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プラトニクス  作者: coach
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第35話:降ればどしゃぶり

 頭の下の方で作ったお団子とスクエア型の眼鏡によって、落ち着きのある知的な雰囲気をその身に纏わせた少女が視聴覚教室に入って来た。ここ文化研究部の部長、田辺杏子(アンコ)である。その後ろから、もう一人少女が続いた。一本にまとめたちょっと変わった編み目の三つ編みとぱっちりとした瞳が印象的な彼女には、所作にしゃれたところがある。二年生部員の坂木(アオイ)

 杏子が荷物を適当に机に置きながら怜たちに挨拶すると、蒼が、皆さん、と気持ち大きめの声を出して、その場の注意を引いた。怜たちの視線がちゃんと集まったことを確認してから、蒼が語を継ぐ。

「率直にお聞きしたいことがあります」

 意味ありげな間のあとで、声を潜めるように手を口元に当てて、

「実は部長のことなんですが……どう思います、部長のこと」

 まるで本人がいないような振りで言った。

「アオイちゃん。陰口はその人のいないとこでやろうよ」

 杏子の注意の声には本気の色はなかった。蒼とはもう一年の付き合いになる。いい加減、彼女の自分に対するからかいには慣れてきたのである。

「先輩、わたしが陰口なんて卑劣なことをする子だと思うんですか?」

 蒼は心外だと言わんばかりの顔をして、杏子を見た。

「だってそういう話になるんでしょ」

「なりません。今先輩のいるここで正々堂々批判をするんです」

「じゃあ、直接わたしに言いなさいよ」

「その前に、わたしの批判が正しいかどうか、皆さんに判定してもらいたいんですよ」

 蒼は、どうだ、と言わんばかりに胸を張ってみせた。

 杏子は、部の活動に関して連絡事項があるから手短にするように念を押した後、蒼の好きなようにさせることにした。口惜しいことに蒼に口で勝つ自信は杏子にはない。

 蒼は怜たちの方に向き直ると、

「皆さん、部長をよく見てください」

 そう言って、彼らの視線を杏子に集めさせた。四人分の視線を受けてちょっとたじろいだ様子を見せる杏子に構わず、蒼は、

「さ、部長の外見を見て何を感じますか?」

 と授業中に生徒を当てる教師よろしくまずは太一を指した。

「外見がどう見えるかって?」

「そうです、先輩。心のままにどうぞ」

 太一はじっと値踏みするような目を杏子に向けると、

「何か頭よさそーに見えるな」

 と答えた。蒼は我が意を得たりとばかりに、大きくうなずくと、

「そーなんですよ。何か秘書っぽいですよね」

 太一の解答をかなり拡大解釈した様子で言った。というより、単なる自分の意見の押し付けである。その辺の事情を察した怜は、面倒なこともあって、太一の次に指されたときに、すぐさま、秘書だな、と答えた。

「そーです。さすが、加藤先輩」

 次に答えの役が回ってきた鈴音は、蒼のルールに素直には従わず、

「美人秘書ね」

 と杏子の顔を朗らかなものに変えさせる言葉を発した。蒼はルールを破られてもびくともせず、

「美人って言葉は橋田先輩に言われるとイヤミにしかなりませんね」

 と切り返し、お世辞ですよ、とわざわざ杏子に告げることまでした。改めて鈴音に目を向けて納得せざるを得ないような顔で悄然とする杏子。それを口の端で笑みを作りながら見た蒼は、最後に円に向かった。

「さ、マドカちゃん。これは杏子先輩のためなんだから、フランクに答えてね」

 円の黒い瞳が、部長の少女にしっかりと向けられた。少しして、円の形の良い唇から発せられたのは、

「田辺部長は綺麗な人だと思います。もちろん外見もですけど、それ以上に内面が美しい方です。何も分からないわたしに対してのこれまでの親切心、部を率いる責任感、自分への批判を許す寛大さ、どれを取っても人としての品位を感じます」

 という淀みのない言葉であった。

 その颯爽とした声音は、室内にしばらくの沈黙を導いた。

 咄嗟にすらすらと言葉を紡ぐ一年生女子に、蒼は内心、舌を巻いた。しかも、さりげなく自分への批判も混ぜている。蒼だけでなく、円の周りの三年生三人も一様に軽い感動を受けた様子が見えた。もちろん、一番感動しているのは、

