第251話:修学旅行シミュレーション2
神社は立派なもので、この辺りでは有名なところらしかった。
宏人は全く知らなかったが、それは自分の無知ゆえというよりは、ごく一般的な中学生が知っている常識の範囲を逸脱しているがゆえと結論付けた。オレは悪くない。
「真ん中は神様が通る道なので、みなさん、端を歩いていください」
鳥居をくぐると、花山さんが言った。
宏人は驚いた。これまで本殿までの道の真ん中を普通に歩いていた宏人は、だから神の不興を買って、今日色々と不都合な状態なのだろうかと考えた。
「これから悔い改めるよ、一哉」
「別にそんなことすることないだろ。知らなくてやってたんだったら、神様も許してくれるさ。大体のケースで過失は罪にならないんだ」
「カシツ?」
「知らずにやった場合ってこと」
「でも、それ人の法律の場合だろ。神の場合は違うのかもしれない」
「神の方が人より寛大だから大丈夫だろ」
「それならいいんだけど」
念のため、宏人は、申し訳ありませんでした、これからは端っこを通りますと心の中で念じながら、歩いた。そうして、正殿に到着すると、そこでまた花山さんに、
「みなさん、二礼二拍手一礼してください」
と言われるではないか。なんだろうかその呪文は、と思っていたら、彼女が実際にやって見せてくれた。二回礼をして、二回手を打って、もう一回礼をする。まさか、拝殿するときにも作法があると思わなかった宏人は、どうしてこれまで教えてくれなかったのかと心の中で親を責めた。しかし、親が自分の親であることでもって非難を収めることにした。あまり期待しても彼らに可哀そうである。今学んだのだからそれでいいではないか。
宏人は最後の一礼のときに、これまで拝殿のマナーを無視して申し訳ありませんでしたとまた謝罪した。今日はよく謝る日である。
無事……かどうかは分からないが、とりあえず参拝を済ませた宏人たちは、登ってきた表参道の坂道を再び下って、坂沿いにある露店を冷やかすことにした。アイスを食べなければならない。
「オレはパス。集団行動だからって言って、アイスまでみんなで食べなきゃいけないってことはないよな」
一哉が言った。
「ノリが悪いぞ、カズヤ。みんなで食べようってなったら、食べたくないものでも食べないといけないだろ。知らないのか、古き良き日本の同調圧力」
「冗談だろ?」
「もちろん」
「危うくお前と友達をやめるところだったよ。あるいは、その性根を叩き直すために殴るところだった」
「言葉で説得しようとはしないの?」
「手っ取り早いのが好きなんだ」
「なるほど」
宏人は予定通りラムレーズンを食べた。一哉以外の他の四人がそれぞれカップに入れられたアイスを食べているのを見て、なんだか不思議な思いだった。これまでは友達といるときは気を使っていたような気がした。しかし、このメンバーに対しては、もちろん、まだ花山さんと田沢くんのことはあまり知らないので、相応に気は使っているのだけれど、ストレスになるような気の張り方はしていない。一人でいるときと同じようにとはもちろんいかないが、かなりゆったりとした気分でいることができる。これはどういうことだろうか。
どうもこうもなくて、もしかしたら、これが本当の友達関係というものなのかもしれなかった。一緒にいても気を張らずにいることができる。そうして、自分と同じような心持ちでいられる中学生がどのくらいいるのだろうかと思うとこれはかなり疑問だった。ちょっと前までの自分がそうであったように、それほどはいないのではあるまいか。そう考えると、急にすっきりと気分が晴れ渡るような気がした。
「どうかした、倉木くん?」
隣から瑛子が言った。
「いや、もしかしたらオレって幸せなのかもしれないって思って」
「どうして?」
「ここにいるみんなと知り合えて」
「いきなりどうしたの?」
「いきなり感じたんだからしょうがないよ」
「その『みんな』の中にわたしも入っていると嬉しいけど」
「もちろん入っているよ」
「よかった。一口食べる、山塩?」
「ええっ!?」
「スプーン余計にあるから分けてあげようかなと思って」
「い、いや、大丈夫」
「そう? 美味しいのに。じゃあ、倉木くんのラムレーズンもらってもいい?」
「ど、どうぞ」
「サンキュー」
