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プラトニクス  作者: coach
270/281

第270話:笑顔に効果があるかどうかは人による

 妹が無事帰って来た。

 その日から(レイ)はいつもの日常が始まるのを認めた。

「もう帰って来るとはなあ」

 ということは口が裂けても言えないし、さすがにそれが人の発言として為すべきものではない類のものだということは熟知しているので、怜は黙っておいた。沈黙は金。

「ああ、楽しかった。今なら、景気悪いお兄ちゃんの顔も許せる気がするよ」

 雄弁は銀、妹は高望みをしないたちらしかった。

「景気悪くて悪かったな。生まれた時からこの顔なんだから、しょうがないだろ」と怜。

「しょうがなくない。努力すれば顔つきは変わる」

「仮にそんなことができるとしても、お前のために努力する気は無い」

「わたしの為じゃないわ。タマキ先輩の為でしょ。そんなぶすっとした顔向けられるカノジョの身になったことある?」

「顔のことは言われたこと無い」

「つつしんでるのよ。こらえてるの。そこまで出かかっているのをギリギリ止めてるのよ」

「本当か?」

「そうに決まってるじゃん。どうしてそう言い切れるか分かる?」

「さあな」

「わたしの方がお兄ちゃんより敏感だからよ。敏感な人は鈍感な人よりも色々なことに気がつくことができる。証明終わり」

 怜は妹との会話を終わりにした。

 これで向こう一週間くらい口を利かなくてもいいだろう。兄としての義理は果たした。そうして、向こうが望むなら、一ヶ月でも一年でも話さないでもよかった。

 妹と愛情深いコミュニケーションを取った翌朝のことである。

 その日はカノジョと一緒に登校しなかった。

 怜は教室の中で、クラスメートの女の子に向かって口角を上げてみた。

「どうしたの、加藤くん?」

 橋田鈴音(スズネ)が首を傾げた。

「どう、とは?」

「顔が引きつってる」

「これがオレの笑顔だよ」

「笑顔だったの? わたし、何か怒らせたのかと思っちゃった」

「たまには他人の意見に従ってみてもいいかもしれないと思ったんだ」

「それで、顔をひきつらせたの? わたしを威嚇しろってアドバイスされたと?」

「笑顔だよ。リラックスしてもらうためだ」

「誤解を恐れずに言わせてもらうと、加藤くんは、普通の顔のままでいいと思う」

「オレの笑顔は気持ち悪いってことだな?」

「ほら、誤解した」

「やっぱり、妹の言うことなんか聞くもんじゃないな」

「妹ちゃんの意見だったの?」

「ああ」

「『他人』って言ってたじゃない」

「オレ以外の『他』の『人』。すなわち、他人」

「紛らわしい」

「そうかな」

「そうだよ」

「妹が地球圏に帰還したから、また元のような紛争状態に戻れて安心したよ」

「それ何の、SF?」

「フィクションじゃないんだな。現実なんだ」

「殺伐としているね」

「それほどでもない。別に、ロボットに乗って殺し合いまではしないからな。せいぜい、悪口を言い合うくらいのもんだ」

「勉強の方はどう?」

「いつも通り、悩まされているよ」

「中々偏差値は上がらない、と」

「偏差値!?」

 怜は、オーバーに両手を広げた。

「わっ、びっくりした」

「学力偏差値で人の価値を測ろうとするやつの人間的偏差値を知りたいよ。それは、高いのか低いのか」

「あんまり高そうには思えないね」

「だとすると、オレたちは、より低い価値観に従って、その中でより高いレベルに行けと言われていることになる。これはいったいどういうことなんだ」

「それが世の中だから」

「だから、プラトンは哲人政治を目指した」

「誰?」

「美少年と議論するのが大好きな哲学者ソクラテスの愛弟子」

「なんか語弊があるなあ」

「治める人間がひどいと治められる世の中はひどくなる。だから、逆をやらなきゃいけない」

「でも、民主主義だから、治める人間っていうのは、究極的には、わたしたち一人一人なんじゃない?」

「それで、アテネの民主制は崩壊した」

「そのときから人間は進歩していないってこと?」

「偏差値なんて訳の分からないものを上げるように努めさせる世の中のどこが進歩しているんだよ」

「加藤くん、疲れてない?」

「もちろん、疲れている。十数年人間をやっていれば疲れやすくなる。スマホのバッテリーが減りやすくなるのと同じだよ。で、こうして疲れているだろ。夜寝ると何となくエネルギーがチャージされて、次の日に向かえるようになる」

「スマホの充電だね」

「人間はスマホじゃない」

「例えたのは加藤くんでしょ」

「なんか、これは絶対におかしい気がする」

「わたしたちは、わたしたち自身が作ったものじゃないからねー」

「そうなんだ。だから、昔の人は、作った側(ザ・クリエイター)の存在を信じたんだ。今でも信じている人もいる。それが信じられるならまだいいよな。でも、オレには信仰心も無い」

「信じる者は救われる」

「――と信じる者が実は救われる」

「救われたいと思う?」

「救われることの意味によるな。手の平ですくわれて連れていかれた先は新たな地獄かもしれない。ユートピアはディストピアだって、相場は決まっている。そもそも、みんながお釈迦様みたいに出家したら、誰がスーパーを経営する?」

