第六話 あの人が来る
畑に植えた苗が、青青とした葉を増やし始める季節。
アザネ村に薬湯屋ができて二年が経った、夏のことである。
「わぁー、すごいわね」
金物屋のおかみ、ジニーは、店に入るなりぐるりと天井を見回した。
あちらこちらに、縛った根っこや網に入った薬草が干してある。外の畑では草が花や実をつけ、薬湯屋は茶色や緑や赤、様々な色に溢れていた。
庭に出ていたレイゼルが、裏口から入ってきてジニーに気づいた。
「あっ、いらっしゃい! ちょうど収穫したものを干したところだったの、狭くてごめんなさい」
「あらレイゼル、可愛い!」
ジニーはパアッと顔を明るくする。
顎の下でリボン結びした日除けのボンネット、そして上着こそ前合わせの薬湯屋らしいものだが、フレアスカートの上にエプロン。エプロンにはレースの縁取りがある。
「このレースも、自分で編んだのね?」
エプロンのレースに触れながらジニーが聞くと、レイゼルは帽子を取りながらニコニコと答えた。
「そうです、いいでしょう? だいぶ編めるようになったのよ」
王都で男装していた反動か、レイゼルはレース編みや刺繍など、女の子らしいことに興味があった。薬湯屋の運営を安定させるかたわら、趣味であれこれ作っているのである。
ぶっちゃけレイゼルは不器用で、上達しない編み目はかなり微妙なものだったが、ジニーは「いいじゃない、上手よ!」とレイゼルを褒めちぎった。レイゼルがアザネの生活を楽しんでいることが嬉しいのだ。
「今日は起きられるのね。昨日は寝込んでたって聞いたから。ほら、座って座って」
自分の家のように、ジニーはレイゼルを定位置の椅子に座らせ、自分も向かいの木のベンチに座ると、すぐ本題に入った。
「あのね、最近、暑くないのに汗をかくのよ。それなのに足が冷えることもあるし、なんだかよくわからないわ。レイゼルの薬湯で良くなるかなと思って」
レイゼルはふんふんとうなずきながら聞く。
「女の人は、血の流れを界脈とちゃんと繋げておくのが大事なんです。えーと、ジニーさんは肩こりなんかもありますか?」
病気がなんなのか、というのも大事だが、ジニーがどんな身体をしているのかが、どんな薬湯を作るかには重要である。
レイゼルはジニーと雑談も交えつつ、色々質問しては普段の生活を聞き出し、ついでに顔色や話し方も観察し、紙に書き留めた。そして、「よし」と立ち上がった。
店には、新しい棚が作られている。引き出しが山ほどついており、様々な薬草や実などが入っていた。アザネの商人に頼んで各地から取り寄せてもらったものもあれば、自分で畑で育てたり、森で収穫してきたりしたものもある。
「なぁに、この土の固まりみたいなの」
「リョウブ。木の根っこに生えるキノコなの。こっちはオスニの花」
「ああ、それで外の畑に綺麗な花が咲いているのね。あら、こっちはムムの実の種じゃない?」
「そうです! アザネ村はムムがたくさん採れるから嬉しい。ムムは実も花も葉っぱも薬にできるの。ええと、あとはケッシーの木の皮とヤクーの根」
「これ、全部潰すのね」
「はい」
外の小川でゆっくりと回る水車の、中心から伸びている棒が、小屋の中で回っている。
レイゼルはジニーの手を借りて、石臼を棒の近くまで運び、杵の代わりになる杵棒の位置を調整して、その下に臼を置いた。
水車の芯棒には、大きなトゲのようにいくつも棒が突き出ていて、水車が回るたびにトゲが杵棒をひっかけては落とし、ひっかけては落とす仕組みになっている。
レイゼルが潰すには少々大変な実や根っこが、臼の中で杵で突かれて潰れ始めた。キイッ、トッスン、キイッ、トッスン。
「寝込んでても、水車のおかげで楽に薬湯が作れたわ」
レイゼルが言うので、ジニーは「えー?」と大げさに目を見開いた。
「朦朧としてるときにやって、間違って手を潰さないでね! 客が来たら、容赦なく手伝わせなさい。今回はどうして寝込んじまったの?」
「えへへ、新しく育てた実を鳥に狙われちゃって。焦って、こらーっ、って棒を振り回して追い払ったら、熱出しちゃった」
「あらあら、鳥除けをつけないとね。レイゼルは気持ちが高ぶると熱が出ちゃうんだから」
水車の動力から杵棒を切り離し、臼の中身を土瓶に移しながら、レイゼルとジニーは世間話をする。レイゼルも客も、それが楽しみでもあった。
「もうすっかり、お店も道具やらなにやら色々揃ったのね。お金は大丈夫?」
「うん。王都で貯めたお金、全部使っちゃったけど」
「あら、その話、聞いたことがなかったわ。学校以外に、何か仕事をしてたの?」
「机仕事を少し。勉強にもなる副業は、学校が紹介してくれるの」
