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プラトニクス  作者: coach
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第39話:日常のクール・キューティ

「うーん。今日も可愛いわよ、アオイちゃん。さっすが、ママの娘」

 姿見に映る自分の姿を丹念にチェックしていたとき、後ろからかけられる賛嘆の声。鏡の中に映る少女が口角を上げてにっこりと微笑んだ。賛辞に答えたわけではない。単に笑顔を作る練習。とっさに笑って見せるのには弛まぬトレーニングが必要であり、朝の登校前の時間をその訓練に充てているのだ。にこやかな笑顔こそ女の子の最大の武器であり、十三にもなれば、いつ何時、ステキな出会いがあるか知れず、常に研ぎ澄ませておく必要がある。彼女の外見上の魅力は自然な笑顔だけではない。スレンダーな体つきと、二重まぶたが彩るぱっちりとした瞳、つんと尖った勝気そうなあご先といったところが挙げられる。頭の下のほうで二つの房にまとめられてある髪型も忘れてはならない。

「カレシができたら、すぐにママに教えんのよ」

 少女の肩に両手を乗せていたずらっぽく注意したのは彼女の母だった。三十後半の年であるが、年よりはかなり若く見える。年の離れた姉といっても通るくらいである。それは天性のベビーフェイスのせいもあるかもしれないが、それ以上に、後天的な努力によるものであることを、(アオイ)は知っていた。フィットネスとメイクアップである。化粧品会社に勤める彼女には、そういう努力が欠かせないのだそうだ。

「今の所、カレシなんてできそうもないな」

「どーして? こんなに可愛いんだもの。男の子が放っておかないでしょ」

「そうじゃなくて、周りに大した男がいないってこと」

「クラスに一人はいるでしょ?」

「残念ながら」

「まあとにかく、そーいうことになったら、ママに報告すること。アオイちゃんにふさわしいかどーか、見定めてあげるからね」

「そんなことよく言えるよね、ママ。パパと別れたんだから、ママには男の人を見る目がないってことじゃないの?」

「うっ……それ言っちゃうの? で、でもさ、お互い合意の上で別れたんだし、今でもいい友達だし、それにどっちかに新しく好きな人ができて別れたってわけでもないんだから、それにね……」

 矢継ぎ早に弁解を繰り広げるちょっと焦った母の前で、蒼は肩掛けタイプの学校指定の鞄を手に取った。

「もう行くね、遅れるから」

 まだ話し足りなそうな顔の母を置いて、蒼は鞄を肩にかけると玄関を出た。彼女が数歩あるかぬうちに、

「行ってらっしゃーい、アオイちゃん。気をつけてね〜」

 後ろからかけられる軽やかな声。その声に手を振って答えられたのは、小学校の低学年までである。年頃の娘の気持ちを斟酌しないあたり、見た目ばかりか精神まで幼いのではなかろーか、と少々慎みのないことだが、そう考えざるを得ない。姉のようなと言えば聞こえは良いが、母が年相応に振舞ってくれないと、そのとばっちりを受けるのは娘なのである。三年前に父と別れ、女手一つで育ててくれている母に対して感謝の気持ちはあるが、それにしたって、蒼の母親代行の負担はばかにできないものがある。ほぼ毎日の、掃除、洗濯、食事の用意、母を毎朝起こすことにいたるまで。今すぐにでもどこぞの嫁になる自信があるほど家事に()けてしまったのであった。弱冠十三で、手荒れ防止用のクリームを塗らなければならない身の上が、哀れである。

――まあ、いいわ。そのうち、気になった男の子をたらしこむ……じゃない、魅了する手段に使えないとも限らないし。

 家庭的な子に惹かれる、かっこよく頭も良くスポーツもでき、ちょっと強引な所のある男子に肉じゃがなりクッキーなり作ってやって恋に落とす機会があるかもしれない。蒼は桂剥きにした大根より薄い可能性を慰めとしておいた。

 今朝はあいにくの曇り空だったが、天気に関わらず通学路を歩く彼女の足取りは軽い。この道が導いてくれる場所へ行けるのが愉快でたまらないのである。ちょっと大きな声では言えないことなのだが、蒼は学校が好きなのだった。気の置けない友だち、優しい先輩たち、楽しい先生、気になる男の子。学校が好きな理由があるとしたら、普通そんな所だろうが、彼女にはそういう素直な心性はなかった。いろいろな人を観察できること。それが、彼女が学校を気に入っている理由である。学校には実に様々な人がいて、その人たちが繰り広げる舞台を最前列で観ることができる。それがたまらなく面白いのだった。

