第六十七話 薬に国境はない(1)二通の手紙
【告知】『薬草茶を作ります〜お腹がすいたらスープもどうぞ〜』の2巻、4月11日に刊行。内容は本作の29話から56話を改稿したもの(新エピソードあり)と、番外編2話です。
夏、真っ盛りのある日のこと。
一面の畑、森の木々、菜園の薬草や果樹。鮮やかな夏の緑に囲まれたレイゼルの店は、回る水車からこぼれる水が朝陽を反射して、きらきらした光に包まれている。
レイゼルが早起きして、店の玄関まわりの草取りをしているところへ、村長のヨモックがやってきた。
「やあレイゼル。今年は暑くて参るよ」
少々夏バテ気味のヨモックは、薬湯を調薬してもらいにきたのだ。
「年々、暑くなる気がしますねー。中へどうぞ」
レイゼルもヨモックと一緒に店に入り、手を洗った。
「はい、お待たせしました。じゃあまず舌を診せてください」
「その前に」
ヨモックは、シャツのポケットから手紙を出す。
「ソロン隊長がいないうちに、これを渡しておこう。『レイ』宛に手紙が来ていたんだ」
「あっ、ありがとうございます!」
レイゼルは手紙を受け取った。
王都の薬学校で過ごした三年間で、『レイ』ももちろんそれなりの人間関係を築いている。当時の知り合いの誰かが、どうやら手紙をくれたようだ。
ナファイ国では物流のついでに手紙が運ばれるのだが、アザネの一定以上の年齢の村人たちは皆、レイゼルの秘密を知っている。
そこで、手紙の束の中に『レイ』宛のものがあるのを見つけると、シェントロッドにバレないようにこっそり届けてくれるというわけである。
ヨモックが薬湯を飲んで帰っていった後、レイゼルは私室に入ってベッドに腰かけ、改めて手紙の差出人を確認した。
「ウストからだ! 懐かしい」
ウストというのは、他種族クラスで一緒だった人間族の男性である。ナファイ国のずっと南の端、クジュ地方からはるばるやってきた彼は、レイゼルよりも少し年上で、がっちりした体躯の朗らかな学生だった。
レイゼルとウスト、そしてトラビ族のペルップは気が合い、よく三人でつるんでいたものだ。
(ペルップには、私が女だって早々にバレてたみたいだけど、ウストは今でも男だと思ってるだろうな)
レイゼルは手紙を開けながら、懐かしさに胸がいっぱいになる。
卒業後、他種族クラスの学生たちは学校で学んだリーファンの知識を胸に、それぞれの故郷に戻っていった。ウストの手紙も、彼の故郷であるクジュ地方ザヤハ村から運ばれてきている。
レイゼルは手紙を読み始めた。
──レイ、久しぶり! 卒業して数年が経つけど、元気? 王都からリパムの苗を持ち帰ってたけど、無事に故郷で栽培できただろうか。
栽培つながりで、レイを思い出す出来事があったんで、ちょっと手紙を書いてみた。遠いから届くかどうかわからないけど。
実は去年、リーファン族が俺を訪ねてきたんだよ。知らないおっさんだったんでびっくりしたけど、他種族クラスの先生の紹介だって。
その人、ある薬種の苗を持っててな。ザヤハ村の気候がうってつけだから、俺に試験栽培してみてほしいって言うんだ。
断る理由もないから、引き受けた。先生、俺がそういうの得意だってわかってるから紹介したんだろうし、すげえ興味ある薬種だったし。
いらない誤解を招かないように、詳しいことは周囲に言わずに育てろって言われたから、なかなか骨だったんだけど……
試験栽培、成功したぜ! さすが俺。
他種族クラス出身の俺に頼んできたんだから、同じクラス出身のヤツになら話してもいいよな。せっかく成功したから誰かにしゃべりたいんだよ!──
レイゼルは、くすっと笑って続きを読む。
──一応、薬種の名前は書かないで、現物を少し同封するよ。三年間首席だったレイならわかるだろ。
あー、書いたらすっきりした! 秘密は性に合わねぇや。
もしレイがそれを必要とするときが来たら、融通してやるから俺に言えよな。でもまぁ、アザネ村で必要になることはそうそうないと思うけど。
じゃあ元気で! これがちゃんと届いたら、返事くれよな。──
レイゼルは手紙をベッドの上に置くと、封筒を手にとって、左手の上で逆さまにして振った。
ぽとっ、と落ちてきたのは、薬包だ。開いてみると、中には茶色く乾燥した薬草が入っている。
レイゼルは観察してから、匂いをかいだ。次に、指で摘んで端を口に入れてみる。
すぐに、その正体に思い当たった。
「バニ草! そうか、ディラジア病の薬だわ」
ディラジア病というのは、高温多雨の地域でよく流行する伝染病である。その特効薬になるバニ草も、やはり高温多雨の地方でしか育たない。
事情をよく知らない人々が、ディラジア病の薬になる薬草を育てているなどと聞いたら、その病気が広まるのではないかとパニックを起こしてしまう可能性があった。『いらない誤解を招かないように』というのは、そのことだろう。
