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プラトニクス  作者: coach
272/281

第272話:お隣は砂漠のオアシス

 その日、宏人(ヒロト)は隣家を訪ねることにした。

 なんとなれば、心に潤いを求めたからである。

 なにせ、家の中は潤いというものが全く存在しない、まるで無法の荒野である。

 そんなところで寝起きを続けていて正気を保てるわけがない。

 狂気に至るラインまでバーが上がりきる前に、リラックスしに行くのが隣家なのだった。

 隣家には、兄とも慕う少年がおり、向こうもこちらのことを弟のように遇してくれるのである。

 その遇し方は、本当の弟に対するよりもなお丁重だった。

「よお、ヒロト」

 インターホンを押してから玄関に入ると、宏人は、玄関先に余分の靴を見た。

「お客さん?」

「まあな。でも、いいさ、上がれよ」

「出直そうか?」

「いや、大丈夫だ。来ているのは、(レイ)だから。会ったことあるだろ」

 その名前は知っていた。

 (ケン)の親友で、賢の言う通り、一度会ったことがある。

 一度会ったことがあるだけで、それほど親しく話したことがあるわけでもないので、宏人は、よっぽど遠慮した方がよかろうかと思ったけれど、賢は再度勧めてきたので、お招きにあずかることにした。

「ジュース飲むだろ?」

「ありがとう」

 通されたリビングで宏人は、加藤怜と再会した。

「こんにちは」

「こんにちは」

「倉木日向(ヒナタ)の弟です。姉がいつもお世話になっています」

「覚えているよ。一度お会いしたので」

「謝っておきます。姉のこと」

「どうして?」

「姉は、賢兄(けんにい)のこと、自分のものだと思っています」

「それは、おおむね正しい」

「だとすると、ケン(にい)に近づく人はみんな姉の敵になるので」

「きみも今近づいている」

「だから、今日は久しぶりに来たんです」

「なるほど」

「これ、なんて言いましたっけ……えーと、鬼がいない時に……」

「鬼の()()に洗濯?」

「そう、それ」

「危険な発言だな」

「言ったのは、加藤先輩ですけどね」

 宏人はちょっと調子に乗ってみたところ、怜は微笑した。

 人の心を落ち着かせるような笑みで、もしも、この人が女性だったら、好きになっていたかもしれないと思った。

 それはいかにも唐突な想念だったわけだけれど、そう思ったものはどうしようもない。

「二人で何の話をしているんだ?」

 賢が炭酸ジュースを持って帰ってきた。

「お前の話をしていたところだ、ケン」と怜。

「オレの?」

「そう。お前が誰のものなのかっていう類の」

「男二人から取り合われるとは思わなかったなあ。しかも、ヒロトとレイじゃ、選びようがない」

「ところが、オレたちは、取り合っていない。初めから参戦さえしていない」

「おいおい。で、誰のものだっていうことになったんだ?」

「ヒロトくんに聞くべきだろう」

「ヒロト?」

「いや、加藤先輩に聞いてください」

「どうも聞かない方がいいみたいだな」

 賢はソファに腰かけて、コーラの入ったグラスを宏人の前に差し出した。

 宏人は目の前にある、足の短いテーブルの上に広がっている、地図をプリントしたものを見た。

 マークが記されていたり、ルートが書き込まれたりしている。

「どこかに出かけるの? ケン兄」

「まあ、遠足だな」

「遠足?」

「そう。ハイキングして、ビュッフェで食べる。何かお土産買ってくるよ」

「お土産って……そんなに遠くに行くの?」

「それを決めている最中だったんだ」

「邪魔だったら、オレ帰るよ」

「いや、別に邪魔にはならない。なあ、レイ?」

 加藤先輩はうなずいて、宏人を見て言った。

「何だったら、意見を言ってもらってもいい」

「でも、オレ、部外者ですよ」

「だからこそ、客観的な意見が言えるってこともあるだろう」

「だからこそ、無責任な意見が言えるってことでもあると思いますけど」

 宏人は、さすがに無遠慮だっただろうかと思ったが、怜はやはり微笑して、

「きみはこの件に責任を負っていない。だから、無責任な発言であるのは当たり前だよ。きみがした発言をどう受け入れるか、その責任は、オレが取る」

 と答えた。

 宏人は、あっ、と盲点を突かれた思いだった。

 それじゃあ、ということで、計画を聞いたあと、いくつか宏人は意見を言ってみた。

 幼馴染とその親友は、年少者の言うことだからと適当に聞くようなことはせず、よくよくと耳を傾けて、逆に、質問までされた。

 宏人は、まるでプレゼンターのような気持ちになったが、気分は悪くは無かった。

「ありがとう。これで、さらに計画がクリアになったよ」

「銀行強盗するわけじゃないんですよね?」

「オレにとっては、それよりも重要なことなんだ」

「それを聞いて安心しました」

 宏人は、加藤先輩と話していると、心が穏やかになっていくのを感じた。

 なんだろう、これは……。

 風の無い湖面を見ているかのような、満天の星を見ているかのような、そんな気分になる。

 気の置けない友人といても、やはり多少の緊張はあるものだが、それが、この人の場合は無いのだった。

 どうしてなのかと言えば、おそらくは、自己主張の強さがないからではないか、と、そう明確に分析したわけではないけれど、言葉にすればそういうことになるのではないか、と宏人は思った。押してくる感じ、自分が話していることを聞いてもらいたいという欲求、マウンティングの意志というものを全く感じなかった。

