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プラトニクス  作者: coach
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第85話:敗軍の将は兵を語らず

今回でやっと宏人&志保の話がいったん終わります。と言っても、すぐに再登場します。それにしても、長く書きすぎました。今回の彼らのお話は、当初は四話で終わるつもりが、終わらず、六話になってしまいました。もし楽しんで頂けていたら嬉しいです。

「そっちから誘ったくせに、まさか置いてきぼりにして、自分だけ帰るとはね」

 とげとげしい目を向けてきた志保に、宏人は素直に謝った。

 志保は拍子抜けしたような顔をしてから、どうして突然帰ろうとしたのか訊いてきた。

「言いたくない」

「ハット君とトラブったみたいだってのは大村くんから聞いたけど、二瓶さんがらみ?」

「言いたくない」

「子どもじゃないなんだからさ。何があったのか言いなさいよ」

 かたくなに首を横に振る宏人を、しばらく志保は睨むようにしていたが、やがて、どうしようもないなという振りでため息をつくと歩き出した。宏人の横を通り過ぎる彼女の行く先にバス停があって、そこに停まっているバスは最寄りの駅へと通じている。宏人は志保の背を追って、そのままバスの中に入り、彼女が座った席の隣に腰を下ろした。

「藤沢も帰るのか?」

 確認のため宏人が訊くと、

「当たり前でしょ」

 苛立たしい声で言って、それきり志保は無言だった。おそらく自分がトイレに行っている間にどんな喜劇が演じられていたのか、それを話すよう促す沈黙だったのだろうが、宏人は耐えた。和田との喧嘩の原因については間違っても自分の口から出したい内容ではなかった。

 バスが駅に着いて、電車を待って乗り込み、ホームタウンへ戻るまでの間もなお沈黙は続いた。志保と話さない分、自身とコミュニケーションを取った宏人は、徐々に冷静さを取り戻してきた。そっぽを向く志保の隣で、電車に揺られながら、先の和田への凶行は彼だけのせいではないような気がした。

 先々週の金曜日に志保が虐げられる現場を見たときから、志保の味方をしてクラスに無視され始めたこと、今日の瑛子の冷徹な言葉など。溜まりに溜まったストレスが、今日のハット氏の一言をきっかけにして噴き出したのではないかと、宏人は自己分析した。でなければ、ただのキレやすい子になってしまう。ただ、無論、

――和田が言ったことは最低だ。

 という思いはあり、仮に和田の一言で一気に沸騰したのだとしても、今日の行動には何らの後悔もなかった。

「それで? そろそろ話す気になった?」

 いつもの町に運んでくれた電車を降り、プラットフォームを通り、改札を抜けた辺りで、志保が不意を打ったが、宏人はすぐさま反応した。

「いや、そんな気はない」

 志保は、構内から外に出た所で立ち止まると、

「今日はありがとう、倉木くん。グループデート、とっても楽しかったわ」

 と声だけを明るくして、瞳に冷えたものを宿すという器用な芸当をした。

「怒ってる……よな?」

「怒ってる? わたしが?」

 志保はふん、と鼻を鳴らした。

「違うな。メチャメチャ怒ってる。あなたの携帯電話を二つにへし折ってやりたい気分だわ。わたしが裕福な家の子に見えるの? 何にも乗ってないのに、遊園地の一日フリーパスを買わされてさ。お金を浪費させられ、時間も使わされ、あげく誘ったヤツは勝手に帰ろうとするし」

「悪かったよ」

「悪かったの?」

「……いや、オレは悪くない」

「悪くないのに、事情を話したくない。矛盾してるでしょ」

 宏人は志保から視線を逸らしたが、

「こっち向きなさい」

 滑らかな冷たい手で両頬を挟まれて無理矢理、志保の方を向かされた。そこでようやく和田に殴られたところに痛みを覚えてうめき声で抗議した宏人だったが、

「痛くない」

 というぴしゃりとした一言で片づけられた。

 しばらくの間、まるで別れを惜しむ恋人同士のような風情で見つめあっている二人に、ちらちらと好奇の視線が注がれた。

「二瓶さんの件は?」

 頬をロックされている宏人の声は少し不明瞭になったが、瑛子獲得の失敗は伝わったようだった。

「どうして失敗したのか、事の顛末を話して」

 宏人は唇を真一文字に引き結ぶようにした。志保の瞳に怒色が現れるのが見えた。母の叱責を受ける子どものような恐れを抱いた宏人だったが、志保は怒りを抑えるようにその目を瞑ると、少しして手を離した。

「まあいいわ。勝手に想像しとくから」

 そう言うと、すたすたと近くにあるバス停へと向かっていった。いくつかあるバス停には、昼の日を受けてそれぞれのバスの車体が輝いている。ここから発車されるバスに選んで乗れば、街のあらゆる場所へと行くことができる。

