第267話:宏人の修学旅行5
全ての日程が終わって、あとはもう帰るだけとなった。
新幹線に揺られて、我が町へと戻る。
宏人は、やはり家に帰りたくなかった。
家に帰れば、また家族の中で個性を埋没させられる生活が待っているのである。
そうだ、このまま旅に出るのはどうだろうか?
いいかもしれない。
自分を知っている人が誰もいないところに行って、己を磨くのだ!
磨かれた自分は、その辺に転がっている同年代の中学生よりも、光り輝くようになるだろう。
個性の光である。
――よし、京都に行こう!
「あっ、京都は今行ってきたところだった」
「どうしたの、倉木くん?」
新幹線の中で、斜め前の席から瑛子が言った。
三人掛けのシートを向かい合わせにして、六人用のスペースが作られている。
「北海道に行きたい!」
「旅行に目覚めたの?」
「厳しい北の大地で自分を磨くんだよ」
「どういうこと?」
「どうもこうもない。オレは家に帰りたくないんだ」
「みんなそうだよ、多分」
「え、そうなの……?」
「うん」
家に帰りたくないと思っているのが自分一人だと思っていた宏人は、それでもって特別感を覚えていたわけだけれども、みんながそうだということになると、話も違ってくる。これでは、みんなは我がまま言っていないのに、自分だけわがまま言っているようになってしまうではないか。
「帰るしかないか……」
「そうね」
「帰ってまた日常に戻る」
「うん」
「母親に小言を言われ、姉に小突き回され、友だちに嫌味を言われる日々に」
「ちょっと救われないね」
「でも、それがオレの日常なら、それを生きるしかない!」
「応援するよ」
「どうやって?」
「旗を振る。フレーフレーと声を上げる」
「ありがとう。でも、ちょっと離れたところでやってもらえると嬉しい。オレの応援だって気づかれないように」
「倉木くんは、わたしに冷たいと思う」
「そうかな? おおよそ、オレは誰に対してもこんな感じだと思うよ。そんな風に、キミたちがしたんだよ」
そこで、宏人は班メンバーを見回した。
「オレは、キミたちが作り上げたモンスターなんだ!」
しかし、他の班メンバー達は、なんのこっちゃという顔で宏人を見返すだけだった。
「うるさいから、これでも食べたら、倉木くん」
正面から志保がポッキーを差し出してきた。
「うるさいとお菓子がもらえるってどういうシステムだよ」
「食べている間、大人しくなるでしょ」
「オレは子どもじゃない!」
「いらないの?」
「二本ください!」
宏人はポッキーを食べながら、なおも北海道に行くことを夢見てみたが、たとえば、北海道で牧場の仕事をするとして朝早いのは無理だと思い、あっさりと考えを翻した。
新幹線に揺られながら、トランプなどして過ごす。
普通、こういう時は、三日間の旅程にぐったりして眠りにつくのが相場ではなかろうかと思ったが、一日もオールしていないし、いつもと違って学校の宿題などもしていないので、よっぽど体力はありあまっているようだった。
宏人はたまに勝ったが、負けの方が多かった。
「これがオレの人生なんだな……勝ち組にはなれないんだ。そうだろ? 花山」
「えっ!? ……あの、そんなババ抜きの結果くらいで悲観することないと思うよ」
「勝ち組はいつもそうやって人を慰めるんだ。『ナンバーワンにならなくてもいい』って言っているヤツらがナンバーワンっていうのはどういう理屈だよ」
「そう言われてみれば確かにそうだね。気にしたことなかったなあ」
宏人は自分が言った冗談に対して、花山さんが何やら真剣な表情をし出したので、隣の席の田沢くんに助けを求めたが、見られた彼は肩をすくめただけだった。
「だんだん、ヒロトの扱い方が分かってきたみたいだな」
もう一方の隣から、一哉が満足げにうなずいた。
「何だよ、『扱い方』って!? オレは猿回しの猿か!?」
「だったら、楽なのにね」と正面から志保。
宏人は志保を見た。
「何よ?」
「な、なにって、何だよ?」
「こっちを見てる」
「お前がオレの正面にいるんだから、しょうがないだろ」
「それこそしょうがないでしょ。女子三人でじゃんけんして負けたんだから」
「ウソだろ」
「ホント」
「なんでオレの前に座るのが罰ゲームみたいになっているんだよ!」
「だって、倉木くん、ウルサイじゃん」
「『ウルサイ』!? どこがっ!?」
宏人は声を大きくした。
やれやれと志保は首を横に振った。
宏人は志保の隣にいる瑛子と花山さんをチラリと見た。
瑛子は苦笑しているようであって、花山さんは楽しそうにしている。自分の隣にいる田沢くんも機嫌は悪くなさそうだった。
宏人としては、修旅中に自分はモブに過ぎないという若干ショックな事実を知ったわけだが、総じて見れば、この修学旅行は成功と言っていいのではないかと思った。
ちなみに、一哉の方は見なかった。
新幹線は何事もなく、宏人たち一行を我が町の駅まで運んでくれた。
もう一度最後に、駅構内で、他の利用客に迷惑な点呼が行われた。
「これさ、スマホアプリで何とかするみたいなことできなかったのかな、今さらだけど」
