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プラトニクス  作者: coach
36/280

第36話:つまらない仕事もやり方次第で

「新聞を作ります」

 というのが杏子(アンコ)の連絡内容だった。ここ文化研究部の活動内容は、各国各時代の文化を研究することであり、研究結果をレポートにまとめたりしているわけだが、部の活動を対外的に示すために、たまに手製の新聞を作って、校内の掲示板に貼付しているのである。

「今度はどんなテーマにするんですか?」

 椅子に座りながら訊く(アオイ)に、今からそれを決めましょう、と部長。

「どーせ作るなら、なんか受けるのにしましょーよ。この前の何でしたっけ……フランス文化特集? あれ見向きもされなかったじゃないですか」

 その多分に商業主義的な主張に杏子はやれやれと息をつき、

「アオイちゃん、文化っていうのはね、それぞれが全て固有の価値を持ってるのよ。そうしてそれらの間に優劣をつけることはできないの。今、たまたまこの学校の生徒に受けが良かったからって、その文化が他より優れているわけではないし、逆もまた(しか)りよ。それを文化相対主義と言います」

 と今さらのレクチャーをした。蒼にとっては耳にタコである。しかし、初めて部長の講義を聴いた他の二人の部員からはパチパチパチと拍手が上がった。

「ハイ、ストップ」

 蒼は女子二人が叩く手を止めさせると、

「フランス文化が劣ってるなんて言ってませんよ。ただ、新聞をわざわざ作るっていう手間をかけるわけだから、それに見合った報酬を得たいっていう話です。何ごとも、報われないんじゃ意味無いじゃないですか」

 とさっきより明確な主張をした上で、

「そして新聞作りにおいて、報われるっていうのは、皆が見てくれるってことです。掲示板の前に人だかりができて、みんなが食い入るように記事を見る。それでこそ新聞を作った甲斐があるってものでしょ。見られない新聞にどんな意味があるんです?」

 挑戦的な口調で続けた。

「わたしたちの仕事は心ある人に理解してもらえればいいじゃない。大衆に媚びるものなんて、研究の名に値しないわ」

 崇高な理念に夢見る風な目をする杏子に、

「先輩はアレですね、ダメダメな男に自分から引っかかるタイプ」

 全然別な話を振る蒼。

 ぎょっとして夢から覚めた部長は、

「え、なんで? どっからそんな話になっちゃうの?」

 聞き捨てにはできない様子ですぐさま訊き返した。

「『あの人の価値が誰にも分からなくてもいいわ、わたしにだけ分かれば』とか何とか考えて、どーしようもない男に自分からハマるわけですよ」

 そう説明した蒼は、他の部員に向かって、

「たまたま自分の近くにいる女の子が評価しないからといって、自分のカレシが他の男の子より劣っているということにはならない。これをカレシ相対主義と言います」

 続けた。

 今度は拍手は上がらなかった。

 その代わりに、

「そ、そんな……」

 と愕然とした声が立ち昇る。蒼はショックを受けた顔をしている杏子に向き直った。

「かくして先輩は、つまんない男と付き合ってあたら青春を無駄にし、いつの間にかお肌も曲がる年になって、それでも『この(ひと)にはわたしがいないとダメなんだわ』とかアホくさい母性本能からいつまでもダメ男と別れられず、あげくあろうことか浮気なんかされちゃうわけですね。浮気の理由を訊いた先輩に、その男がぼそりとつぶやく答えの一言はこうです。『お前、重いんだよ』」

 ぎゃー、という絹……いや木綿を引き裂くような悲鳴が室内に轟いた。

 暗黒の未来予想図に精神を崩壊させた少女は、崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。がくりと疲労しきったマラソンランナーのごとく頭が上がらない彼女に、降る優しい言葉。

「でも、大丈夫、わたしたちは先輩の味方ですよ。ロクでもない男につまずかないようにする方法をお教えします」

「どうすればいいの?」

 すがりつくような目で顔を上げた杏子に蒼が一言。

「ウケる新聞を作りましょう」

「新聞?」

 カレシ選びと新聞にどんな関係があるのか、訝しがる部長に対して、

「そーです! ウケる新聞です!」

 強い調子で言うと、蒼は立ち上がって、

「同世代の子が何を求めているのか、それを考えることによって、自分の狭い価値観から解き放たれて、広い物の見方ができるようになるわけです。別の視点を獲得するんですよ。自分の視点と別の視点、複数の視点から見ることができれば、付き合う男の子の評価もそれだけ正確にできるようになるんです」

 力説した。

「ア、アオイちゃん……」

 杏子は眩しいものでも見つめるかのように後輩を見上げた。

「何ですか?」

 にこりと極上の笑みを投げかけてくる少女に、杏子は、

「今ほどあなたが大した子だと思ったときはないわ」

 と告げた。

「ありがとうございます。これも先輩のご指導の賜物(たまもの)です」

 そう言うと、サギ師の少女は次なるカモたちへと向かった。小芝居を傍観していた三人の観客。そのうちの二人は、まだ部に入ったばかりの女子であり、部活動の先輩である蒼の思い通りの方向に誘導するのに難しいことはない。問題は彼女らの横にいる先輩男子である。普段は、物静かというか全然しゃべらないくせに、唐突に鋭さを発揮するときがある。その鋭利な刃を当てられて、部長が目を醒ましたりしたら面倒なことになる。