 観察するとはいえ、学校に入れば単なる観客ではいられない。蒼自体も否応なく役者を務めなければならない。彼女に割り振られたキャラは、クール・キューティといったところである。本当はビューティが良かったが、いかんせんルックスがそれを許さず、キューティで妥協するしかなかった。チャーミングな彼女は、異性の関心を引き、しかし引きすぎもしない。同性からは、その洗練された所作で一目置かれ、おしゃべりなどはするものの、トイレに付き合うがごとき、メールの応答で夜を明かすがごときべたべたした付き合いはしない。愛されはしないが敬される存在、というのが蒼のクラス内での立ち位置であり、この位置からクラスを見渡して、クラスメートの観察をするのが彼女の趣味だった。クラスメートの個性は、多種多様であり、その一人ひとりに、バラエティ番組のディレクターにでもなったかのような感覚でキャラを割り振っていくのは実に楽しい作業だった。

「そんな悪趣味なことして。そーゆーの良くないよ、アオイちゃん」

 蒼の耳に蘇る声がある。

 これは蒼が所属している文化系部活動――クールな女の子は汗水たらしてスポーツなどしないのである――の先輩でマジメキャラの田辺杏子(アンコ)女史の談だった。

「誰がマジメキャラよ!」

「じゃあ、いじられキャラ?」

「ちゃんと聞きなさい!」

 かしこまった振りをする蒼の前に、頭の下の方でまとめられたお団子ヘアとスクエア型の眼鏡で何だかインテリ秘書っぽく見える少女の姿がある。彼女は、中学校の中でも知る人ぞ知る超マイナー部『文化研究部』の栄えある部長であった。自分の心情を吐露することが滅多に無いクール・キューティにも、特別な時はあって、これはその時の回想である。

「キャラとか立ち位置なんてさ、本当のその人じゃないわけでしょ。そんなものに、その人を当てはめちゃったら、本当のその人のことが分からなくなるじゃないの」

 誠心で迫る熱い先輩に氷れる気持ちが少し溶けるのを感じた蒼だったが、解かしつくすにはまっすぐさだけでは足りない。

「分かってないですね、先輩。本当の自分なんて無いんですよ。それぞれのときに演じている自分が本当のものなんです」

「そんなことないでしょう。例えば、自分は違う意見を持ってるんだけど、友だちに嫌われたくないからその友だちの意見に無理矢理合わせたりする時、それは本当の自分を偽ったってことになるわけじゃない?」

「違います。そうじゃなくて、それは、友だちに嫌われたくないからその友だちの意見に合わせて自分を偽るというのが本当の自分だったってだけです」

「納得行かないわ」

 行かなくても結構である。人それぞれが違う意見を持っていて悪いことはないし、蒼には、自己の利益に直結しない限り、自分の意見に他人を従わせたいという欲求などない。ただ、仮に先輩の言う通りだとしても、それでも、クラス内での立ち位置というのは必要であろう、と思う。本当の自分などと称されて、各人が各人の思うがままに振舞ったら、クラス内は地獄と化すだろう。もちろん、各生徒の『本当』が美しく素晴らしいものであるなら格別であるが。この点については蒼は悲観主義なのだった。

 さて、学校に着き、教室に入ると、何人かの仲の良いクラスメート達が彼女に声をかけてくる。取り巻きとまではいかないが、蒼を中心としたグループを形成するメンバーである。彼女は特別、グループなど必要としていないが、頑なに孤高を守るようなことはできない。そんなことをしてクラスから孤立してしまえば、孤独な人間への、周囲からの憐れみ、嘲笑、無視などによって、他人のキャラ付けなどしている余裕などなくなってしまう。観客である一方で役者であることも忘れてはならず、心穏やかに自由に観客の立場に立つためにはそれなりの役であることが必要なのであった。そのための、クール・キューティなのである。

 蒼が席に着くと、友人の一人が早速昨日の恋愛ドラマの話を始めた。彼女は、夢見る乙女、といった所か。ドラマや漫画や他人の恋愛話に現を抜かし、自分の恋はいつも片想い止まり。その片想いにしたって、本当に好きというよりは、周囲がちやほやしている男子に、じゃあわたしも、などという軽いノリ。夢が覚めて、現実に返ってきたときに、手遅れの年になっていないことを祈るのみである。蒼は、ドラマに出ている人気若手俳優のCDを買ったことを発表し、今度貸すことを約束して、その俳優のファンである彼女を喜ばせた。