(先生の紹介か。きっと、いつかナファイ国でディラジア病が流行った時のために、バニ草の栽培方法を確立しておこうってことね)
それなら、ウストが選ばれたのも納得である。
ウストは薬学校時代、植物を育てるのが抜群にうまかった。他種族クラス用の薬草畑は、ウストの活躍によってとても豊かになっていたものだ。
卒業する時にも、薬草の栽培に力を入れて故郷の名産にするのだと意気込んでいた。
レイゼルは、さっそく返事を書こうと便せんを取り出した。
(えっと……
『手紙ありがとう、元気そうで嬉しいよ! 例のもの受け取りました。確かアレ、割と繊細な薬種で栽培が難しいって授業でやったと思うけど、一年目で一発成功なんてすごいね。さすがウスト!』
そうだ、ペルップに会ったことも書いておこう)
友達への手紙に書くことは尽きず、やたらと長文になってしまうレイゼルだった。
それから半月ほどが経ち、夏も終わりが近くなった、ある昼日中のこと。
シェントロッドは、アザネ村の薬湯屋に顔を出した。
「店主」
「あ、隊長さん、いらっしゃい」
スツールに座り、作業台で薬草の仕分けをしていたレイゼルが、顔を上げる。
「こんな時間に珍しいですね。もしかして、具合でも……?」
「いや。大した用ではないんだが」
店に入ったシェントロッドは、ベンチに座りながら話す。
「昨年、出張したときに、俺にジゼの守りをくれただろう。あれをまた作れるか?」
「作れますよ、そろそろ実が生っているはずだし……。必要なんですか?」
「ああ。またレド川のあたりに行くことになってな」
「え?」
レイゼルは、急に不安そうな表情になった。
「さ、査察は終わったのに、どうして? 何年かに一度じゃ……?」
「あんな大がかりな話じゃない。査察の時に知り合ったディンフォラスの男に、ちょっとした用事で呼ばれてな」
模擬戦で戦った、国境警備隊の副隊長リネグリンのことである。
リネグリンから、フィーロ本部のシェントロッドの元に連絡が来たのは、今朝のことだった。
レド川を挟んだ両岸の国々は、五十年ほど前に戦争状態になったことがある。その影響で、南岸ディンフォラス国のリネグリンが北岸ナファイ国の川岸から先へ入るには、少々面倒な手続きが必要だ。それでリネグリンは、手紙だけを寄越したのだろう。手紙はナファイの界脈士が運ぶので、届くまでに時間はそうかからない。
読んでみると、ざっくりこのような内容だった。
『レド川を挟んで、ちょっとした問題が起きた。団長殿が間に入ってくれると助かる』
「もう俺は団長ではないんだが……。とにかく二、三日で済ませる。俺にも仕事があるから、あまり長引くなら断るつもりだ」
シェントロッドが肩をすくめると、レイゼルの表情がホッとしたように柔らかくなった。
そんな彼女の様子に、彼もつい口元を緩める。
「昨年の査察が順調に終わったのも、ジゼの守りのおかげだ。今回も持って行こうと思った」
ジゼの実には、麻痺毒がある。また前回のような目に遭ったら使ってやろうと彼は思っているわけだが、その辺はレイゼルの前ではおくびにも出さない。
すると、レイゼルはふと思いだしたように言った。
「お仕事、ナファイ国側……レド川のこっち側ですか?」
「どうかな。川向こうにも行くかもしれない」
「ディンフォラス国に行くなら、森とかじめじめした場所には入らない方がいいですよ。あちらは今の時期、ディラジア病が流行しているはずなので」
「危険な病気なのか?」
「高熱が出て、内臓が弱る病気です。あ、でも、もしかかっても薬がちゃんとあるので大丈夫ですよ。ディンフォラスでは毎年の流行に備えて、薬の原料になるバニ草をたくさん栽培しているって聞いてます」
彼を安心させようとしてか、レイゼルが細かく説明する。
シェントロッドは軽く唸った。
「ふーん、詳しいな」
「ええっと、前に本で読んだのを、たまたま最近思い出して」
何やらあわてているレイゼルである。
シェントロッドはさらに聞いた。
「ディンフォラス国に行くなら気をつけろ、ということは、同じレド川沿岸でもナファイ側ではその病気にならないのか?」
「はい。ディラジア病は、ある虫に刺されるとうつるんですけど、暑くて雨の多い地方でしか生息しない虫なんです。ディンフォラスの森や湿地なんかにいる虫で、ナファイにはいません。でも、昔と比べるとナファイも気温が上がってきてるので、いずれはナファイに入ってくるかも? ってことです」
「なるほど。自然の変化は、病気にも影響するんだな」
彼がうなずくと、レイゼルも「はい」とうなずいた。
「病気に国境はないと、私は思ってます。だから、他の国の病気についても知っておかないと」
それから彼女は、あ、と声を上げて立ち上がった。
「ジゼの実でしたね、採ってきます! すぐそこに木があるので」
戸口から出て行く彼女を見送りながら、シェントロッドは
(薬学校で学んだ知識かな)
などと、密かに思うのだった。




