第82話:スピードデーティング
いつも読んでくださってる方、ありがとうございます。今回も前回の続きです。
潜水艦をモチーフにしたファストフード店で小腹を満たしたのち、ミニトレインで水上を走ったり、バルーンに乗って空中を散歩したり、トロッコで地中にもぐったりと、冒険を楽しむことはできたが、瑛子に話しかける機会はなかなか得られなかった。彼女はまるでサッカーのエースストライカーででもあるかのように、常に誰かしらから厳しいマークを受けていた。
「どいてくれ、二瓶に話があるんだ」
などと言って、マーカーの一人であるカッコつけ少年の頭から中折れハットを弾き飛ばしてやる颯爽とした自分を想像してみたりしたが、空しくなっただけだった。なにせ別にカッコつけるのは罪ではないし、しかも瑛子に対して正直な気持ちで向かっている彼の方が自分よりよほど上等な気さえしてきたからである。
志保からはひっきりなしにアイコンタクトで、
「ゴー! ヒロト、ゴー!」
というサインが出されていたが、宏人は、まだ早い、と首を横に振り続けた。振り続けた所為で若干首が痛くなってきたほどであるが、それも致し方ない。
「話しかけるだけなのに、何を怖がってるのよ、このチキン野郎っ!」
そういう目を志保はしていたが、あるいはそれは宏人自身の心の声であるのかもしれない。とはいえ、ナイーブ少年をもって自らを任じる宏人としては、どうにもしようがない所である。待てば海路の日和あり。良い日和が来なければ、次の出航の日を待つべし。そういう風に逃げの達観をしている所へ、
「お前にチャンスをやろう、ヒロト」
唐突に怪しげな少年の影が現れ、なんのこっちゃ、と宏人が思っているうちに、彼は口元にニヤリとした悪そうな笑みを作ると、パーティに声をかけて彼らの足を止めた。近くに、緑の木々が涼やかな日陰を作る休憩エリアがあり、そこに一行を導くと、雅紀は腕を上げて指を一本立てた。
「注目っ!」
人の目を集めるのに慣れているような声で、皆の目を引くと、
「スピードデートターイム! 説明しよう。スピードデートタイムとは、一対一でペアになり、気になるあの子のことを根掘り葉掘り訊くことができる魅惑の時間だ。もちろん、訊いたことによって嫌われても、誰も責任は取ってくれないから気をつけてくれ。制限時間は十五分。十五分したら相手を変える。さあ、カレシやカノジョがいない負け犬君たち、十五分で勝ち組へ行けるチケットをあげたオレのことを称えてくれっ!」
真昼の太陽ともタメをはれるくらい明るい素敵なテンションで雅紀が声を上げた。近くのベンチに座っていた父子が何ごとかと不審な目を向けてきた。
「さあ、どうしたみんな。そんな目立つ格好してるくせに、今さら異性の目を意識してないなんて言わせないぞ。さ、相手を選んでくれ、速いもの勝ちだ」
言いざまに、雅紀はすたすたと歩くと、その場から少し離れた所に立っている一人の少女の元に寄った。
「藤沢さん、十五分、時間をください」
他の女子の呆気に取られる顔を、宏人は見ることができた。何でよりによって、という顔をしている。雅紀は言動ほど中身は軽薄な男ではない。宏人にはその理由が分かる気がした。
雅紀はさっさと歩き出した。志保も戸惑う振りを見せながら、その横に並ぶ。志保は去り際にこちらを見たかもしれないが、宏人は彼女の方を見なかった。姉に何度も叱られるできの悪い弟役はうんざりである。雅紀がすみやかに一団から抜けたせいでできた虚をついて、宏人は瑛子に声をかけた。
「アオイちゃんじゃなくていいの?」
からかうような笑みに、お願いします、と再度申し込んだ声は少し震えてしまった。
「喜んで」
瑛子が晴れやかな顔を向けてくれて、宏人は心底からほっとした。他の男子の、しまった、という顔を見ながら、瑛子を隣にしてその場を後にする宏人。
親友が与えてくれたビッグチャンスである。短い時間ではあるが、二人きり。さすがにもう緊張がどうとか言っていられない。訊くべきことを訊かなくては、と思ったときに、宏人は首を傾げた。何を訊けば良いのか、全く考えていなかったのである。志保の思いを酌めば、こちらのグループに入ってくれるかどうか、という質問をすべきということになるだろう。
しかし、である。
こちらのグループに入るということが、宏人や志保にだけ話しかけるようにして、今までのグループの子と話さないようにするということを意味しているのであれば、とてもそんなことは頼みようがない。宏人の苦慮を、
「どうしたの、倉木くん? 黙っちゃって」
緊張と取った瑛子が、いたずらっぽく笑いかけてきた。
「き、緊張? まさか。そ、そんなことは無いです」
「どもってるよ。しかも、敬語」
「実は少し」
そう宏人が答えると、瑛子は傍目からは余裕たっぷりとしか見えない表情で、わたしも、とちょっと信じられないことを言った。
