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プラトニクス  作者: coach
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第53話:千里を越えたわけ

 いつも読んでくださってる方、並びに今日初めて読んでくださった方、本当にありがとうございます。読んでくださる方がいるので、書き続けることができます。ただもう感謝です。折角読んでいただいたその時間にできるだけ見合う作品を書いていきたいと思います。

 では、第53話になります。お楽しみください。

 食糧を調達するのにしばらくの時間を要した。まるで街の飲食店がこの店一軒しかないかのような繁盛ぶりである。折角の休日であれば少し豪華なものでも食べれば良かろう、と思うのは、自分で稼がない中学生の浅慮であろうか。結構な数の親子連れがいた。いざという時すぐに出られるように一階に席を見つけようとしたが、満席だったため仕方なく怜はトレイに軽食を乗せて、由希を二階へと案内した。窓際のテーブルに差し向かいで腰を落ち着ける。

 同年代の子が結構いるようだったが、ざっと店内を見回したところでは、見知った顔はいないようだった。

「いただきまーす」

 由希は軽く手を合わせると、ハンバーガーの包みに取りかかった。怜は大してお腹が空いておらず、由希につられてセットメニューを頼んでしまったことを軽く後悔していた。ハンバーガーとポテトとオレンジジュースを見て、ジュースに手を伸ばしてみる。刺したストローでちびちび飲んでいると、正面の少女は対照的にぱくぱくと豪快に食べていた。みるみるうちにハンバーガーの円が半円となりついには一片も残らず消える。一個完食。口周りにソースがついているのを見咎めた怜が、紙ナプキンを差し出すと、小さなテーブル越しに由希は顔を突き出してきた。

 一秒、二秒。三秒の間、じっと由希の目を見つめてやったが、彼女は全く怯まないので、面倒になった怜は、由希の口を拭いてやった。視線を移してよくよく見れば、少女の手には二個目の包みが握られている。彼女はセットメニューの他に、単品でもう一つハンバーガーを頼んでいたのだった。旺盛な食欲である。

「ウチで食べてる時は遠慮してたのか?」

 折角綺麗になった口周りを早速汚し始めた少女に尋ねてみると、彼女はもぐもぐしながら首を横に振った。口のものを飲み込んでから、

「そういうわけじゃないわ。ハンバーガーってあんまり食べないから、食べるときは思いっきり食べておきたいだけ。まあ、でも、人様(ひとさま)の家にお邪魔してるわけだから、もちろん遠慮はしてるよ。従兄妹の家とは言ってもね。親しき仲にも礼儀あり」

 そう言って、手をテーブル越しに伸ばした。怜のポテトを数本つまんで自分の口に放り投げる。店内に流れる流行の曲が一曲終わる前に、二つ目のハンバーガーは跡形も無く姿を消した。それだけではない。いつのまにか少女の側にあるポテトも容器だけになっていて中身がない。目の前で起こった不思議な出来事に唖然としていると、小さな猛獣が物欲しげな目で、怜の手つかずの包みを見ているのが分かった。まさかとは思ったが、

「食べるか?」

 念のため訊いてみると、少女の顔が喜色に輝いた。

「愛してるわ、レイ」

「そんな安っぽい愛は要らん」

 怜が三つ目のハンバーガーを差し出すと、即座に包みが破れる音がして、パンに白い歯が食い込んだ。

「もし四つ目が要るなら追加で頼んでくるけど、どうする?」

 九割九分がた冗談だったのだが、その怜の言葉に、由希は人生の大事を考えているかのような真剣な目をした。ただし、そうしている間も口は動いているので、全体の表情としては間の抜けたものになっている。食べている分をごくんと飲み下すのを見ながら、まさか一分(いちぶ)の奇跡を目の当たりにすることになるのかと腰を浮かしかけた怜だったが、彼女はゆっくりと首を振った。

「やめとく。体重が気になるお年頃だし」

 そう言って、怜のポテトに手を伸ばそうとする。怜は容器ごとポテトを由希のトレイに載せてやった。いかにも意外そうな表情を作る由希に、

「オレの気持ちだ、受け取ってくれ」

 言うと、彼女は満面の笑みを浮かべた。

「愛されてるっていい気分だわ」

 怜が唯一残されたオレンジジュースで喉を潤していると、それにまで視線が張り付いているのを感じて、思わずむせてしまった。これから、由希とファーストフード店に入ることがあったら彼女には二人分頼んでやった方がてっとり早い。

