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プラトニクス  作者: coach
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第6話:文化研究部部長、田辺杏子の悲哀

 文化研究部。

 怜の通う中学校にひっそりと存在する文化系部活動の一つである。部員数三人のマイナー部。活動内容、文化に関わることを研究すること。文化が人間によって作られるものであるなら、結局それは人間に関わることを研究することと等しいことになる。あってなきが如き漠然とした活動内容だった。

 三階建ての校舎の三階にある部室――と言っても、視聴覚教室を利用しているだけなのだが――で、部長の田辺杏子(アンコ)は、重苦しいため息をついた。悲しいのは、ため息の原因ではない。誰もこのため息に気がついてくれないという事実である。

 もう一度、杏子はため息をついてみた。今度はもっと強く。息というよりは、もう何というか声である。あーあ、という感じのつぶやき。しかし、それでも杏子に心配そうな視線を向けてくれる者はいなかった。仕方ない。彼女は座っていた席から立ち上がると、

「あのさあ、部長がため息を漏らしてるんだから、気づいたらどう? ていうかさ、心配しようよ。大変なこと悩んでるかもしれないよ。あなたたちの誰か一人でもそれに気がつけばさ、救われるかもしれないよ」

 と午後の室内に声を響かせた。

 教室にある影の一つがその声にようやく反応した。反応はしたが、視線は向けずに、

「部長、わがままが可愛いのは幼稚園までですよ。『誰か気がついてよ』なんて態度をして本当に誰かが寄ってきてくれるのは。鏡を見てください。もう可愛くもないニキビ(づら)が映るでしょ」

 とぞんざいな声だけかけた。杏子はショックを受けた顔で、さっと手鏡を取り出すと、入念に顔をチェックした。眼鏡をかけた自分の顔が映る。ほっとした息がもれた。

「ちょっと、(アオイ)ちゃん。ニキビなんか無いじゃない。やめてよね、そういう冗談。それにね、その雑誌、どっから持ってきたの。校則違反よ」

 注意を受けた少女は、しかし意に介せず、ティーン向けのファッション雑誌を読み続けた。二つ並べた椅子の上に座っており、ときどき伸ばした足の先を組み直している。

「それで、なんなんですか。さっきから、ため息ついて。こんないい日和に気分が悪くなるじゃないですか」

「気づいてたんなら、訊こうよ。『部長、どうしたんですか? 何かあったなら相談してくださいって』さ。もう相手が嫌になるくらい訊きまくろうよ」

「ブチョウ、ドウシタンデスカ?」

「何で合成音みたいになってんのよ!」

 杏子はそこで大仰に首を横に振ると、もう一度息を吐き出して、ロボットの少女に向かった。

「ため息をついてるのはね、他でもないあなたのためになのよ」

「はい? わたしのため?」

 少女は、そこでようやく雑誌から目を離した。彼女の大き目の瞳に、スクエア型の眼鏡をかけ、口を閉じていれば知的な雰囲気にさえなりそうな先輩が拳を握り締めて力説している姿が映る。

「どういうことですか?」

「いい、我が文化研究部の二年生はあなた一人なのよ。ということは、今年の新一年生が入部してくれないと、来年はあなた一人になっちゃうのよ」

「なんだ、そんなことですか」

 蒼の目は再び雑誌にと戻った。 

「今、『そんなこと』って言った?」

 聞き間違いだろうか? 呆然とした杏子に、少女はこともなげに言い放った。

「別にいいですよ、一人の方が。せいせいするじゃないですか」

 ふらり、と揺れた体を、杏子はどうにか机に手をつき支えた。彼女は力を振り絞って、後輩に向かった。

「でも、一人じゃ何もできないでしょ。部活動っていうのは皆で力を合わせてさ……」

「力を合わせて何かボス的なものを倒すんですか?」

「ゲームの話じゃなーい! いい、とにかく、部員を入れないことには、文化研究部に明日はないのよ!」

 蒼は雑誌を自分の鞄にしまった。

 部の未来に興味を持ったわけではなく単に読み終わったからだろうと、杏子は推測した。

「……分かりました。新一年生の勧誘ですね。でも、どうするんですか?」と蒼。

「それを皆で考えようってこと」

「皆でですか」

「そう皆でよ。ね、みんな!」

 力強い声でそう言うと、杏子は、辺りの影に呼びかけた。影は全部で四つ、全員男子である。部員数が部長を含めて三人のはずなのに、室内には六人いる。すなわち、三人は部外者だということだ。単に遊びにきているだけのヒマ人たち。だが、文化研究部の部室内にいる限りは、部の利益になるように行動してもらわなければならない。

