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プラトニクス  作者: coach
83/276

第83話:夢から醒めるとき

 前回の続きです。

 一体、瑛子(エーコ)が何を訴えたくてこんな話をしているのか、宏人(ヒロト)にはさっぱり分からなかった。話の意図も分からないが、中身の方にも納得が行かない。確かに、今瑛子が言ったことは一応は、なるほど、とうなずける話である。志保には人を嫌ったり避けたりしている所がある。しかし、それを超えて彼女が、自分がされているように、人を傷つけたことがあっただろうか。クラスメートを侮辱するような行為をしただろうか? 単に嫌って避けることと、仲間はずれにして侮蔑することは決して同じことではない。

――藤沢と松本は違う。全然違う。

 いくら気のある子の言うことであっても、それに盲目的に従うようなことをしないだけの分別が宏人には備わっているようだった。

「藤沢さんが今の状態になってるのは藤沢さん自身の責任だと思うの。倉木くんが藤沢さんをかばってるのは、間違った同情だと思う」

 平明な事実を告げるような口調で瑛子が続けた。容赦なく照りつける太陽のもとで、宏人はすっと体温が下がるような心持ちがした。志保が宏人の助けなど必要としていなかったことは事実である。『間違った同情』という点は認めても良い。だが、現在の志保の状態が、彼女の責任だという論はどうしても受け入れることはできない。

「藤沢は悪くない」

 その語勢の強さに自分でも驚いた宏人だったが、瑛子は平静だった。

「それは知ってるよ。今日もちょっと話してみて分かった。でも、いいか悪いかなんてことは関係ないの。大事なのは協調性じゃないかな」

「協調性?」

「藤沢さんがクラスの皆を受け入れれば、皆も藤沢さんを受け入れてくれると思うよ。そうすれば、無視されることもないわ」

 瑛子の声はあくまで事務的だった。簡単な方程式を解いているような気安さが言葉の端々に漂っていた。

――藤沢が(・・・)受け入れれば、だって?

 思わず反論しようとして、全く慮外のことだったが、どうやら宏人は瑛子に苛立ちを感じ始めているようだった。これまで癒されることしかなかった瑛子の言葉が神経に障る。

「松本の方の責任は無いのか? 受け入れるならむしろあっちだろ」

 瑛子は唇をほのかに笑みの形にしたようだった。

「松本くんにそういう期待をするのは現実的じゃないと思う」

「だからって、それを藤沢に押し付けるのか?」

「『押し付ける』だなんて。ただ、今の状態を変えるには、藤沢さん側から動かないといけないと思うだけだよ」

「仲間外れをするようなヤツラを受け入れろって?」

「こういう言い方はあんまり感じ良くないけど、そういう振りだけでもすればいいと思う」

 それができないからこその志保なのだろうし、しかも仮にできたとしても、宏人はそれを志保に勧める気などには到底なれなかった。なにせ、当の宏人自身にそういう行為――嫌いなのに好きな振りをする――に対する嫌悪感がある。新しいグループを作るという志保の案の方がよほどマシである。

 宏人は小さく首を横に振った。

「倉木くん、二年生はまだまだあるんだよ。考え直したほうがいいと思う」

 瑛子が自分と志保のことを心配してこんなことを言ってくれているのだ、と解釈した宏人は、大して心温まるものを感じなかったにせよ、一応の感謝の意を込めて、

「藤沢には言ってみるよ」

 と答えておいた。

「戻る気はないの?」

「え?」

「倉木くんは、前に戻る気はないの? 藤沢さんから離れて、松本くんのグループに」

 瑛子の澄んだ瞳の中に自分が映っているのが見えた。宏人は自分を取り戻すのに数秒の時を要した。先ほどからずっと感じていたことが、ここに至ってようやく明確になった。瑛子の言葉には、血の通った温かみが全くなかった。志保の気持ちや宏人の気持ちを想像して、その立場に想いを馳せるという心配りが。ああすればこうなる的なまるで盤上の駒を動かすような冷徹な口調が宏人の癇に障っていたのである。

 好きな子と二人きりでいることからくる気持ちの高揚はいつのまにか醒めていた。こちらを見据えるようにしている彼女は周囲の花に劣らないほどの美貌だが、その美しさが急に薄っぺらいものに思えてきたのだった。花と違って、人は言葉を持っているということである。

 宏人は瑛子の問いには答えなかった。答える価値のない質問だと思った。

「そろそろ十五分になるな」

 携帯電話で時刻を確認した宏人は、瑛子の反応を待たずに先に立って歩き始めた。

 集合場所に戻るまで瑛子は何も話してこなかった。彼女と話したい気分ではなかったので、宏人にとっては丁度良いことだった。彼女の中に求めた理想が高かった分、幻滅も大きかった。

 冷静に考えてみれば、瑛子のプランは現実的である。宏人が志保と離れ松本のグループに戻り、そして志保はクラスの皆に対して心を開き、話しかける。その時は、おそらく瑛子が志保を助けてくれるのだろう。瑛子の手引きによって、志保は女子のメジャーグループに編入される。そうして、めでたく二年二組に美しい秩序が完成する。

――うんざりだっ!

