第84話:風雲のテーマパーク
いつも読んでくださってる方、ありがとうございます。今回も前回の続きです。
蒼と話しているうちに多少気が晴れた宏人だったが、心の傷はなお深手である。瑛子に対してフェアでないことは分かっているが、彼女にはああいうことを言って欲しくなかったという気持ちがある。理想の女の子でいて欲しかったのだ。
集合場所に戻ると、宏人たちが最後の組だったようで、皆の姿がそろっているようだった。ふと瑛子が顔を向けてきて、にこりと微笑んできたが、宏人は目を逸らした。とっても微笑み返すような気力はなかった。そらした視線で何とはなしに志保を探すと、彼女は、冗談を言う雅紀の傍で控えめな笑みを見せていた。
ミッション・インコンプリートを知らせたときに、一体上官の少女がどういう反応を示すかと考えると、宏人の気持ちは暗く沈んだ。
「まあ、いいわ。わたし、マサキくんとメアド交換できたからさ」
などと上機嫌で言って許してくれるようなことがあるだろうか。志保がそういう公私の混同をするかというと、これはどうにも可能性が薄いような気がした。
――やるだけはやった。胸を張れよ、ヒロト。
宏人は自身を鼓舞して、しかし、志保から見られないように他の男子たちの影にそそくさと隠れた。
「みんな、集まったな。よーし、じゃあ次は、ドキドキお化け屋敷でどさくさ紛れでカップリング大会!」
おかしなイベントのスタートを告げる雅紀のハイテンションの声が青空に響いた。男女二人組でお化け屋敷に入り、一緒に恐怖を乗り越えることによって一体感を持った二人を、なんちゃってカップルにしようという下心満載のイベントである。
「カップルはくじで決めるけど、その前にトイレターイム」
数人が手洗いのために姿を消すと、宏人は自分の肩にがしっと腕が回されるのを感じた。
「暑苦しいから離せよ、マサキ」
抗議の声は無視されて、宏人は雅紀に肩を抱かれたまま、数歩歩かされた。すぐ隣にある顔が何かを訴えかけているようであるが、
「なんだよ?」
分からず、うさんくさそうに友人の顔を見返すと、雅紀の整った顔立ちがショックを受けて悲しげに歪んだ。
「ヒロト、オレは恩着せがましいことは言いたくない」
不審げな宏人に、雅紀はぼそりと言ったあと、自分の腕を宏人の首に回した。
「でも、オレの働きをちょっとくらい褒めてくれたっていいだろ」
軽く首を絞めるようにしてくる雅紀に、宏人はようやく用件が分かって、スピードデートの件の礼を小声で言った。
「それで? 二瓶と進展は?」
他のパーティを憚って小さく訊いてくる雅紀に、宏人は適当にうなずいた。進展はありすぎるほどあった。恋が始まり、そうして恋に付随する全ての甘やかなもの、切ないもの、ほろ苦いもの、そういうものをすっ飛ばし、恋は終わりを告げたのだった。
「協力した甲斐があったよ。良かったな、ヒロト」
自分のことのように喜んでくれる雅紀に、まさか本当のことも言えず、宏人は無理に片頬を持ち上げて笑みを見せた。
「お化け屋敷でも、お前とエーコちゃんを組にしてやるから任せろ」
インチキくじを作って友人の恋を応援しようとする雅紀の友情に、宏人は慌てた。瑛子とは気まずくなっているのである。暗闇の中、二人でなど歩けない。
「いや、でも、さすがにそれは露骨だろ」
宏人は翻意を促したが、雅紀は聞かなかった。
「言ってる場合じゃない。さっき聞こえてきたんだけど、和田がエーコちゃんに告白するらしい」
「和田?」
「趣味の悪い帽子」
すぐに分かった。ちらりと後ろを振り返ると、中折れの帽子で太陽光線をがっちりとガードしている少年が、瑛子にべったりひっついていた。雅紀は和田が、遊園地から出て解散したあとに瑛子に告白するんだと息巻いていた、という今となっては実にどうでもいい情報をさも深刻な面持ちで告げてきた。
ありのままの気持ちを雅紀に言うことができない宏人としては、
「それはヤバいな」
と焦ってみせようとしたが、いささかわざとらしくなったようだった。雅紀が眉を疑わしげに顰めるのが見えた。宏人は、くじで瑛子と一緒の組にしてもらえるよう、雅紀に頼んで疑いを払うと、一団の方に足を進めた。これ以上、雅紀と話をしているとボロを出しそうである。
――仕方ないか。
雅紀にバックアップを頼んだのは当の宏人自身なのである。無論、目的は恋の成就などではなかったわけだが、それは雅紀には関係ない。彼は、友人として誠意を尽くしてくれたわけなのだから、その誠意が実ることはないにせよ、まったく無にはできない。お化け屋敷に入って出るまでのその短時間くらい気づまりな思いをしたとしても、部活を休んでまで助力を惜しまなかった友人の気持ちを考えれば、何ほどのこともない。
心を決めた宏人が一団から少し離れて立っていると、笑声に混じって流れてくる会話が耳を捉えた。一組の男女の声である。
「藤沢って何でいんの?」
「ね、相変わらず暗いよね」
「またいじめられてんのかな」
「じゃない? 何かいかにもいじめてください的な顔してるじゃん」
「あれじゃ仕方ないよな」
声の一方はハット氏であり、もう一方は、幸運なことに瑛子ではなかった。瑛子も手洗いに立ったらしい。他の女子である。
「一年のときもあんなんだったよな」
「人って変わんないんだね」
