第73話:スマートなデートの誘い方
今回も、宏人と志保の話になります。前回の続きです。
賢はその優しげな瞳に少し戸惑ったような色を浮かべた。
「でも、ヒロト。ヒナタを待たないと」
「ケン兄。たまにはオレと登校してくれてもいいだろ? 姉貴ばっか、えこひいきするなよ」
「熱でもあるのか?」
「あるのは相談。ちょっと教えてもらいたいことがあるんだ。頼むよ」
差し迫ったものを見せる宏人に、賢は事態を重く見たのか快くうなずいてくれた。
「姉貴には、恋の相談をしたいからケン兄を借りてくって言っといてくれ」
宏人は適当なことを母に言うと、賢を家の外へと急きたてた。今にも姉が起きてこないとも限らない。寝起きの娘の勘気をダイレクトに浴びることになりそうな母が長く息を吐くのが後ろで聞こえた気がした。
「デートの誘い方か……」
朝の明るい通学路を歩きながら、宏人が相談事を話すと、賢は考える素振りを見せた。
「オレも経験ないから、えらそうなこと言えないけど、別にそう改まる必要はないんじゃないかな。例えば、遊園地に行きたいんだったら、今度一緒に行かない、って感じで。もしあっちが行きたければ日時を訊いてくるだろうし、行きたくなければ無理強いするのは良くないだろ」
宏人はため息をついた。確かに賢に誘われたら宏人でさえ断りにくいものがある。清新な水のような爽やかさが彼にはあって、その魅力に自分で気がついていないようなところがまた魅力的だった。大抵の女子だったら頬を染めてうなずくのではなかろうか。
「賢兄……オレは賢兄みたいにカッコよくないし、相手は姉貴みたいにガサツな子じゃないんだよ。そんなことがさらっと言えれば苦労はないよ」
「うーん。じゃあ、グループデートみたいな感じにするのは? 男子何人かと女子何人かで遊びに行くって感じで。二人きりにはなりにくいけど、接点は持てるだろ」
持つべき者は兄である。志保の意図するところは一対一のデートかもしれないが、仲良くなるということが目的であれば一対一である必要性は必ずしもない。それに、彼女の思惑通りにするのが癪であることでもあるし、宏人はありがたく賢の提案を容れることにした。
「ヒナタから聞いたけど、そのテニス部の子って可愛い子なのか?」
微妙な誤解、というか当たり前の解釈だが、宏人が志保を誘いたがっていると思い込んでいる賢に、
「可愛すぎてまともに向き合えないほどだよ」
と宏人は皮肉げに答えた。へえ、と温かい目を向けてくれる幼馴染みに、一瞬宏人は何もかも話したくなった。志保の正体から始まって、現在のクラスでの状況など洗いざらい全部である。そうして、賢の意見を聞きたかった。賢だったら人として為すべき行動を明確に示してくれるだろう。しかし、それはできない相談だった。彼には姉がついている。賢に話すということは、姉に筒抜けになるということである。そうして姉はおよそ何かを相談できる人間ではない。
学校に着くまで宏人はずっと考えていた。賢の策を実行するためには、メンバーを集める必要がある。
――去年仲が良かったヤツラを適当に集めるか。
思えば昨年はいい一年だった、と宏人はなつかしげに過去を振り返った。男女問わず気の合う子が多くて、普段のクラス生活にしろ行事にしろ、愉快に行うことができていた。それが、二年になってまさかこんなことになるとは。運命とは残酷である。
教室に入ると、まだ人の影はまばらだった。志保も来ていないようである。宏人は鞄をロッカーに押し込むと、教室を出た。最初に誘うべき人物が決まったのだった。宏人は、二年四組に入ると、教室のちょうど真ん中ほどにある席に腰を下ろした。
席の主が現れたのはそれから十分くらいした頃だった。友人と談笑しながら教室に入って来た彼は、自分の席に先客がいることに驚いた風を見せたが、誰だか認めると、にやっとして話しかけてきた。
「何だよ、宏人。オレの机に落書きか? 油性はやめてくれよ」
「話がある、雅紀」
それだけ言うと、宏人は席を立ち、雅紀の肩にかかっている鞄を下ろさせて机にぞんざいに置いたのち、彼を引っ張って廊下に連れて行った。
「日曜日、暇か?」
「突然、何だよ?」
「暇だと言ってくれ」
宏人はがしっと少年の肩をつかんで強い声で言った。宏人の目前に、目元に愛敬のある顔があって、軽い驚きの表情を浮かべている。大村雅紀。昨年同じクラスで、仲良くなったクラスメートの中でも一番気の合った子である。
「もし暇だったら?」
「オレと遊園地に行ってくれ。水族館でも、動物園でもいい」
雅紀は、ぽんぽん、と宏人の肩を叩くと、
「ヒロト……お前のことはいい友達だと思ってるけど、それ以上の関係にはなれない」
