第273話:他人への相談はほぼレクリエーション
紬は内心でため息をついた。
ため息をついたのは心の中でだけで、気分の悪さを外には表していないけれど、これ以上続くと、我慢していられるかどうか、自信は無い。
休日の午後、もうかれこれ1時間半もの間、カフェで、友だちのカレシの愚痴を聞いているのだった。
紬は、ついこの間、もと住んでたところに帰って来たばかりであり、旧交を温めようとした結果が、これだったのである。
「どうすればいいと思う、ツムギ。やっぱり、もう別れるべきかな?」
小学校の時付き合いがあった友人が言った。
付き合っているカレシと別れるべきかどうか悩んでいるらしい。
「ツムギだったらどうする?」
紬は曖昧に微笑んだ。
「いやー、そんなこと言われても、わたし、カレシいたことないからなあ」
「そうは言っているけど、本当はあるんでしょ?」
「え? ないよ」
「付き合いはしたけど、ちゃんとしたカレシにカウントしてないだけなんじゃないの?」
そんな失礼なことはしていないはずである。告白されたことは何度かあるけれど、全てちゃんと断ってきたのだ。念のため紬が、これまでの男子との付き合いを思い出そうとしていると、その沈黙を自らの問いに対する肯定と受け取ったのか、彼女は、
「だから、ツムギだったらどうするか、聞きたいの」
と畳みかけてきた。
「付き合って三ヶ月経って、なんか違うなと思ってきたんだよね」
「そう」
「わたしだったら――」
「だったら?」
「なんで違うなあって思うようになったのか考えるかな、興味がある」
「じゃあ、そのために付き合い続けるってこと」
「そうだね」
「でも、違うなって思っていることが大事なところで、その原因なんて明らかにしたってどうしようもないんじゃないの?」
確かにその通りだった。
でも、気になるものは気になる。
人はなぜ変心するのか。
「別れようかな。付き合ってても、前みたいにドキドキしないし。たぶん、運命の人じゃなかったんだな」
友人はあっさりと結論付けた。
紬は、彼女の新しい門出を祝った。
そうするしかない。
今日のこの時間を返してほしい、とは思わなかった。彼女の相談に乗ってしまった自分の落ち度である。今後は、絶対に彼女の相談には乗らないことを決意する。
――旧交を温めるのもほどほどにしないとなあ……。
すっきりした顔の友人と別れた紬は、どんよりとした気持ちで、家に向かって歩道を歩いた。
まだ日没には遠い晩秋の空は、はるかに高く、うっすらと青い。
こっちに帰って来てから昔、小学生時代に仲が良かった子たちと一通り再会を果たしたわけだけれど、大した感慨を覚えなかった。みな、ほとんど昔と変わっていなかった。5年もあれば、別人のようになっているのではないかという期待があったわけだが、メイクの仕方とカレシの作り方を覚えた以外は、そう大して変わってもいないようである。
――つまんないな……。
昔の友人たちにほとんど興味が湧かない。
面白くない。
そう思った紬は、歩きながら、
「つまんない」
と、そっと口に出してみた。
「つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない!」
もちろん、昔の友人たちは、別に紬を楽しませるために存在しているわけではないので、紬がつまらない思いをしたところで、それは彼女たちのせいではない。つまらない思いをしているのであれば、それは、つまらないと思っている人と絡んでいる自分自身のせいである。そのくらいのことは分かっていた。
「ふう」
紬は、道沿いに置かれているベンチに腰掛けて、夕空手前の空を見た。
考え事をするときは、空を見上げるのが彼女の流儀である。
前の学校で仲良かった子たちといる方が楽しかった。まあ、それは当然である。その時、その時で気の合う子たちとつるんでいたわけだから。その関係性の輪を断ち切って、昔の知り合いがいるとはいえ、ほとんど真新しいコミュニティに入ってきたわけだから、転校生というのは中々大変である。
――いじめられないだけマシと思うべきなのかなあ……。
紬は、深呼吸した。
いじめられもしなければ、いじられもせず、新しいクラスでそこそこうまくやれているわけだから、それ以上の高望みはしない方がいいのかもしれない。
でも、つまらない。
紬は、空を見つめ続けた。
薄く晴れた空から、天使でも降ってきてもらえないもんだろうか。
――ダメだあ、頭が回らない……。
「芦谷さん?」
「えっ!?」
声のした方に目を向けると、お団子頭とスクエアメガネをかけた天使がそこにいた。
「田辺さん?」
「どうしたの、こんなところで」
紬は、ベンチの上で居住まいを正すと、所属している部の部長に向かって手を合わせた。
「え、な、なに?」
「ちょっと、相談に乗ってもらいたいことがあるんですけど、少しだけお時間下さい!」
「あー、うん、いいよ」
「ここに座っててください」
そう言って、紬は立ち上がると、近くにあった自販機から、ホットの紅茶を二つ買ってきた。
そうして一つを、ベンチに腰かけていた彼女に手渡す。
「どうぞ」
「あー、ありがとう。ミルクティ、大好きなの」
