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プラトニクス  作者: coach
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第58話:勇者誕生

前回の続きになります。好きな男の子を前にして恥らう初々しい女の子のお話です。お楽しみ下さい。

 廊下に出て少し歩いたら気分ががらりと変わった。グッジョブ、アンコ。自分より少し背の高い少年を横にして歩く更紗(サラサ)は、友人に感謝の念を捧げた。アドリブはいただけなかったが、彼女のおかげで、まるで……そう、まるで「仲の良い友だち同士」のような風情で――さすがに恋人同士という表現を選ぶほど更紗は傲慢ではない――綺麗な男の子と歩くことができているのだ。結果オーライである。

「サラサちゃんは、どんな本読むの?」

 隣からかけられた声に更紗の意識は飛びかけた。

 (ヒカル)の揃えられた眉のあたりにちょっと怪しむような色が現れる。

 更紗が輝の問いに答えられる状態に復帰するまでたっぷり五秒を要していた。

――マズイ。

 輝は無視されたと感じたかもしれない。心配になった更紗は、名前で呼ばれて驚いたことを正直に告げた。

 輝は柔らかな口元を微笑で染めると、

「ごめん、ごめん。できるだけ早く仲良くなれるように、知り合った人のことを下の名前で呼ぶ癖があるんだ」

 いった。とするとクラスメートのことは当然名前で呼ぶのだろう。特別扱いされたわけじゃないことが分かりちょっと残念に思った更紗だったが、

「じゃあ、わたしもヒカルくんって呼んでいい?」

 抜かりなく訊いてみた。恥ずかしいという気持ちは無論あったが、更紗は自分が恥じらいを見せて男子の気を引ける女子なのかどうかは理解しているつもりである。二人きりのこの時間は友好を深める絶好の機なのであって、攻められるだけ攻めておかなければならない。恥ずかしいとか何とか乙女チックなことを言っているときではないのである。

 輝は、もちろんいいよ、と言ってうなずいてくれた。心中でガッツポーズを取る更紗。が、外見(そとみ)はあくまでしおらしい様子で女の子らしく見せるよう努めた。

「で、ヒカルくん」

 早速お言葉に甘えた更紗は、何の話をしていたのかしら、と尋ねた。

「本だよ。何かお勧めの面白い本ある?」

「本? わたしこの頃何にも読んでなくて……」

 と言ったところで、思い出した。今向かっている先は図書室であり、そして図書室に用がある少女が、学校に不案内な転校生を先導するというシチュエーションだったということを。図書室に用があるのであれば、普通は本好きの子ということになるだろう。

「あの……つまり、わたしも久しぶりに読みたくなったんだ」

 本など、ティーン向けの雑誌と少女コミックくらいしか読まない更紗が誤魔化そうとすると、輝はどんな本を読むのかと食いついてきた。振り出しに戻る。読まないなりにジャンルくらいは答えなければならないだろう。

――こういうとき何を読むって言えば、男の子の印象がいいんだろう?

 気の回しすぎかもしれないが、何ごとも初めの印象が肝心である。

 ファンタジーでは子どもっぽいと思われるかもしれないし、ラブ・ストーリーではそればっかり考えている子だと思われるかもしれない。かと言って純文学は全く知らず、最近のベストセラーも全然読んでいない。古典は頭が痛くなるし、マンガと答える無謀さは持ち合わせていない。 

「……ミステリーかな」

 無難な所を選んだ更紗は、何の作品が好きか聞かれる前に、すかさず輝に同じ質問を返した。輝はこの頃よくテレビに出演している評論家の名を挙げると、その著書について熱く語り出した。更紗はうっとりと彼の熱弁に耳を傾けた。きらきらと瞳をかがやかせながら好きなものについて語る男の子というのは魅力的である。もっとも、他の男子がそれをやっていたらうっとうしい思うだけだろうが。

「ここが図書室だよ」

 輝の話を聞いているうちに、上のほうに「図書室」とプレートがかかった戸が見えた。輝はどこかバツの悪い顔をして、

「本の話をし始めたら止めてくれる? いつまでも話し続けるからさ、オレ」

 いった。いつまで話してもらっても構わない、と思った更紗だったが、重々しくうなずいておいた。

 おそらく学校一静かな場所であろう。図書室は昼休みの喧騒とは隔絶された世界だった。広々としたスペースに、入って手前に大きなテーブルが数台あり、奥に書架が並んでいる。寸暇を惜しんで知を求める、更紗からすれば奇怪極まりない者たちが、テーブルに腰掛けて本を読んだりノートを広げたりしている姿がちらほらと見えた。

