第265話:宏人の修学旅行3
もりもりとパンを食べて、エネルギーをチャージすると、今日は判別行動の日である。
班に分かれて行動する。
その前にクラスで移動して、写真を撮ることになっていた。
「変な顔をしたら、オレだけ撮り直してもらえるかな?」
宏人が言うと、志保は、
「その時は掛け合ってみたらいいんじゃない。わたしたちは先に行っているから」
と答えた。
「何で置いてくんだよ」
「時間が押しているから」
「班長じゃないお前に、そんな権限ないだろ」
「班長に直訴するから大丈夫」
「一哉はオレのことを見捨てない」
「一対一だったらね。でも、今は班長。班全体のことを考えるのが班長の役割で、役割をこなすのが富永くん」
宏人は変顔で写真を撮られても、そのまま永久に卒業アルバムに残すことを覚悟した。置いてかれて、半べそかくよりマシである。
清水寺をバックに集合写真を撮ったあと、班はそれぞれに行動して、昼食も各自で取って、夕方に同じ宿に戻って来る。
「頼むぞ、班長。我々の今日という一日が楽しいものになるかどうかはキミの肩にかかっている」
宏人は自分に責任が無いので、プレッシャーをかけるような言い方をした。
「オレじゃなくて、マップアプリに頼んでくれ。全てはこいつ次第だよ」
そう答えた班長はスマホを高く掲げて、にやりと不敵な笑みを漏らすと、
「それに、道に迷うのも、旅行の醍醐味だよな」
などと答えた。
「迷いようがない道だと思うけど……」
田沢くんが、ぼそりと言った。
確かに、その通りだった。
京都は完全な計画都市であって、地方のなんちゃって計画都市のように、後からバイパスが足されることもなく、碁盤の目のように整然としている。普通に歩いていても迷いようがない上に、念のためマップアプリでいちいち曲がり角を確認するのだから、これで迷ったら、それはそれで何かしら特別な能力だろう。
宏人は、京都の街並みを歩きながら、とくに感慨深いものを覚えはしなかった。女の子たちがお上りさんのように物めずらしげに周りをキョロキョロしているのを見ながら、可愛いもんじゃのうと、高みの見物をしている。
三人の女子たちの一人に目を向けた宏人は、彼女が心から楽しんでいるのかどうかその雰囲気から探ろうとしたが、よく分からないので、一人になった時に直接訊いてみることにした。
「楽しんでいるか?」
「それなりにね」と志保。
「前より?」
「前って?」
「小学校のそれにいい思い出が無かったって言ってただろ」
「倉木くんって、わたしの発言をボイスメモで全部録音しているわけじゃないよね?」
「実はそうなんだ。訴訟に備えている。それで?」
「ノーコメント。その件に関しては代理人を通してもらえる?」
そう言うと、彼女は先を歩いた。
いくつかの名所寺社仏閣をめぐって、その間に昼食を取って、到着したのは金閣寺である。
すごい人込みだったけれど、その人込みの一部を為しているのが他ならぬ自分たちだったのだから、文句を言うこともできない。
「あれって、本当に金を使ってるの? ガイドさん」
池の向こうに見える金ピカの建物を指さして宏人は、花山さんに訊いてみた。
彼女は微笑むと、
「もちろん使っているよ」
と答えた。
「何でまた金なんて使ったんだろうか」
「色んな説があるね。財力を誇示したかったとか、永遠性を表現しているとか」
「じゃあ銀閣寺の銀は?」
「銀閣寺には銀は使われていないよ」
「ええっ!? なんで!?」
「なんでと言われても……そもそも、銀閣寺っていう名称自体、作られた当時のものじゃないみたいなの。後から呼ばれるようになったみたい」
「そんなの詐欺じゃん!?」
「普通は銀使っていると思うよね」
宏人は、近くにいた感じの良さそうなおばさまに頼んで、金閣寺前で班の仲良し写真を撮ってもらった。
