第三話 新居は水車小屋
さて、村長ヨモックである。
三年前、不用意な発言でレイゼルが髪を切ることになってしまったため、彼は村の人々の間でずいぶんと株を下げていた。
「レイゼルが戻ってきたら、ちゃんと謝れよ、父さん」
息子のルドリックにも言い渡されている。
ルドリックはレイゼルより五歳ほど年上の、威張り屋ではあるが真っ直ぐな男である。
教会孤児院と町長の家はすぐ近くのため、幼い頃の彼はよく孤児院に入り込んで子どもたちと遊んでいた。そのため、レイゼルのことも妹分のように思っているのだ。
レイゼルは故郷に戻るなり、旅の疲れからぶっ倒れ、孤児院で寝込んでいる。そこへ、ヨモックとルドリック父子は訪ねていった。
「あ、村長さん、ルドリック。戻りましたー」
力が抜けていてふにゃふにゃしたしゃべり方ながらも、レイゼルは寝台の中で小さく手を上げた。
「よう、レイゼル。お前が死なずに帰ってくるとは驚きだな」
相変わらず上から目線のルドリックだが、父親を横目で睨んで促した。
ヨモックは寝台脇の椅子に座り、両膝に手を置く。
「お帰り、レイゼル。早速だが、謝らなくてはならん。わしのせいで、三年も男のフリを続けたのだな。大変だったろう、申し訳なかった」
頭を下げる村長。
レイゼルは軽く目を見開き、そしてにこりと笑った。
「ううん。髪さえ短ければ、周りは男だと思いこんでくれるし、制服もゆったりした服だから、身体つきでもバレないし。声変わりしてない、って言っといたし、楽勝だったんです」
「いやいや、下宿なんかで気を使う場面はあっただろう? それに、これから髪を伸ばさなくてはならないしな」
村長は痛ましそうにレイゼルの髪を見つめ、そして言った。
「お詫びに、レイゼルが薬湯屋をやりたい場所に、家を用意しようと思うんだが」
レイゼルは目をキラキラさせ、肘をついて起きあがった。
「本当ですか?」
「本当だとも。なるべく希望に添うようにするから、言ってみなさい」
「やったぁ! 嬉しい!」
喜ぶレイゼルに、ルドリックはあわてる。
「おい、あんまりはしゃぐと、あー……」
熱が上がって目を回し、ばふ、と枕に倒れ込むレイゼルであった。
そんなこんなでレイゼルの家になったのが、畑の中にぽつんと建つ水車小屋なのである。
彼女が開きたかった理想の薬湯屋は、こんな条件を兼ね備えた店だった。
その一・小さい家。大きいと、掃除をするだけで疲れて倒れるから。
その二・畑がある、もしくは作れる。一部の薬草は自分で育てたいから。
その三・風向きに注意。薬湯を煎じると結構においがするので、他の家々に迷惑をかけたくない。
その四・でも集落からは遠すぎない方がいい。町のおじいさんおばあさんが薬湯を飲みに来やすいように。
その五・あわよくば水車を使いたい。固いものをすりつぶすと疲れて倒れるので、水車の力があると助かる。
アザネ村の東の端、森の際にあるその家は、都市に出て行ってしまった夫婦が残したもので、ちょっと直すだけで住むことができた。修理は、町の大人たちが請け負った。
「すてき……」
初めてその家に入ったとき、レイゼルは感動のあまりめまいを起こして、友人たちに支えられたものだ。
「ちょ、大丈夫? あんまり喜ぶと倒れるよ?」
「だ、大丈夫。でもあれね、嫌なことは我慢できても、嬉しいのって、止められないね!」
そんな性格の彼女は、小屋の中を見回した。
外の水車の軸が小屋の中に突き出しており、杵棒と繋げば臼で薬草などを潰せる仕組みになっている。作り付けの棚や、いくつかのかまどもあり、十分、店をやれるようになっていた。奥にもう一部屋あり、そこがレイゼルの私室になる。
