第69話:三時のおやつは『知りタイ』で
前回の続きです。怜と環のデート風景になります。ちょっとだらだらと書きすぎてるかな、と危惧しつつ。
両脇に野草が植えられた縁石を渡って木の扉を開けると、中には雑然とした世界が広がっていた。あちらにはポット苗やサボテンなどのグリーンの森、こちらには椅子や棚などのウッド製品の山、一方にはブリキやアイアン製品がずらり、もう一方にはマスコットの一軍。さながらおもちゃ箱をひっくり返したかのような有様である。幼稚園児を三十人くらい集めて、各自の自慢のおもちゃ箱をいっぺんにひっくり返したら、ちょうどこういう状況になるのではなかろうか。
やや薄暗くなっている店内には他の客の姿も見えず、静穏な雰囲気だった。
休日に学校で勉強という苦行を強いられている妹に、慰めとしてお土産を約束した、と事情を告げてきた環に、
「アサちゃんにプレゼントするんだったら、オレが買おうかな」
怜は、小さなクマのマスコットなどを手にとってしげしげと眺めながら、言った。
「そんなに楽しそうな顔でプレゼントを選んでもらえるなら、わたしもおんぶをせがんだりしてみようかしら」
怜はわざとらしく咳払いをすると、慌ててクマを森の仲間たちの元へと戻してやった。マスコットクマは恨めしげに怜を見ていたが、やむを得まい。路上でカノジョにはしたない真似をされてはたまらない。
店内を回って、様々な小物を見ていると、
「これどう思う?」
環が口元を綻ばせて怜を見ていた。怜は首を傾げた。彼女が手にしていたのは、手の平サイズの木製の箱である。箱にはにっと白い歯をむき出しにしている口だけの絵が描かれていた。
「なにそれ?」
「乳歯入れ」
怜は首を横に振った。
「どうして?」
「想像してみろ。アサちゃんがお前くらいの年になって美しく成長したとする。美しい乙女の机には、恋人の写真とか将来への夢とか、そういう綺麗なものが載っているべきだ。家に来たカレシが偶然その乳歯が詰め込まれた小箱を発見したらどうする? 百年の恋も醒めるだろ」
「それを乗り越えた者だけが、アサヒと付き合う権利を持つ。大事な妹だからね、お付き合いの相手は厳選してあげたいわ」
「泣かせる妹思いだな。でも、当のお前が付き合ってる相手は誰が厳選してくれたんだ?」
「決まってるでしょ」
環は指を立てて上に向けた。
「天上にいます運命の神です」
怜は、旭のことも神の御業に任せるように環を説得して、小さな木箱を元の場所へ戻させた。
「じゃあ、これは?」
続いて環が手に取ったのは、小瓶だった。香水かと思った怜が、しげしげと瓶のラベルを見てみると、大きく『モスキート・バスターズ』と書いてある。用途。ティッシュやコットンに数滴垂らして、枕元に置いてください。
「そうすれば、一晩、蚊は寄って来ません……ってことはつまり、蚊取り線香じゃないか。いくら崇拝する姉からもらう物だっていっても限度があるだろ」
「これから夏になるから必要でしょう?」
「生活に必要なものを買うのは親の役目だ」
環は名残惜しげな様子で偽香水瓶を棚に戻した。
「これはどうかな?」
怜は両手を挙げた。銃口がピタリと怜の胸元を狙っている。天然素材でできたゴム鉄砲である。
「アサヒ、喜びそう。値段も安いし」
怜は銃口を下げるように言った。デート中に凶行に及ばれたらたまったものではない。その上で、六歳にもなれば一人前の女の子として扱われたがってるだろうから、そういう子どもっぽいものをプレゼントするのはどうか、と苦言を呈した。
「万が一気に入ったとして、家の中で惨事が起こるぞ。軽はずみはよせ」
環はしゅんとした振りをした。三度もダメ出しされて落ち込んだ様子を見せる彼女をちょっと怪しみつつも、怜は、他にかわいいものはいくらでもあることを教えてやるために、目についたものを手に取った。
「こういうのは?」
コサージュのついたヘアバンドである。清楚な純白のもので派手さはない。学校に身につけていっても、ワンポイントにはなるだけで嫌味にはならなそうな品である。
環はぱっと瞳を輝かせたが、それは妹に買っていく品が決まったことに対する喜びからではなかった。
「レイくんってプレゼントを選ぶセンスがあるね、安心したわ」
怜は記憶を探って、これまでカノジョに何かプレゼントしたことがあったかどうか思い出そうとした。そうして、それに失敗したのち、今度は懐具合を確かめ始めた。確かめて意気消沈した怜の頭に、『誠心でカノジョと付き合うことこそ一番のプレゼントだ』という言葉が浮かんだ。この前部活動の一環として読んだ恋愛小説に書いてあった言葉である。人間、純粋さが大切である。怜は素直な気持ちになって、その言葉に従うことにした。
じゃれあう中学生カップルが微笑ましかったのか、まだうら若い店長の女性は、ヘアバンドを少し値引きしてくれた。二人は店を出た。一日のうちで最も暑い時間帯となっていたが、空は薄い灰色で空気はひんやりとしていた。