「これから何か辛いことがあった時、みんな、それぞれこれを見て、辛さに耐えることにしようじゃないか。キミたちは一人じゃない」
宏人が言うと、
「そんな重たい意味をつけないでほしい」
と田沢くんが答えて、他の四人の賛同を得た。
宏人たちは無事その日の旅程をこなすことができた。
「やっぱりシミュレーションしておいてよかったな。お前のおかげだよ」
旅館の前で、宏人は班長をねぎらった。
「シミュレーションって言っても、別にここに来たわけじゃないけどな」
「オレは褒めてるんだぞ、カズヤ」
「オレは褒められ慣れてないんだ」
「じゃあ、照れてるってこと?」
「そうとってもらうのに、やぶさかではない」
宏人は班員に呼び掛けて、班長を褒め称える言葉をかけてやってくれと依頼した。
「世話好き」と志保。
「兄弟思い」と瑛子。
「……リーダーシップがある」と田沢くん。
「カッコイイ!」
ん? 最後のは実感がこもっていたぞと思った宏人がそちらに目を向けると、花山さんだった。
宏人に見られた花山さんは、頬を染めて、
「ち、違うよ。そういうんじゃないから!」
と抗弁した。
「そういうんじゃないっていうのは、どういうんじゃないの?」
「カッコイイっていうのは言葉の綾なの」
「そのままの意味じゃないの?」
「そのままの意味なんだけど、深い意味は無いから!」
「ほうほう、深い意味とは?」
「く、倉木くん!?」
「はい、ここにいますよ」
「もう!」
花山さんは、一哉に向かって、
「本当に変な意味は無いからね。カッコイイ人に、カッコイイって言うのは当たり前だよね? 桜を見て綺麗だねって言うのと同じだよ」
続けざまに言った。
一哉は落ち着いている。
「別に何も気にしてないよ。花山さんは宏人にからかわれているんだ。そうして、男子っていうのは、好きな子をからかいの対象にするっていうもっぱらの噂だよ」
「えっ……」
そこで、花山さんは宏人を見た。
宏人は、劣勢に立たされたことを知った。
「カズヤは、オレの友だちじゃなかったのか?」
「お前の友だちでもあるし、花山さんの友だちでもある」
「ええっ、オレだけの友だちじゃなかったのか?」
「あれっ、これもしかして、オレ告白されてる?」
一哉が瑛子に訊くと、
「多分ね。まあ、男の子の友情的な感じだと思うけど。そういうのあるんでしょ、男の子には」
と答えた。
「女子には無いの?」
そこで、瑛子は、近くにいた志保を見た。
「あると思う?」
「思うよ、もちろん」
志保は、にっこりとした美しい微笑を返した。
「じゃあ、シホちゃんが、わたしに告白することもある?」
「今してみても構わないけど、エーコちゃん」
宏人は、この二人は、いつの間に名前で呼び合う仲になったんだろうかと思ったが、雰囲気が何やら張りつめているので訊けなかった。
瑛子は、花山さんに向かって、
「ミサキちゃん」
と言った。
「は、はい!」
花山さんは勢いよく手を挙げた。
「わたしたち名前で呼び合わない? わたしのこと、エーコって呼んでくれる?」
「えっ、い、いいんですか?」
「いいよ、もちろん。こうやって提案するのが遅すぎたくらい。わたしたち、もう仲のいい友だちでしょ」
「よろしくお願いします!」
「こちらこそ」
花山さんはそのあとに志保を見た。
志保はつい笑ったようである。
宏人は、そうして笑っていればなかなか見られる顔なのにと思って、思っているだけでは伝わらないだろうと思って、そう言ってやった。
志保は自分のことも名前で呼ぶことを花山さんに許した後に、
「女の子の顔のこと、どうこう言う男子ってどうかな」
宏人に向かって言った。
「女の子の顔のことはどうこう言わない。でも、お前の顔のことは言う」
「倉木くんもなかなかいい顔しているよ。あんぱんとあんまんの中間くらいかな」