「みんなが出家したら、スーパーいらないでしょ」

「スーパーは要らなくても、食べるものは必要だろ。誰がそれを用立ててくれるんだ?」

「自給自足的な」

「服は? 家は?」

「自分で裁縫して、自分で建てるんじゃない?」

「それがディストピアじゃないか」

「じゃあ、お釈迦様は悪い人ってこと?」

「だろうな。悟りを開いたとしても、それをどうして自分の胸にしまっておかないんだ。そんなことを人に向かって大っぴらに言うんだから、怪しいことこの上ない」

「新しい説だね」

「誰にも支持されないことは分かっている。でも、真実はオレの胸の中にある」

「あるいは、わたしの」

「そうかもしれない」

 怜は、帰り道で、今度は我がカノジョに向かって口角を上げてみた。

「どこか具合悪いの、レイくん?」

「いつもと同じだよ。慢性的な徒労感に悩まされているだけだ」

「徒労感? 疲労感じゃなくて?」

「何をしても無駄なような気がするんだ。笑顔を作っても、誰も笑い返してくれない」

「今の笑顔だったの?」

「お前のためにって、妹に勧められたんだ」

「誤解を恐れずに言うとね――」

「待った。『そのままの顔でステキだよ』だろ」

「もう誰かに言われたの?」

「ステキとまでは言われてない。そう言われたいというオレの願望」

「言ってもいい?」

「いや、催促したみたいで悪いからいい」

「旅行プランがどうなってるか聞いても?」

「頑張っている。以上」

「お手伝いしましょうか?」

「もちろん、そうしてもらおうと思っているけど、素案はオレが作りたい。言い出しっぺとしての責任がある」

「いつでも言ってね」

 (タマキ)はいつも通り微笑んでいる。

 その微笑みはいつも通り綺麗だった。

 笑顔は人を楽しませるというもっぱらの噂だったが、それは人によるのではあるまいか、と怜は思った。そうして、おおよそどんなことだろうと、それを為す人、それを受け止める人、それぞれの人となりによるのだという普遍の真理を改めて見出した。

「今いい顔していたよ、レイくん。もちろん、いつでもステキだけど。何を考えてたの?」

「夕飯何かなって」

「お腹空いているの?」

「給食は食べた気がしないからなあ」

「まずくはないと思うけど」

「まずくはないけど、美味しくはない。そもそもご飯に牛乳っていう取り合わせがもうおかしいじゃないか。断固抗議したい。文部科学省に」

「抗議したら何か変わるかな」

「その可能性はかなり低い」

「じゃあ、もう少しの我慢だね。高校生になったら、お弁当持参になるから」

「高校生になったら?」

「そう」

「なれたらな」

「もお」

「偏差値の呪いだよ。あの数字がオレをネガティブにするんだ。そもそもあんな数字に一喜一憂している自分が嫌になる。だから、さっき、出家について考えてみたところだ。お釈迦様がそうしたようにな。みんなが出家すると大変なことになるけれど、オレ一人くらいなら大丈夫だろ?」

「出家って、深い山に分け入って、走ったり、滝に打たれたりするの?」

「何か語弊があるなあ。それじゃ、ただのエクササイズじゃないか」

「だって、そうでしょ」

「問題発言だな。出家は悟りを得るためのものだ。悟りを何だと思っているんだ」

「それが分かっていたら、もう悟っているわけだから、悟りを求めるためにあれこれする必要無いんじゃないかな?」

「もう少し詳しく頼む」

「分かるでしょ」

「いや、分からない」

「本当に?」

「うむ」

「つまりね、人は悟りを求めて修行するわけだけれど、その修行の先に悟りがあるのだとしたら、その限りで悟りとは何かということを知っていることになるじゃない。だったら、修行をする必要なんてないことになるよね。悟りが何かすでに知っているわけだから。だから、悟りのための修行っていうのは、単なるエクササイズに過ぎないことになるんじゃないかな」

「詳細な証明ありがとう」

「親しい人を捨てて一人で王城を出ても、外に広がっている世界は結局は中とおんなじです」

「でも、そうすると、お釈迦様は壮大に無駄なことをしたっていうことにならないか?」

「お釈迦様が偉大なのは、現にやってみたっていうその点なんじゃないかな。それが、結果的に無駄でも無駄じゃなくても、そんなことは些細なことなんじゃないかと思う」

「お釈迦様は最初のペンギンだったってことか」

「最初のペンギンっていう言い方は、すでにその偉大さを取り逃がしているよ」

「じゃあ、最初のイルカ?」

「うん。イルカがどんな驚くべきことをするか知らないけど」

 怜は試みに、これまで誰もやっていないことを現にやってみることに思いを馳せてみた。すると、それがそのまま悟りなのではないかという気もした。そうして、とてもそんな偉大なことは自分には無理だと思う一方で、できるだけのことは行うことに改めて決めた。

「とりあえず、笑顔の練習をしようかと思う」

「それはしなくていいと思うよ。レイくんは、そのままの顔でステキだよ」

「催促したみたいですまない」

「どういたしまして」

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