「はい、西村くん。どうやって、部員を入れればいいですか?」

 問われた男子は、紙と鉛筆でできるゲームをやっていたが、目を上げると、

「ポスターとかで募集すればいいんじゃないの?」

 軽く言った。杏子は失望の吐息をもらした。そんなことは既にやっているのだ。

「はい、じゃあ、女好きの瀬良くん」

「女好きは余計だろ」

 二番目の男子は、少女の声に軽く対抗すると、目の前の対戦相手に、

「余計だよな。なあ、賢?」

 確認するが、彼は、

「いや、女好きだよ」

 とあっさりと肯定して、お前の番だと言って、ゲームの続きを促した。杏子は彼らの机に近づき、その紙を取り上げると、

「とりあえず西村くんの勝ちね、コレ。さ、何か、案ないの?」

 と一方的なことを言って、迫った。

「じゃあ、オレが適当につれて来てやるよ」

「当てがあるの?」

「まあ、オレの為に入ってくれって言えば、大抵の女の子は入ってくれるさ」

 そう言って瀬良太一は自信ありげにうなずいた。彼は、女の子をとっかえひっかえしていることで有名だった。二、三ヶ月周期で付き合っている女の子を換えるのである。確かに、彼が声をかければ、部員は集まってくれるかもしれないが、杏子は首を横に振った。

「却下!」

 部室でメロドラマを繰り広げられてはたまらない。

 次の男子に向かう。

「はい、ウルフ!」

「誰がウルフだ!」

 三番目の男子は、読んでいた本から、嫌そうに目を上げた。トップ部分を狼のたてがみのように立たせ、耳周りや襟足を長めにしている髪型だった。彼は、ふう、と息をついた。

「オレが思うに、この部に人が入らないのはな、お前のせいだ」

「わたしの?」

 分からない話である。意外な顔を作る杏子に、ウルフはしみじみと、

「そうだよ。部長に魅力があれば、お近づきになりたい、と思って、寄ってくるもんだ。現に見ろよ、茶華(さか)道部を。部長が伊田綾だろ。あいつを近くで見たいって奴が、どんどん入ってくんだよ。マイナーな茶華道部だぞ。おかしいだろ、部員三十人って」

 言った。

 杏子は打ちのめされたように顔を俯かせた。そうだったのか。この部に人が入らないのは部長に魅力がないからだったのか。何ということだ。そんなことだったなんて。真実は時に人を傷つけるものである。真実の刃に、杏子の心はずたずたに切り裂かれた。

「あきらめろ。人間、あきらめが肝心だ」

 悟りきったようなような顔でウルフが言う。あきらめる……。それしかないのだろうか。所属する部が近い将来廃部の危機に見舞われることが分かっていながら何もできないとは。ここがわたしの旅路の果てか。

