第269話:円の普通の一日
円は、その日、街に出ていた。
休日の街並みは、にぎやかである。
今日は一人で映画を見て、一人でカフェでランチをするつもりだった。
この頃、どこにも出かけていないので、ちょっとした贅沢である。
必要なお金はお小遣いから出すつもりで、中学生にとってはそこそこ痛い出費ではあるけれども、円は毎月きちんともらっているお小遣いを何に使うでもなく貯めているので、痛すぎはしなかった。
母に言えば、たまのお出かけ代くらい、毎月のお小遣いとは別口でくれるかもしれないが、
「お母さんも一緒に行ってもいい?」
などと言われると、出資者の同行を断ることもできず、嫌とは言えないことになって、一緒に行くことになってしまう。それは避けたかった。母親と一緒に歩くのが恥ずかしいということではなく、たまには一人で行動したいというそのことである。
たまにしか一人になれない大きな原因は年少の妹にあり、彼女の面倒を見なければいけないというのが、円の行動を大きく制限していた。平日は遊び相手にならないといけないし、休日はもみくちゃにされないといけない。小さな子どもを持つ母親の大変さを齢十三でしっかりと味わっている円は、しかし、ある意味では貴重な経験をさせてもらっていると思っていた。子育ての重労働をきちんと認識すれば、子どもを持つということに関して、幻想を抱かずに済む。
子どもを持つということは、ミルクを飲ませることであり、げっぷをさせることであり、おむつを替えることであり、虫取りに付き合うことであり、そうして、いずれは、かんしゃくを起こされてティッシュ箱を投げつけられるということでもあった。
その妹が、今日は姉とそのボーイフレンドと一緒に出かけるということで、世話から解放された格好である。妹を連れてデートをするというのだから、姉にしてもそのカレシにしても、小さな子がいないと話もできない倦怠期に来ているのかと皮肉げに考えてもみるけれど、おそらく、事実はむしろ逆で、小さな子がいようがいまいが、二人の関係は頑として変わらないというそのことなのだろうと円は確信していた。
姉とそのカレシはおかしな二人であるが、今日はそのことは考えまいと思った。
――今日はわたしの日……。
誰にも邪魔されずに、一日をじっくりと過ごすのだ。好きな映画を観て、好きなものを食べて、好きなことをする。ライフ・イズ・ビューティフルということを再認識するための一日にするのである。
空は綺麗な秋晴れで、薄い青が満天に広がっていた。
日差しは柔らかく、風は無い。
円は足取りも軽くバス停まで歩いていくと、時刻まで少し待ってから、バスに乗った。
駅までの道も輝いて見えた。
いつかは、こういう風に、毎日をキラキラした気持ちで迎えたい。
いや、そういう考え方がよくないのだろうか。
キラキラした今日があったことに感謝すればいいのだろうか。
しかし、今日だけのことであってほしくはなかった。
毎日がそうでないとウソではないだろうか。
円の現状は、とてもキラキラしているとは言えないものだった。
もちろん、ひどいわけではない。
家族に友人、先輩にも恵まれているほうだろう。
これで文句を言ったら罰が当たるというものである。
ただし、それはそれだけのことだとも言える。
昔の人は、ただ生きるのではなく、よく生きなければいけないと言った。
「よく生きる」という状態ではとてもない。
そうして、そもそも、よく生きるためにはどうすればいいのか、ということもよく分からないのだった。
よく生きるというのが、道徳的に生きるということでないのは明らかだろう。いや、道徳的にというのも含むかもしれないが、それだけでは足りない。では、どうすればいいのか、と考え続けるには、ちょっと今日は、天気が良すぎるように思われた。
駅に着くと、足取りはなお軽く、映画館へと続く。
円が選んだ映画は、アメコミのヒーローものだった。「全米が泣いた」的な感動大作も見ることができたが遠慮した。泣くために映画を観るということの意味がよく分からない上に、その感動はかなり特殊な状況から生まれることが多々あって、自分の身の上には一生起こらないことだろうと思うと、その分だけ感動が目減りするような気持ちになるのである。
その点、アクション映画は良かった。善悪がはっきりとしていて、すっきりとする。もちろん、悪側にも何らかの事情がある場合もあるのだけれど、それを過度に描きはしない。
映画を堪能したところで、お腹が空いてきた。
今日は一度も入ったことが無いスペイン料理店に入るつもりである。
一人で新しいところに入るのは気が引ける反面、大きな楽しみでもあった。
「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」
