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プラトニクス  作者: coach
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第4話:雷鳴の午後、追加されるルーティン

 一日が終わった。

 怜は校門を出たところで環に会った。昼休みに、環は「いつもの所で」と約束したが、そんな所は無い。昨年は一緒のクラスだったのである。一緒に帰るならクラスを出るところから一緒になれば良い。待ち合わせ場所を決める必要などない。

「ああいう風に言った方がいいかなって。付き合ってるぽいでしょう」

 環はいたずらっぽく笑った。

「でも、よく校門だって分かったね」

 分かるも何も教室から出て学校の外に向かう時、必ず通る場所はここしかない。ここだったら、どちらかが待っていれば確実に会える。怜は環が来ていなければ自分がここで待つつもりだった。

 二人は歩き出した。

「傘、どうなった?」と環。

「オレが消した」

「やっぱりね」

「だから書き足したんだろ?」

 環は微笑むだけでそれには答えずに、話題を変えた。

「委員会、何になった? わたし図書委員」

「美化委員」

「あら、図書委員じゃないの?」

「なぜか図書委員の倍率が異様に高くて、希望したけど無理だった」

「残念、怜くんと一緒の委員会かと思ったのに。みんな、突然、本に目覚めたのかな」

 目覚めたのは本にではないことを怜は知っていた。環を始めとして、図書委員には学年の目立つ女子が集まっていた。委員会などというつまらない雑用をこなすためには、何らかの楽しみが必要である。そう考えた小賢しい男子が怜のクラスには多く、そのため倍率が高くなったのだった。

 青天に鳥飛びめぐり、暖かな光にそよ風、歩道に植えられた花が揺れる。春うらら。

 二人は無言で歩くことが多い。折角、二人で帰っているのだから、いろいろ話しながらとも思うが、そもそもいろいろとは何をであろうか。怜には特に話したいことなどなかった。それでも無理に話題を探さなければいけないとしたら、面倒なことだ。沈黙。怜はちらと環を見て、ふと、今彼女がおらず一人で歩いていたらどうだろうか、と考えてみた。何も変わることはないだろう。躊躇無くそう思ったとき、何らかの違和感を感じた。

「どうかした?」

 環が怜の視線をとらえた。怜は首を横に振った。この違和感が何なのか、怜には分からなかった。ただその感覚に従うなら、怜にとって、環と一緒にいることは一人でいることとは違った意味を持っていることになる。今はそれだけしか分からなかったし、それだけで十分だろう。

「レイ」

 環の家の近くまで来た時、幼い声が怜を呼んだ。声とともにぶつかりそうな勢いで走り寄ってくる影がある。怜はその影を軽く受け止めた。六、七歳の女の子が瞳をきらきらとさせて、屈託のない笑顔で怜を見上げていた。

「あ、お姉ちゃん、お帰り」

 彼女は、今気がついたように隣にいる環に言った。

「お姉ちゃんは怜くんの後なの? 悲しいな」

 瞳を伏せて悲しげな振りをする環に構わず、女の子は、

「レイ、おんぶして」

 と両手を上げた。

(アサヒ)、失礼よ」

 環よりも先に、横から静かにたしなめたのは、女の子を追って歩いてきたこちらは十三歳くらいの少女である。肩を覆うくらいまでのストレートの黒髪が清楚な雰囲気を与えている。

「やあだ、おんぶ」

 怜は背負っていたナップサックを地面に降ろそうとした。それを環が受け取る。怜が膝を折ると、小さな体が背に抱きついてきたのが分かる。立ち上がると、背負われてきゃっきゃっと喜ぶ声が上がった。

「どこかに行くの、(マドカ)?」と環。

「旭を連れて、公園に行くだけよ」

「じゃあ、お姉ちゃんも行こうかな。荷物置いてから」

「だったら、旭とお姉ちゃんだけでどうぞ」

「あら、お姉ちゃんと歩けないお年頃ですか?」

「……旭、行くよ」

 少し強い声で、少女は怜の背にいる旭に言った。妹がしぶしぶながらそれに従うと、怜に一礼し、何度も手を振ってよこす名残惜しそうな旭を連れてその場を離れた。

「妹もあのくらいまでが可愛いな」

 手を振って返す怜がしみじみと言った。

「旭のこと? あの子、この前怜くんが家に来たときに、遊んでもらったこと凄く喜んでて、それ以来、『レイはいつ来るの』って、そればっかりなの」

 環の家には、一ヶ月ほど前、二年生のとき当時のクラスメート数人と一度だけ行ったことがあった。その時に、なぜかなつかれてしまった一番下の環の妹の相手をしたことを怜は覚えていた。

「怜くんに会うときだと、全然性格(キャラ)が違うんだから。女の子って怖いね」

 ナップサックを返しながら環が言う。他人(ひと)のことが言えるのか、という意味を込めて怜は環を見た。昼休みのときのような振る舞いは、普段の物静かな様子からは想像するのが難しかった。怜の意図を読み取ったのかどうか、環はわざとらしくあさっての方を向いていた。