 ドラマの話が終わると、次の役者が登場した。彼女はおもむろに先日ドラッグストアで買った化粧品の話を始めた。今年、中二になって化粧デビューした彼女は、自分の顔が綺麗になるのが楽しくて仕方ないらしい。自意識過剰女、というラベルを貼るのはちょっと酷だろうか。化粧くらいなら同学年の女子ならほとんどしているからである。ただ、彼女の場合、制服を少し崩して着たり、様々なワンポイントの可愛いアイテムを用意したり、作った猫なで声で話したりして、男女に関係なく自分の魅力をアピールする度合いが非常に強い。蒼はアイメイクの仕方を伝授することを誓って、彼女から感謝の目で見られた。母にメイクの仕方は一通り習っているのである。ただ、肌の健康を考えて中高生のうちは、できる限りメイクしないようにとも言われていた。が、なに構うことはない。何しろ指導する分には自分の肌ではない。

 化粧の話のあとは、カレシの自慢話が始まった。続いて舞台へ現れた彼女は、恋に恋する少女。カレシと何の話をしたとか、何をもらったとか、次いつデートするとか、他人が聞いても苦痛しか覚えない話を延々と続けて行く。蒼は熱心に耳を傾ける振りをして、彼女を得意にさせておいた。今度カレシの友人を紹介してくれるという余裕まで持たせるほどにである。ただ、その話は丁重に断っておいた。彼女をカノジョにする男の子のその友人であれば、その高も知れるというものである。

 決して彼女たちのことは嫌いなわけではないのだが、しばしばその見方に悪意が混ざるのは、これはもう蒼自体の性格のなせるわざだろう。(くだん)の部長から、コールタールのように真っ黒な心、と評されたその通りなのかもしれない。しかし、それはそれで仕方のない所である。人それぞれ生まれ持ったものというものがあって、それを引き受けて生きていくのが、潔い生き方というものではなかろうか。たまに自分のことを省みて暗いものを発見したときに、そう考えて蒼は自身を鼓舞していた。

「アオイちゃん、それ、わたしにも見せてくれない?」

 クラスの中に蒼の立ち位置に敬意を払わない女子が一人だけいる。

 昼食後にティーン向けのファッション雑誌を読んでいた時に横からかけられる声。どうぞ、と雑誌を渡そうとする蒼に構わず、声の主はその辺にある椅子を寄せてきた。並んで二人で雑誌を覗き込む格好になる。いきなりエルボーゾーン――互いの肘と肘が接触するラブラブゾーン――に踏み込んできた積極的な彼女の名は、加藤(ミヤコ)。卵形のつるんとした顔とはっきりとした目鼻立ちで、美人や綺麗という形容ができるほどの品格はないものの、なかなか愛嬌のある顔をしている。一目で運動部であることが分かる小麦色の肌とポニーテールにした髪が活発な雰囲気を与えていた。

 この子の評価はなかなか難しい所がある。一言で片付けてしまえば、傍若無人。雑誌を一心に読んでいる振りをして、「気安く近づくなオーラ」を出していたはずの蒼のテリトリーにたやすく侵入したことから、雰囲気を察することができない性格の持ち主であることが分かる。が、その所作には無邪気な色があって、彼女の行動は人の心底に苛立ちを残さない。それが愛されるのか、男女問わず友だちが多かった。どうやら、蒼のことも友だちと考えているようで、遠慮なく交流を温めようとしてくる。

 苦手な子であった。彼女は、蒼のキャラを全く無視して、自分が付き合いたいように付き合おうとするのである。他人のキャラを考慮しないということは、想像力が欠如しているということを表している。この子はどういう子なんだろう、と探る意識が無いということだからだ。想像力がコミュニケーション能力を構成する重要な要素であることに(かんが)みれば、それが無いのに人から愛されるというのはこれはもう天性の素質としか言いようがない。親に感謝したが良い。

 都としばらく歓談したのち、委員会関連の用事を思い出したと言って、机からクリアファイルを取り出すと、蒼は席を立った。

「もし先生に見つかったら、わたしのものだって言ってね」

 そう断って、彼女に預けるファッション雑誌。もちろん、校則違反のブツ。

 学校からの処罰など歯牙にもかけないその優雅な所作に、感嘆の色を(おもて)に表した都を置いて、蒼は教室を出た。委員会云々というのは、ゴーイングマイウェイな少女から離れるための方便である。ただ、本日の放課後、委員会が開かれることが予定されているので、全くの嘘とはいえない。

――ああは言ったけど、本当に平気でわたしのせいにしそうなところが怖いわ。

 天衣無縫なクラスメートが取るかもしれない行動に対して、一抹の不安を覚えながら、蒼は廊下を歩いた。いくらもしないうちに階段の踊り場へ至る。

 ここまでが彼女の把握できる日常。そして、これから先、目指すべき所に、彼女の非日常が広がっている。

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