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プラトニクス  作者: coach
261/280

第261話:ベビーシッターの一日

 休日に予定があるというのは素敵なことだと宏人(ヒロト)は思った。休日に何かなすべきことがあるということは、私生活が充実しているというそのことである。もちろん、何にも予定が無いというのも素晴らしいことだと思う。好きな時間に起きて、好きな時間に食べて、好きなことをして、気が向いたら勉強する振りなどしてみる。そうして、寝る。そういう一日もいいけれど、予定があるということは誰かに必要とされているというそのことであって、自分が誰かの役に立っていると実感できるということには格別の喜びがある。

 たとえ、その予定が子守りだとしても。

「ああ、緊張してきた」

 宏人は、隣から女の子の声を聞いた。

「そんなに緊張することなんてないと思うけど」

「倉木くんはもう何度か来ているからそういうことが言えるんだよ」

「そうかなあ。オレは最初も緊張しなかったけどなあ」

「じゃあ、わたしが倉木くんよりちょっと敏感なんだね」

「もしくはオレが鈍感なのか。どうして、緊張するのか意味が分からない」

「だって、もしもわたしがシッターとして受け入れられなかったらどうすればいいの?」

「別にどうもしない。二瓶があの子たちに好かれなくても、世界は明日も存在し続ける」

「ねえ、倉木くん」

「ん?」

「もうちょっと優しい言葉かけをしてもらえると嬉しいんだけど」

「鈍感なんだ。そういうのはあんまり期待しないでくれ」

 ふうっと二瓶瑛子(エーコ)は息をついた。

 二人が来ているのは、クラスメートの富永一哉(カズヤ)のアパートの前だった。瑛子が一哉のアパートにおしかけ女房ならぬ、おしかけシッターをしにきた格好である。宏人としては、どうして彼女がそんなことをしたいのか皆目見当もつかないのだけれど、以前に瑛子は一哉と約束していたのだった。彼の弟妹の面倒を見る、と。そのときに、自分も付き合うことを宏人は約束させられていた。

「じゃあ、ピンポンを押すね」

 瑛子は、アパートのドアの前で深呼吸した。

 押すねと言ってから一秒、二秒、三秒の間そのまま、なかなか押そうとしないので、宏人が代わりに押してやろうかと思ったところで、瑛子はインターホンを押した。すぐに、ドアが開いて、可憐な少女が顔を出した。そうして、小ぢんまりした玄関に二人を招き入れると、

「いらっしゃいませ。今日はわざわざありがとうございます」

 と頭を下げた。瑛子は面食らったようである。そうして、宏人を見た。

「この子がカズヤの自慢の妹で、オレの自慢の女の子の友達の、佐奈(サナ)ちゃんだよ」

「二瓶瑛子と言います。お兄さんと同じクラスの」

「兄がいつもお世話になっています」

 そう言って、佐奈は再び頭を下げた。

「い、いいえ、こちらこそ」

 瑛子がつられて頭を下げたところで、傲然と頭を上げたままの宏人は、二人のチビッコたちがパタパタとやってくるのを見た。

「おー、ヒロト」

「ヒロト! 遊びに来たの?」

 完全に遊び友達と思われている節がある宏人は、ここで年上の威厳を示さねばならぬと思って、

「キミたち、これが何か分かるかい」

 そう言って、ボディバッグからビニール袋を取り出した。分からない顔をしている二人に、袋の中身を見せると、二人の目が輝くのが見えた。

「チョコバイだ!」

「ポッキーもある!」

「その通り。これはキミたちへのプレゼントだよ。オレとこっちのお姉ちゃんからだ」

「やったあ!」

 佐奈がすみませんとまた頭を下げた。瑛子は、宏人にありがとうと目で言ってきた。それから、チビ達に自己紹介をした。チビ一号が言った。

「お兄ちゃんのカノジョだ!」

「えっ……そういうわけじゃないのよ」

「じゃあ、モトカノだ!」とチビ二号。

「そ、それも違うんだけど」

「ふうん」

 チビ達は興味を失ったていで部屋の奥へと駆けていく。

「すみません、兄は出かけていて」と佐奈。

「デート?」

「いえ、そういう相手はいないようですけど」

「本当に?」

「ええ、多分」

「サナちゃんに隠しているんじゃない? いつかお兄さんのカノジョを名乗る陰険な美人がやってきても、オレが守ってあげるからね」

 佐奈はクスクスと笑った。

「ありがとうございます。その時はよろしくお願いします」

 佐奈が家事的なことをしている間、宏人は瑛子とともに二人の子どもの相手をした。しかし、志保(シホ)のときと違って、瑛子は自分で言った通り、まだまだシッターとしては修業が必要なようだった。子どもと同じ目線に立つことができないようである。その分だけ、遊びは盛り上がりに欠けた。