「へぇ、どんな?」
「ええと……」
レイゼルは土瓶に水を注ぎながら、少々、目を泳がせた。
「リーファン族の『界脈士』って、いるじゃないですか」
「いるわねぇ、はいはい」
ジニーはうなずいた。
「二十年くらい前に、役場を建て替えるときに来たわよ。あの人たちって、大きな建物を建てても大丈夫な場所がわかるんでしょ? あと、隣村の鉱山で掘る方向を決めに来たって聞いたわ。すごい人だと、もっとすごいことをするんでしょ、よく知らないけど」
本当にわかっているのかよくわからないジニーのおしゃべりに、レイゼルは笑ってしまいながらうなずいた。
「その、界脈士があちこちで調査してきた内容を、分類する仕事。リーファンの薬は界脈との繋がりを大事にするから、参考になったの」
「へぇ、難しそう。っていうか、学校に仕事にって、レイゼル大丈夫だったの?」
「まあまあ、かな。時間の自由は利いたから、学校が休みの前の日の夕方とか、次の日の授業が午後からの日とかに仕事して、ちゃんと休めるようにしたの。その代わり、仕事中は全力」
レイゼルは遠い目をする。
「忙しかった……界脈のことばっかり考えて、界脈と一体化してどっかに流れてっちゃいそうなくらい集中したよ、僕。上司が休む間を与えてくれないんだよね」
「こんな細っこいレイゼルに無理をさせるなんて、勝手な上司ね!」
ジニーもご多分に漏れず、レイゼルに甘い。レイゼルはあわてて笑顔になる。
「ぎりぎり綱渡りさせられてた感じはあったけど、まあ無事だったし、それにもうあんな働き方はしないから」
「そうね。村の薬湯屋さんとして、私たちとじっくりつきあってちょうだい。ああ、匂いがしてきた」
ジニーは土瓶から漂う香りを、胸いっぱいに吸い込んでいる。
「いい匂い、っていうか、あぁ私にはこれが足りなかったんだわ、って感じがする……」
そこへ、もう一人の客が訪れた。
「邪魔するよ」
アザネの人々は、家の扉に鍵をかける習慣がない。夏の昼間ならなおさら、扉は開けっ放しだ。その戸口から、白髪を短く刈り込んだ、かくしゃくとした老人が姿を見せる。
「やぁレイゼル」
「ナックス隊長じゃないですか、いらっしゃい! お久しぶりです!」
レイゼルは椅子を勧める。
ナックスは、アザネ村を含むロンフィルダ領の守護隊の隊長だ。普段は領の中央にある大きな町にいるが、なんだかんだ用事で領内を回っているため、アザネにも時々立ち寄る。
「挨拶がてら、レイゼルに薬湯を頼もうと思ってね。いやー、近頃疲れやすくて。腰にもくるし」
「ナックス隊長のお年でこんな大変なお仕事してる人、なかなかいらっしゃらないんじゃないですか? あまり無理しないでください」
レイゼルが問診用の紙とボードを用意しながら言うと、ナックスはうなずいた。
「実はな、とうとう私も引退するんだ」
「あら、おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
ジニーもレイゼルも祝福する。ナックスは照れくさそうに肩をすくめた。
「後任が決まったからね。ようやく肩の荷を降ろせるよ」
「何年も決まらなかったですもんね、長かったわねぇ」
「本当になぁ。でな」
ナックスは軽く身を乗り出す。
「次の隊長はなんと、リーファンのお人なんだとさ」
──ふと、レイゼルは手を止めた。
なんとなーく、嫌な予感がしたのだ。
ジニーは目を見開く。
「あらっ、珍しい。まあ、ロンフィルダ領内にもリーファンの小さな集落はあるから、そこから隊長が決まってもおかしくないけど……全然あたしたちと交流しないのに」
「いや、それがね、王都から来るそうなんだよ」
「王都!」
ジニーの声に、レイゼルの嫌な予感はますます膨れ上がる。
ナックスは続けた。
「リーファン族の界脈士なんだとさ。名前はシェントロッド・ソロンっていうんだけど、レイゼルはもしかして会っ」
「ウーン」
くらあっ、と、レイゼルの頭が傾いだ。
「レイゼル!? おい、大丈夫かね?」
「ほら、後は私がやるから休みなさい!」
ナックスとジニーに支えられ、レイゼルはベンチにへたり込んだ。
彼女は涙目で、大人たち二人を見上げる。
「ねぇ……もしかして、リーファンの人から何か恩を受けたら、リーファンの寿命に合わせて何倍にもして返さなきゃいけないとか、あるの……?」
「き、聞いたことないけど、どうしたのレイゼル。王都で何かあった?」
「うぅ……借りを返せって言われるぅ……」
レイゼルは目を回して、クッションに倒れ込んでしまった。
そして、そのまま眠りに落ち──
──夢の中、記憶は王都時代にさかのぼっていった。