第252話:修学旅行シミュレーション3
昼食を取った後は、近くにある名所を回ることになった。
古戦場跡であるようである。
小高い丘の上から下界を見下ろした宏人は、かつてあったと言われる戦に対して何の知識も無いので特別な感慨を抱くこともなく、ただただいい眺めを楽しんでいた。
「気持ちいいなあ、来てよかった」
その独り言は、隣にいた田沢くんに聞こえたようで、彼もうんとうなずいているのが分かった。
「正直、寺とか神社とかどうかなって思ってたんだ」
宏人は、ひそひそ声で言った。
すると、田沢くんは、にやりとしたようである。
どうやら彼も同じ気持ちであったらしい。
「大体オレは、寺とか神社なんて年に数回しか行かない。一度も行かなかった年もある」と宏人。
「初詣は?」
「時々飛ばしている。初詣っていうのは、その年初めての参拝だろ。別に元日である必要はないんだって思っていると、ずるずる一年が過ごされてしまうんだ。法事だって毎年あるわけじゃないし」
「墓参りは毎年ある」
「墓参りね。それを忘れてた。確かに寺には行くけど、でも本堂には行かないからな」
「おれは無理やり行かされるよ。で、法話を聞く」
「ほーわ?」
「坊さんのありがたいお話」
「で、何かを悟って帰ると」
「悟るとしたら、正座していると足がしびれっていうことかな」
「なるほど」
二人で話していると、瑛子がやってきて、
「二人で何をこそこそ話しているの」
と華やかな笑みを投げてきた。
「二瓶の服、似合ってるなと思って、田沢とそのことについて話してたんだ」
「いや、おれはそんなことは言ってないよ」
「でも、そう思ってるだろ?」
「べ、別に……」
「じゃあ、思ってない?」
「思ってないことはないけど……」
「じゃあ、思ってるってことでいいな。今日の二瓶は可愛いって」
「そんなの知らないよ」
そう言うと、田沢くんはムッとした顔をして、その場から離れてしまった。
瑛子は、じっと見てきた。
「謝るべき?」と宏人。
「誰に対して?」
「田沢と二瓶に」
「そうしたいなら。でも、わたしは単なる謝罪よりも、アイスがもらいたいな」
「アイスはさっき食べたけど」
「好きなものはいくらでも食べられる」
「じゃあ、二瓶にはそうするよ。田沢にはどうすればいい?」
「わたしは田沢くんじゃないからね」
「了解」
宏人は、一人たたずんでいる田沢くんのところにまで歩いて行って、からかったことを謝った。
「倉木は二瓶とは仲いいの?」
「普通じゃないかな」
「でも、しゃべってる」
「オレも今田沢としゃべってるよ。二瓶は誰とでもしゃべると思うけど」
「……そう」
宏人は、二瓶瑛子がクラスのマドンナ的存在であることを忘れていることに気がついた。それだけ近づいてしまったわけである。それは一方で喜ばしいことであり、一方で悲しいことである。高嶺の花は、低いところから見上げているからこそ美しいというところがあるのではないかと宏人は思う。
山を下りた後は、近くにオープンした大型のショッピングモールに行くことになった。修学旅行とはさして関係ないけれど、せっかく新規オープンしたばかりなので話の種に行こうということになったのである。ここで、みな、家族にお土産を買うと言い出した。
宏人は力強く応えた。
「オレは買わない。見るだけにすることをここに宣言する」
「お姉さんに買っていけばいいんじゃないの? 選んであげようか?」
志保が申し出た。
「必要ない。向こうはこっちに何もしてくれないんだ。こっちからばかり何かするのはフェアじゃない」
「フェアなんてこと気にかける人だと思わなかった」
「いろいろ気にかけた方がいいだろ」
「どうかな」
「オレが何かを買っていったって、どうせあっちは満足なんてしないんだから、いいんだよ」
「こういうのは気持ちでしょ」
「そう。だから、オレは買っていきたくないっていう気持ちを持っている」
「呆れた。じゃあ、倉木くんは、この時間何をしているの?」
「別に何も。その辺をうろついて、迷子の子どもでも探して見つけるさ」
「見つけたらどうするの?」
「迷子センターまで届けようとしているところを、誘拐犯と間違えられて取り押さえられる」
「面白い遊び」
「いつでも参加してくれていいよ」
「結構です」
宏人は、待ち合わせ時間と場所を決めて、みなが散開する中で、一人でぼーっとしていることにした。半日歩き回ってちょっと屈託しているところだったので、ちょうどよかった。まだ開店したばかりなので、人は相当多く、子どももそこかしこで見かけており、これは本当に言った通り、迷子を見つける公算も高かった。
しかし、迷子を見つける前に一哉が帰ってきた。ビニール袋を提げているので、幼い弟妹と、一歳違いの可愛くて性格もいい妹にお土産を買ってきたのだろう。
「いいもの見つかった?」
「多分な。疲れたか?」
「半日動いていれば疲れるだろ。神の怒りを知ったし、登山もした」
「その分、収穫もあっただろ。花山と田沢はいいやつだってことが分かった」
「カズヤって、人のことを悪く思うことあるのか?」