山から吹き下ろす風が、西の窓から東の窓へと抜け、東の窓から覗けば原っぱの向こうに緑の森。サラサラと小川を流れる水音に、水車の軽いきしみがリズムを添える。
レイゼルは振り返り、人々に向かって細っこい腕を力こぶ(?)にして見せた。
「僕、じゃなかった私、薬湯屋がんばるね!」
三年間で癖になった男言葉が、時々ひょっこり出てしまう、レイゼルであった。
レイゼルが水車小屋で暮らし始めてすぐ、かつてレイゼルと孤児院で一緒だった仲間が三人、手伝いにきた。トマ、ミロ、リュリュの三人だ。
「差し入れー! 薪、持ってきたよ!」
三人がそれぞれ背負ってきた薪に、レイゼルは喜ぶ。
「ありがとう! 薪、すごく助かる!」
木は、切ってすぐに燃やせるわけではなく、乾燥させ初めてて薪として使える訳だが、故郷に帰ってきたばかりのレイゼルには手持ちの薪がない。それでは薬湯が作れない。それにそもそも、病弱なレイゼルに薪割りなどやらせたら大変である。
それをわかっている仲間たちは、とりあえず薪カンパを募って持ってきたのだった。
毎日火を使うような店は、常に熱を発している火脈鉱という鉱石を買って使うことが多い。大地深くに眠る火の層から、界脈を通じて熱を引き、火脈鉱から発生させる、というものだ。しかし、いいお値段のするものなのでなかなか手に入らない。
「金が貯まったら、真っ先に火脈鉱を買えよー」
「ねぇ、ここって畑、しばらく放置されてたんでしょ?」
「耕すの、お前がやったら倒れるから俺らがやる」
孤児院の畑仕事で慣れている彼らは、雑草を刈り、畑を耕し、残った根を拾い……と手際よく作業していく。
レイゼルと同じ頃に孤児院にいた子供たちは、村を出て近郊の都市で暮らしている者もいるが、アザネにももちろん残っている。卒業より前に養父母に引き取られて家業を学んだり、卒業した数人はあちこちで住み込みで働いていたりしているのだ。
この日に来てくれたトマは前者、ミロとリュリュは後者だった。
「しばらくしたら、残った根からまた雑草が生えてくるから、その頃にまた手伝いにくるよ」
「思ったよりいい状態だな、畑。この一角だけでも、孤児院の土を梳き込んで使えるようにするかー。薬草の苗、早く植えたいんだろ?」
「虫、来ない? 森から虫除けのグラスレーンを抜いてきて家の周りに植えようか」
あれこれ世話を焼いてくれる三人に、レイゼルは嬉しくなってお礼を言う。
「ありがとう! お礼に、お昼ご飯、作るね」
といっても、彼女は凝った(疲れる)料理はできないため、いつもの簡単な煮込み料理だ。
かまどに鍋をかけ、薫製肉と干した果実でダシを取り、茹でてつぶした芋と小麦粉を練り合わせ、ちぎりながら入れていく。
ざくざくと刻んだ葉野菜、そして乾燥させた薬草の中から香草として使えるものも入れ、軽く煮込んだ。最後に、サミセの種を乳鉢で摺って油を引き出したものをたっぷりかけると、コクのある香りが広がる。
薬湯屋のレイゼルは、スープを作るのが得意だ。薬の材料の中には、ごく普通に食材やスパイスとして使えるものもたくさんある。
四人は木の器を手に、戸口の段差や椅子に思い思いに腰かける。レイゼルは礼を言った。
「今日は寝込まないで済みそう。とっても助かる」
「たいしたことじゃないよ」
「孤児院にいたころは、いっつもレイゼルに勉強教えてもらってたしな。お、これ美味い」
スープをすすりながら、ひとしきり思い出話をする。
小柄なミロが笑いながら言った。
「俺たちはきょうだいみたいなもんだから、まあこうやって助け合うのも当たり前かなって思うけどさ……アザネの大人たちってみんな、レイゼルに甘いよなー」
「ほんとほんと。ちょっとレイゼルには特別よね。あたしには厳しいんだから」
