第64話:盟約の時
いつもありがとうございます。
今回も宏人くんのお話です。
志保が語る「二組支配下計画」とは?
では、お楽しみ下さい。
シーリングランプの投げる薄明かりの下で、
「まだ、ほとんど具体的なことは考えてないんだけどさ。何しろ、決心したのがついさっきだからね」
と志保は前置きしてから続けた。
「まず現在の二組の状況を確認しておきましょう。わたしの観察に不備があったら指摘してね。さて、二組には今大きく二グループある。一つは男子のグループで、もう一つは女子のグループ。男子グループにしても、女子グループにしても、男子、女子それぞれの三分の二くらいずつが属している」
男子も女子も十八人ずついるので、それぞれ十二人ずつくらいがそれらのグループに属していることになる。これまでの宏人の経験だと、一グループは大体六人くらいであったので、これほどの大所帯は少々異常だった。
「しかも、その男子グループと女子グループは仲が良くて、実質一つのグループと言ってもいい。そうすると、この二グループで二十四人くらいになる。クラスの過半数を占めてるから、クラスの議題はほとんどこのグループの意のままになる」
民主主義の美名を盾にして、多数決で我意を押し通すことができる。そういう説明をされると何だか深刻な状態のような気がしてくる宏人。
「男子グループのリーダー格は松本。典型的なお山の大将タイプで、世界が自分の為に回っていると思ってるバカ。女子グループのリーダー格は吉川。自分のことをファッションモデルか何かだと思ってる、派手な化粧好きのアホ。この二人付き合えば面白いのにね。ここまでいい?」
中々辛らつな人物評である……が、当たっていないわけではない。むしろ概ね当たっている。松本氏にしても吉川氏にしても、自分を見て認めて欲しいという情熱で満ち満ちていた。自分のグループを作ってそのリーダーになることもその一環であろう。
宏人がうなずくと志保はいよいよ本題に入った。
「さ、この状況から、どうやってわたしたちがグループを大きくしていけばいいか」
「そのグループに属してないやつらと仲良くなる?」
「もちろん、それも一つ。でも、簡単な引き算をしてもらいたいんだけど、クラス全員の三十六から、メジャーグループに属している二十四を引くとどうなる?」
「十二」
「良くできました。飴あげようか? つまりね、仮に残りの全員をグループに入れたとしても到底対抗できないってこと。しかも、その残りの子たちにしても、メジャーには属したいと思うかもしれないけど、マイナーに属したいとは思わないだろうから、全員をグループに入れることは難しい」
「じゃあ、どうすんだよ?」
「それをこれから考えてくのよ。ただ、一つ考えてることはね、メジャーグループを分裂させること」
「分裂って?」
「メジャーに属しててかつ人気のある子をこっちに引き抜く。そうすれば、その子に引きずられて、その子と一緒に何人かの子がこっちに来る」
さも簡単なことのように話しているが、今のグループを抜けて、こっちのグループに来てもらうなど至難の業ではなかろうか。顎に手を当てて、むう、と黙考する宏人。そんなことが可能なのだろうか? どうやって? という疑問にあらん限りの知恵をぶつけようとしたまさにその時。
「いや、ちょっと待てよ。本当にやるのか、そんなこと?」
宏人は、志保に流されていた自分を救出した。
「そんなことってどんなこと?」
「オレたちでグループを作ってそれを大きくするってことだよ」
「あれ? もしかして怖気づいたの?」
宏人は訳が分からなかった。なにゆえまだそれほど話したことのない女の子から嘲るような口ぶりで物を言われなければならないのか。
「お前の辞書には、『遠慮』っていう文字がないのか?」
「そんなの持ってるほうが少数派でしょ。話に乗るの? 乗らないの?」
宏人は腕組みした。何だか剣呑な話である。そもそも宏人は争いを好む性質ではない。平穏無事に生きていくことを善しとする常識人である。騎士や王女のようなドラマチックな人生など全く望んでいないのだった。にも関わらず先週志保を助ける格好になったのは、これはもうその時の気分としか言いようがない。クラスの悪漢どもからか弱い女の子を守るのだ! 認めよう。そういう英雄的な幻想にちょっぴり浸っていたことを。しかし、事態は宏人の幻想を打ち砕いたのである。女の子は守られる必要などなかったのだ。事ここに至っては、高揚した気分も冷め、戦う気力にも乏しく、ただひっそりと一年過ごせれば良いような気もする宏人だった。
「煮え切らない人だなあ。女の子がどうとか言ってるから、逆に言わせてもらうけど、男の子だったらはっきりしなさいよ」
宏人は譲歩した。
「仮にその計画に乗るとしても、できるのか、そんなこと?」
たった二人のグループに人を入れ、かつメジャーグループから引き抜きを行い、自分たちがメジャーになる。遠大すぎる計画で全く先の見えない話だった。
「できるかできないかじゃないわ。やるかやらないかでしょ」
「オレは別にお前と二人だけでも構わないけど」
何気なく宙に放った言葉が思いがけず沈黙を招いたので、訝しげに志保を窺うと、少女の頬がほんのりと染まっているように見えた。まさかとは思うが……
「照れてるのか?」
「何のこと?」
「だって、ほっぺたが赤いし、急に黙るから」
ここで彼女が慌てて否定したりすれば、宏人の志保を見る目が多少変わったかもしれないが、そんな可愛らしいことは起こらなかった。
