の正体は私だって、打ち明けること)
シェントロッドに隠し事をしたまま、一緒にエルジーを育ててほしいなどという重大な事を頼むことはできない。レイゼルはそう考えていた。
秘密を打ち明ければ、三十年の恩返しをしたくなくて黙っていたのがバレる。恩知らずだと思われるかもしれない。
そしてまた、『レイ・オーリアン』が王都の薬学校に入学し、リーファン軍の界脈調査部で機密情報を見たあげく、卒業と同時に姿をくらませて全てを村ぐるみで隠蔽したこともバレる。
そんな秘密を、優秀な弟子が欲しいがために仕方なく打ち明けるなんて、なんて打算的な……と思われるかもしれない。
それでも。
(私は、隊長さんにとって、手を取り合って大事なことに取り組める、信頼に足る人間族でいたい)
王都では苦手に思っていた彼だが、実は三年間、彼女を守っていてくれた。
『レイ』を必要とし、そしてレイゼルを必要とし、彼女の方もシェントロッドを必要とした。薬草茶やスープを通して関わっていくうちに、お互いに深く相手を知っていった。
倒れるたびに助けてくれ、レイゼルが犯罪者に育てられたと知っても、変わらない態度でいてくれた。
そして――ゴドゥワイトでずっとそばに寄り添ってくれ、寿命が違っても彼女が生まれ変わるのを待つと言ってくれた。
(隊長さんが一緒なら、私、エルジーを育てられる気がする。リーファン族なら誰でもいいわけじゃなくて、隊長さんとなら。……変かな? 一緒に働いているわけでも、夫婦でも恋人でもないのに、一緒に弟子を育てるなんて)
目を閉じる。
(でも、私……そう思えるくらい、とてもとても、隊長さんのことが好きなんだ)
胸の奥が、ぽっ、と温かくなる。
――ふっ、と、何かの気配に目を開くと。
ベンチの横にエルジーが立って、緑の大きな目でまじまじとレイゼルを見つめていた。
「わ! き、来てたの」
まさかエルジーのことを考えていて知恵熱気味なのだとも言えず、レイゼルはあたふたと起きあがるのだった。
某ハーフタレントさんが、ハーフというだけで英語がしゃべれると思われる、と言っていて。
人間族とリーファン族のハーフ(ミックス)も、同じ苦労があるのでは? と思いました。
さて、物語は完結に向けて動いています。伏線を全部回収するという意味での完結です。
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