「せっかくだから何か借りようかな」 

 そう声を潜めた輝が書架に向かうとき、ふと貸し出しカウンターを見た更紗の喉に苦い味が広がった。

 カウンターに図書委員の少女が座っている。小顔を彩る軽やかなショートカットに見覚えがあった。クラスメートである。 

――まったくカップル揃って……

 先ほど三組で会った男子、加藤のカノジョだった。川名環。悪感情があるわけではない。憧れてさえいる子である。だが、よりによってなぜこのタイミングで現れるのか、ということである。

 何も卑屈になることはないが、この校内で彼女と張り合える者はいない。更紗の中では、これは厳然たる事実である。折角親交を深めようという男子といるときに、近くにいてもらいたい子ではない。

――ナナミがいるよりはマシか。

 更紗は考え直した。

 一応環にはカレシがいるので、仮に輝が彼女に一目で心惹かれたとしても安全ではある。カレシがいない美人でないだけ良いと考えるべきだろう。

 立ち尽くしていた時間が長かったようである。どうやら環に気がつかれたらしい。彼女は読んでいた文庫本に栞を挟むと小さく手を振ってきた。友好を示されていつもなら嬉しいのだが、今日はそんな気になれない。しぶしぶ彼女のもとへ向かうと、

「何かお探しですか?」

 美貌の図書委員がささやいて来た。更紗はお勧めのミステリーなど訊いてみた。輝にミステリー好きと言ってしまった手前、何か借りていった方が良いだろう。

 環はカウンターを立つと、文庫本を置いてある書架に更紗を導いた。

「アガサ・クリスティをお勧めします。別名、ミステリーの女王」

 ぺらぺらとめくって読んでみてもあまり興味を引かれなかったが、せっかく勧めてくれたものを無下にするのも悪いので、一冊借りることにした。面白いか面白くないかはともかく校内一の才媛が読んだものであれば、書名でバカにされることはないだろう。

 カウンターに戻る二人。ちらりと輝の位置を確認したとき、環の視線もそちらを向いたように見えた更紗は、

「さ、三組の転校生で、ここまで案内してきたの」

 聞かれもしないことをどもりながら言った。

「転校って今日の話?」

 更紗がうなずくと、環は、更紗に少し待つように言い、カウンターの後ろにある事務室に入っていった。事務室と図書室との仕切りはガラス張りで、こちら側から中がよく見えた。環は図書室担当の教師に向かって何か言っているようだった。しばらくして帰ってきた彼女から、転校生でも今日から本を借りることができるという情報を伝えられた。

「教えてあげた方がいいんじゃないかな」

 環が、貸し出し処理の済んだ本を差し出しながら言ってきた。本を受け取った更紗は、彼女の如才なさに感心しながら、輝のもとへと歩いていった。  

「わざわざ聞いてきてくれたんだ。ありがとう、サラサちゃん」

 感謝の目を向けられて、身が軽くなるような心持ちになる更紗。

 輝は本を一冊手にすると、貸し出しカウンターへと向かった。更紗もそれに続く。

 「男子は誰でも美人好き」という更紗の定説を少し覆すかのように、輝は環を見ても明らかな感動を表したりはしなかった。

 図書室を再び出て歩き出したときには、更紗はすっかり環に感謝していた。更紗の輝への気持ちを知っているわけでもない彼女のフォローに少し空恐ろしいものも覚えるが、輝に、よく気のつく子だという印象を与えることができた。よくよく考えてみれば、さっきの三組でも加藤少年のおかげで、輝が更紗のほうに来てくれたともいえる。なかなか息の合ったカップルである。

「幸先がいいな」

 更紗はどきりとした。自分が思っていたことを輝に言われたからである。

「いじめられるかもしれないって覚悟してきたら、そんなこともなさそうだし。サラサちゃんみたいに話せる子もできたし」

 屈託のない笑顔でそんなことを言われた更紗は首の辺りが熱くなったような気がした。

――ほっぺたが赤くなってなければいいけど。

 と思いながら、照れ隠しに、

「寂しかったらいつでも声かけてね。わたし、結構三組に来るから」

 冗談めかして言った。

「ありがとう。仲が良い友だちと別れてちょっと心細いんだ。前の学校のことを思い出して泣き出したら、肩を貸してくれる?」

 輝も冗談を返してくれたが、その冗談にも心拍数が上がる更紗。

「それはヒカルくんのカノジョに悪いよ」

 緊張しすぎたための失言ではない。輝にはいろいろと訊きたいことはあるが、中でもこれが最も優先順位の高いことである。カノジョ持ちにアタックする自分を想像するのはなかなか難しい。いつどういうタイミングで訊くかじっくりと機を窺うつもりでいたが、今なら流れで訊くことができる、と更紗は覚悟を決めたのだった。輝は苦笑すると、カノジョはいないということをちょっと決まり悪げに言った。

