第274話:仲直りの流儀
「いつまで、七海と絶交しているつもりなの?」
ある晩秋の休日、和菓子店で友人と優雅にお茶をしているときに、更紗は、その友人から言われた。
「いつまでって、絶交っていうのは、『交』わりを『絶』つわけだから、ずっとに決まっているでしょ」
更紗は何気ない風で答えた。
すると、友人はムッとした顔を作り、一口、アイスティを飲んでから、
「いい加減にしなよ、サラサ。別に、ナナミが悪いってわけでもないんだから」
やや強い声を出した。
更紗もムッとした。
「悪いでしょ。勝手に人の好きな人に会いに行くなんてさ。しかも、わたしが好きだってこと、分かっててやってんだよ」
「ナナミってそういうところあるの分かってるじゃん。それに、あの子がそういうことをするのは、なんか理由があるんじゃないの。理由、聞いてみた?」
「理由があったら万引きしていいわけ?」
「もおっ、そういうとこ、本当によくないよ、サラサ」
小学校来の友人に更紗が三行半を突きつけてやったのは、先日のことである。
理由は、男関係だった。
更紗が好きな男子のところに、友人の七海が遊びに行ったことが分かって、更紗がブチギレたのである。
更紗と七海は同じクラスだったけれど、それ以来、一言も話さなかった。
以来、一月半が経つ。
この間、更紗は、二人を知る友人たちに事に触れて、七海とよりを戻すようにと説得され続けた。
いわく、
「ナナミがしたことは意味が分からないけど、でも、絶交までする必要ないでしょ」
「ナナミは普通じゃないんだから、普通のあんたが、普通の物差しで測っちゃだめ」
「小学校5年の時のこと忘れたの? 有川さんの給食費が盗まれた件であんたが疑われた時、ナナミだけがあんたを信じてくれたじゃん。ちなみに、わたしは疑ってたけど」
などなどなどなど。
説得され続けているうちに、更紗の気持ちも変わってきた。
七海のことを許してもいいのではないかと思うようになってきたのである。
確かに、七海は変な子だけれど、これまで友人を裏切ったことはなかった。
むしろ、友人に尽くしてきた。
その彼女を疑ってしまったのは、恋によって盲目、もとい、「目が不自由」、もとい、「オプティカリーチャレンジド(社会によって視覚的に制限されている)」になってしまったからだ、と今なら、更紗も理解できる。
とはいえ、しかし、したことはしたことであるし、こちらの怒りにも正当性が無いわけではない。
よって、復縁するとしても、それなりの手続きが無いといけない。
いったん絶交しておきながら、
「やっぱり、この前のことなしにして、また仲よくやろーよ」
では、沽券に関わる話になってしまう。
手続きを踏まずに何でも行えるのは子どもの特権であって、幸か不幸か、更紗はもう子どもとは呼べない年だったのだ。
では、どうすればいいのか。
こういう時、目前の友人では頼りにならない、と言うべきだろう。
それは友人のせいではない。
彼女のように性質がまっすぐな人には任せられないということに過ぎない。
別の友人に頼むしかないのだ。
「そういうわけで、性格がねじ曲がっているあんたに頼みたいわけ、杏子」
「誰の性格がねじ曲がっているのよ!?」
「ナナミとの仲の取り持ちを依頼してあげるわ」
「なんで、そんな上からなの!? サラサは頼んでいる立場なんだよ!」
「じゃあ、なに、土下座したあと、あんたを見上げればいいわけ?」
「別に土下座なんて見たくないよ」
「だったら、いいでしょ。引き受けてくれるの、くれないの?」
「引き受けるにしても……まずは、サラサが謝らなきゃ」
「なんで、わたしが謝るのよ、メガネッ子!」
「メガネッ子って……まあ、メガネはしているけども」
「そういうことをしたくないから、あんたに頼んでいるんだから」