部活をしている時に、小耳にはさんだ話から、それは知っていたのだった。
紬は、自分のミルクティのキャップを空けると先に口をつけて、部長が一口飲むのを待った後に、
「わたし、友達いないんです。それで悩んでいて」
と切り出した。
「えっ? とてもそうは思えないけど」
確かに、自分に友達らしき子がたくさんいるように見えることは分かっていた。
そこで、紬は、もう少し詳しく現状を述べることにした。
「なるほど、昔のお友達とうまくないんだね……まあ、それぞれ別の時間を過ごしてきたわけだから、そういうことにもなるよね」
「もうあの頃には戻れないような気がしているんです」
「あのー」
「はい?」
「敬語やめてくれないかな。わたしより若く見せたいつもりだったら、そのままでいいけど」
「じゃあ、タメ口で。どうすればいいと思う?」
「うーん……無責任なこと言えないけど、昔の友達と合わないなら、新しく友達を作るしかないんじゃないかな」
「でも、こっちはこっちでグループが固まっちゃってるから、それも難しいんだよね」
「確かにね。高校に行ったらまた話は別かもしれないけど。とはいえ、中学生活も、まだもうちょっと残っているからね」
「うん」
「でも、それこそさ、せっかく文化研究部に入ってきてくれたわけだからさ、せめて、その中では友達作ろうよ。っていうか、わたしたちは、もう友達でよくない?」
「えっ!? いいの!?」
「もちろん。まあ、わたしと一緒にいて、面白いかどうかは分からないけどね」
「すごく面白いと思う!」
「そうかなあ」
「うん! 早速だけど、一つだけ。何か好きなことある? 趣味的な」
「トレッキングかな。この前も友達と一緒に丘に登ってきたのよ」
「へええ、すごいね」
「次は、温泉に行こうってことになっているの。その時、一緒に行く?」
「行きたい!」
「温泉の前に歩くことになるよ」
「歩くのは好きだよ。歩く他に何もしなくていいから」
「わたしよりトレッキングが好きな子いるから、その子にも紹介するね」
「ありがとう。ああ、今日はいい日になったなあ」
「どうかな。わたしが、この眼鏡の奥に、邪な企みを秘めていたらどうする?」
そう言って、杏子は、眼鏡の縁に手を触れさせて、少し動かした。
「それは絶対に無いと思う」
「人徳ってやっぱり顔に出るのかな」
「部長さんは、加藤くんに信頼されているから」
「えっ、加藤くん?」
「うん。加藤くんが信頼している人なら大丈夫」
「……差し支えなかったら、芦谷さんって、加藤くんとどういう関係なのか聞いてもいい? 元カノとか?」
紬は笑った。
もしもそうだったら、どれだけ面白いか知れやしない。
「小4の時に、同じクラスだっただけだよ。わたし、小4のとき引っ越したから。それっきり、会ってなかったの」
「そうなんだ。あと、わたしのことは、アンコでいいよ」
「じゃあ、わたしのことも、ツムギで」
「ツムギちゃんは、加藤くんのこと、どう思っているの?」
「え?」
「信頼している風だから。もしかして……」
「どう思っているかは自分でもよく分からないんだ。だって、謎の人でしょ、加藤くんって」
「まあ変な人ではあるよね、確かに」
「好きか嫌いかで言えば、好きだけど、でも、その『好き』が、ライクかラブかは分からない」
「なるほど」
「ごめんね、アンコちゃん。時間取らせちゃって。どこかに行くところだったんでしょ」
「え、あー、うん、まあね」
「塾とか?」
「友だちの家。この子のことも、そのうち紹介するね」
「ありがとう」
「なんか、みんな大変だよね」
「何が?」
「だから、そのライクとかラブとかの話だけど、まるでわざわざ大変な思いをしたいから、人のことを好きになっているみたい」
「アンコちゃんは、誰か気になる人いないの?」
「んーん、特には」
「そうなんだ」
「そう。だから、その手のことを相談されてもどうしようもないっていうところがあるよね」
「分かる」
「まあ、相談している人って、別に本気で回答を求めているわけじゃないだろうからね」
「聞いてほしいだけだよね、たぶん」
「そう。だから、神妙な顔してハイハイうなずいていればいいんだけど、これが結構疲れる上に、その時間って、いったい何の時間なんだろうっていう気にもなるんだよね」
それは、まさに、今日紬が感じたことだった。
誰も本気で相談なんてしていない。
もちろん、専門家にするようなものは別なのだろうけど、少なくとも友人間でなされるものなど、レクリエーションでしかない。問題は、普通のレクリエーションであれば、参加しているものみなが楽しめるのだろうけど、このレクリエーションは、一方しか楽しくないということだった。つまり、全然レクリエーションなんかではないのだ。
「トレッキングと温泉、楽しみにしているよ」
紬は立ち上がった。
「連絡先交換しておこうか」
部長の言葉に応じて、紬は、スマホを操作した。
「じゃあ、また学校でね」
そう言って立ち去った杏子を見送った紬は、まさかまさか、今日、新たな友人を得られるとは露ほども考えておらず、世の中捨てたものではないと思った。
――あとはやっぱり加藤くんだな……。
紬は、昔の知り合いの中で、唯一大きく変わっていた子のことを想った。