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プラトニクス  作者: coach
55/280

第55話:退屈と戦うたった一つの方法

たまに、考えていたお話と全然関係のないお話ができることがあります。今回はそんな感じです。

では、第55話です。

 夕食と入浴を済ませ、机に向かう夜が来る。朝は家事、昼間は一日中遊びまわったので、さすがに疲れていたが、とはいえそれは勉強をサボってよい口実にはならない。階下からは楽しげな笑い声が響いてきている。食後のお茶を楽しみながら、従妹を交えた家族がテレビのバラエティー番組でも見ているのであろう。たまに従妹が来た時くらいその輪の中に入っても良いのではないか、という常識めいた想念に浸るには、怜には余裕が足りなかった。二年間勉強をサボってきたツケである。

 とはいえ、「サボる」という意識を持つには、「勉強しなければいけない」という義務感が先になくてはならず、勉強はしなくてはいけないものだ、という意識がなかった怜としては当然、サボっているという意識もなかったわけで、「ツケ」と言われても釈然としないものはある。

 中学生に勉強を強制することになる、成績評価というシステム。これもよくよく考えてみれば理不尽なものである。こちらから頼んだわけでもないのに、一方的に「学力」なるものを評価され、評価が悪いともっと頑張るようにとの叱責を受ける。エントリーもしていないレースに無理矢理出され、順位が遅かったからと言って責められるようなもの。皆、よく正気でいられるものだ。

 ただし――

 そも人生そのものがそういう面を持っているのかもしれない、と怜は思い直した。いつの間にかこの世に生まれて、いつの間にか人生を歩んでいる――歩まされている。こんなことを言ったら母に引っぱたかれるだろうから言ったことはないが、頼んで生んでもらったわけではない。自分の人生でありながら、始まりから自分のものではないのである。何だかな、という気にもなる。

 昔、小学生の頃は、よくそんなことを考えていたような気がする。生きている、ということは一体どういうことなのか。答えは出なかったし、今でもよく分からない。一つだけ分かったのは、生きているということがどういうことか分からなくてもそのとき現に生きている、というそのことである。人生を生きるのに、「いかに生きるべきか」という類の人生論は必要ない。

 怜は頭を振って、テキストに集中しようとした。答えの出ない問いよりも、今は答えのある問いに取り組む時間である。頭が勉強モードに切り替わって、一時間ほどした所で、ノックの音がしてドアが開いた。

「お夜食をお持ちしました」

 時計を見ると十時だった。回転する造りになっている椅子を回すと、盆を持った従妹の姿が映る。怜は彼女に、夜食は塾講師から禁じられている旨を告げた。

「知ってるよ。ちゃんと消化されてない食物がお腹の中にあると、眠りが浅くなるんでしょ。大丈夫だよ、バナナだから」

 薄手のパジャマ姿の由希は盆を机の脇に置いて、果物は消化が速いから食べても問題ない旨を付け足した。小さなガラスの容器に切り分けられたバナナが入れられてある。由希は陶器のポットから杏色の液体をカップに注いだ。

「ジャスミンティです。召し上がれ」

 甘く芳ばしい香りが漂ってくる。そんな洒落たものがうちにあったのか、と怜が驚くと、案の定今日一緒に入った雑貨屋で由希が買ったものだった。

「付き合ってくれたお礼です。今日はありがとね」

 そう言うと由希はベッドの上にごろりと仰向けに横になった。

「久しぶりに楽しかったな」

「お前はいつだって楽しんでるだろ」

 怜はジャスミンティを一口飲んで告げると、天井に向いていた少女の顔が、怜の方を向いた。

「そう見える?」

「見えるかどうかじゃなくて、実際そうだろ」

「それは当たりであり外れでもある」

 怜はフォークをバナナの一片に突き刺して、口に運んだ。

「レイといるときは楽しいからね。でも、レイが見てないときのわたしはそれほど楽しんでないと思う」

 退屈なんだよね、と由希は続けた。結構なご身分である。こちらはいくら時間があっても足りないというのに。

「やることがあったほうがいいと思うけどな」と由希。

「あと一年後には、退屈な人生とはさよならできる」

「それまでは?」

「本を読み、友人を作り、部活に精を出し、親には孝行、弟には慈愛を」

「全部やってる。それでもなおピンと来るものがないんだ。どうすればいい?」

 由希は真剣な目を向けてきた。退屈をどうにかしたい、などということを真剣に訊くということはつまりふざけているということである。自分で考えろ、と素っ気無く言おうとした所で閃いたことが一つ。

「由希、お前、まさかとは思うが……」

「なあに?」

 怜は失言の危険を回避するため、思いついたことを言う前に一つ確認を取ることにした。

「……(ミオ)が、オレの言うことなら聞くって言ったよな。どこからそういう話になるんだ?」

 由希は、言いかけたことと別のことを話し出した怜に疑いの色を見せずに、

「恩人だからよ」

 と簡単に言って体を起こした。そのまま、ベッドの上で胡坐を組む。何のことを言っているのかさっぱり分からない怜が説明を促すと、由希は、澪が小学三年生の時のことよ、と静かに言った。全く思い当たる節がない怜が重ねて尋ねると、

「五年前にさ、澪のお母さんが亡くなったでしょ。その時、澪がさ、いなくなっちゃった事件があったじゃない。一人になりたくて近くの原っぱにいたわけだけどさ。皆で澪を探して、わたしたちも探したわけだけど、それで見つけたのがあなただったじゃない」