「何で二瓶が緊張するんだよ?」
「男の子と二人になれば緊張もするでしょ」
「『倉木くんと』って言ってくれるのを期待してたぞ」
冗談交じりに宏人が言うと、瑛子の口元から小さな嘆声が漏れるのが聞こえた。それは宏人の言葉への反応ではなかった。
「見て、倉木くん」
二人の歩いていく先に小さな池のようになっている水場があって、その周囲に、紫、薄紫、白の色の大輪の花が群生していた。瑛子は足を速めると、水場を囲う柵から身を乗り出すようにして花を見た。剣状になった葉が菖蒲に似ていることから、花菖蒲というらしい。
「きれいだね」
花を一心に見る瑛子の瞳がきらきらと輝いている。しばらく花に見惚れていた瑛子は、不意に宏人の方に顔を向けると、
「『キミのほうがキレイだよ』って言ってくれるのを期待してたんですけど」
そう言って、にこりと笑った。いくらなんでもなフリに宏人が固まっていると、自分で言って恥ずかしくなったのか、瑛子の白い頬が少し赤く染まった。その可愛らしい様子を見た宏人は、何だか自分の全てを肯定したいような気分になった。ありがとう、オレ。おめでとう、オーレ。
宏人が自身に賞賛の言葉を浴びせ、有頂天になっていると、瑛子が体を正面に向けてきた。可憐な面からいつのまにか笑みが消えて真剣な表情が乗っていた。
「折角の機会なので、聞きたいことが一つあるんですけど」
先を促した宏人に、
「倉木くんって、藤沢さんのこと好きなの?」
静かな疑問の声がかかった。
宏人は頭がくらくらするのを感じた。鈍器で殴られればそういう状態になるかもしれない。今日すでに何度か瑛子から問われた問いではあったが、それらは全て本気でなされたものではなかった。ところが、今彼女は一点の曇りなき瞳を向けてきている。志保のことは、好きか嫌いか、と問われれば、好きだと答えられそうである。確かに時々、ちょっと、いやかなりむかつくこともあるが、悪い子ではない……ハズ。しばらく思案した宏人は、
「嫌いじゃないっていう意味でなら好きだけど」
慎重な答え方をしたが、
「じゃあ、カノジョにしたいっていう意味では?」
瑛子は更に突っ込んだことを訊いてきた。
この問いに対しては首を横に振らないわけにはいかないようだった。今まで一度もカノジョがいたことのない宏人であるが、想像の内に棲むカノジョはいるわけで、そのカノジョの像はいつも笑っていて、一緒に楽しげな会話をしたり、将来の夢を語り合ったりと、心慰められまた心慰めたい、そういう存在である。志保にそれを要求するのは無理である。
「慰めが欲しかったら、ペットでも飼えば」
そのくらいのことは余裕で言いそうな子である。
「じゃあ、この前の……先々週の金曜日の件は?」
一瞬、何を言われているのか分からなかった宏人だったが、
「給食のとき、藤沢さんの味方をしたこと」
と瑛子が言葉を足したので思い出した。思い出したくもないことを。
「あれは純粋に正義の心からってこと?」
瑛子が念を押すように訊いてきた。突然どうしてこんな話をするのか宏人には分からなかったが、瑛子の問いを突っぱねるという選択肢は彼の頭にはない。宏人は、義心などという大それたものではなく、気がついたら体が動いただけの衝動的な行為に過ぎないということを答えた。
「でも、藤沢さんをかばえばどうなるかは分かっていた」
宏人はうなずいておいたが、それはやはり想像の中だけの話だった。まさか、ここまで徹底して仲間外れにされるとは思ってもいなかった。とはいえ、後悔だけはしていないようである。志保への印象が変わった今、松本と志保の関係を、加害者対被害者という単純な構図の下では捉えられなくなったが、それでも、松本といるよりは志保といた方が良いという感覚がある。
「じゃあ、これからもこの状態を続けるの? 藤沢さんと二人、クラスから無視されて一年間?」
そうならないために画策する所があるのだが、グループに入ってくれるかどうか分からない瑛子にそれを話すわけにもいかず、宏人はあいまいにうなずくしかなかった。
「一つだけ言っておきたいことがあるの、倉木くん」
瑛子がはっきりとした声で勢い込んだ。園内スピーカーが事務的な声で業務連絡を告げ終わるのを待ってから、彼女は続けた。
「松本くんがしてることは良くはない。でも、それは松本くんだけに責任があるわけじゃないと思う」
宏人は眉を寄せた。瑛子の言っていることが良く分からない。
「藤沢さんにもあるっていうことだよ」
確信めいた調子の声を出す瑛子だったが、全体、いじめられている側にどんな責任があるというのだろうか。不思議に思った宏人が催促すると、
「藤沢さんは人を嫌って避けてる。人を嫌う人は、人からも嫌われる。人を避ける人は人からも避けられる。だから、藤沢さんが嫌われて避けられるのには、藤沢さん自身にも責任があると思う」
整然と瑛子が答えた。