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プラトニクス  作者: coach
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第88話:唐突に破られるもの

 活気という言葉が最も似合わない部――

 少なくとも二年間、そのような名誉な称号を戴いていたであろう我らが文化研究部だったが、ここに来てその地位を他の部活動に譲り渡すことになりそうだと、怜は悔しい気持ちでいっぱいだった。

 そもそも怜が文化研究部に入ったのは他でもない。この部が、『活気』という言葉と最も無縁だったからである。入部当初は三年生の部長一人しかおらず、彼女は特に文化の研究に熱心ではなかったし、また同時期に入部した田辺杏子(アンコ)にしても、その頃は他を巻き込まない慎み深さを備えていたので、怜は心静かに、読書なぞして過ごすことができたのだった。

 その後、一年経って、坂木(アオイ)が入部したが、彼女は、『部活動時間は自由時間である』という良識の持ち主だったので、問題はなかった。

 近頃入部した川名(マドカ)、橋田鈴音(スズネ)の両名にしても、どうやら大和撫子(やまとなでしこ)の淑徳を持ち合わせているようで、ガンガン前に出ていくような暑苦しいことはしないだけの分別があり。

 平穏であった。その平和がいつまでも続くものだと思っていた。

 しかし、変化はいつでも唐突に現れるものである。

 四人。

 それが、校内きってのマイナー部であり、家では妹、クラスでは同級生、そうして残りの時間はカノジョに虐げられている少年の休息の泉に新たに足を浸した部員の数だった。

 先週の話である。

 まず、月曜日に部長の古なじみらしい少女が入部した。水野更紗。以前、部室に何度か来ているので顔ぐらいは知っていた。

「超古代文明とか恐竜とかを研究したいと思ってますっ!」

 夢見るように瞳を輝かせた彼女の見当外れの抱負に、しかし、突っ込もうともしないのが、文化研究部のメンバーの証である。ぱちぱちぱち、と拍手が上がる中で、怜は、どうしてわざわざこんな時期に入ってくる気になったのか不思議に思った。今からでも部活動に励めば、内申書の点数でも上がるのだろうか。

――そんなことより……。

 また女子であるということの方が問題だった。これで、男子が怜一人に、女子が五人。ストレスに耐えきれず、引退を待たずに自主退部する日も近いかもと危惧していたら、

「約束通り来てやったぞ」

 翌日、救世主が現れた。雄々しいウルフカットの彼の名は岡本士郎(シロー)。杏子と同じクラスで、時々文化研究部に遊びに来ていたので顔なじみである。彼の言う所の約束とは一体何なのか定かではないが、ともかくも怜は歓迎の意をあらわにした。

「ちょっとしたハーレムみたいになってるな」

 にやりとした岡本少年の言いたいことはすぐにピンと来た。ハーレムはハーレムでも、スラム街の方である。怜は密かな友情を彼に感じた。

「部活が終わったから、今度は彼女作りに専念する気になったんですか、岡本先輩?」

 からかうような蒼の問いに、岡本はやれやれと首を振ると、

「坂木、オレの理想のカノジョはな、心のキレイな子なんだよ。この部の中にそんな子がいるか?」

 実に危険な発言をした。怜は眩しげに彼を仰いだ。その勇気は称賛に値する。五人の女子から一歩も引かない堂々とした態度。これこそが日本男子のあるべき姿である。

「キレイな女の子を求める前に、自分の心を綺麗にしてくださいよ、先輩」

「アオイちゃんの言う通りよ、岡本くん」

「岡本くんって案外、少女趣味なんだね。そんな頭してさ」

「ここにはキレイな子しかいません。ね、マドカちゃん?」

「はい。曇りのある目では分からないかもしれませんが」

 シンクロナイズドスイミングのチーム並みに息のそろった所を見せる五人の少女の猛攻にあえなく撃沈した岡本が助けを求めて来たが、怜は視線を逸らした。男同士の友情は早くも潰えた。

 更に翌日のこと。

「前の部活終わってヒマなんで入ることにしました。原田美優でーす。ミュウって呼んでください。よろしくお願いしまーす」

 鈴音に連れられて来たのが、一年の時怜と同じクラスだった(らしい)少女だった。くっきりとした目鼻立ちから自己主張が強そうに見える彼女の入部理由は、どうやら近頃仲良くなった鈴音との親交を深めたいというものらしい。彼女は、他のメンバーを打ち捨てて、もっぱら鈴音とだけ話しをしていた。

 杏子は七名の部員を見ると、

「まさかこんな日が来るなんて思わなかったわ」

 感動に打ち震えたような声で言った。

「ねえ、加藤くん、信じられる? 部員が七人、部長のわたしを入れて八人になったのよ。八人もいたらさ、何かできるよね? ううん、何でもできるわ。世界を変えることだって……」