「ああ、食べた、食べた」

 紙ナプキンで口を拭きながら満足そうな、いや満腹そうな顔をした少女は、

「手、洗ってくるね」

 と言って席を立った。由希が帰ってくる間に、怜はテーブルを片付けておいた。包み紙を捨てトレイを返す。相変わらず激しい人の流れの中で、ふと怜はクラスメートの顔を見つけたような気がした。名前は覚えてないが。ただ、どうやらこちらには気がつかなかったらしい。トレイを持って席に移動していくクラスメートを尻目にしながら、怜は、帰ってきた由希を店外へと引っ張っていった。

 時間を確認すると四時半を回った所だった。雲間から少し光が差しており、初夏の夕べはまだまだ明るい。

「いい気分だな。お腹はいっぱいだし、美しい光、隣には愛しいあなた」

 怜は腕をからめようとしてくる由希をかわした。

「何でよけるのよ?」

「ハンバーガーは奢っただろ。これ以上、何を望むんだ?」

「思い出。次にあなたに会うときまで、あなたのことを想えるように」

「確か学校に好きな男がいるって言ってたよな。そういう色気のある役はそいつに譲るよ」

「え? そんなこと言ったっけ?」

「こっちに来た日のその晩に親父に言ってただろ」

「ああ、あれね。あれは冗談よ。健全な女子中学生たる者、学校に一人や二人気になる男子がいて当然、っていう世の常識に従ってる振りをしてみただけ。常識人の方が伯父様は安心するでしょ。わたしが好きなのは、あ・な・た」

「ハンバーガーを食べてなくて良かったよ。それで?」

「それでって?」

 不思議そうな顔を作る由希に、怜は、何かしてもらいたいことがあるならはっきりと言うように促した。由希はちょっと遠回りして帰ってもらいたい旨を伝えてきた。怜が、来た道とは別の道を取ると、横に由希が並んだ。

「してもらいたいことがあるって、何で分かったの?」

(ミヤコ)と同じだよ。いつもは普通なのに、何か頼みごとがあるときだけ気持ち悪くなる」

「ひっど〜い」

 わざとらしく頬を膨らます由希に、怜は冷ややかな視線を送った。

 由希はおちゃらけていた表情を改めた。

(ミオ)のことなんだけどね」

 唐突な出だしに、怜は面食らった。澪というのが、由希の友人の少女の名であることを思い出すのに少しかかった。怜もお盆や年始に由希の家に行ったときに何度か面識がある。

「澪って……お前の友だちの?」

 一応確認しておくと、由希はうなずいた。

「で、彼女がどうかしたのか?」

「去年、お父さんが再婚したんだけどね。新しいお母さんとあんまり上手く行ってないんだよね。新しいお母さんっていうのも別に悪い人じゃないんだけど、まだ亡くなったお母さんのことを澪は想ってるみたい。まあ、当たり前かもしれないけど」

 どうして突然に友人の話が始まるのかはさっぱり分からないので、怜は口を差し挟まずに聞くことにした。

「それで、新しいお母さんのいる家にあんまり帰りたくないってことでね、この頃、友だちの家に泊まったりして、自分の家に寄り付かなくなってるんだよね。ちょっとした家出状態。ウチにも結構来たりしてる。まあ、ウチは誰もそんなこと気にしないからいいんだけど。澪のお父さんは心配してて、それでこの前喧嘩しちゃったみたいで、お父さんとも仲悪くなってきたりしてるんだよね」

 全く話が見えてこなかったが、怜はまだ待った。

「このままだとさ、勢いで悪い子たちと付き合ったりして、無断外泊、無断欠席、飲酒、喫煙、万引きって感じで悪の道に入っちゃうんじゃないかって心配してるんだ、わたし」

 それはさすがに安直な流れのような気がするが、心配とはそういうものかもしれない。麗しい友情。澪ちゃんがそんなことにならないように友だちとしてできるだけのことをしてやれよ、と由希を励まそうかと思った怜だったが、そこで違和感を感じた。おそらく由希ならばなすべきことは為しているはずである。従兄妹としての付き合いから、彼女がどういう子であるかは分かっているつもりだった。にもかかわらず、なぜこんな話をするのか。怜の無言の疑念を、由希は笑顔で受け止めたのち、

