第十話 再会(2)
「薬湯屋は、ここだけか?」
淡々としたシェントロッドの質問に、レイゼルは我に返る。
「は、はい。アザネではここだけです。私は店主のレイゼルです、よろしくおね」
「レイゼルか。お前はどこで、薬の勉強をしたんだ?」
「ええと」
レイゼルは頭の中の想定問答集をめくった。
「あの、子どもの頃にこの村にいた薬湯屋さんから学んだのですっ」
今はそんな人はいない、というニュアンスである。
シェントロッドは「そうか」と顎を撫でながら、レイゼルを見つめた。
「……知り合いに、『レイ』という少年はいないか?」
レイゼルは、落ち着いて答えた。
「さあ……私は知りませんが」
トマの想定問答集は優秀だった。レイゼルは一応、まともに答えられている。
リュリュには強く、こう言われていた。
「もう一回言うよ。ソロン隊長が来たら、それはただの着任の挨拶か、お客。そのつもりで接するのよ!」
(挨拶かお客。挨拶かお客。とりあえずお客)
レイゼルは自分に言い聞かせ、いつも客にするように話しかけた。
「薬湯はご入り用ですか? どこか、身体の調子の悪いところがあれば」
するとシェントロッドは、不意に眉根を寄せた。
「気分が悪い」
「へっ」
レイゼルはその不機嫌そうな表情にギクッとしたが、シェントロッドは軽くため息をついた。
「住処が変わったからな。アザネの界脈に慣れん。むかむかする」
ふと──
レイゼルは、同情してしまった。
世界には、目には見えない界脈と呼ばれる様々な流れが、人間の身体の神経や血管のように張り巡らされていると言われている。
彼女も王都についたばかりのとき、食べ物や水が変わって界脈と自分の流れが合わなくなり、慣れるまでしばらくの間は辛かったのだ。
生まれた場所の界脈に慣れていたのに、たった一人、知らない土地へ。シェントロッドもそうなのだと思うと、助けたくなった。
薬湯屋の性分というのもあるが、基本的に、彼女はお人好しである。
「あの……私、リーファン族の薬についても少しだけ教わったので、お役に立てるかもしれません」
「ほう?」
シェントロッドは軽く目を見開き、そしてニヤリと笑った。
「それは面白い。試してみるとするか。人間の作った薬湯が効くのかはわからんがな」
基本的に、リーファン族は人間族にあまり興味がないため、人間族のことをよく知らない。その、よく知らない種族である人間族が作った薬湯を身体に入れようというのだから、シェントロッドはリーファン族でも変わり者の部類に入るだろう。
レイゼルはうなずいた。
「かしこまりました。ではこちらにおかけください。頭痛や腹痛はありますか?」
「ああ? まあ、腹は多少は調子が悪いか……」
人間サイズの低いスツールに、長身のシェントロッドが座る。折り曲げた足の、膝の位置が高い。
レイゼルは、仕事モードに入っていた。仕事に没頭しているときが一番、落ち着いていられる。
彼女はじっくりと、シェントロッドの顔色を観察した。彼がひるむほどに、観察した。
(リーファン族って、意外と繊細な人が多いのよね。何かあるとすぐに食欲がなくなったり、消化が悪くなったり、割と胃にくる。それなら……)
「すみません、手伝ってください」
「何?」
シェントロッドが片方の眉を上げたが、レイゼルは小さな器を持ってさっさと水車の方へ歩き出している。
「臼を動かしてください。杵棒をつなぎます」
「…………」
すでに臼に何か入れているレイゼル。
シェントロッドは少々呆れた様子ながら立ち上がると、小屋の梁に頭をぶつけないよう、やや身体を屈めながら臼のところに来た。
軽々と臼をずらしながら、彼は尋ねる。
「何だ、その器の中の白いのは」
「キカ貝の殻です。炎症を鎮めますし、お通じがよくなります。ちょうど取り寄せたばかりでよかったわ」
キカ貝は海の貝なので、内陸のアザネでは採れない。レイゼルは商人を通じて注文しておいたのだ。
杵棒をつなぐと、キイッ、トッスン、キイッ、トッスンが始まった。臼の中で、貝殻が粉になっていく。
粉にし終わると、レイゼルは杵棒を外し、シェントロッドは面倒そうに臼をどかした。臼から器に粉を移したレイゼルは棚の方に戻り、土瓶に粉と、他の材料を入れていく。
身体を温めるのによく使うケッシーの皮、胃腸を調えるシャクシュの実の種、そして料理にも使えるカイカの実は、シェントロッドの身体の中の固まった界脈を動かすために。
(リーファン族のために作るのは、王都の学校以来だわ……アザネに戻ってからは、人間向けの組み合わせしか作っていなかったから)
種族が違えば材料も違うし、同じ材料を使ったとしても組み合わせが変わる。レイゼルの頭の中には、そういった知識が詰め込まれている。
シェントロッドは材料に興味があるらしい。
「何だ、その豆は」
「カゾ豆ですね、これで甘みをつけるんです」
全部土瓶に入れ終え、湧き水を注ぎ、かまどにかける。
埋み火を熾し、ゆっくりと煎じ始めた。
スツールに座ったシェントロッドは、自分の膝に片肘をつく。
「まだかかるのか」
「ええ。あ、こちらのベンチに移ってください。香りも吸い込んでくださいね」
当たり前のように答えながら、レイゼルはかまどの横の作業台に移った。黙々と、薬草などを混ぜ合わせた残りを一回分ずつ紙で包んでいく。
シェントロッドは黙って、かまどのそばにあるベンチに移った。
「…………」
「…………」
水車小屋の中に、沈黙が落ちた。
ふとレイゼルが気づくと、シェントロッドは彼女をまじまじと見つめて観察している。
「? …………!」
(あっ)
我に返ったレイゼルの背中を、冷や汗が流れ落ちた。
(……まずい、夢中になってた……私、何か変なこと、口走らなかったかしら。レイだとバレるようなこと……)
ケッシーの皮の香りが漂い始めた。しかしシェントロッドは、土瓶には目をやらず、レイゼルを見ている。
レイゼルはいたたまれなくなり、畑の様子を見に行くふりをしていったん裏口から外に出た。
まるで息継ぎをするように、何度か深呼吸をして、風や土や畑の植物たちの匂いを吸い込む。
落ち着いてから店に戻ると、シェントロッドは暇そうに、天井からぶら下がる様々な薬草を眺めていた。
彼女は布巾で土瓶の持ち手を持ち、木のカップに注ぐ。
「……どうぞ」
テーブルに置き、小さな声で勧めた。
シェントロッドはカップを見つめていたが、やがて顔を近づけた。香りを確かめてから、両手で手に取る。
一口、口に含んだ。
「お」
彼は目を見張った。
そして、さらに二口、三口と飲む。
「俺の界脈が……整っていく。繋がる……」
レイゼルは目を丸くした。
彼女の薬湯は、自分で飲んでもそんなに劇的な効果が現れたことはないのだが、シェントロッドにはすぐさま効いているようだ。
リーファン族は、こういったところも繊細なのだろう。効果を受け止めやすいのかもしれない。
(色々、違うんだわ。人間と、リーファンは……)
王都で、界脈調査部の一部屋にこもりっきりではわからなかったことが、今になってわかる。
レイゼルは不思議そうに、彼の様子を眺めた。