 うっとりとした杏子が口走る壮大な夢。そんなものの片棒を担がせられる前に、いちはやく怜が部室を出ようとすると、確かどこかで見覚えのある少年が戸口に立っていた。

「入部希望なんだけど」

 きれいな口元からその言葉を聞いたとき、怜は、杏子を見直した。かほどに一気に部員が増える幸運にあずかるとは、彼女は日ごろ相当な陰徳を積んでいるのだろう。

「ヒカルくん」

 怜の後ろから、温かな声を上げたのは更紗だった。

「あ、サラサちゃん」

「わたしも杏子に勧められて入部したの。奇遇だね」

 三組に来た転校生だったことを怜が思い出していると、新来の少年は、部長に入部届けを出して彼女を感動の渦に巻き込んだ上で、

「友達作りのためっていう不純な動機ですけど、よろしくお願いします。もちろん、部活動は精一杯がんばります」

 という飾り気のない非常に爽快な挨拶をした。友達作りのために、どうして部員の少ないマイナー部に入るのか納得の行かない所であるが、三人目の男子で、かつ一見した所では性情に濁ったものも見られないので、怜はほっとした。

 それが先週のことだった。

 四人部員が増えると、それだけ活気も出てくる。もちろん、それが部活動に関するものであれば文句のつけようもないが、現れた活気とは主に美優と更紗の話し声だった。美優は鈴音に、更紗は杏子と輝にそれぞれ話しかけていて、かつての静穏な空間にぺちゃくちゃという話し声が満ちるようになった。それだけならまだよかったが――

 その無駄な活気に()てられたのか、

「文化祭で何か出し物をやりましょうっ!」

 杏子が拳を斜め前方に突き出しながら宣言したのだから、いよいよ事態は思わしくない。

「これだけいたら何かできるわ」

「世界征服とかか?」

「つまんないこと言わないでよ、加藤くん」

 怜はあえて反論しなかった。これまで杏子は超がつくマイナー部の部長として、大いに蔑まれて来たのである。多少、浮かれても仕方がないだろう。

「面倒くさいことやめましょうよ、部長」

 蒼がいつものようにファッション雑誌を見ながら言う。怜は心中で蒼を応援したが、彼女の一言は、杏子に一蹴された。

「お黙りなさい」

 どうやら部員が増えたことが、部長に自信を与えたようである。

 いつもと違う杏子の威容に気圧される蒼。そのもとに、つかつかと歩み寄った部長は、

「これは次期部長のあなたのためでもあるのよ。アオイちゃん」

 がしっと蒼の肩をつかんで、文化祭で目立つことができれば更なる部員の加入が期待できるのだと、らんらんと燃える目を向けた。

「出し物見たくらいで入ってくるようなそんな軟弱な精神の持ち主は、我が栄光ある文化研究部にはふさわしくありません」

 この部にどんな栄光があるのかは寡聞にして知らなかったが、蒼がそれっぽいことを言う。

 杏子は首を横に振ると、

「とにかく部を拡大することよ。それが一番の大事……」

 にやりとした笑みを浮かべた。『数』という民主主義社会の魔物に魅入られた部長。その腕をギュッと取って、蒼は強い声を出した。

「しっかりしてください! アンコ先輩!」

「ふふ……わたしは正気よ、アオイちゃん」

「昔の先輩に戻ってください。間が抜けてたけど、優しかったあの頃の先輩に!」

「人は変わるのよ、アオイちゃん。あなたにもいずれ分かるわ」

「先輩……」

 がっくりと頭を垂らすようにする蒼。純心な後輩が変心した先輩を心配する小芝居は、無論、室内の誰の気も引かなかった。

「それで、どんなことをするんですか?」

 冷静な声は円のものである。これではどちらが上級生か分からない。

 気を取り直した杏子は、

「それをみんなで考えましょー!」 

 と朗らかな声で言って、そのあと唐突に落涙して、皆を驚かせた。

「ど、どーしたの、アンコ?」

 ギョッとした更紗が声をかけると、杏子はそば向いて顔を隠し、ハンカチを目に当て涙を拭ったのち、ちょっと思い出したことがあって、と小さく答えてその場を取り繕った。

 テンションが定まらない部長にあまり触れないようにしながら、文化祭の出し物の話し合いが始まった。いくつか案は出たが、なにぶんにも急なことであるので思いつきの域を超えるものはなく各人の宿題となった。

――面倒なことになった。

 と怜は思ったが、どうしようもないことだった。やる気になった部長に他の部員が引きずられる格好になっていて、怜一人、あるいは怜と蒼が二人で反対しても、衆寡敵せず、勝ち目はない。勝算の無い戦いをするよりは、生産的なことに力を注ぐべきである。できるだけ楽にできて見栄えのするものでも考えようと思いつつ、鞄を肩にかけて帰ろうと廊下を歩いていると、隣にすっと小柄な影が差した。

「ど、どうしたの? マドカちゃん」

 年に似合わぬ大人びた瞳に何だか思い詰めたような色を浮かべている少女に怜が訊くと、

「先輩、一緒に帰ってもらえませんか?」

 胸を貫くような言葉が浴びせられた。

「え、オレと?」

 他に『先輩』がいるのではないかと、注意深く辺りを見回したが、見えるのは校舎に差し込む夕日の淡い光のみであった。

「もしかして、姉と約束してますか?」

 怜は首を横に振ると、円は、ぶしつけだと思っているのだろう、お願いできますかと続けた声を細くした。

「もちろん」

 答えた声は不必要に大きくなった。怜は、恋する少年ならばかくや、と思われるほどドキドキしている自分を感じていた。これまで何度誘ってもすげなく断られていた円がどうして今日に限って、と疑う余裕までは怜にはなかった。が、それはすぐに分かることになる。

「姉の様子が変なんです」

 校門を出たところで、円が言った。

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