「ここでレイの登場なんだな」

 そう言ってもったいぶって言葉を切った。怜がなお沈黙を守っていると、

「レイにね、澪を説得してもらいたいのよ。家に帰るように」

 とんでもないことを言い出した。

「澪はレイの言うことだったら聞くと思うんだ」

 怜は立ち止まると、つられて歩を休めた由希の額に手を載せた。ふっくらとした少女の瞳がすっと細まって危険な光を湛えるのが見えたが、怜はその視線を受け止めた。熱を確かめたのは半ば以上本気である。由希がとても正気であるとは思えない。

 道は駅前から少し離れた歩道で、行きかう人の数も少なくなってきてはいたが、とはいえ立ち止まっていると邪魔になるほどの通行人の数ではある。怜は歩き出した。隣に並ぶ少女に静かに尋ねてみる。

「不良っぽくなってるお前の友だちにオレから改心を促してくれっていうことでいいのか?」

 由希はうなずいた。怜は遠慮なくため息をついた。

「オレの言いたいことは大体分かると思うが」

 由希は無言で首を横に振った。黒髪のショートカットが軽く揺れた。

 怜は仕方なく言わずもがなのことを口にした。

「まず、それは家の中の話だろ。子どもには親がいる。父親とその新しい母親が対処すべきで、他人がそれに口を差し挟むべきじゃない。第二に、オレに何を期待してるのか分からないけど、オレは澪とはそんなに親しくない。お前の家に行ったときに、ちょっと話すことがあるくらいだ。オレの言葉に大した効果があるとは思われない。最後に、人は他人の気持ちに簡単に干渉すべきじゃない」

「レイ……」

「何だよ?」

「わたしを信じないの?」

 由希は進行方向を見ていたが、その横顔が固いものを帯びているのは見て取れた。

「わたしはあなたを信じてる。あなたを信じてるわたしのことを信じてくれるでしょ? 今の澪にはあなたが必要なのよ。わたしでは手に負えない」

 最も言いたかったことを言い終えたからか、由希は表情を柔らかくした。そのあと、怜の方を向いて、さっきのあなたの意見だけど、と言って指を一本立てた。

「まず第一に、子どものことに親が対処できるのは子どもが小さいときだけの話よ。今、あなたが抱えてる問題があったとして、それに伯父様と伯母様が対処できる?」

 二本目の指が立つ。

「次に、澪はレイのことを特別な人だと思ってるから、あなたの言葉は特別に響く」

 三本目を立てて、

「第三に、人は他人の気持ちに本当の所では干渉なんかできない。自分の気持ちは自分だけのものだから」

 怜の意見を一つずつ論駁していった。それに対してはもう反論しなかった。従妹が望んでいるのは議論ではない。彼女が求めることをやるかやらないか、という話である。他人のお節介を焼きたがる人間は大抵自分のことがしっかりできていないものだ、という考えのある怜としては、よほど断りたかったが、

「何をすればいいんだ?」

 先に依頼内容の詳細を聞くことにした。面倒なことだったら突っぱねるつもりでいたが、

「夏休みにウチに泊まりに来て、その時に澪と会って欲しいだけよ。あとは任せるわ」

 あまりにアバウトなことを言われて、返って呆然とした。

「ここは可愛い従妹の顔に免じて快く頼まれてくれないかな」

 会って話をするくらいなら泊まりにいくついでである。大した手間でもない。そう思わせるのが由希の手だと考えるのは邪推だろうか。

「何を期待されても、できることしかできないぞ」

 それだけ釘を刺しておいて、怜は依頼を承諾した。気がついたことが二つある。一つは、ゴールデンウィークでも夏休みでもないこの中途半端な時期に従兄妹の家に由希が泊まりに来たその理由。もう一つは、わざわざ遠路を越えて頼ってきた従妹を無下にしないだけの良識を怜が持ち合わせてしまっていることだった。

「わたしを信じてね、レイ」

「自分自身よりは信じてるよ。ただ、夏休みで間に合うのか?」

 それまではわたしが何とかするわ、と言って由希が口を(つぐ)んだ。

 しばらく無言であった二人の沈黙を破ったのは、怜の名を呼ぶ高い声だった。

 歩道上で小さな腕をぶんぶんと思い切り振っている六歳くらいの女の子の姿が、怜の視界に映っていた。

「あれは?」

 面白そうな顔で尋ねる由希に、怜は手を振り返しながら、

「今の所、オレが知る中で、可愛いって思えるただ一人の女の子だよ」

 心底からの声を出した。

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