 それは誰のための秩序なのか。宏人や志保の為のものではない。彼らはその秩序を善しとしないからこそ、現在に至っているのである。

 おそらくはそれが分かっていながらの瑛子の提案は、彼女もやはりあちら側の人間であるということを意味していた。宏人は、瑛子をこちらのグループに取り込もうという気持ちを断念し、また、彼女への、恋と呼ぶにはあまりに淡い気持ちが風に舞う塵のように吹き飛ばされるのを感じた。

「エーコに何か言われたんですか?」

 スピードデートの二人目の相手に立候補した蒼に唐突にそんなことを言われた宏人は、彼女の鋭さに驚いた。

「わたしが鋭いんじゃなくて、倉木くんが顔に出やすいんじゃないですか」

 近くからメリーゴーラウンドの楽しげな音楽が流れて来ていた。唇の端に笑みを煌めかせた蒼は、瑛子に何を言われたのか続けて訊いてきた。

「プライベートなことだから」

「わたしがエーコにしゃべるとでも?」

「二瓶とは友達なんだろ?」

「だから、何でも話すって?」

「違うのか?」

「いいえ、違いません。エーコとは、気になる男子の話から、好きなバンドに雑誌にドラマ、新しく出た化粧品、将来の夢に至るまでありとあらゆることを話してます。お昼休み、トイレで一緒になったとき、夜中の携帯電話、週末泊まりに来た時なんかに」

 宏人は苦笑した。瑛子はともかく蒼がぺちゃくちゃと楽しげに話をしている様子が思い浮かばなかったからである。

「エーコはちょっとキツい所があるけど、言ってることは概ね間違ってません」

「じゃあ、オレが間違ってることになる」

「でも、そうは思ってない?」

 思わず勢い込んだ宏人だったが、誘導尋問になっていることを感じて、口を閉じた。蒼は肩をすくめるようにした。クールな雰囲気を身にまとう彼女に良く似合うしぐさである。

「『諫言は耳に逆らう』って言いますからね」

「かんげん?」

「忠告のことです。本当にその人のことを思う言葉っていうのは、その人にとっては受け入れがたいものだという諺です。部活の先輩の受け売りですけど」

 蒼の言葉は、瑛子に感じた失望を回復させるまでには至らなかったが、自分が少し一人よがりな考えをしていたのではないか、と反省する契機にはなったようだった。よくよく考えてみれば、先の瑛子の提案は彼女にとっては何ら利益の無い話である。それをしてくれたということは、瑛子の純粋な好意からだろう。本来ならありがたいと思わなければならないところなのかもしれない。

 ただし、好意の押し付けとは時に煩いものである。宏人は身をもってそれを知っていた。

「エーコのこと好きなら、じっくりと付き合った方がいいですよ」

「……どういうこと?」

 なぜ瑛子に好意を持っていたことが分かったのか、ということに関しては宏人はスルーしておいた。聞かなくても分かる。かなり分かりやすい態度を取っていたのだろう。そういう冷静さを持てるということが、瑛子への好意が減退したということを如実に物語っていた。

「外から見るエーコと、中にあるあの子は多分かなり違いますから。表面だけだとあの子のことは分からない」

 ところが、その『中』をつい先ほど見てしまったのである。温かな雰囲気の中にある冷たいものに、宏人は触れてしまったのだった。その冷たさに、甘い夢は破れ、厳しい現実に還って来たのである。優しさとか快活さとか悪戯好きとか明るさとか、そういう可愛らしいものだけを集めて作られた女の子。そんなものは、しかし、男の身勝手な幻想なのだった。百歩譲って、この世の果てまで探しに行けばどこかにはいるのかもしれないが、そんなことをするくらいなら現実を受け入れて生きていこうと思うくらいには、宏人は現実主義である。

「坂木さんから見た二瓶ってどんな子なの?」

 本気で訊いた訳ではなく会話を続けるための質問だった。宏人はドキリとした。蒼のくっきりとした瞳に力がある。表情が真剣なものになると、また別の魅力が備わるようだった。

「まっすぐな子ですね」

「まっすぐ?」

「そう。自分が正しいと思ったことをためらいなく行動に移せる子」

 そこまで言うと、蒼は微苦笑した。

「ただ、考え方がまだ幼くて……まあ、それもそれであの子らしくていいんですけどね」

 蒼の瑛子評について考える時間は宏人にはなかった。そんなことより、と前置きしたあと、

「これってわたしと倉木くんのデートタイムですよね。どうしてエーコのことばかり話さなければいけないんですか」

 と軽く責めるような口調で蒼が言ってきたからである。

「いや、でも、坂木さんが始めた話じゃ……」

 という宏人の意見は空しくも無視されて、残り時間が少なくなって来たことからか、蒼はまるで街頭アンケートのように矢継ぎ早に質問を繰り出してきた。

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