そう真剣な声で言うと、ごめん、と軽く頭を下げた。艶のある黒髪がさらりと揺れる。宏人は掴んでいた雅紀の肩を揺らした。
「そんなわけないだろ」
宏人が、グループデートの幹事を務めてもらいたい旨、説明すると、
「楽しそうだな、ソレ」
と乗り気を見せた雅紀だったが、
「ただ問題がある」
そう言って難しい顔をした。
「日曜日、部活なんだよな」
「オレを助けると思ってくれ、マサキ」
そう言うと宏人は、両手を友人の肩から外し、拝むように手と手を合わせた。
「このとーり」
一瞬後、宏人は友情の有り難さを知った。雅紀は、分かったよ、とうなずいてくれた。
「日曜日に具合が悪くなって部活に行けなくなるっていうのはよくある話だ」
「恩に着る」
「そんなことより、お前が好きなのは誰なんだよ?」
宏人が小声で瑛子の名を出すと、雅紀は目を瞠った。それから、宏人の手を取り、その手を熱く握って来た。
「がんばれよ、宏人。そして、もしうまく行ったら、お前の恋に協力した男がいたことを忘れないでくれ。エーコちゃんの可愛い友達、オレにも紹介してくれ」
宏人は、手を握り返しながら、男と男の熱い、暑苦しい約束を交わした。
「適当にメンバーは集めてやるからさ、お前はがんばってエーコちゃんに申し込めよ」
雅紀の全面的なバックアップに心からの感謝の念を捧げつつ、一方で宏人は申し訳ない気持ちにもなった。何しろ瑛子のことが好きで協力して欲しい、というのは嘘であり、その上、
――悪いな、マサキ。実はお前は二瓶を釣るためのエサなんだ。
ということだったからである。昨日怪しげな情報屋からもらった『エーコが気があるかも男子リスト』に載っていた名前の一つが、大村雅紀だったのである。それを思い出したこともあって、彼を誘うことにしたのだった。確率五分の一であるが、見事当たったらお慰みである。
――それにしても……。
今さらなことではあったが、なぜ五名も名前が上がるのだろうか。一つ仕事が片付いたので、そんなことを考える心の余裕ができた。A君のことが好きらしい、という噂なら分かるが、A〜E君の誰かが好きらしい、という噂というのは一体どういう経路で形成されるのか。
首を捻りながら自分の教室に戻った宏人は、瑛子が自分の席についているのが見えた。が、残念なことに、他の女子と話している。さすがに、その会話の中に割って入って、デートの申し込みをする勇気はない。また、クラスメートの前でそんなことをされては、彼女の迷惑になるだろう。
席に座り斜め前にいる少女の笑顔を見ながら、宏人はひそかに機会を待った。ようやく機会を得たのは放課後のことだった。自分を褒めてやりたい気分である。よく耐えた。待つことにもであるが、もう一つは、休み時間ごとにかけられる、少女の突き刺すような視線にである。
「いつ申し込むの? 早くしなさいよ!」
志保の目は如実に叱咤の色を帯びていた。宏人はちょっとムッとした。命じる方は簡単であるが、実際に行動する人間の気持ちを少しは考えてもらいたいものである。
「今から行く」
という意味を込めて、志保を見たあと、宏人は瑛子を追ってホームルームが終わった教室を出た。
「二瓶、ちょっと話があるんだけど」
おそらく卓球部に行くため体育館に向かって廊下を歩く少女の横に立つと、宏人は口早に言った。突然声をかけられて少し戸惑った顔を見せた瑛子だったが、宏人が素早く用件を伝えると、口元を綻ばせた。
「楽しそうだね。この頃どこにも行ってないし、是非参加させてください」
宏人は内心でほっと息をついた。さして緊張もせずに申し込むことができたのは、人に見られないようにということに意識が向かったからだった。皮肉というほかない。二人で歩いているところを見られたら瑛子の迷惑になるだろうと、宏人が速やかにその場を離脱しようとすると、
「倉木くん」
と、瑛子は宏人を呼び止めて、鞄から手帳を取り出して、シャープペンで何やら書き付け始めた。小気味よい音がして手帳の一ページが破られて、宏人に手渡される。
「それ、わたしのメアド。詳しいことが決まったらメールして。決まってなくてもメールしてもらえると嬉しい」
瑛子は、はにかんだような笑みを見せて、宏人を魅了すると、心持ち早足でその場を離れて行った。宏人は再確認した。あれこそが女の子である。言っては悪いが、いや別に悪くもないだろうが、姉や志保などは比較にもならない。
胸の動悸を抑えるのに苦労しながら教室に戻った宏人は、女の子にあらざる子に、首尾を説明しようと思ったが、当の志保は既に教室にはいなかった。拍子抜けした宏人が、志保がその日も部活を休んだことを知ったのは、自分の部活を終えて校外に出てから携帯電話のメールチェックをしたときのことだった。