第四話 レイゼルとシェントロッドの出会い
ナファイ王国の王都、『真白き都』ティルゴット。
かつて白き古代樹の森だった場所に、人間族の王とリーファン族の王が興した都市である。
樹齢何千年という真っ白な木々の合間に川が流れ、あちらこちらに橋や陸橋がかかり、その合間の場所を生かして木造の建物が建てられている作りだ。
薬学校の建物も木造だったが、どっしりした構えに細やかな細工のされた威風堂々とした建物である。
「今日の授業でやった薬、面白かったねえ。コマロ豆、だっけ」
がっちりした人間の青年が言う。
『レイ』はうなずいた。
「食べると血が止まりにくくなるやつだね」
「そうそう。だから、血管が詰まったときにわざと食べるって言ってたね」
トラビ族の男性もうなずく。
薬学校は大きな二つの建物からなり、その間に壁のない渡り廊下があった。三人は、コトコトと木の床を踏んで話をしながら渡っていく。
「でも、あんな堅い豆、割るの大変そうだな。トラビ族ならいいけど」
青年が言うと、トラビの男性は毛深く長い耳をぴょこぴょこさせた。
「僕たちにはこの前歯があるから、楽勝だね」
全身毛深く、垂れた長い耳、前に突き出した鼻面が特徴のトラビ族は、門歯が発達しているのだ。
彼はちらりと、レイを見上げる。
「レイは細っこいからなぁ。何か道具を使わないと、堅いものが扱えないだろうな」
「僕には水車とか、大がかりな道具が必要だよ」
レイはくるりと目を回してみせた。人間族の青年が笑う。
「がっちりした嫁さんもらえば?」
三人は、薬学校の他種族クラスの同級生である。全員、前合わせの草色の服を着ていた。他種族クラスはバラバラの体型でも着られる制服になっており、ゆったりした前合わせの制服をそれぞれ自分に合わせて、腰を縛ったり脇を紐で結んだりして着ている。
彼らは種族だけでなく、年齢も出身地も大きく異なる。しかし、リーファンの薬の知識を求めているという目的は同じなので、気が合った。いっそ、同じ年齢、同じ出身地の同族で目的が違う者同士よりも、気が合うかもしれない。
授業の合間に、こうしておしゃべりをするのが、レイにはとても楽しみだった。
廊下を渡りきったところで、レイは足を止める。
「それじゃあ僕、学生課に行ってくる」
「ああ、副業を紹介してもらうって言ってたっけ」
人間の青年はうなずき、トラビの男性はいつも腹の前で揃えている両手を軽く上げた。
「じゃあな。いい仕事があるといいな」
「うん、ありがとう」
二人と分かれ、レイは外階段を下りて一階の学生課に向かった。
「こんにちは、レイ・オーリアンです。先生に、ここで仕事を紹介してもらうように言われたんですが」
カウンター越しに、レイは事務員に話しかけた。
孤児のレイゼルは、アザネの教会で家名をつけてもらい、レイゼル・ミルと名乗っている。地方試験の時も、その名前を書いた。
しかし、彼女が王都に向かうことが決まったとき、心配性の村長が、
「男のフリをするのにレイゼルはいかん。名前を変えよう。家名もだ。何かの拍子に素性がバレでもしたら、よけい危ないことになるかもしれん」
と言って、村長権限で別人の書類を作ったのだ。
つまり、孤児だったレイゼル・ミルの身元が判明し、本当はレイ・オーリアンという名前だった──というような風にだ。
『レイ』はナファイでは中性的な名前であるし、合格通知書に性別は記入されていない。通知書の名前さえ変更できれば、あとはどうにかなる。そもそも、戸籍などないこの国では出自など曖昧なものだ。
こうして、レイゼルは入学時にその通知書を出し、男性のレイ・オーリアンとしてしれっと入学手続きをし(村長のサイン入りの身元保証書つき)、入学したのである。
「ああ、人間族のレイね、聞いていますよ」
耳の長いリーファン族の女性事務員は淡々と言い、一枚の書類を差し出した。
「明日の午前中、ここに行ってください、面接があります」
「ありがとうございます」
明日は学校が休みの日なので、面接もこの日に設定されたのだろう。
レイは書類を受け取り、目を通してつぶやいた。
「リーファン王国軍、界脈調査部……あの、リーファンの軍に、人間の僕が行っていいんですか?」
「先生から、あなたの成績なら大丈夫なので推薦したと聞いています」
「あ、ありがとうございます」
レイは頭を下げると、書類を握りしめたまま学生課を出た。
改めて、書類を読み直す。
「リーファン族の、軍……なんだか怖そうだけど、界脈の調査って勉強になりそうだな」
だからこそ、他種族クラスの教師はレイを推薦してくれたのだろう。
「……体調、整えておこう……」
レイはまっすぐ、下宿に帰ることにした。
翌日、レイは制服を着て、リーファン王国軍の界脈調査部へと足を運んだ。
建物はやはり木造なのだが、白い木で作られていて荘厳なものを感じる。二階建て、横に広い建物の中に入ると、螺旋階段があった。
一つ上に上って広くなった場所に出ると、通路に面した扉の横に、『界脈調査部』の金属プレートがついていた。
レイはひとつ深呼吸してから、扉をノックし、そしてそっと開く。すぐ右に受付カウンターがあり、カウンター越しに一人のリーファン族男性がレイを見た。
「おや」
レイは中に入って、カウンターの前で頭を下げる。
「おはようございます。薬学校の紹介で来ました、レイ・オーリアンです」
