第46話:友人の条件
昼休みの校庭は活気に満ちていた。昼食の腹ごなしに多くの生徒たちがジャージ地の運動服姿で、思い思いの競技に打ち興じている。中には、衣服というのはいくら汚しても夜のうちに衣服の妖精がやってきて綺麗にしてくれるのだ、というファンタジーを信じている生徒がいるようで、学生服姿で暴れている者もいた。その喧騒から離れた所、校庭の片隅にあるベンチに一組の少年と少女が腰を下ろしている。
「今、なんて?」
少年の整えられた眉がひそめられた。つい今しがた少女が発した言葉の意味を理解できなかったのだ。彼女の方はそれほど難しいことを言った覚えはないのであろう、
「聞いてなかったの?」
と目元に責めるような色を出した。
「女の子を紹介してくれって言われれば聞き返しもするだろ。男に飽きて、そっちに目覚めちゃったのか、美優?」
「変な言い方しないでよ、太一。あんたのいる五組の女の子と友だちになりたいだけだって」
少年、瀬良太一は詳しい説明を求めた。告白を立て続けに断られ、傷心を慰めてもらおうと他クラスに向かっていたのが五分前のこと。そこで出あったのが今隣に座っている少女である。三組の原田美優。旧知の仲である。小学校の高学年で同じクラスだったり、一昨年のクラスメートだったり、部活が同じだったりして、仲の良い女子であると言える。どこか強ばった顔をした彼女に、ヒマだったら付き合って、と無理に引っ張って来られ、太一は彼女の隣にいるわけだった。
「説明って言われても、言葉通りだって」
美優は平板な口調で言ったが、そう言われてもよく分からない。男子を紹介しろということなら話も分かるが、女子を紹介しろと言われても。友だちになりたいなら、女子同士、太一の仲介など飛び越えて勝手に仲良くなれば良さそうなものである。
「そんなこと言ったっていきなりは無理でしょ。友だちになってくださいって、別のクラスなのにおかしいじゃん」
「そのおかしなことを何でしようとしてるんだよ」
「聞きたい?」
美優はいかにも仕方ない風を装って小さく息をついたりなどしていたが、太一には、
――よく言うよ。
と彼女の心情を見透かす目があった。用件だけを一方的に押し付けたいのであれば、廊下で会ったときにその機会はあった。知らない仲でもない。無理にでも太一を五組に引っ張って行けば済む話だ。それをせずにわざわざ校庭にまで連れ出したということは、用件だけではなく、他に話したいことがあるということだ。ロケーションも抜群である。ここなら周囲の喚声で人に話を聞かれる心配もない。
「な、何すんだよ?」
突然、頬に圧迫感を感じた太一。美優の両手が太一の顔を挟むようにしていた。
「あたしの顔よーく見て、太一」
太一は、小学校の頃から飽きるほど見てきた少女の顔を仕方なくもう一度検分した。ウエーブのかかった黒髪が肩を覆っている。くっきりとした輪郭の円らな瞳、大ぶりの朱唇。全体に彫りの深い顔立ちだった。
「どう?」
「何が?」
「女の子が顔を見せて聞くことっていったら、分かるでしょ?」
「いつも通りメイクがキマったような顔して……う」
少女の両手に力が込められて、太一の口がタコのようになる。
「可愛いでしょ?」
人でありたい太一は仕方なくうんうんと首を縦に振った。
「じゃあさ、わたしはあっち側だよね?」
瞳に熱を込める美優の両の手首を太一は取って自分の頬から引き剥がした。『あっち』というのがどこのことを言っているのか訊くと、
「注目される側よ」
美優は簡単に答えたあと、
「この世には、注目される側と注目する側があって、注目される側になれるのは一握り。わたしは、この美貌でその一握りの方のはず。そうでしょ?」
語勢を強めて尋ねた。太一は素直にうなずいた。美優は確かに注目される側である。ただし、それは残念なことに美貌云々ではない。学校のマドンナ的存在として男子から仰ぎ見られているわけでも、クラスのマスコット的存在として愛されているわけでもない。轟いているのは美名ではなく悪名だった。カノジョ持ちの男子としばしばラブラブになってカップルを破壊することから、つけられた二つ名が――
「カップル・ブレイカー」
ぴしいっと、小気味のよい音が青空に響いた。
「何するんだよ?」