 と説明する由希。言われてみれば、そんなこともあったような気もするが、記憶に靄がかかっていてはっきりしない。しかも、疑問が湧いて、

「オレに見つけられたことを恩に感じてるっていうのはどういう話なんだよ。怪我でもしてて身動きが取れなかったとか、そういうことか?」

 それを訊くと、由希は探るような目つきをして、本当に覚えてないの、と逆に訊いてきた。怜が正直に首を横に振ると、由希は軽くショックを受けた振りをして、これは澪には言わない方がいいな、と苦く笑ったあと、

「ま、いろいろあったわけよ。あなたが覚えてないなら、それはそれでいいかもね」 

 適当なことを言って、

「とにかくね」

 と強引に話をまとめた。

「その時から澪はレイのこと好きなのよ」

 怜はうさんくさそうな目で由希のことを見つめた。ロマンティックな話をするにしては、やけににやにやしているのが気にかかる。さきほど疑念を持っていたことは、もはや確信に変わっていた。

「ユキ」

「はい?」

「この件はお前の暇つぶしじゃないだろうな」

 由希はちょっと気分を害したような顔を見せて、

「レイはわたしのこと理解してくれてると思ったんだけどなあ」

 と言ったが、はっきりとした否定をするまでには至らない。百歩譲って夏休みに怜を呼ぶことが純粋に友人のためだとしても、では、環を呼ぶことはどうなのか。

「あ、それはわたしの為だな。タマキさんともっと話したいと思って」

「緊張するって言ってたろ」

「だからよ。わたし、緊張することって全然無いからさ。新しい経験。わたし、新しいことが好きなんだ。『まことに日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり』ってね」

「闇を怖れないのか?」

 怜が皮肉げに言ってやると、由希は一瞬呆気にとられた表情をしたが、家に帰る途中に自分で言ったことを思い出したのか、両手を打ち合わせた。

「怖いもの見たさってことかな。それにさ、よくよく考えてみれば万物は闇から生まれた。闇は母のようなものでしょ。なら、そこまで怖れることはないのかもね」

 その意見には大いに反対したい所があるが、そんなことよりも、深刻な状態の友人を自分の楽しみの一環にするとは不謹慎なことではないか、と怜が注意すると、由希は、

「深刻なものの中にも楽しみはあり、楽しみのなかにも深刻なものがある。そういうことなんじゃないかな」

 と平然とした顔で言った。そういうことが言えるのは、本当に深刻な事態を味わったことのない者ではないだろうか、という疑いが怜の中に萌した。ただし、疑いの芽が育つことはなかった。怜自身も、これまでの人生で深刻な事態に遭遇したことなどなかったからだ。

 怜は飲みやすい温度になったジャスミンティーをぐい、と飲み干した。由希は静かに立って、二杯目をカップに注ぐと、またベッドに腰かけた。

「何にしろ、わたしではダメなんだよね。澪の力にはなれない。それだけは分かるの。だから、よろしくね」

 そう言って頭を下げたあとに、

「わたし、こっちに転校して来ようかな」

 と突拍子もないことを言い出した。怜は驚いた色を見せずに、退屈しのぎをしたいだけならやめるように、言った。

「もうすでに兄を兄とも思わないヤツが一人いるんだ。そんなのが二人になったら、ストレスで死ぬかもしれない」

「じゃあ、兄として一つ、可愛い妹にお教えを。日常の退屈感をどうすればいいか」

「戦え」

「武器が無い」

「そんなものは必要ない。その敵とは勇気さえあれば戦えるからな」

「勇者になれって? わたしは王女の方がいいなあ。カッコイイ男の子にかしづかれ、守られる方が」

「王女になるには資格がある」

「どんな?」

「か弱く儚く可憐でなくてはいけないんだ。が、残念なことに、そういう女子は遠い昔に滅んだ。今はもう物語の中にしか存在しない珍獣の類だ」

「可哀想に。相当ひどい女の子にしか会ったことがないのね」

「その一人が今まさに目の前にいるけどな」

 由希は陰の無い笑声を立てた。

 怜は残りのバナナを食べ、ソーサーの上にあるティカップを再び空にした。

 由希はベッドからぴょんと立ち上がると、カップとポッド、空になったガラス製の容器が載った盆を手にした。休憩時間の終了。怜が再び机に向かおうとしたときに、後ろから少女の声がした。

「レイ」

 怜が椅子を回転させると、数歩離れたドアの所で由希は少し恥ずかしそうな顔で、

「あのさ、ここに来たのは澪の件も確かにあるけどさ、あなたに会いたかったっていうのもあるからね」 

 とわざわざそんなことを言った。全く如才(じょさい)ないことである。女の子は全体どこでこういうことを習うのだろうか。あるいは、何か他に吹っかけたい難題でもあるのだろうか。にわかに、怜は、環に一緒に来てもらいたい気分になってきた。アウェイでこの力であれば、ホームだったらどのくらいの力になるのか測り知れないものがある。今の由希に彼女の故郷で、自分一人で対応するのは相当に困難だろう。

「環にメールしたのか?」

「これから。もし断られたら、レイから勧めてくれる?」

 怜はあいまいにうなずいておいた。受験生の夏休みである。そんなときに誘えば、確実に環の迷惑になる。とはいえ、一人で行くことも気が進まない。カノジョの損害と自分の利益を衡量(こうりょう)したときに前者を重んじることのできる怜は、明日の朝には気分が変わっていることを祈りつつ、机に向かった。

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