「そんなことないと思いますよ」

 杏子の耳に優しい声が聞こえてきた。彼女は、はっと顔を上げた。

「それならまだあきらめる必要はないと思います」

「どういうことだよ?」

 ウルフが訝しげに、蒼を見ていた。杏子も怪しげに後輩を見ている。

「実はですね。わたし、一回だけ見たことがあるんですが、杏子先輩って眼鏡を取って髪のおだんごを解くと、メチャメチャ綺麗なんです。伊田先輩にも匹敵すると思います」

「おいおい、ウソだろ。そういう冗談は笑えないぞ」

「いいえ、本当です」

 言い切った蒼の言葉が終わった後、四対の目が自分を見ていることに杏子は気がついた。

「え、なに……え?」

「さあ、先輩。今こそ、封印を解くときです」と蒼。

「お前……そんな、おいしい奴だったのか。よし、見せてみろ」とウルフ。

「め・が・ね! め・が・ね!」と西村・瀬良コンビ。

「ちょ、ちょっと……」

 杏子は後ずさった。

「さあ、不細工から美人に変身するときですよ。シンデレラ」と後輩の少女。

「見せてみろ、お前の力を」とクラスメート。

「め・が・ね! め・が・ね!」とバカコンビ。

 徐々に間を詰めてくる四人にどう対処しようか考えていると、がた、と椅子を引く音がして、最後の影が立ち上がった。この暴徒たちを止めてくれるのだろうか。期待を込めた目で見た杏子だったが、その影は机に広げていたプリントをまとめると、我関せずと言った雰囲気で、そのまま部室を出ようとした。

「ちょおっと、待ったあ!」

 杏子は開きっぱなしになっている視聴覚教室のドアと、彼の前に立ちはだかると、

「え、なに、どこに行くの?」

 と質問した。

「うるさいから、帰ろうかと」

「何で帰っちゃうの? 今、大事なこと、話し合ってんでしょ」

「田辺の眼鏡の話か?」

「ちがーう! 部の存続に関わる話よ。帰るんなら、何か一つ納得させるような案を出してからにしなさい」

 そこまで言われて、彼は少し考える様子を見せたあと、

「なら、新一年生に勉強を教えるっていうのはどうだ?」

 と案を出した。

「はい? 勉強?」

「そう。田辺は結構、成績いいんだろ?」

「それほどじゃないけど」

 だが二百人中二十番前後ではあった。

「オレは全然良くないけど、それでも数学とかだったら教えられるし」

「……勉強ねえ」

 確かに勉強を教えてもらえるということであれば、進学熱が高まっている昨今であれば、それ目当てに入ってくる一年生もいるかもしれない。ただ、それは文化研究部のもともとの活動内容ではない。

「一回入ってもらえば、こっちのもんだろ」

「く、くろい、腹黒いよ。大人しそうな顔してさ。そういう人だったの、加藤くん?」

 彼は気にせず、

「あとは、ポスターに坂木と岡本の写真でもつけて、こういうカワイイ、カッコイイ先輩が教えてくれますとか書いておけばいいだろ」

 続けた。

「わたしより、先輩の方がいいですって。眼鏡無しの」と蒼。

「おい、オレはこの部の人間じゃないぞ」とウルフ。

「田辺と坂木の方の選別は任せるよ。岡本は六月で今の部活、引退だろ。それからここに入ればいいだろ。籍だけ置いておけよ。仮に部に出なくても籍だけ置いておけば、ポスターに載せてもウソとは言えないだろ」

 杏子は、信じられない顔で彼を見ていた。そこまで考えているとは、なかなか侮れない奴である。

「じゃあ、そういうことで」

 出て行った後ろ姿を、しばし、杏子は眺めていた。変な男子である。普段は無口な癖に時々、はっとするところを()く。加藤怜。特に目立ったところはない。短めの髪でこざっぱりとした印象を与えるが、顔はそれほどかっこいいというわけでもない。面白いわけでもないし、成績がいいわけでもない。部活動で光るものがあるかというと、これはもう、一年のときからずっと文化研究部だったので、推して知るべしである。では全く平凡なのかと言うと、今のように唐突にキレを見せるときもある。つまりは、変わっているのだ。

 そう結論付けて、杏子は歩いて行く怜の姿から視線を外した。まだ話がまとまらないうちに出て行ってしまったが、まあいい。少なくとも彼は使えそうな案を提示していってくれたのだ。

「あとは、こっちでがんばりましょう!」

 意気揚々と振り返った杏子は呆然とした。

 その目に映ったのは――

 他の部員――プラス部員じゃないやつら――が、話は終わったと思ったのか、もう一つのドアからぞろぞろと出て行くところであった。

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