「あ、ありがとう。円ちゃん。そんな風に思っててくれたなんて……」

 杏子だった。感激に身を震わせているであろう先輩を無視して、蒼は、円に向かった。

「円ちゃん。良いことを教えてあげるわ。校内には、『書かれていない決まり(アンリトゥン・ルール)』っていうのがあってね、これを知ってると学校生活がスムーズに送れるのよ。そのうちの一つがね、『三つ編みの先輩の言うことには素直に従いなさい』っていうものなの」

 自分の一本にした三つ編みをこれみよがしに見せる先輩に向かって、円はさも感心したかのような顔でうなずいた。中学校と小学校の違いの一つを垣間見た少女に向かって、蒼は、いいわね、と念を押した。

「はい、先輩」

「じゃあ、アンコ先輩のルックスは?」

「秘書です」

 ええーっ、という悲鳴に近い声が視聴覚教室を満たした。泣き声の主に向かって、蒼は、にやりとして、

「さ、先輩。満場一致で、『アンコ先輩は何か秘書っぽい、可愛くない』ってことに決まりました」

 結論を告げた。

「ちょっと、秘書はまだしも、可愛くないってことまでは言ってないでしょ」

「それはわたしの先輩への思いやりなんですよ。先輩が可愛いかどうか、皆さんに聞いてみます?」

「……いや、いいです」

 純粋な一年生が一瞬にして毒されたことで十分にショックを受けた杏子としては、これ以上のストレスは必要なかった。蒼が、

「ということでですね、先輩。まず、そのお団子を頭の上の方で作りましょう」

 続けたので、杏子はどういうことか尋ねた。

「お団子なんですけど、頭の上の方で作ったほうが可愛らしくなるんです。あと、小顔に見えるんですって」

 蒼は、自分の鞄から取り出した雑誌を開いて見せた。そのページには、お団子ヘアの魅力が高らかにうたわれている。

 『可愛い』とか『小顔』などのマジック・ワーズにときめいた杏子は、思わずお団子を作っているピンとゴムに手を伸ばした。しかし、お団子を崩す所まではいかなかった。蒼の、はっきりとした目元に期待の影が漂っているのが見て取れたからである。

「どうしたんです、先輩。さあ、早くそのお団子を解いて」

 その口調に不穏なものを感じた杏子は手を髪から離した。

「何が狙いなの?」

「やだなあ、狙いなんて。ただわたしは、親愛なる先輩に可愛くなってもらいたいだけですよ」

 そんな殊勝な心がけの子でないことは、杏子には分かっていた。一体、蒼の目的は何か。

 警戒している先輩の気持ちを強引に動かすために、蒼は部員プラス部外者の四人に向かって、

「さ、皆さんもご一緒に、『お団子を上に』に清き一票を」

 声を張り上げたが、誰も彼女の扇動に乗るものはなかった。先の、杏子イコール秘書、評で義理は果たしたというクールな判断をした振りの集団に向かって、蒼は続けた。

「あのお団子を解いてですね、ついでに眼鏡を外せば、醜いアヒルの子が美しい白鳥になるんですよ。闇のヴェールに包まれたその本性を見てやろうっていう冒険心がある人はいないんですか?」

 応、という(とき)の声を期待した蒼だったが、やる気のない船員達からはついに上がらなかった。ちぇ、と悔しそうに口元を尖らせて、

「皆さん、ノリ悪いですよ」

 軽く責めるような色を見せると、その後ろから、

「そういう企みだったのね、アオイちゃん」

 後輩の計略を見抜いた杏子がはっとした顔を作っていた。

「お団子を解かせて、わたしのこと笑いものにしようなんて、ヒドいわ。アオイちゃんのこと、確かに良い子だとは思ってなかったけど、でもそこまで悪い子だったなんて。腹黒いと思ってたけど、せいぜい薄曇りくらいの暗さだと思ってた。コールタールみたいに真っ黒だったなんて」