「ああ、聞いてるよ。こちらへ」
その男性はカウンターを回り込んで出てくると、まっすぐ伸びている通路の先にレイを案内した。
通路を抜けると、広い部屋になっている。中央、床と天井に穴が空いて古代樹が貫いており、古代樹に半分埋まるようにしてテーブルがあった。会議用のテーブルらしい。
両側にそれぞれ、扉がいくつか並んでいる。
「調査部の人たちは、それぞれの部屋で仕事をしている。部長の部屋に行こう」
受付の男性は右奥の扉の前にレイを連れて行った。ノックをして、無造作に開ける。
「部長。薬学校の紹介の子が来ました」
「入りなさい」
声がして、レイは恐る恐る、中に入った。
中には二人の人物がいた。奥の立派な書き物机には、淡い緑の髪を巻髪にした美しい女性が座っている。この女性が部長だろう。
そして、部長と何か話していたのか、書き物机の前には深緑の長い髪の男性がいた。彼はこちらを半身で振り向き、じろり、と見下ろしてくる。
「レイ・オーリアンです、よろしくお願いします」
長身のリーファン族三人に取り囲まれて、レイは緊張しながら頭を下げた。
「いらっしゃい、部長のベルラエルです」
女性が立ち上がりながら言う。
レイは少し見とれてしまった。ベルラエルは、肌が光って見えるほど白く、少し垂れがちの目が優しくて、とても美しい。
「ここはナファイの界脈を調査する部署なのだけれど、部員が優秀で次々と調査報告が上がってきて、分析が追いついていません。あなたには、簡単な分類を手伝ってもらいます。そうしておくと分析が楽になるのでね」
「はい」
「小柄な人間族の中でも、またずいぶん細くて小柄に見えるけれど、大丈夫かしら」
ベルラエルは机を回り込み、レイの前に来ると、右手を差し出した。
「?」
(脈絡ないけど、握手かな?)
レイはためらいつつも手を挙げ、ベルラエルの手に触れる。
ベルラエルはレイの手を握り、しばらくじっとしていた。レイが不審に思い始めた頃に、ようやく離す。
「あなたの界脈とのつながりは、ゆらゆらして安定していないのね。あなた自身、薬湯による養生が必要なようです」
「はい、毎日、飲んでいますが……あの、今何かなさったんですか?」
「知らないのかしら? リーファン族は、触れた相手がどんな風に界脈と関わっているか、知ることができます。身体を流れる力の強さや色は、人によって全く違うのよ」
ベルラエルは嫣然と微笑む。
「界脈とのつながりが安定していなくても、今回の仕事には問題ありません。レイ・オーリアン、歓迎します」
ふと、彼女の手が上がり、レイの顎のあたりを撫でる。
「男の子と聞いていたから、こんなに可愛らしい子が来るなんて思わなかったわ。見て、綺麗な灰色の瞳、柔らかそうな黒髪……」
「ベルラエル」
急に、それまで黙っていたもう一人の男性が、声を発した。
「先ほどの話だが」
「何なの、シェントロッド。急に」
ベルラエルは彼を見て眉を顰める。
シェントロッド、と呼ばれた男性は、ずいっとレイの方へ近づいた。
近くに来ると、背の高さが際立つ。細身だがしなやかな身体を軍服に包んでおり、目つきは鋭い。
「クジュ地方の分析は、俺のところで引き受けてもいい。その代わり、こいつを俺につけろ。手伝わせる」
「あら」
ベルラエルは腕を組む。
「仕事が多すぎるって渋ってたのに、手のひらを返したわね。助かるけれど、この子、持って行ってしまうの? それより私と」
「とりあえず、こいつにやり方を教える」
かぶせるように言うなり、シェントロッドはレイの後ろに回り込み、背中に手を回してきた。大きな手のひらがレイの背中を押す。
「俺の部屋に移動しろ」
「え、あ、はい」
ぎょっとしながらも、レイは文字通りベルラエルの部屋を押し出された。
受付の男性も、あわてて道を開けながら言う。
「ああ、レイ、後で受付に寄ってください。給金について手続きと説明をするから」
「はいっ、わかりま」
最後まで言う前に、レイはシェントロッドの部屋に押し込まれ、扉が閉まった。
レイは視線だけ動かして、部屋を見回した。
部屋は書類棚に取り巻かれており、中央にテーブル、そして窓を背にして書き物机がある。
リーファンの男性は書き物机の向こうに回り込み、テーブルのそばでおどおどしているレイに言った。
「俺はシェントロッド・ソロン。界脈調査部の副部長だ。……レイ・オーリアン、こき使わせてもらうぞ」
鋭い緑の瞳が、射るようにレイを見た。
──はっ、と、レイゼルは目を瞬かせた。
気がつくと、陽はとっぷり暮れていた。水車小屋は薄闇に包まれ、目の前の薬草畑で虫がリリ、リリ、と鳴き、空には一番星が輝いている。
「いけない、ぼーっとしてた」
レイゼルはベンチから一息に立ち上がった。その拍子にめまいがする。
「ああ……何か食べないと、すぐにこうだわ……」
ふわふわした足取りで、彼女は裏口から店に戻った。
『もしまた会うことでもあれば』
ふと、頭の中でその声が響く。
レイゼルは一瞬、背筋がぞわわっとするのを感じたが、すぐに苦笑した。
「ない、ない。人間族の田舎町にいる限り、あの方とまた会うことなんて」
しかし、レイゼルもかつては、王都になど行くはずがないと周り中から思われていた人間である。
それと同様、リーファン族が人間の田舎町に来る可能性もないわけではないのに、レイゼルは棚上げしているのであった。