 有頂天になった更紗は思わず、

「ほんとに?」

 と真顔で訊きそうになったが、それをどうにか抑え、軽いノリで(ただ)した。

「でも、転校するときに告白されちゃったりしたんじゃない? 『ずっと好きでした。離れてもメールしてね』とか何とかさ」

 笑って否定してくれる様子を期待した更紗だったが、輝は真面目な顔で、うん、と答えていた。

「え、どうしたの、それ?」

 動揺した更紗は、そう思わず訊いてしまったあとにさすがにぶしつけだと思って口をつぐんだ。気にした様子もない輝は、断ったよ、と簡単に答えた。ほっとした更紗は、

「好きなタイプじゃなかった?」

 と続けて尋ねた。どうせだから好きな女の子のタイプも訊いておこうという野心を持ったのである。

「いや、いい子だったよ。オレも少し好きだった、すごくってわけじゃないけど」

「じゃあ、どうして?」

 と訊くのは野暮な話だろうか。おそらくその彼女のことを想った輝の思いやりの気持ちからである。転校していく男に告白して遠距離恋愛になっても結局彼女が苦しい思いをするだけだということを考えて、輝は涙を飲んだのである。何という男らしい行動だろう。

 勝手な想像の中で一層輝のことが好きになった更紗だったが――

「好きだったんだけど、その告白をされて嫌いになったんだよ」

 実相は、更紗の少女趣味的な空想世界の全くの外にあった。

「だってさ、転校するときに告白するくらいなら、どうしてもっと早く告白しなかったのかってことにならないかな。聞くとさ、二年の時から好きだったって言うんだよ。ずっと告白したかったって」

「それは……きっと勇気が出なかったんじゃないかな。もうお別れだって思って勇気を出したのよ」

 更紗がごく一般的な解釈を示すと、輝は落ち着いた声で答えた。

「それは勇気じゃないよ」

「……え?」

「何かに強制されないと出せないものって勇気じゃないと思う。オレの転校を聞いてこのままだと自分の気持ちを伝えられなくなるっていう恐怖心が彼女にできて、それで告白に踏み切っただけだよ。それは卑怯な行為だと思う。他人の気持ちを考えないただの自己満足だよ」

 輝の言葉には何ら感傷的なところはなかった。その口調から、告白したその彼女には未練を持ってないことが分かる。その点では安心した更紗だったが……

――男子ってこんなに冷めてるの?

 ということに軽くショックを覚えていた。更紗から見れば美しい別れの告白も、輝から見れば醜い自己主張の押し付けということになるようである。それが、男子一般に共通する傾向なのか、それとも輝一個の特徴なのかは、男の子と付き合ったことのない更紗には分からなかった。

 そのリサーチはこれからするとして、問題は輝自身がそういう厳しい人間だということである。そして、その厳しさを見ても些かも彼から引いていない自分がいるということもであろう。

「ヒカルくん」

 更紗は彼の名を呼んで、顔を向けさせると、 

「メ、メアドと電話番号を交換してくれますか?」

 震えはしたが、はっきりと相手に伝えられる声で言った。

 本来はもっと自然な流れの中で切り出したかったのだが、今の話を聞いて気が変わった。小賢しく機を窺うよりも直截(ちょくせつ)に言った方がいいような気がしたのである。二人で歩いているときに急にこんなことを言い出したら気があると思われるかもしれないが、思われたって構わない。現にあるわけであることだし。それよりも、例の彼女のように卑怯者と認識されてしまう方が事態としては重い。

 どきどきしながら答えを待つ時間が永久のように感じられたが、実際は数歩あるく間のことである。輝は快くうなずいてくれた。

 天にも昇りそうな気持ちになった更紗は、どうやら勇気を出すというのは輝との関係では割の良いことらしい、ということを理解した。

 この世界から姫が一人消えて、非常に打算的な勇者が一人誕生した瞬間だった。

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