と本当に今さらなことを宏人が言うと、
「アプリがあったとしても、使いこなせないんじゃ意味ないだろ」
と一哉が答えた。
「アプリが使いこなせないなんてことあるのか?」
「人によってはな。うちの親なんて、スマホの基本操作ができなくて、よくオレに訊いてくる」
「ジェネレーションギャップ」
「オレたちもいずれそれを感じられる側になる」
「嫌なこと言うなよ」
点呼が終わって、では解散となるときに、一行の中で花山さんが注目を集めた。
「あの、みんな……」
軽く手を挙げて自分の方に視線を向けさせた後、自分で注意を引いておきながら緊張したような様子で、それでも、
「修学旅行中、ありがとうございました。明日からもまた仲良くしてください」
と言って、頭まで下げた。
ええ子やなあ、と宏人は思った。そうして、こういういい子を見習いたまえという意を込めて志保を見たが、志保の方は宏人を見ていた。
「明日からは難しいな」
一哉が真面目な顔で言った。
「えっ!?」
ショックを受けたような顔をした花山さんに、
「明日は学校が休みだからさ。それとも、オレの家に遊びにくる?」
ニヤリとする一哉。
からかわれたことが分かった花山さんは、ホッとしたように微笑んだ。
「男子は好きな子をからかうんだよな?」
宏人が前に言われたことを一哉に言い返してやると、
「そうだな。だから、オレはいつもヒロトをからかってる」
と切り返された。そうして、
「じゃ、そういうことで、またな」
一哉が去ると、そのあとに田沢くんが続いた。
瑛子と花山さんは迎えを待っていたが、すぐに来たようである。
二人を見送ったあと、宏人は志保に尋ねた。
「お前はどうやって帰るんだ?」
「迎えが来るわ」
「そりゃよかった。じゃ、ちゃんと帰れるな」
「子どもじゃないんだから。迎えが来なくても帰れるわよ。倉木くんは?」
「空を飛んで帰る。あっちでヒーロースーツに着替えるから覗くなよ」
「お母さんに頼んで送って行ってあげようか?」
志保が言った。
宏人は、志保をマジマジと見た。
「そんなに見つめられると、ひっぱたきたくなるんだけど」
「なにその性癖!?」
「よかったら一緒に乗って行ってもらったらって、お母さんが」
「なんで、お前のお母さんがオレのことを知っているんだよ?」
「一度うちに来たし、倉木くんがわたしの家まで送って来てくれたのを何度か家の中から見ているの」
「そっか、オレたちようやく親公認の存在になれたんだなあ」
「どうしても手が出そう」
「暴力反対」
「それで?」
「お言葉に甘えようかな」
「初めからそう言えばいいのに」
「なかなか素直になれないんだ」
「思春期だから?」
「思うんだけどさ、更年期の中高年はいつ自分のことを更年期だって気が付くんだろうな」
「ごめん、全く意味が分からない。なんでこの流れで更年期の話なんて出てくるの?」
「いや、オレ自分が思春期だとか言われてもよく分からないし、何だったら、何でもかんでも思春期に結び付けるのはやめてもらいたいんだよなあ」
「でも、思春期じゃん」
「でも、全部がそうなわけじゃないよな?」
「全部がそうなんじゃないの? この時期を過ぎたら、何に傷つくこともなく、何を感じることもなく、ただ木や石のように生きて、死んでいくだけじゃない?」
「お前、具合悪いのか?」
「弟のことを考えているの。元気にしているってことだけど、顔を見ないと安心できない」
「オレは旅行中、家族の体調なんて全く考えなかった」
「いいんじゃない、それはそれで。でも、弟はわたしが育てているから」
「オレにも、可愛い弟とか妹がいたらなあ」
「いたら、世話してた?」
「自分をいい人に見せる発言はしないようにしているんだ」
「その発言自体は?」
「いい人に見えたか?」
「特には」
駅前のロータリーで車を待っていると、白の乗用車が停まった。
すると、助手席の窓が開いて、
「お姉ちゃんっ!」
元気のいい声がする。
男の子が志保にキラキラとした目を向けてきていた。
「リオ!」
同じくらい、志保の目も輝いた。
宏人は、美しいものを見た気がした。
願わくば、二人のこの関係がいついつまでも末永く続いてくれるといい。
「何かまた変なこと考えているでしょ、倉木くん」
「えっ!?」
「変な顔してる」
「変な顔もしていないし、変なことも考えていない。普通のことを考えている」
「変な頭しているから、普通のことを考えても、変なことになるに決まっている」
「お前、オレのことよく分かっているなあ」
「何も分からない。ただ、バカだってことしか」
宏人は、ありがたく志保の車に乗せてもらった。乗る際に、
「シホさんと親しくお付き合いさせてもらっている倉木宏人です!」
元気よく挨拶した宏人は、
「そういうのいいから、早く乗って」
後ろから冷たい声で言われた。
弟ちゃんからは奇異の視線を受けた。
以前に会ったことを覚えていないのだろうか。
あるいは、覚えていないのかもしれない。
大して特徴的な顔をしているわけではないのでやむをえないと思った宏人は、こちらを見る少年に向かって、口を突き出すようにして変な顔をして見せた。