「じゃあ、ナナミに謝らせる?」
「それもいや」
「え?」
「謝って欲しくない。だって、ナナミは、わたしのことを思ってやってくれたんだろうから。それなのに、謝らせるっていうのは、違うでしょ」
「ゴメン、だとするとどうすればいいか、全然分からない」
「アンコ、バカだもんね」
「もう帰ろうかな」
「帰るなら、この件に道筋をつけてからにしてよ!」
「道筋つけろったって、こっちから謝ることはしない、かといって、ナナミに謝ってほしいわけじゃない。だったら、どうすればいいわけ?」
「それを考えてほしくて、呼んだんでしょーが」
「考えろったって」
「考えてくれない限り帰さないから! 今日うちに泊まってってもらうからね!」
「ええっ!?」
グダグダと何かを先に引き延ばすのは、更紗の流儀ではなかった。その唯一の例外は、好きな男子との関係性である。これは慎重になってしまってもやむを得ない。しかし、それ以外のことは即断即決で行いたい。アイスはチョコミント味に決めているし、ペットボトルのジュースはレモンティに決めている。
その時、友人のスマホにメッセージが届いたようだった。
「ちょっと、ごめん」
杏子は、スマホに取りかかった。
メッセージのやり取りは、しばらく続きそうである。
「もしかして、カレシじゃないでしょうね?」
「芦谷さんだよ」
「誰?」
「同じ部活でしょ」
「あー、転校してきた人。いつの間に仲良くなったの?」
「ついこの前。ちょっと時間もらっていい?」
「ごゆっくり。お母さんに、アンコ泊めるって言ってくるから」
更紗は、友人の答えを待たずに、立ち上がった。階下に降りて、母親に今晩、友人を泊めることを告げて、何かいい感じの夕飯にしてもらいたいことをオーダーしたあとに、お茶のお代わりを用意してやって、部屋に戻ってくると、スマホのやり取りは終わっていたようだった。
「もういいの?」
「うん、オッケー」
杏子は、スマホをテーブルの上に置いた。
更紗は、アイスカモミールティの入ったグラスを、杏子の前にサーブした。
「それで、何かいい案出た?」
「その前にちょっとサラサにもう一度聞いておきたいんだけど」
「なによ?」
「サラサは、ナナミと仲直りしたいんだよね?」
「アンコ、ボケちゃったの? さっきからそう言っているでしょ」
「ナナミにはもう怒りは無いの?」
「あるはある。怒ってはいるよ。でも、ナナミにも事情があったんじゃないかって、そう思っているの」
「事情っていうのは?」
「そんなの知らないよ」
「その事情が、ナナミ自身のためだっていうことは考えないの?」
「えっ、なに?」
「だから、塩崎くんのところに行ったのは、ナナミ自身の何かしらの事情のためにしたってことは考えられないのかって」
「それは無いでしょ」
「なんでそう言い切れるの?」
「なんでって……じゃあ、たとえば、何のために行くの?」
「決まっているでしょ。ナナミが塩崎くんのことが好きで、それでサラサに隠れて会いに行ったってことは考えられない?」
更紗は、目を皿のようにした。
「アンコ、酔っぱらってるの?」
「そんなわけないでしょ。どうやって、カモミールで酔っぱらうのよ。まだ、飲んでもいないし」
「ナナミのこと信じてないの?」
「信じてはいるけど、でも、時に恋は友情に勝るものでしょ」
「じゃあ、本気でそんなこと言っているってこと?」
「当たり前でしょ」
「……出てって」
「え?」
「今すぐ出てけ!」
「どうしたの、いきなり? 今日泊めてくれるんでしょ?」
「ナナミのことをそんな風に言うなんて信じられない! あの子が、わたしたちを裏切るわけないでしょ!」
「何言ってんの、サラサがさんざん言ってたことじゃない」
「そ、それは……酔ってたからよ」