 そこにいるのに、手に届かないような感覚。

 それは寂しさを伴うものではなく、憧れを与えてくれるような。

 美しい風景を見ているような雰囲気に近いのかもしれないと思った時、湖面や星空のイメージは当たっていたことを、宏人は認めた。

 それを賢にも感じる。

 ということは、賢のこともそのように考えているということにならないだろうか。

 なるかもしれない。

 宏人は、幼馴染に関して、新たな視点を持った。

「どうしたんだ、ヒロト。一人でうなずいて」

「いや、何でもないよ。今日来て良かったなあって」

「そうか。それはよかったな。もう一杯、コーラ飲むか?」

「飲む飲む」

 その後も、宏人は心穏やかな時間を過ごした。

 こういうところがあるから本当にありがたい。

 なにせ宏人の日常は、なかなかに殺伐としているわけであって、一日の中で心からリラックスできるのが、夜寝る前自分の部屋でショート動画を見るときの15分程度くらいしかないのだ。いつか、こんな日常から抜け出したいと思っていたところに、割とオアシスというのは近くにあることに気がつく。ありがたや、ありがたや。

 そこで、ふと、賢や加藤先輩のことが気になった。

「あの、聞いていいですか? 二人は、心からリラックスできるときってありますか?」

 すると、賢は加藤先輩を見た。

 加藤先輩は賢を見返した。

 それから、賢は宏人を見てきた。

 その隣から、

「それは、きみの類まれなる美点だと思う」

 加藤先輩がいきなり言った。

「え……?」

「他人のことをすぐさま思いやることができるところだよ」

 それはまるでただの事実を述べるかのような口調で、上から目線でもなければ、特別に感心したという風でも無かった。

 しかし、だからこそ、宏人は彼の言葉が心に染み入るようになるのを感じた。

「ありがとうございます」

 宏人は、初めて姉のことをうらやましく感じた。なんとなれば、彼女のように一年早く生まれていたら、彼らと友だちになることができたかもしれなかったからだ。

――いや、年は関係ないか……。

 年の多少で友情を結べたり結べなかったりする人と友人になりたいとは思わない。

「ヒロトはいいヤツなんだ。オレの自慢の弟だよ」

 賢が楽しそうに言った。

「自慢できる身内がいるのはいいことだ」と加藤先輩。

「レイにだって、可愛い妹さんがいるじゃないか」

「えっ、加藤先輩、妹さんいるんですか?」

 この人の女性バージョンだとしたら申し分ないではないかと、にわかに上がるテンションに、

「ヒロトくんと同じ二年生だよ」

 次の言葉を聞いて、なお、宏人はボルテージを上げた。

「マジですか!?」

「ああ」

「何組ですか?」

「さあ」

「え?」

「隠しているわけじゃない。彼女は秘密主義なんだ」

「秘密主義?」

「ああ」

「何組なのかも秘密に?」

「そう」

「そ、そうですか……」

 宏人は何となく、加藤先輩と自分との間に通うものを感じた。

 この件は、これまでにしておいた方が良さそうである。

 宏人は立ち上がった。

「じゃあ、オレ、そろそろ帰るよ」

「まだいいだろ」

「また来させてもらうから」

「もっとちょくちょく来いよ」

「そうする」

 宏人は幼馴染の家を辞して、自宅に戻った。

 非常に美しい時間だった。

 それからほどなくして、

「はあ、疲れたー」

 美しくない姉が帰ってきた。

「ヒロト、なんか冷たいものちょうだい」

「麦茶でいいか?」

「アップルタイザーがいい」

「アップルサイダー?」

「違う。アップルタイザー(・・・・)。混じりけなしのリンゴ果汁100%炭酸飲料」

「ないよ、そんなの」

「用意しておきなさいよ。弟たるもの、姉の欲しいジュースを用意することくらいできなくてどうするの?」

「いつの時代だよ。てか、そんな時代無いだろ、多分」

「時代なんか関係ないのよ。弟は偉大な姉に奉仕するものなの。それは真理なの。わたしがそう決めたのよ。無いなら、買ってきて」

「……金は?」

「250円くらい持ってないの? この前の、修学旅行の時のお小遣いの残りあるでしょ」

「なんでそんなこと分かるんだよ」

「せこいあんたのことだから、残していると思ったのよ。そのくらい分かるわ。あんたがお母さんのお腹の中にいるときから、わたしはあんたの姉だったんだからね。じゃあ、よろしく。先にシャワー浴びているから、その間にね。ほら、ダッシュ!」

 姉がパンと大きく手を打ち鳴らす。

 宏人は、大人しく従ってやることにした。

 いつもだったら、こんな理不尽、頑として受け入れないところだけれど、今日はちょっと気分が良かったのである。

 また、人間の一生における運の総量がもしも決まっているとしたら、今日得た幸運を多少相殺するために、姉のパシリになってもいいと思ったこともあった。

 宏人は、自転車に乗って、近所のリカーショップへと向かった。

 姉が言うサイダーは近くのスーパーやコンビニでは見かけたことがなかったので、あるとしたら、そこだと思ったのである。

 そうして、もしも、神様が、もう少し今日の幸運を相殺させてやろうと気まぐれを起こした場合に備えて、周囲に気を配ることにした。

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