志保は平静な声で言った。
「赤いのはランプのせいでしょ。あなただって赤く見えるわよ。黙ったのはね、呆れてたのよ。あなたがわたしに加わって一人が二人になれば、松本側の楽しみが倍になったってこと。嫌がらせはエスカレートする。そんなことも分からないの?」
「担任にでも話せばいいんじゃないか?」
志保はどうしようもないといった風に首を横に振った。
「教師なんか当てにならないわ。何を話すのよ? いじめられてるからどうにかしてくださいって? 言ってどうなる? 松本たちは否定する。あるいは肯定して反省したと見せかけて嫌がらせを続ける。いっそう陰湿なやり方でね」
「お前の言い方だと、やるしかないっていう風に聞こえるんだけど」
「やっと分かったの?」
高慢極まりない口調でそう言うと、志保はテーブル越しに手を伸ばした。宏人がうさんくさそうにそれを見ていると、
「誓いの握手よ」
物騒なことを言ってきた。
「ま、まだオレはやるとは言ってないぞ」
「じゃあ今すぐそう言って」
「オレは平穏に暮らしたいんだ」
「わたしだってそうよ。でも状況がそれを許さない。戦うしかない」
ジャージ地の長袖から出るその手は宏人を戦場へと誘っていた。松本たちメジャーグループと袂を分かち、再び彼らの元へ帰る気はないにしても、それがすぐに松本グループと戦うことを意味するわけではない。宏人としては、四面楚歌の中で己を――そして志保を――守るつもりだった。いわれのない嫌がらせをうまくやり過ごしつつ時には多少の抵抗もして、一年を過ごすつもりだったのである。
しかし、志保はそれを善しとしない。彼女は立ち向かうことを要求している。そして勝つ気でいた。もしこの手を取らなければどうなるのだろう。二人はここで別れ、志保は一人になるのだろうか。そんなことをふと考えてしまったのが宏人の運の尽きであった。
「一つ約束してくれ」
「なに?」
宏人は咳払いした。
「さっき松本に同じ思いをさせるって言ってただろ。あれは取り下げてくれ」
「呆れた。気が早いにも程があるんじゃない? あれは計画の最終目標よ」
冗談めかした言い方がこの問題から逃げているように宏人には思えた。なおも宏人が同じことを続けると、志保は、分かったわ、と声音に渋い色を混ぜて答えた。
宏人は志保の手を取って軽く握った。志保は強く握り返すと、
「よろしくね、相棒」
その声が心から楽しそうなものだったので、宏人は驚いた。驚きを静めたのち、
「具体的に誰かいるのか? オレたちのグループに入ってくれそうなやつ」
訊いてみると、
「二瓶瑛子」
という答えが返って来て、宏人を一層驚かせた。まさかその名前が出てくるとは思ってもいなかったのである。
「いや、無理だろ」
宏人はあっさりと言った。瑛子のクラス内での立場にちょっと思いを致せばすぐに分かる。彼女は女子のメジャーグループに属し、リーダーの吉田に極めて近い位置にいる。でありながら、グループに固執することもなく、誰にでも分け隔てなく接する。その天衣無縫な性格から同性に人気が高く、性格プラス容姿で異性の人気はそれ以上に高い。
「そんなヤツがオレたちのグループに入るわけないだろ」
分かりきった話である、と落ち着こうとした宏人の目が、志保の訳知り顔をとらえていた。にこぉとした笑みを作る唇の端に、嘲るような色が淡く漂っている。
「言わせてもらうけどな、やっぱり女の子はそういう顔すべきじゃないと思うぞ」
「いつも笑顔でって? 二瓶さんみたいに」
「どういうことだよ?」
「あのさ、倉木くんって二瓶さんのこと好きでしょ」
そんなことを言われても、宏人はびくともしなかった。声を大にしてもいい。瑛子に好感を持たない男子はおかしい、と。当然、宏人も好きである。どういう脈絡か分からないが、からかわれてもカケラも動揺することなどない宏人が、
「だったら何だよ」
と開き直ると、志保は軽く両手を広げた。
「わたしが言いたいのはね、好きだから二瓶さんをこの件に巻き込みたくないと思ってるんでしょっていうことよ」
胸中に隠しておいたものをズバリと言葉にされて、宏人は戸惑った。確かに、その通りである。今、クラスで微妙な立場にいる宏人や志保に関わらせれば、瑛子にどういう影響が及ぶか分からない。それはつい今朝も考えていたことだった。さすがに瑛子まで仲間外れになるとは思われないが、少しでも可能性があるなら軽挙は避けたい。
「さっきも言ったけどね。引き抜きは不可欠なのよ。とはいっても、ロクでもない人間をわたしたちのグループに入れる気はない。影響力があって人間的にマシなのは二瓶さんしかいないわ」
「オレは反対だ」
「おっと、いきなり意見の衝突ですね。これを繰り返していけば、そのうちに友情が芽生えるのかしら」
「喧嘩別れしなければな」
「悪いけど、この件だけは従ってもらう。二瓶さんは二組のキーパーソンだから。彼女を手にすれば手っ取り早く二組を牛耳ることができる。わたしが見るところ、二瓶さんは二組の誰よりも人気がある。男子にも女子にもね。もちろん失敗するかもしれない。でも、それはそれでいい。全てはやってからの話よ」
それにね、と続けたあとの言葉は、宏人を愕然とさせた。
「倉木くんが思ってるほど、二瓶さんって繊細じゃないわ。多分だけど……同じものを感じる」
「ど、どういうことだよ?」
思わず声が震え、
「二瓶さんもいろいろかぶってるものがあるってことよ。見た目どおりの子じゃない」
次に身が震え始めた。