「さっき持ってきてくださったお菓子でお茶にさせていただきますね」

 2時間ほど経って3時頃になったときに、佐奈が言った。

 リビングに腰を下ろした瑛子は、静かに息をついた。

「わたし、自信なくしちゃった」

「自信?」と宏人。

「うん、小さい子の相手をする自信」

「これまで子どもの相手をしたことは?」

「たまに親戚の子の相手をするくらいだけど」

「だったら、自信を持っている方がおかしいよ」

「じゃあ、倉木くんは?」

「オレ?」

「最初からうまくできたんでしょ」

「オレは思考が幼稚園児並みだからうまく行くんだけど、普通はトレーニングが必要なんだ」

「藤沢さんは?」

「あいつには小さい弟がいるんだよ。熟練者なんだ、あいつは」

「はあ……」

「別に、将来ベビーシッターで生活していこうとしているわけじゃないんだろ。幼稚園の先生とか」

「そういうわけじゃないけど……なんか子どもに好かれないのって、人間として欠陥があるんじゃないかって思って」

「そんなことないし、そもそも『子ども』っていう考え方があんまりよくないのかもしれない。一緒くたに子どもってみると、あっちだって『大人』っていう見方で二瓶を見るんじゃないかな。そうすると、どうしたって大人と子どもってことになって、壁ができるじゃないか」

 瑛子は、あっと目を見開いた。

「そんなこと考えたこともなかった。そうかもしれないね」

 二人がそんなことをひそひそと話しているときに、姉に言われて手を洗っていた二人の子どもたちが洗面所から帰ってきた。用意されていた色とりどりのお菓子に目を輝かせている。

「エーコお姉ちゃんありがとう」

「お姉ちゃんありがとう」

 二人が瑛子に向かって言った。

「今の聞いた、倉木くん? 『エーコお姉ちゃん』だって!?」

「『初めてママって呼んでくれたのよ』みたいな顔で言うなよ」

「後でチョコパイを倍にして返すからね」

「気にしなくていいよ。自分が買ったチョコパイっていうのは誰かに食べられるためにあるんだ。オレはそれをこの二人くらいのころから学んでる。現在進行形でな」

 二人の小さなモンスターたちがチョコパイやポッキーというロングセラー菓子を食べつくしたころに、悠々と彼らの兄が帰ってきた。

「よお」

「デート、どうだった?」

「家に来たいって言われたけど、今部屋には知り合いの美人の女の子が来ているからダメだって断ったら、怒って帰ったよ」

 瑛子は宏人を見た。「富永くんっていい人だね」

「知ってたよ」

「こっちはどうだ?」と一哉。

「いい感じだよ。いつも通りもみくちゃにされて、これから、外でバドミントンをすることになってる」と宏人。

「いつか何かで返すよ」

「必要ないよ。貸しとか借りとかは苦手なんだ」

「二瓶は?」

「こっちが無理言って来させてもらったんだから、何もいりません」

「いい経験になったか?」

「真理に開眼したわ」

「うちで?」

「そう」

「じゃあ、どうして、オレは真理なんてものを何一つ知らないんだろう」

「きちんと目を見開いて、耳を澄ますの。そうすれば、分かるはず、きっと」

「ちなみにどういうことが分かったか聞いてみてもいいか」

「人はひとりひとり違う」

「…………大層な真理だなあ」

「ありがとう。じゃあ、バドミントンに行ってきます!」

 二人の子どもに手を取られるようにして瑛子が部屋を出ると、宏人がそれを追った。そのあとに、一哉も続く。佐奈は、食べたものの片づけをするために残った。

 一哉も混じって晩秋の公園の中、バドミントンでいい汗をかくと、そろそろお別れの時刻になった。

「また来てね、エーコお姉ちゃん」

「今日楽しかったあ」

 二人の弟妹はそんなことを言って、瑛子を涙ぐませた。

 その隣で宏人が言う。

「おい、キミたち。ボクには何もないのか?」

「え、いたの、ヒロト?」

「いつからいたの、ヒロト?」

 宏人は天を仰いだが、その耳に、

「そんな言い方をすると、もう来てもらえなくなるわよ。それでもいいの、二人とも」

 というお叱りの声がかかるのが聞こえてきた。

 その声によって、二人は冗談をやめたようである。

 宏人は、二人の子どもとその姉と兄に見送られて、瑛子を隣にして歩き出した。

「今日はありがとう、倉木くん」

「別に大したことはしてないよ」

「わたしにとってはすごく大したことだったよ。新しい世界が開けたみたい」

 瑛子はしみじみと言った。

「それはよかった」

「あの、倉木くん……また、一緒にどこかに行ってくれる?」

「構わないよ」

「サナちゃんみたいに可愛くないけど、いいの」

「可愛くはないかもしれないけど、それはしょうがない」

「……そうだよね」

「二瓶は綺麗系だから」

「…………ん?」

「聞こえなかった? 『可愛い系』より『綺麗系』だって言ったんだけど」

「き、聞こえたと思う。ていうか、今のではっきり聞こえました」

「じゃあ、よかった」

「なんか、倉木くん、富永くんに感化されていない?」

「あいつはオレの親友だから」

「だとしたら、そのうちデート相手にひどい冗談を言うようになる?」

「いや、それはない」

「どうして言い切れるの?」

「相手がいない」

 宏人は瑛子と別れた後、家に帰って、夕飯までの間に志保に電話をした。

 そうして今日あったことを事細かく話してやった。

 志保はため息をついた。

「そんなことで、電話してこないでよ」

「一回10分まで通話料無料のプランに入っているんだ。電話しないと損だろ」

「倉木くん、わたしのこと愛してるんじゃないよね?」

「海よりも青く」

「わたしの顔も青ざめたわ」

「あれ、『深く』だっけ?」

「調べなさい」

「勉強は嫌いなんだ」

「わたしはバカが嫌い」

「それは差別じゃないか」

「心の中で思っている分には何も問題ない」

「今言葉にしただろ」

「じゃあ、聞かなかったことにして」

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