「どっか行くのか?」

 付いて来いという意味だと解釈した宏人だったが、

「そんな殺伐とした顔で行ける所じゃないわ」

 それは間違いだった。隣から声をかける宏人に、志保は一瞥もくれず、付いて来ないでね、と冷たい声だけ投げた。

 彼女の怒りを甘んじて受けつつ、

「どこ行くんだよ?」

 訊いてみると、

「『計画』に関係のある所」

 やはり温かみのない声音。『二組支配計画』に関係があるということは、すなわち宏人にも関係があるということになる。改めてどこに行くのか訊いてみたが、言っても仕方ないでしょ、と取り付く島もない答えが返ってきた。宏人は志保の進行を遮るように彼女の前に立った。

「何で仕方ないんだよ?」

「これはわたしの仕事だから」

「お前の仕事?」

「そうよ。あなたに二瓶さんのことを頼んだのは、わたしはわたしでやることがあったから。本当は今日は朝から取りかかるつもりだったんだけど」

 宏人は志保の嫌味を受け流した。意外であった。今まで志保のことは、気楽に部下に死を命じる酷薄な指揮官だと思っていたのだが、自ら戦う兵士だとは。何をやるつもりなのか興味を持った宏人だったが、

「今度ね、忙しいから。じゃ、また明日ね、倉木くん。まっすぐ帰んのよ、ちゃあんとお家に帰るまでが遠足だからね」

 馬鹿にするような口調で言って、宏人の横をすり抜けようとした。

「お前、人のこと言えんのかよ?」

 数歩の距離を置いて志保が歩みを止めた。

「オレには話せ話せって言っておきながら、自分は話さないって不公平だろ。それとも、オレのこと信用してないのか?」

 ちょっと非難するような口調になった声を受けた志保の背が、くるりと回転した。かと思うと、一足で間を詰めた志保と宏人は向かい合っていた。すう、と息を吸い込むのが見えて、

「バカ!」

 近くを歩く若者のカップルが思わずびくりと身を震わせるほど大きな声が志保から発せられた。彼女は一目、強い目で宏人を睨むと、ロングスカートをはためかせながらバス停の一つに向かって走り出した。呆気にとられた宏人が追いかけた方がいいのかどうか考え始めたときには、既に志保を乗せたバスの扉が閉まり、ゆっくりとバスが動き始めていた。

 雑踏の中、ひとり駅前広場に取り残された宏人は、カノジョを怒らせて途方に暮れる少年に向かってかけられる同情の視線の中、帰路を取り始めた。

 家に辿りつくまでの間、志保のセリフの意味を考えてみたが、何を(なじ)られたのかさっぱり分からなかった。

――だからこその、「バカ」なのか?

 自宅近くの見慣れた風景を認めると、安心感からだろう、どっと疲れが襲ってきた。労多くして、得るもの少なく、いや得るものどころか、失ったものさえある日だった。瑛子への恋心、雅紀からの信頼。そういう価値のあるものを失って、クラスメートには罵倒され、まったくもって救われない一日である。誰かこの哀れな少年に慈悲を与えてくれる者はいないのだろうか。

 そう考えた宏人が、自分の家の隣家に足を運んだのは実に自然なことだった。インターホンを鳴らすと、張りのある声がして玄関が開き、ジーンズ姿の細身の女性が姿を現した。

「賢兄います?」

「いるよ。上がって、ヒロトくん」

「あの、小母さん。もしかして姉貴は一緒ですか?」

 賢の母は、傷心の宏人をこれ以上落胆させない答えを返してくれた。

「ヒナちゃんは来てないけど、他のお友達が来てるわ。賢を呼んでくるから、ちょっと待ってて」

「あ、ならいいです。賢兄の迷惑になるから」

 全くタイミングが悪い。宏人が踵を返そうとすると、いいから待ってなさい、と温かいが有無を言わせぬ調子の声がかけられた。

「賢に相談があるんでしょ。ひどい顔してるよ、ヒロトくん」

 幼馴染の母であり、宏人も小さい頃から面倒を見てもらっていて、ほとんど第二の母と言っても差支えないような人である。宏人はそれ以上抵抗しなかった。賢の母がリビングに消えて、代わりに賢が現れるまでの間に、傍の棚にあった鏡で自分の顔をチェックした。どうやら、「ひどい顔」というのは別に殴られた所が腫れて来た、ということではなかったようである。頬に異常はなかった。陰鬱な心の色が表情に出ているという意味だろう。

「よ、ヒロト」

 短パンと無地のTシャツ姿の賢を見て、宏人は苦笑した。和田や他の煌びやかな一団を思いだしたのである。彼らが束になってかかっても、賢の爽やかな魅力には叶うまい。

「どうした、上がれよ」

 会うだけで救われるような人である。歓迎の色しかない賢の声に、宏人は心底からほっとするものを覚えた。

「誰か来てるんだろ、賢兄?」

「ああ」

「じゃあ、邪魔になるからいいよ」

「泊まってけばいいだろ」

 賢はこともなげに言った。誰が来ていたとしても夕方には帰るからその後でゆっくり話を聞く、という言外の意図を読み取った宏人は、その思いやりに危うく落涙する所だった。こういう時に賢との人としての格の違いを思い知らされる。賢が自分にしてくれるようなことを、いつか自分が人にしてやりたいというのが、宏人の密かな願いだった。