「では、今回のテーマですが、わたしが提案するのは、恋愛かファンタジー特集です。同世代の子が求めるもの、それは現実ならば恋愛、非現実ならばファンタジー。これらに関する特集を組めば、食いついてくることは必至です」

 先輩男子からの反撃に身構えていた蒼だったが、全く反応はなかった。どうやら、今回は、『沈黙』モードにスイッチが入ってるらしい。二人の女子と一緒になって、なるほど、とうなずいてさえいるので、蒼は勝利を確信した。

「そういうのって図書委員の作る新聞の類なんじゃないの?」

 後ろから疑問を呈した部長に対して、 

「もちろんそうです。ただし、図書、すなわち文学というのは、文化の一側面ですから、図書委員の活動が、我々文化研究部の活動とかぶるところがあっても当然ではないですか? かぶるからといって、やってはいけないことにはならないでしょう」

 整然とした答えを与え、杏子を感心させた。

 蒼が決を採ると、杏子を含めて全員が蒼の提案に賛成を示したので、彼女は内心ほくそ笑んだ。これで、新聞作りという怖ろしく面白くない作業の苦痛が多少和らぐというものである。

「古代中国文化特集の時は死にそうになりましたからねー」

 もう隠す必要もないので蒼は本心を吐露してから、分担を割り振りましょう、と進行役を買って出た。

「とりあえず、皆さんがどのくらい恋愛について、造詣(ぞうけい)が深いかお聞きします。もちろん、フィクションのですよ。リアルな恋愛語られても気持ち悪いだけなんで。そういう話はお友だちの家に泊まりにいった夜のためにでも残しておいてくださいね」

 そう前置きすると、蒼は、一人ずつにこれまで読んだことのある恋愛に関する小説、映画、ドラマ、漫画などについて質問した。その最後に当たったのが、怜だった。

「加藤先輩は、そういうの読むんですか?」

 期待の薄い声で訊いた蒼の問いに、怜はうなずいた。え、と意外な顔をした少女に向かって、この前読んだのはこういう話だ、と怜は説明を始めた。

「ある町に仲の悪い二つの家がある。その家のそれぞれの息子と娘が恋に落ち、家からの妨害に遭いながらも、恋を全うし、ただ最後にはお互いを想うがゆえに死んでしまう悲しい恋物語」

 どうにも合点の行かずに曇る蒼の表情が、何かに思い当たったかのように晴れた。

「分かりました。川名先輩の影響ですね。加藤先輩がラブ・ストーリーを読むなんておかしいと思いましたよ。男の子らしい努力ですね〜、カノジョさんの好きなものに自分も興味を持ってみるなんて」

 怜が答える前に、横に来た杏子が口を出した。

「何言ってるの、アオイちゃん? 今、加藤くんが話したのは有名なお話よ。ロミオとジュリエットじゃない」

「え? ロミオとジュリエットって最後に死んじゃうんですか?」

「そうよ」

 へえ、と初めて知った事実に感心した蒼は、そこでやっと、怜にからかわれたことに気がついた。それでは、ラブ・ストーリーというよりは古典である。やはりこの人は侮れないと再確認した蒼が、

「じゃあ、他にはどんなものを? 現代のものにしてくださいよ」

 やり返す気で訊いたが、怜は首を横に振った。シェイクスピアの作品以外で心に残るラブ・ストーリーなどない、とはっきりと言う先輩男子に、蒼はなおも、

「でも、例えば、川名先輩と映画を観に行ったりするわけじゃないですか。そういう時、何を見るんですか?」

 引きさがらなかった。やられたら、たとえほんの少しでもやり返しておくのが、蒼の流儀である。

 怜は春休みに環と観に行った映画のタイトルを挙げた。

「それってラブですか?」

「いや、アクション」

「何でアクションなんですか? デートで観る映画って言ったら、普通ラブじゃないですか?」

「それはあっちに言ってくれ。選んだのはオレじゃない」

「川名先輩が?」

 ああ、とうなずく怜を怪しむような目で見ながらも、蒼は、彼の話を信じた場合に最もありえそうな可能性について言及した。

「多分、川名先輩は、加藤先輩に遠慮したんですよ。泣かせるじゃないですか、カレシが好きそうなものを選ぶという健気な女心」

「オレより余程楽しんでたけどな」

「そう見せてただけで、気がつかなかったんですよ。先輩、鈍いから」

 些少ながら、それでとりあえず反撃したことにした蒼は、

「じゃあ、次はファンタジーです」

 と、再び一人ずつ質問を回していった。

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