「何に酔ってたのよ」
「自分によ! 悲劇のヒロイン気取りの自分に酔ってたの! もう目が覚めたから、ちゃんと! あんたは、シラフでしょ! それなのにナナミのことを悪く言うとか、何考えてんの!?」
「もうナナミなんてどうでもいいじゃん、絶交したんだし」
「だから、絶交は取り消すって言ってんの!」
「簡単に、したり取り消したりはできないでしょ。どんだけ、サラサの絶交って軽いのよ。しかも、どうやって取り消すの。自分じゃ何にもできないくせに」
「できる!」
「できないわよ。どうせ、ナナミとのことなんて、どうでもいいと思ってるんでしょ。本当に大事だったら、こんな悠長に相談なんてしてないしね」
「だったら、土下座でも何でもしてやるわよ!」
「しないって言ってたじゃん」
「ナナミと仲直りできるんだったら、頭くらいいくらでも下げてやるわ。友達ってそういうもんでしょ!」
「言っていることがめちゃくちゃだけど……まあ、サラサが本気だってことは伝わってきたよ」
「何を今さら!」
「ナナミにも伝わっていると思うよ」
「はあ?」
「だって、さっきから、この会話、ナナミも聞いているから」
そう言って、杏子は、テーブルからスマホを取り上げて、その画面を見せた。
通話画面は、どうやらスピーカーになっているようである。
更紗は、呆気に取られたけれど、素早く心を決めた。
杏子に向かって、手を伸ばす。
友人のスマホを手に取って耳に当てると、
「ナナミ?」
声をかけた。
「うん」
「聞いてたの?」
「全部ね」
更紗は、ふうっと息をついて、
「ごめん! わたしが悪かったから、絶交取り消してもらえない? 土下座してる写メ後から送るから!」
一気に吐き出した。
返ってきた声は落ち着いたものである。
「写メはいらない。サラサの気持ち、今聞いてて、よく分かったから。嬉しかった。わたしの方こそ、ごめん」
「そう……じゃあ、月曜日から普通に話すからね」
「分かった」
「あと、わたし、改めて言うけど、ヒカルくんのこと好きだから」
「うん」
「……でも、ナナミのことも好き。大好き」
更紗は、素早く電話を切った。
そうして、ニヤニヤしている友人にスマホを返す。
「その眼鏡、ダテじゃなかったわけね」
「サラサ、わたしのことは?」
「なにが?」
「『大好き』ってやつ、わたしには無いの?」
更紗は首筋が火照るのを感じた。
「わたしと絶交したら、言ってあげる」
「わたしとサラサが絶交したら、誰が、わたしたちの絶交の取り消しを取り持ってくれるの?」
「あー……いないかもね。じゃあ、あんたとは絶交しないようにする」
更紗は、カモミールティをゴクゴクと飲み下した。
「それにしても、アンコ、頭がおかしくなったのかと思ったよ。もとから、おかしいけど」
「おかしくない!」
「あんたの考えなの?」
「モチロン」
そこで、更紗はピンときた。
さっき部屋を出たとき、ある程度時間があった。
「芦谷さんに、お礼言っておかないとね」
鎌をかけてみると、
「具体的なプランはわたしだよ」
あっ、と杏子は口を押さえるようにしてから、
「本音をぶつけられるような環境を作ればいいんじゃないって、アドバイスされたの」
答えた。
「親友の事情を、そんなに簡単に話すわけ?」
「詳しくは話してないよ。証拠に、メッセージのやりとり見る?」
「別にいい……とにかく、ありがとう」
「いいってことよ」
「お母さんには、特別美味しいものを出してもらうことにするから」
「おばさんに負担かけないでいいから。てか、わたし、泊まっていった方がいいわけ?」
「うん」
「なんで?」
「ナナミの件はいいけど、ヒカルくんの方があるから」
「だって、そっちはもうどうしようもないじゃん」
「どうしようもなくない!」