「なんで食べ物に例えるんだよ。芸能人に例えてくれよ」
「テレビ見ないから……あっ!」
「なに?」
「アボカドに似てるよね。言われたことは?」
「無いし、今後一生涯言われたくない」
「アボカドって全く味しないよね」
「味覚死んでるんじゃないのか?」
「じゃあ、どんな味するのよ」
「よくマグロと一緒に食べられるよな」
「マグロだって味なんかないじゃん。風味だけで」
「それなのに、日本人はマグロを食べる。これが日本人の繊細さだよな。なあ、花山?」
いきなり話を振られた花山さんは、しかし、ちゃんと話を聞いていたようで、
「でも、マグロがみんなに食べられるようになったのは、江戸時代後期の話らしいよ。それまで、マグロは下魚だってことで、見向きもされなかったみたい。だから、日本人の繊細さの例としては、そこまでふさわしい例ではないかも」
と答えた。そのあとに、ハッとして、
「ご、ごめんなさい」
シュンとした。
「え、何が?」
「わたし、こうやって知ったかぶるから、みんなに嫌われるのかなあって思って」
「みんなって誰だよ。オレは好きだよ、花山のこと」
「ひえっ!」
「えっ、オレ何か変なこと言った?」
宏人は周囲を見回した。
「いきなり『好き』はなあ」と一哉。
「……天然のタラシ」と田沢さん。
「わたし花山さんより付き合いが長いのに言ってもらったことない。てことは、嫌われているってこと?」
と瑛子が言うと、
「ただただ、バカなだけじゃない?」
と志保は答えた。
宏人は、ぽりぽりと頭を掻いた。
そんなに間違った発言ではなかったと思うが、確かに、いきなり「好き」はないかもしれないと思った。少なくとも、以前までの自分だったらそんな風には言わなかったことだろう。でも、今は言える。
「これっていいことだよな、藤沢?」
「なんでわたしを名指しするのよ。みんなに訊きなさいよ」
「お前が一番忌憚のない意見を言ってくれそうだからさ」
「言葉っていうのは、倉木くん程度に扱い切れる便利な道具じゃない。慎重に使わないといけないのよ。言う前に、10分くらいは考えた方がいいかもね」
「何も発言できなくなるだろ」
「だからいいのよ」
「お前なあ」
「また『お前』って言った」
「シホちゃん」
「ストップ」
「差別じゃないか。どうして、二瓶や花山には許して、オレには許してくれないんだよ」
「倉木くんが女の子だったらね」
「女とか男とかそれって男女差別じゃないか?」
「男女差別っていうのは、男女で取り扱いを同じにするべきところで、それを別にするのがよくないっていうことでしょう。今回のケースはそれに当てはまらないと思うけど」
「お前、社会の教師でも目指しているのか?」
「それで、倉木くんを社会の時間に廊下に立たせるの、どう?」
「いや、時空がねじ曲がらないとそんなことにはならないだろう」
「倉木くんは性格がねじ曲がっているんじゃないの」
「だから、お前に付き合えてる」
「付き合うっていう言葉を安易に使うのやめてもらえませんか?」
「敬語をやめるならやめてやってもいい」
「やれやれ」
志保は軽く頭を振るようにしたが、目は笑っていた。
宏人はその瞳に見とれる自分がいることが分かったが、どうして見とれるのかということは、いつもの通り考えたくないことだったので、考えるのをやめた。しかし、いずれは考えなければいけないということも分かっていた。ただし、いずれのことはいずれの自分に任せればよかった。
「諺にもあるよな。明日できることを今日するなって」
「今日できることを明日に延ばすなっていうのは聞いたことあるけど」
「今日できることで明日できることだったら、明日に延ばしたっていいじゃないか」
「文句なら諺作った人に言ってよ。ちなみに、わたしじゃないわよ」