「一生いじめられるんじゃないか?」
「かもね」
男女の一組だったのは幸いだった。もし女子同士の話だったら、こういうことはできなかっただろう。どくん、と一つ大きく心臓がなったのを合図にして、宏人は、中折れのハットをかぶった少年の方の肩をつかんでいた。ほとんど躊躇のない行動だった。突然体に触れられて、怪訝そうに振り向いた彼に、宏人は低い声で尋ねた。
「言えよ。『仕方ない』ってどういう意味だ?」
「は?」
「今言ったろ、藤沢がいじめられても仕方ないって」
和田は、宏人の気勢を受け流そうとするかのような軽い調子で、
「いや、だからさ、暗いししゃべらないし、ま、言っちゃうとブスだからさ。あれじゃ、いじめられるってことだよ」
答えた。くすくすという笑い声が和田の隣にいる少女から上がった。
宏人は、軽くハット君の体を突き飛ばした。突然殴るのはフェアじゃないような気がしたからである。ちょっとよろめいた和田は体勢を立て直すと、醜く顔を歪めた。
「お前、何すんだよっ!」
「うるせえっ! お前ら、藤沢の気持ち考えたことあるのかよっ! 何でへらへら笑ってそんなことが言えるんだっ!」
宏人の怒鳴り声で、周囲の視線が集まった。
「おい、ヒロト、どうした?」
横から現れた雅紀の声を聞く余裕は宏人にはない。対して、ハット少年は、余裕を見せようと思っているのか、軽く両手を広げるような振りを作った。
「お前さあ、何マジになっちゃってんの? まさか、あの藤沢のことが好きだとか言うんじゃないよな」
中折れハットが宙を舞った。帽子を弾き飛ばしてやった宏人は、和田に先に殴らせてやった。頬に衝撃を感じた宏人だったが痛みはなかった。続けて殴ろうとしてくる拳に構わず相手の懐に入った宏人は、和田のベストに手を伸ばすとその胸元を引き絞った。額に衝撃が走る。宏人は自分の頭をハンマーにして和田の額に打ち込んでやった。痛みにうめいた和田の目を睨みつけて、
「訂正しろっ! さっき言ったこと、訂正しろよっ!」
口から唾を飛ばす勢いで吠えた。
体が熱かった。全身が一色の感情に染め上げられているようで、相手の目に怯えた色が映るのを斟酌する余裕は、今の宏人にはなかった。
「訂正しろって言ってんだろっ!」
応えない顔に向かって振り上げた拳が目標を捉えることはなかった。自分の腕に誰かの腕が横からからまっている。邪魔をしたやつを苛立たしげに見て、
「離せ、マサキ!」
強い声で言ったが、雅紀は動じなかった。
「落ち着け、ヒロト」
その言葉に返って宏人はかっとなった。友人を侮辱されて落ち着いていられるほど人間はできていない。胸元を引き絞っている左手に力を込める。恐ろしげなものを見るような引きつった顔をしている和田をぐいっと引き寄せてもう一発頭突きを食らわせてやるつもりだったが、叶わなかった。
横からもう一人、男子が宏人の腕を取り、雅紀と彼に取り押さえられる格好になったからである。さすがに自分と同じくらいの体格の男子二人に押さえられると身動きが取れず、無理矢理に和田と距離を取らされてから、
「そこまでにしろ、ヒロト、いいな」
と雅紀の厳しい声を聞いて、深呼吸した。少し離れたところから、
「何なんだよ、あいつ。おかしいんじゃないのか」
和田の嘲るような声が上がった。宏人の目が見開かれて、その足が一歩地を踏み出したが、横からぐっと腕を取られた。宏人は噛みしめた奥歯に怒りを集約するように努め、体から力を抜いた。雅紀は、宏人の腕を離すと、つかつかと和田のところまで歩いていった。
「それで? 和田。ヒロトに何したんだ、お前?」
雅紀の声が聞こえてきた。
「何もしてねえよ。ちょっと藤沢のことを話してたら、いきなりあいつが……」
「ちょっとのことで、ヒロトが手を出すわけねえだろっ!」
ドスの利いた雅紀の怒鳴り声はいつものにこやかな顔からは想像もつかないものだった。自分より大きな声を聞いて、返って宏人は落ち着きを取り戻した。志保が、松本のことをクズと呼んでいたが、その気持ちが分かる気がした。何を言っても無駄な人間というのがいて、和田もその類の人間なのだろう。殴ればどうにかなるようなものでもない。
園内を流れる愉快げなBGMも、宏人たちのいる一角の白けた雰囲気を払うことはできなかった。今度は雅紀と和田の争いにシフトしそうな状況を皆が固唾を飲んで見守っている中で、宏人はくるりと背を向けると、休憩エリアを後にした。
「お、おい、ヒロト?」
追いかけてきた雅紀に、宏人は帰る旨を伝えた。骨折ってもらった今日の礼を言いたかったが、そんな気分ではなかった。
「わりい、マサキ」
ぼそりとそれだけ言うと、宏人は遊園地出入り口ゲートへ向かって足を進めた。歩いているうちに和田への怒りは徐々にさめて、代わりに悲しみが胸を浸した。もう少し、みんなが優しくなればいいだけの話なのに、どうしてそれができないのだろうか。何も大したことでなくても良い。ただ単に、志保がいるということを尊重して認めてやるだけで良い。協調性があろうがなかろうが人をその人として認めてやる。それはそれほど困難なことだろうか。
憂いに沈む宏人が、駆け足の音を聞いたのは、園の外に出たところだった。がしっと腕がつかまれて、横を見ると、くせっけの頭を下げて、はあはあと息を喘がせる少女の姿があった。