「先輩、さりげに残酷なこと言ってますよ」

「残酷なのはどっちよ。もう絶対にわたしはこの髪型をやめないわ。コンタクトにもしない」

 かたくなに断言する杏子に、

「誤解ですよ、先輩。ただ、わたしは髪を解いた方が綺麗だって言ってるだけで……」

 説得しようとする蒼だが、

「絶対ウソ。髪を解いた所を間髪入れずに笑うんだわ。しかも、皆の前で」

 頑固に主張する杏子。その強硬な態度に、蒼は諦めた風にため息をついた。

「分かりました。でも、せめてお団子は上の方で作ってくださいよ。その方が多分カワイイですから。かわいくなかったとしても、たまには髪型に変化をつけた方が男子受けもいいですしね」

「本当?」

「はい」

 自分の言葉よりも説得力のある雑誌を再び見せる蒼。

「男子受けも?」

「いいですよ。今日、実証済みです」

 そう言って自分の一本にした三つ編みを見せる蒼に、

「それ、フィッシュボーンでしょ?」

 訊く杏子。ちょっと面倒なタイプの三つ編みだった。

「よくやる気になるね」

「慣れると簡単ですよ。それに何よりモテるためです」

 言い切る蒼。年頃の女の子である。髪型を変えるとモテるのか気になった杏子が本当かどうか確かめようと、他の部員達に訊こうとしたが、

「無駄ですよ、先輩、この人たちに訊いても」

 その前に、蒼が釘を刺した。

「まず橋田先輩と円ちゃんは、髪型がどうこうっていうレベルじゃないですし、加藤先輩には川名先輩以外の女の子は目に入らないだろうし、瀬良先輩なんか女の子だったら何でもいいんですから」

 だからわたしに訊くしかないんです、と締めくくる蒼。

「おい。女の子なら何でもいいっていう言い方はないんじゃないのか?」

 席から立ち上がって小さく抗議してくる太一に、蒼は動じずに、

「でも、その通りでしょう?」

 返すと、そんなことはない、と先輩男子は首を横に振った。

「怖い子には告白しないことにしてる」

「怖い?」

 分からない顔をしている蒼の目を、太一は自分の近くにいる同学年の女子に向けさせた。

「こういう子だよ。まあ、スズには告白しちゃったけど」

 えっ、と興味を表した蒼が、返事はどうしたのか鈴音に訊くと、

「ごめんなさい」

 と彼女は言って、太一を呻かせた。

「二回言うなよ」

 頭を抱えた太一だったが、少しして気を取り直したように顔を上げると、何かに閃いたかのような顔で蒼を見た。

「アオ」

「はい?」

 その真剣な声音に多少たじろぎ気味に次の言葉を待つ蒼の耳に、オレと付き合ってくれという唐突な告白の言葉が流れてきた。

「いいですよ」

 あっさりと答える少女を、自分の性急な告白について棚上げした太一が返って怪しむように見た。

「え、いいの?」

「はい」

「そ、そう」

 あまりに淡白なその反応に少し拍子抜けしたような太一だったが、近くにいる三人に向かって、

「どうやら三度目の正直みたいだ」

 にやりとして見せた。しかし、どうやら引用する諺が間違っていたことに気がつくのに長くはかからなかった。

「先輩。わたし、明日誕生日なんですよ」と蒼。

 付き合いを申し込んだ翌日が交際相手の誕生日であるという奇遇さに驚きながらも、何かプレゼントするよ、とマメさを発揮しようとする太一。その時、彼から少し離れた所から、

「アオイちゃんの誕生日は八月でしょ」

 と奇妙な発言がなされた。今はまだ五月なのである。どういうことか確かめようと、蒼を見ると、彼女は、

「アンコ先輩、ばらさないでくださいよ」

 と部長の少女を咎めたあと、

「折角明日プレゼントをもらったら速攻で別れようと思ってたのに」

 恐ろしいことを平然と口にして、にこーっとした魔性の笑みを太一に向けた。

 うわあ、という小さな叫び声を上げると、太一は先の告白を撤回し、いたたまれなくなって足早に部室を出て行った。

 一日に三度も失恋の衝撃を味わった哀れな少年がいなくなり、室内に部関係者しかいなくなったところで、部長の少女は業務連絡を始めた。

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