頬に平手打ちを受けた太一が抗議の声を上げると、眼差しを下げた美優の口元からぼそりと一言、ムカつく、という声が漏れた。連続攻撃を予想した太一が、顔の前で腕を十字にしてブロックを作ったが、
「ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつくのよっ! 何がカップル・ブレイカーよ? なに、なんなの、ソレ。何のキャラ? 別に人のカレシを横取りする趣味なんかないわ。あっちが勝手に好きになってくんでしょーが。あたしのせいだっての? ハ、自分に魅力がないのを他人のせいにしないでよ」
一息に怒声を放った美優が暴力の対象に選んだのは座っていたベンチだった。すっと立ち上がった彼女は、哀れなベンチをげしげしと蹴り始めた。このためにここに来たのか、と納得した太一が、彼女が落ち着くのを待って事情を訊くと、おおむね以下のようなことだった。
美優が今付き合っているカレシが前のカノジョとよりを戻したいと言ってきた。もともとあちらから付き合ってくれと告白されたことであるし、そこまで好きなわけでもないので、どうぞご随意に、と美優がしたところ、次の日彼から電話が来た。元カノが許してくれないと言う。そんなこと知ったことではない美優が、それでも最大限親切心を発揮して、がんばって、とエールを送ると、それが気に障ったのかその彼は、元カノと別れる羽目になったのは美優のせいだと電話越しにさんざん詰って来たのである。それだけならまだ良かったかもしれないが、続きがある。その彼の元カノが、こうもあっさりと別れるならどうして彼を取ったのか、とこちらは面と向かって言われたのだった。今朝のことである。
「登校中よ、登校中! 大声で喚かれてさあ。まったく、お似合いの二人だわ。自分が告白して二股かけたくせにそれを棚上げする男と、自分に魅力がないのを反省しない女ってね!」
吐き捨てるように言う美優の屈辱も分からないではないが、大した同情ができる話でもない。そもそもカノジョがいる男と付き合うというその行為が間違いの元である。そんなことになれば、当然もめるに決まっているからだ。もめごとが好きなら格別、そうでなければ告白を受けなければいいのである。普段なら感情を露にしている女の子に反論するような愚は決してしない太一だったが、そういう配慮をしなくていい気安さが美優にはあった。
「そんなこと言ったってさあ、かわいそうじゃん。がんばって告白してくれたのに、断るっていうのも。あたし、他に好きな人がいるわけでもなかったし、付き合ってもいいかなってね」
「誰だっけ?」
「二組の田中」
「あんなのと良く付き合う気になるよな」
太一は呆れたように言った。バスケットボール部で活躍している彼は見てくれはそこそこだが中身の底は浅すぎる、というのが太一の評価だった。
「男を見る目が本当に無いよな」
美優は、ふん、と鼻を鳴らすと、ベンチに腰掛けて足を組んだ。
愚痴を太一とベンチに吐き出してすっきりした少女を、太一は初めの用件に戻した。昼休みは永遠に続くわけではない。今の話と五組の女子を紹介する話がどうつながるのか尋ねると、美優は、
「あたし考えたんだけどさあ。あたしが告白されるのは無駄に目立つからなのよ――まあ、仕方ないけどね、可愛いから――そしてね、目立つってのは、近くにいる子がぱっとしないからあたしが目を引くってことで、もしそばにいる子が目立つ子だったら、あたしもそんなに注意されなくなるんじゃないかなってね。そこで五組に目をつけたのです。五組は可愛い子が揃ってるから、その子たちと友だちになることで、あんまり目立たなくなるんじゃないかってね」
分かったような分からないような理論を得意げに振り回した。
「つまり、もう告白されたくないってことなのか?」
新理論から導き出される結論が正しいかどうか、太一が確認すると、
「つまらない男子からはね」
と顎をそらす美優。
「今回の件で懲りたのよ。目立つグループの中にいてもなおあたしに告白してくるなら、多少本気だってことでしょ」
「うちのクラスの目立つ子って言うと? 誰が目当てなんだよ?」
「伊田さんに平井さん、佐伯さんとかさ。でもやっぱり川名さんかな」
太一は頬を掻きながら、口笛など吹いてみた。