アーケード街の一角にあるこぢんまりとした店の前で、ブラックボードに「今日のランチ」が書かれてあるのを眺めていたところで、お姉さんが出てきた。にこやかな笑顔に円はうなずくと、「こちらへどうぞ」と二人が座れるテーブル席に通されたけれど、折角の申し出を断ってカウンター席に座らせてもらうことにした。二人で座れるところに一人で陣取るのは申し訳ない。
「今日のランチ」を頼むと、香辛料の匂いをかいだ。めったに一人で外食することはないので、円は店内の雰囲気を思う存分味わった。店内は、五、六人座れるカウンターの他は、大きなテーブルが一つ、小さなテーブルが三つくらいのものである。どうやら、店に招いてくれた若い女性は、店主の妻のようだった。二人で店を切り盛りしているのだろう。
周囲はみな楽しそうだった。ここで食事ができることを心から喜んでいる。それが分かると、円の楽しさも増した。
サラダが出てきた。
黄・緑・赤、色とりどり、たっぷりの野菜に、たっぷりのオリーブオイルがかけられている。
酸味、甘味、苦味が一体となった味わいに、円はうっとりとした。
これならいくらでも食べられそうだと思っていると、スープとパンが出てくる。
濃厚な味わいのスープを楽しんでから、パンをちぎって一口大にして、スープが少し余ったところにひたして食べる。
――家でも作れないかな……。
円は苦笑した。
美味しいものを食べている時に邪念が入るとは。
でも、それほど邪でもないのかもしれない。なにせ、自分の為もあるけれど、家族の為でもあるのだ。「美味しいね、円お姉ちゃん」と言って、パクパクパンを食べ、スープをすする小学一年生の妹の姿が目に浮かぶようだった。
――後でレシピを聞いてみよう。
パエリアが運ばれてきた。
海鮮のパエリアは、エビやイカや貝がふんだんに入っていて、食べる前から美味しいのが分かるようである。
円は、スプーンを入れて、パエリアをすくって口に入れた。
幸福感が口の中に広がる。
いくらでも食べられそうである。
円は、それこそ小学生のようにパクパクと食べた。
一人で食べることの幸せは、こうして、自分のペースで食べられることもあるだろう。同席している人間がいると、どうしても、その人に合わせないといけないと思ってしまう。いや、思うこともない。しみついた癖のようなものだった。それでも美味しいものは美味しいのだけれど、やはりどこかに完全には楽しめないところがある。そのバリアが、今日は無い。
ゆっくりと楽しみたい気分で始めた昼食は、驚くほど速く終わった。
デザートまで食べ終えたあとに、食後のコーヒーを飲む。
お腹いっぱいで、心から幸せな気分になった円は、いただいた幸福分としてはかなりリーズナブルな価格を払って、外に出た。
ランチを食べた後の予定も未定だったけれど、街を適当にぶらついてから、家に帰ることにした。
もう少し一人でいたい。
明日からはまた一人ではいられない日々が始まるのである。
チャンスの女神の髪型は神様にしてはエキセントリックなもので、前髪しかない。その前髪をつかんだからには、もう少々引きずってやらねばなるまい。
円は再び街に入ると、服を見た。アウトレット店は、お値段そこそこで、質がいいものが並んでいるようである。そこそこのお値段とは言っても、さすがに自分で買うというわけにはいかず、もしも買うなら母におねだりすることになる。服は定期的に買ってもらっているので、おねだりしてまで、今すぐ欲しいものは無かったが、次回の買い出しの日に備えることはできるかもしれない。気に入ったものが、それまで店頭にあるかどうかは分からないけれど。
服を見た後は、アクセサリーや小物を見た。自分用に見ていたわけだけれど、つい妹のことを考えてしまって、苦笑した。まだそれほどアクセサリーや小物に興味は無いようだけれど、そのうちに持つようになるだろう。その時のために、こちらもそれらに対する目を養っておかなければならない。
――まあ、いざとなれば、お姉ちゃんに頼ればいいか……。
育児は家族の共同作業のはずである。自分が全てこなす必要は無い。姉に対しては、対抗心以上の繊細微妙な気持ちがあるのだけれど、実務的な場面で頼ることには抵抗が無い。いや、この頃、抵抗が無いようになってきた。その分だけ自分は成長したのだろうか。そうだといいけれど、と思っていると、ハンカチコーナーの一角でネコをモチーフにしたハンカチに目が留まった。
円は、ハンカチを手に取ると、ためつすがめつしてみた。今日食べたパエリアのような鮮やかな色合いの正方形の角に、ネコの耳を模した飾りがついている。お値段は破格に安い。円は少し考えたあと、買うことにした。今日という素晴らしい日の記念にしたい。
レジのお姉さんにハンカチを包んでもらって、いざ店を出ようとした時、円は思い直して、店内へと戻った。ハンカチコーナーへ。そうして、もう一つ色違いで、さっき購入したハンカチを手に取った。もう一度、レジのお姉さんに包装してもらってから、今度こそ店を出る。幸運なことに、ハンカチの値段は二つ買ってもなお許容範囲内である上に、妹は、姉とお揃いのものを持っていても、まだ嫌がる年ではなかった。