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第一話 Uターン薬湯屋とIターン隊長

 アザネ村は、豊かな湧き水に恵まれている。湧き水は小川となって、初夏の畑の合間をキラキラと流れ、村中を潤している。

 畑の向こうでは、アザネの中心部の家々が灯りを点し始めていた。東の森を見下ろす群青の空、西の山々の峰を染める茜色までの移り変わりに、うっすらと昇る煮炊きの煙。


 そんな景色の中、森にほど近い畑の真ん中に、小さな一軒の水車小屋が建っていた。穏やかに流れる小川が水車をゆっくりと回し、ぱちゃぱちゃと澄んだ水音を立てている。

 平屋の小屋の、入り口脇に、木の看板が立てかけてあった。


薬湯(やくとう)屋』


 レイゼルは、摘んだ薬草を入れた籠を手に、裏口から小屋の中に戻った。大きな三角巾からのぞく三つ編みが、黒く艶めきながら下り、腰のあたりで揺れる。

 人が見れば少々心配になるほど華奢な彼女は、少女めいた面影も相まって頼りなげな雰囲気をまとっているが、これでもれっきとした薬湯屋の店主だ。


 かまどの薪は炭になってきており、薬湯を煎じるのにちょうどいい。

 レイゼルが土瓶に入れるのは、まずはケッシーの木の皮。身体の中から温めるため。

 ヤクーの根は、ケッシーの力を強くするために。

 畑で摘んだシャガの茎で汗を出し、メナの果実で効果を高め、副作用は抑えて。果実は栄養もたっぷりなので、多めに入れた。

 そしてゾーカの根を入れると、全体が調和する。根っこは命の根っこ、世界の『脈』と繋いでくれる。

 最後に、町自慢の清らかな湧き水を注いで、土瓶をかまどに載せた。


 のんびり、とろとろ、時間をかけて、煎じる。


 ふたを開けたままの土瓶から、ケッシーの木の皮の香りが漂い始めた。レイゼルはその場に立ったまま目を閉じて、すーっ……と深呼吸する。この香りも身体にいいのだ。

 湧き水で水脈と、呼吸して大気と、そして薬草で大地と繋がる。世界を流れる『界脈』と呼ばれるエネルギーと寄り添うのが、彼女の薬湯だった。


 煎じるのにかかる半刻ほどの時間を、レイゼルは最近、レース編みの鉤針と格闘しながら待つことが多い。不器用ながら、「女の子らしいこと」に挑戦中なのだ。

 今日も頑張って進めようと振り向いたとたん、彼女は「ひぇっ」と息を吸い込んだ。


 いつの間にか、店の戸口に男が立っている。


 どちらかというと細身の体躯だが、そのままでは戸口をくぐれないほど背が高い。そして実際、男は戸口に手をかけ、屈みながら店に入ってきた。


「ソ、ソロン隊長、いらっしゃいませ。もしかして、お待たせしたでしょうか……?」

 努めて落ち着いた声でレイゼルが言うと、男は小屋の中で背筋を伸ばして、前髪をかき上げた。

「お前は、仕事に没頭していると本当に、周りのことに気づかないな」

 王国守護軍、東ナファイ支部の藍色の制服をまとった彼は、切れ長の目でレイゼルを睨むように見る。

 緑の髪に緑の瞳、そしてとがった長い耳。アザネ村唯一のリーファン族、シェントロッド・ソロンだ。


「客がいるのか」

「あ、いえ、これは私のですから、すぐに隊長さんのを」

 レイゼルは棚から土瓶を降ろすと、先ほど調合したばかりのシェントロッド用の薬草を引き出しから出し、土瓶に入れた。彼は常連なので、用意してあったのだ。

(今日はずいぶん、来るのが早いけど……)

 そう思いながらちらりと見ると、彼は店の中央の柱にもたれて彼女をじろじろと見ていた。

 少々緊張しながら、レイゼルは自分の薬湯の様子を見た。やがて、そろそろいいかとかまどから下ろす。代わりに、シェントロッド用の土瓶をかけた。

「それでは、こちらにおかけになって、しばらくお待ちください」

 レイゼルは声をかけてから、自分の薬湯を木のカップに注いだ。視線が気になり、こぼさないようにと意識を集中する。

 無事に注ぎ終わると、カップを両手で包むようにしていそいそと裏口から外に出た。

(隊長さんに見られながらじゃ、落ち着いて飲めないもの)


 小屋の裏手には小さな菜園があり、白や黄色の季節の花が咲き、青い実が鈴なりになって、収穫の時を待っている。

 畑側の外壁沿いのベンチに腰かけたレイゼルは、ゆっくりと、薬湯をすすった。薬湯は、空腹の時が一番、効く。

 甘い香りの中に、心地よい苦みと、鼻に抜ける風味を感じる。味わうこともまた、身体にいい。

 喉から腹にかけて、ぽぽぽっ、と温かくなった。

 波立っていた心が、落ち着いてくる。


「はぁ……」

 彼女はため息をつき、もう一口、二口と飲んでから、カップを下ろした。そして座ったまま、そーっ、と裏口から中をうかがう。


 かまどのそばには待合い用のベンチが置かれており、レイゼル手作りのいびつなクッションが置いてある。シェントロッドは他に客がいないのをいいことに、そこで寝そべって目を閉じていた。


 再び、そーっ、と元の位置に戻ったレイゼルは、片手で自分の三つ編みをいじる。

(今までバレなかったんだから、もうきっとバレることはないわね)


 ナファイ王国東部では、女性は子どもの頃から髪を長く伸ばし、常に腰から尻くらいの長さを保つ。

 しかし、十九歳のレイゼルの三つ編みは、ようやく腰まで伸びたばかりだった。

 なぜなら十五歳のとき、自分で切り落としてしまったからである。再び伸ばし始めたのは、十七歳になってからだ。


 切った理由は、男装するため。王都で三年間、『レイ』という名の少年のふりをして過ごすためだった。


 そして、『レイ』であるときに王都で知り合ったシェントロッド・ソロンは、今年になって赴任した領地の薬湯屋レイゼル・ミルが『レイ』であったことを、知らない。

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