環が紙袋を掲げた。
「これでアサヒに、来週の土曜日のときにレイくんに味方してくれるように頼んでおくわ」
怜は、それは逆効果であるからやめるようにと、言った。長女が自分から離れようとしているタイミングで三女まで長女側についたら、父にとって悲しすぎる。そうして悲劇をもたらした少年はいっそうの憎悪を受けることになるだろう。
怜の目は疑問の色を含んで、環を見た。そんなことが分からないような子だっただろうか、という一抹の疑いが胸をよぎる。環は無邪気そうな笑みを見せていた。
「タマキ、お前はオレの味方だよな?」
「もちろん。世界中があなたの敵になっても、ひとりわたしだけはレイくんの味方です」
環が感動的なことを言った。怜はあやうく泣きそうになった。もし環が言った言葉でなかったら、きっとほろりとしていただろう。
仮に敵ではないにしても、環の父に会うときに、環が怜の味方を積極的にすることはないことは明らかな話だった。娘がカレシ側に立てば父親の立つ瀬がない、ということが分からないような子ではない。来週の土曜日は孤独な戦いを強いられるであろう。とはいえ、他を頼むような人間は本当の戦士ではないこともまた怜には分かりきった話だった。自分で何とかする外ない。
真の戦士になる決意を固めてメインストリートに戻った怜は立ち止まると、隣の少女にどこか行きたいところがあるか尋ねた。
「駅を越えて、川沿いのサイクリングロードを一緒に歩いていただけます? それから家まで送ってってください」
「随分歩くな」
「好きなんです、歩くの」
そんな話は初耳だったが、怜はそれ以上は突っ込まず、環の持っていた紙袋を彼女の代わりに持つと駅前に向かって歩き出した。
二人は元来た歩道を戻り出した。人通りはやはり多い。
駅前まで数百メートルの所から歩道が広くなり、歩道沿いに小さな店が軒を連ねていた。反対側の歩道も同様であって、つまりは旧商店街なのである。駅前にデパートができたり、郊外にショッピングモールができたことで往時の賑わいはなくなったそうだが、空いている店舗はないようで適度に客が入っているようだった。
「レイくん、意地汚い女の子だって思われたくないんだけれど」
そう遠慮がちに言った環が、しかし言葉とは裏腹にピシッと人差し指を屋台に向けていた。ワゴン車を改造した移動屋台である。怜はたい焼きをご馳走する約束を思い出した。
「何にする?」
「黒豆餡」
怜は環を試すように見た。移動たい焼き屋『知りタイ』の誇るラインナップの中で、最も値が張るメニューが、黒豆餡たい焼きなのである。怜は川名家との格の違いを思い知らされた気がした。
「黒豆餡を普通に食べるようなご令嬢と付き合う自信がない」
「そんな自信は要りません。わたしが好きなのはクリーム餡です」
「さっぱり分からない話だ」
「今日は黒豆餡にしたい気分なんです。冒険したい気分」
自分の冒険に人を巻き込むなと言ってやりたかったが、雑貨屋でちょっとした罪の意識を感じていた怜は、強いてそれ以上は反対しなかった。数人の客の後ろにつき、ちょっと待ってから、黒豆餡とクリーム餡のたい焼きを一つずつ買う。
近くに据えつけられてあるベンチに並んで腰を下ろすと、怜はクリーム鯛を一口食べた。パリパリの皮と滑らかなカスタードクリームの織り成す芸術的なハーモニー。でありながら、安価である。
「まさに、たい焼きの王だな」
王に拝謁する至福の時間はすぐに終わりを告げることになった。もう一口食べようと、口を開きかけたところで、隣から熱っぽい視線を受けていることに気がついたのである。恋する少女の熱い眼差しが注がれているのは、しかし自分にではなかった。怜は口を閉じると、クリーム鯛を差し出した。
「陛下にお目にかかれるとは光栄至極に存じます」
恭しい声でそういった環は、怜からクリーム鯛を受け取ると、代わりに黒豆鯛を差し出した。怜は、お頭の部分に口の形がついている鯛を手にした。中から黒々とした餡が覗いている。
「誤解しないでね、レイくん。美味しいものをカレシに食べさせてあげたいっていう、本当にそういう気持ちしかないんだから」
「じゃあ、一口食べたらまた交換しようぜ。オレは一口で十分だ」
「遠慮しないで、わたしのことは気にしなくていいから」
環は非常に女の子らしい、しかしこの場合は全く無用な謙譲の美徳を見せると、クリーム鯛を美味しそうに食べ始めた。さらにあろうことか、
「やっぱりたい焼きはクリームに限りますね」
などとまで言い出した。
怜は、冒険の後始末を始めた。高価なだけあってまずくはなかったが、黒豆の粒粒感は苦手である。環がゆっくりと味わって食べるのにかかった時間と、怜が最大限の努力をして食べるのに要した時間はほぼ同じくらいであった。