「それにさ、丁度いいから、ヒロトに紹介したいんだよ」

 そう言った賢の声はいつもよりも更に明るいもので、導かれたリビングに女の子でも座っていれば秀逸な話になったが、さすがにそんなことは無かった。

「加藤怜。オレの……親友でいいよな? レイ?」

 賢の紹介の声に、ソファから、好きにしろ、と平板な声で答えた彼は、律儀に立ち上がると、名を告げてから宏人に向かって軽く頭を下げた。短めにカットしたさっぱりとした髪の少年には落ち着きがあり、うわついたものを全く感じなかった。

「こっちは日向の弟で宏人。オレにとっても弟みたいなもんだよ」

 宏人も、倉木宏人です、と自己紹介したのち、ぎこちなく頭を下げた。賢の友人であれば三年生のはずであり、上級生に頭を下げさせて自分がしないなどということはできなかった。下級生だと認識すれば、もしかしたら緩みが見えるかと思ったが、加藤少年の態度は変わらなかった。さすが、賢が嬉しそうに紹介するだけのことはある。

――待てよ……加藤怜、だって?

 どこかで聞いたことがある名前だった。ソファに座って、賢の母が淹れてくれた香り高いハーブティを飲みながら、宏人は思い出そうとした。思い出そうとして、今朝、蒼の話の中に出て来た人物であることに思い当たり、

「加藤先輩って、もしかして文化研究部ですか?」

 一応確認してみて、肯定のうなずきを得ると、宏人は口調を申し訳なさそうなものにした。

「いつも姉がご迷惑を」

 足の短いテーブルを挟んで相対する位置にいた怜は、軽く驚きの色を表して、宏人の隣を見た。宏人の隣に座っていた賢は、ヒロトはいいヤツなんだよ、と答えた。

「似てるところもあるけど、ヒナタとは大分違う」

 怜は納得したように小さくうなずくと、特に迷惑をかけられたことはない、と宏人に気を遣ったあと、

「ただ、何ていうかな、ときどき、その……」

 言い淀むようにしたのを、

「『イライラする』、でいいですか? 先輩?」

 継いでやる宏人。怜は、わざとらしい咳払いをしてから、

「言ったのはオレじゃない。君だ」

 慎重な態度で責任を負わないようにした。

「男の子三人でヒナちゃんの悪口言うなら、小母さんはヒナちゃんの味方をするわよ」

 甘酸っぱい香りと共に現れた賢の母は、テーブルに置いた焼きたてのアップルパイを切り分け始めた。

「何と言っても、未来の義理の娘ですからね〜」

 それぞれのティカップにハーブティのお代りを注ぎながら楽しげに続ける。賢が、呆れたような声で、

「そういう冗談やめてくれよ、母さん」

 抗議の声を上げたが、母からは大真面目の発言である旨、澄ました顔で返された。

「これはもう決まっていることです」

「そんなこと言ったって、日向には誰か好きなやつがいるらしいしさ」

「そんな人はいません」

「いや、いるんだって、なあ、ヒロト?」

 賢の母の言う通りである。いるはずがない。姉は一目賢と目を合わせた生後三カ月のその日から――その瞬間の記憶があると姉は言い張っている――賢のことを想い続けているのである。とはいえ、姉の気持ちの代弁をすることは、人生の先輩である賢の母ならば格別、年下の宏人には(はばか)られ、曖昧に、さあ、と言を左右にするほか無かった。

「なあ、レイ? 前にそんなこと言ってたよな、ヒナタが」

 宏人に倣うように曖昧に小首を傾げた怜は、アップルパイに舌づつみを打って、その話題を避けた。できるだけ姉の話題に関わることを避けようとする彼の態度に、宏人は深い共感を覚えた。

 歓談しているうちに、宏人の冷え切った心は徐々に温まって来た。仮に学校で北風が吹いても、逃げ込める場所が宏人にはある。

――藤沢には……?

 志保にはそういう所はあるのだろうか。そもそも、「逃げ込む」という考え自体が無いかも知れない。「志保の気持ちを考えろ」と言って和田に頭突きを食らわせてやった宏人だったが、よくよく考えてみれば、彼女の気持ちは宏人には分からない。

「どうした、ヒロト?」

 急に押し黙ってしまった宏人の肩が軽く叩かれた。

「なあ、賢兄。相手の気持ちが分からない時って、その相手に対してどういう行動を取ればいいと思う?」

 いきなりの質問だったが、賢が目を丸くしたのは一瞬だけのことだった。

「そんなの決まってるだろ」

 そう答えて、しかしそれ以上は続けず、対面のソファの少年に発言を促した。つられて目を向けた宏人に、かけられた言葉は、

「誠心……つまり、真心で相手に当たる他ない」

 どこまでも穏やかで心安らぐ調子だったが、抗いがたい威を感じるものだった。

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