そばかす美人のリュリュが大げさにため息をつく。眼鏡のトマが苦笑し、レイゼルを見た。
「でも、そうやって優しくされてるのに、レイゼルは誰かの養女になりたいって言ったことないな」
「ほんとだ、聞いたことないわね。きっとうーんと可愛がられるのに」
顔をのぞき込むリュリュ。
「うーん、でも、私はずっと一人暮らしがしたかったよ。だって」
レイゼルは首を傾げた。
「大勢で暮らすならいいけど、家族だけって、なんか怖くない?」
三人は一瞬、きょとんとした。
が、すぐにトマがうなずいた。
「あ、ちょっとわかる。僕も今の家で暮らし始めたとき、緊張した。なんか……今までと色々違うし。家にいないで、外に出たくなるっていうか」
「そんなもんかー。あたし、親を知らないから、憧れしかなかったよ。あ、ねぇレイゼル」
リュリュが身を乗り出す。
「王都では? 下宿で暮らしてたんでしょ。そこの家の人と仲良くなれた? かっこいい人がいたりとか、なかったの?」
「もー、リュリュはそういう話が好きだなぁ」
レイゼルは笑う。
「おばあさんが一人でやってる下宿だったよ。下宿人は私だけ」
「なんだぁ、残念。じゃあ学校では? それと、副業してたんでしょ、そっちは?」
「ないない。そもそも男の子のフリしてたんだから、恋とかどうこうなったら気づかれちゃうよ。副業は──」
レイゼルは言葉を選ぶ。
「──副業は、職場がリーファン族の人たちばかりだったから、緊張した」
「そっか。リーファンの人たちって、背が高くて頭がよくて、なんかすごいんでしょ。恋愛どころじゃないね、それは」
リュリュは言って、立ち上がる。
「ごちそうさま! さーて、もうちょっとやっちゃおう。レイゼル、お店の名前は決まった? 看板とか、作るでしょ」
「うーん、アザネの薬湯屋はうちだけだから、名前、いらないかと思って」
「まあね。でも、『薬湯屋』って看板くらいはあった方が格好つくんじゃない? とりあえず、使える板だけでも探してくる」
「じゃ、俺らは畑の続きをやるか!」
ミロが言い、トマはうなずいた。
西の山脈が太陽を遮るため、アザネの日没は早い。
暗くなる前に、トマ、リュリュ、ミロはレイゼルの家を後にした。
じゃあね、またな、と手を振って歩き出す三人。手を振り返すレイゼルが見えなくなり、あちこちから聞こえる虫の音が耳に届き始める。
トマが、眼鏡を直しながら口を開いた。
「僕さ、レイゼルが孤児院に来たときのこと、少し覚えてるんだよね」
「うん? ああ、そうなんだ」
ミロが振り返り、リュリュが身を乗り出す。
「あたしとミロはレイゼルより後だったのよね。レイゼルって、孤児院に来たときには五歳とか六歳くらいだったんでしょ?」
「そう。確か、六歳。……レイゼルは、守護隊の人と一緒だった」
トマはそう言って、口をつぐんだ。
ミロとリュリュも、しばらく黙って歩く。
守護隊とは、要するに警察のようなものだ。
「……なんか、事件でもあって、親を亡くしたのかもな」
「家族で暮らすのが怖いっていうのも、ちょっと気になった。シスターは、色々知ってるんだろうけどね」
「もしかしたら、大人たちみんな知ってるかもよ。小さい村だもん」
「まあ、いいじゃないか。レイゼルが今、幸せなら」
三人は、またレイゼルの家に行く日を決めてから、辻で分かれた。
三人を見送ったレイゼルは、いったん店の中に戻ると、裏口から外に出た。
小さな薬草畑を見渡せるベンチに、腰かける。
「今日はもう、ゆっくりしよう。まだ、せっかくの故郷を満喫してないし。……大変だったけど、楽しかったな、王都」
レイゼルは、ティルゴットで過ごした日々に思いを馳せた。