「対して、円ちゃんには嫌われてるみたいだな」

 怜が歩き出しながら言う。礼儀正しく抑えられてはいたが、かすかに苛立たしいような視線で彼女がこちらを見ていることに怜は気がついていた。

「難しい年頃なの。わたしのこともこの頃、避けてるみたいだし。年の近い姉って何かとうっとうしいのかな」

 うっとうしいのは単なる姉という存在ではないのではないか、と怜はぼんやりと思った。学校内でも有名な才媛を姉に持つ妹の気持ちは怜には計り知れないものがあった。

「怜くんのところは?」

(ミヤコ)のことか? こっちは避けるどころか、いちいちバカにしてくる。一度、環から言ってくれないか、『お兄さんを大切にしなさい』って。あいつ、環のこと崇拝してるから、お前の言うことなら聞くはずだ」

「それは、都ちゃんのことを口実にして、家に誘ってくれてるって考えていいの?」

「只の口実にできないところが悲劇なんだ。今度、是非頼む」

「りょ〜かい」

 そこで環の家に着き、怜は彼女と別れ、家に向かった。視線を上に向けると、気持ちの良い青空だった。その青空に雷鳴が轟こうとしていることに怜は気がつかなかった。

「そこに座ってください」

 家に入り、母から改まった口調でリビングのソファに座るように言われるまで、すっかり忘れていた。そう言えば、今朝、話があるとか何とか言っていた気がする。ダイニングテーブルで、都がにやにやしていた。事情を知っているわけでもないだろうが、何か兄に不穏なことが起こることは分かるのだろう。物見高く見物に来たわけだ。

 怜はナップサックを床に置くと制服のままソファに座った。

「話と言うのはあなたの今後のことです」

 真正面に座った母が切り出した。

「進路のことよ。どの高校を考えてるの?」

 怜は中堅よりやや下の公立高の名を口にした。実際の所、高校のことなど大して考えていなかった。入れればどこでもいい。しかし、母の考えは違っていた。

「確かに今のあなたの成績じゃあ、現実的なところでしょう。でも、そこに行くことによってそれからのあなたに何かプラスがありますか?」

 そんなことは行ってみなければ分からない、とは怜は言わなかった。母が言うプラスというのは将来、安定した生活をするためにプラスになるかということであり、それはとりもなおさず、有名大学に入れるかということであった。怜が今、名を挙げた高校からはそれほど有名大学に進学している生徒はいないようである。であれば、母の問いにはNOと答える他ない。

「我が子に過剰な期待をするようなことはしませんが、せめて努力する子であることは分からせてください。そのくらいのことは期待してもいいでしょう?」

「川名先輩と同じ高校に行けるようにがんばった方がいいんじゃないの? まあ、高校までお兄ちゃんが捨てられなかったらだけど」

 気楽な声で割って入って来た都を、母はたしなめた。怜は決心したように言った。

「分かったよ、今日から努力して勉強してみるよ」

 確かに、母には子に努力を求める権利がある。そして、子はそのくらいのことをしても(ばち)は当たらない。他の母親にくらべれば、怜の母は今まで勉強について口を出さなかった分、なおさらであると言える。

 話はこれで終わりになるかとも思われたが、母の顔はまだ引き締められたままだった。

「それで、どうやって勉強するの?」

 どうって……。机に向かい、教科書を広げ、参考書を調べ、分からないところを教師に聞くのが勉強なのではないだろうか。

「それじゃ足りないわ。この近くにある塾をいくつかピックアップしておいたから、明日から一つ一つ説明を聞きにいきます。説明を聞いた中から一つを選んで、あなたはその塾に通う」

 否応のある話ではなかった。今まで勉強らしい勉強をしていない怜が、やる気だけで一年後の受験を乗り切れるはずがない、というのが母の結論だった。そして、それがおそらくは正しいだろうことも怜には理解できた。

 怜は母の話に全面的なOKを出した。そこでようやく母がほっとしたような顔を見せた。怜は勉強は最低限のことしかしておらず、成績は中の下といった所である。口には出さなくとも、やはり心配だったのだろう。

 懸念が一つ片付くと、母は妹を伴って夕食の買い物に出かけた。怜は二階に上がり、自分の部屋に入ると、自室の三分の一を占領しているベッドに横になった。母は幸せなのだろうか。そんなことが頭に浮かんだ。実に十四年間面倒を見てもらっているわけだが、そうやって、子どものことを考えて生きる人生というのはどういうものなのだろう。怜には見当もつかなかった。母にも、妹くらいの年の頃が確かにあり、その時は未来は無限であったのだろうか。しかし、今は? 怜は瞼を閉じた。そんなこと分かるはずもない。子どもが進学校を目指し塾で勉強していることで満足するのなら、そのくらいはしてやるしかない。反抗期は訪れそうもなかった。

 怜の瞼が開いた。机の上に置いてある携帯のメール着信音が鳴った。

 メールは環からだった。

 怜は塾に通うことになりそうだということを返信しておいた。

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