「え、なんか、マズいの?」
「マズくないといえばウソになる」
美優の腕が振り上げられる。別れ際の女の子にならともかくただ引っ張ったかれたくない太一としては、慌てて、今名前が挙がった女子とは気まずい関係になってることを告げた。
「気まずいって、何で?」
「いやあ……」
ごまかすように笑いながら続けた太一の次の言葉は、美優のあごをあんぐりと落とした。
「実はさ、オレ、ついさっき告白したんだよ。で、見事フラれちゃって。それで、タマキには『しばらく話しかけないで』とか、アヤには『また今度、中学卒業したあとにでも改めて告白して』とか言われるし、ナナミには蹴られるし、佐伯はカレシに訴えに行ったしってことでさ。話しかけられる雰囲気じゃないんだよな」
「あ、あんたはさあ……本当に見境ないよね。しかも、川名さんはカレシいるじゃん」
「まあ、それはさすがにシャレなんだけどさ」
はあ、とため息をつく美優に多少心痛む気持ちはあるが、これも時のめぐり合わせである。すっぱりと諦めてもらうことにして、立ち上がった太一の袖がぐっと取られる。
「どこ行くのよ?」
「帰るんだよ」
「五組じゃなくてもいい」
美優は組んでいた足を直すと立ち上がって、瞳に執念の炎を燃やした。
「じゃあ五組じゃなくてもいいから、あんたが知ってる可愛い子を紹介して」
根負けした太一が、六組のある少女のことを思い浮かべるのに、そうは時間がかからなかった。この頃よく会っているからである。彼女なら、美優の眼鏡にかなうはずだ。それに――
「確か佐伯の友だちみたいだから、その子経由でタマキとは友だちになれるんじゃないか」
というおまけつきでもあった。美優は感激に顔を輝かせた。
校庭を後にして生徒用玄関から校舎に入り、三年六組の前まで来ると、太一は美優を廊下に残し、六組内に足を踏み入れた。きょろきょろと辺りを見回してから、ある女子のグループに近づいていく。小さく起こる歓声を聞き流しながら、グループの中心にいる女の子に声をかけると、彼女はしぶしぶといった調子ながら後ろに従ってくれた。
「悪いな」
「瀬良くんに呼び出されると、あとで面倒なことになるんだけどな」
軽く責めるような声を出す彼女をなだめ、太一は廊下で待っていた美優に紹介した。美優が息を呑む様子が見て取れた。目の前にいる少女の光輝に圧倒されたのだろう。
「じゃあ、あとは女の子同士で」
名前だけ紹介して立ち去ろうとした太一の腕が、がっちりと取られた。美優が必死の形相をしている。無言のメッセージを受け取った太一は、彼と美優の様子を怪訝な顔で見ている少女に、
「スズ、こいつ、オレの友だちなんだけどさ、何か、お前と友だちになりたいんだって。だから、アドレスでも教えてやってくれないか?」
ストレートに用件を伝えた。握られた手首に痛みが走る。少しして、その痛みがさらにひどくなったのは、太一と美優を残して、少女が教室内にふらりと帰ったからだった。
「あんな言い方するから、気持ち悪がられたじゃん」
一瞬で鈴音に心酔したのか、すでに泣きそうな声になっている美優を太一は落ち着かせた。 太一の予想通り、すぐに教室から戻ってきた鈴音は、その手に握られていたメモ用紙を美優に差し出した。
「瀬良くんには教えないでね」
ぱあっと顔を明るくした美優が、もちろん、と大きくうなずくのを見ながら、
――ひょっとしたら……
と太一の心に浮かんだことがある。環でなく鈴音を紹介できたことは、美優にとって良いことなのではないかということである。鈴音と環を比較すると、鈴音には温かみを感じるのに対して、環にはどこか冷めたものを感じる。綾にしても七海にしてもそうである。その冷めているところは、男子には魅力的なのだが、女子にとってはそうでもないだろう。対して鈴音には、春の陽のような優しさを感じる。友人になるにしても、薫陶を受けるにしても、鈴音の方が美優には相応しいだろう。
太一は苦笑した。ついそんなことを考えたのは、美優のことを心配している証である。もし美優に対してロマンティックな気持ちがないのだとしたら、それは太一自身が優しくなっていることを表していた。そうして、どうして優しくなったのかと考えたときに思い浮かんだのが、馴染みの男子の顔だったからである。