「もちろん、ある。ていうか、そもそも人間のうち多くは悪人だと思っているし、事実そうだ。根拠を聞きたいか?」
「ぜひ」
「この世の中で、善人には価値があるよな。誰も、善人より悪人の方が価値が高いとは思わない」
「そうだな」
「価値があるっていうことは、それが希少だってことだ。ダイヤモンドが道端にごろごろ落ちていたら、それほど価値はなくなる」
「それもそうだな」
「ということはだ、価値がある善人の方が価値がない悪人よりも希少だということになるだろ。この世は悪人だらけなんだ」
「目からウロコが落ちた気分だよ。まさか、この世界が、ロールプレイングゲームみたいに周りにモンスターばかりだとは思わなかった」
「その中でヒロトに出会えた。これは運命なのかもしれない」
「一緒に、魔王なりドラゴンなりを倒しに行くか?」
一哉は笑った。人好きのするいい笑みである。
「でも、カズヤの理屈で行くと、善人が6人集まるっていうのは結構な確率にならないか?」
「類は友を呼ぶっていう諺知らないのか?」
「聞いたことはある」
「ならそういうことだろ。お前の周りに集まったんだ。お前が集めたんだよ」
「二瓶にも同じようなこと言われたことあるけど、そんな気もしないけどなあ」
「まあ、お前がどう思っているかはそれはそれだろ。でも、どう思おうと事実は変わらない」
「カズヤがそう言うならそうなんだろうな。オレは自分の判断よりも、お前の判断を信用している」
「じゃあ、お姉さんにプレゼントを買えって言ったら、買うのか?」
「男に二言はない」
「買ってった方がいいな」
「男に二言はないけど、この言い方って、そもそも今は通用しないよな?」
「あっちにアクセサリーがあったぞ」
「アクセサリー!? そんなもん買えるわけないだろ」
「心配するな。ハンドメイド品らしくて、そんなに高くない」
「問題はそんなことじゃない。カノジョにだってそんなもん買ったことないのに。アネキになんて買えるわけないだろ」
「じゃあ、まずカノジョに買っていけばいいだろ」
「それは無理だね」
「まだ作ってないから?」
「よくわかってる」
「サナでよければいつでもカノジョにしてもらっていいけどな」
「バナナのたたき売りじゃないんだから」
「バナナのたたき売りって見たことないな」
「オレも」
「どこでやっているか分からないから、今度見に行くかとも言えない」
「まあ、別に見たくもないけど」
楽しいおしゃべりに花を咲かせていると、一人また一人とパーティの仲間が集まってきた。そうしているとすでに4時近くになっており、そろそろ帰らなければいけない時間だった。旅程も全てこなされていた。そこから駅へと戻り、また電車に揺られて行くと、そろそろ暗くなってきていた。
「じゃあ、ここでみんな別れるか」
駅の構内の一角で一哉が言った。
「来たる修学旅行に向けて非常に有意義な遠足になったと思う。修旅もこんな感じで楽しくやろう。何かあれば、連絡を取り合うことにしよう。今日分かったけど、オレたちはみんなそこそこいいやつだと思う。世の中にいいやつは少ないということで、オレとヒロトは同意した。みんなもそう思うだろ? オレたちはいいやつら同士でせいぜい仲良くやろう。いいことは分かち合い、悪いことは押し付け合う」
「感動的なスピーチだけど、何かが間違っている気がするな」
瑛子が言うと、花山さんが笑いながらうなずいた。
「じゃあ、解散」
三々五々帰路を取る中で、宏人は志保を追った。
「一緒に帰ろう。いいだろ?」
「拒否したら?」
「オレのことを捨てるのか! って、わめく」
「ちょっと、もう十分大きい声だよ、それ。大丈夫、酔っぱらってるの?」
「電車にはちょっと酔ったかもしれない」
「三歩離れて歩いてくれる?」
「そんなに離れたら、キミが転んだとき、とっさに支えられない」
「自分のことを心配しなさい」
宏人は、志保の隣についた。
「本当に大丈夫か?」
「倉木くんよりはね」
「前に、人と当たりすぎると気分悪くなるって言ってだろ」
志保は立ち止まって、キツネにつままれたような顔をした。
「どうした?」
「よく覚えているね、そんなこと」
「覚えているからこそ、今こうして母親を追う子どものようにお前の後をついてきてるんだろ」
「こんなに大きな子いらない。弟だけで十分」
「それで?」
「大丈夫よ。この頃、慣れてきたの。慣れていけるんだね、どんなことにも」
「本当か?」
「嘘つく必要ある?」
「そんな必要があるかどうかはお前にしか分からない。だから、オレは全てを疑っている」
「じゃあ、もう疑ってなさい」
「ここからちゃんと家に帰るかどうかも疑っているから、送っていくからな家まで」
「面倒くさいじゃん」
「まあ、しょうがない。そういう性分だから」
「わたしが面倒くさいの」
「我慢しろ。いつかいいことあるさ」
「あるかな」
「無かったら、何かオレが作ってやるよ」
「期待しないで待ってるね」
「期待しろ。オレは期待に応える男だ」
「ここまででいいよ」
「遠慮するな。家の前まで送っていって、お前のお母さんに見られて、『あの男の子、シホのカレシなのかな』って思わせたいんだ」
「やれやれ」