宏人は、瑛子のプラスチックのスプーンが自分のカップに伸びてちょこっとラムレーズンアイスを掬って、彼女の口に着地するのを見ていた。
「うーん、美味しい。食べず嫌いだったかな。今度、ストロベリー食べてみようっと」
「ラムレーズンと関係ないじゃん」
「だって、ラムレーズンの味は今分かったから」
「なるほど」
今日はよく納得する日でもある。
アイスを食べ終えたら、今度は近くのお寺に行くことになった。神社に行ってから寺に行くというのも、なんだか妙な気がした宏人だったが、
「明治時代までは、神社とお寺ってはっきり区別されていなかったんだよ。神様と仏様は仲間だったんだ」
という花山さんの説明を聞いて、驚いた。
「そんなのあり?」
「うん」
「だって、神様って日本の神様で、仏様ってインドの神様なんじゃないの?」
「わたしもそれほど詳しくはないんだけど、神様がインドに現れたものが仏様だったり、逆に、仏様が日本に出張してきたのが神様だったりっていう解釈が日本にはあるみたいなの」
「なにその考え方……日本人ってすごいな」
「わたしもそう思う」
「じゃあ、どうして明治時代に分かれたんだ?」
「明治時代になって天皇制で行こうってなったときに、天皇は神の子孫だってことを推していこうってことになったんだけど、日本の神様が外国の神様だった仏様と仲間なんだってなるとよくないだろうってことで、神様と仏様は違うんですよっていうことにしたらしいよ」
「そんなことよく知っているなあ。てか、社会の先生より話が分かりやすいよ」
「あ、ありがとう」
「今度、『歴史』教えてもらおうかな」
「あ、でも、わたし、お寺とか神社関係のことしか知らないから」
「すごく修学旅行向きな人だなあ」
「修学旅行中、できたら解説します」
「ガイドさんよりも詳しく説明して、お株を奪うっていうのはどう?」
「そんなことできないよー」
明治時代にはっきりと分かれたものが時を経るにしたがって、また一体化したのだろうか。今では、神も仏もどちらも気にしなくなっている。さすが日本人。宏人は一つ知識が増えたのを感じた。来ることにあんまり気乗りしなかったわけだけれど、来てみてよかったのかもしれない。
それから、寺に移動して、そっちでも参詣した。せっかく二つ寺社をはしごしたわけだけれど、特に願い事は変えなかった。さっきと同じ、これまでの不敬を謝るだけにする。
せっかく寺に来たのだから、和尚に精進料理でもふるまってもらおうかと思ったけれど、そういうサービスは行っていないようである。当たり前。いや、どっかの寺ではそういうこともしているかもしれない。
「していても、別に要らないよ。精進料理なんて」と志保。
「だから、藤沢はなんかこう尖ってるんだな」
「どういうこと? 精進料理食べると丸くなるの?」
「そう。だから、坊さんの頭は丸い」
「誰だって髪それば丸くなるでしょ」
「藤沢は髪そったら、なんか角とかありそうな気がする」
「その角で刺し殺してあげようか」
「寺の中じゃ、絶対に言っちゃいけない言葉じゃないか、それ」
「そんなことないでしょ。仏教徒同士だって殺し合ってた歴史があるでしょ。ねえ、花山さん?」
「え、あ、うん」
近くにいた花山さんはうなずいた。
「マジで? あんな穏やかそうなお坊さんも昔はイケイケだったんだ」
宏人は、離れたところで境内を掃いている中年の僧侶を見た。
「あの人がどうかは分からないけど、歴史的にはそうみたい」
「仏教勢力の武装解除を行ったのが織田信長だって、『歴史』の授業の時、先生が言ってたじゃん」と志保。
「聞いてなかったな」
「なんなら聞いてるわけ?」
「数学と理科は割と聞いていると思う。聞かないと分からなくなるから」
「あとは聞いてないの!?」
「あんまり聞いてないかな。いざとなれば、スマホで動画を見て自分で勉強すればいいし」
「二度手間じゃん」
「腹減った」
「なに?」
「精進料理じゃないなら、肉食べたい。肉ある、花山?」
「あると思うよ。ビュッフェだから」
六人で食べに行ったのは、ファミリー向けバイキングだった。
確かにここなら何でもそろっていることだろう。
宏人は、田沢くんの隣に腰を下ろすことにした。花山さんとはちょくちょくしゃべっているけれど、彼とは電車の中でしゃべった以来、しゃべっていない。
「何食べる?」
「……まあ、テキトーに」
「互いの食べたいものを交換するっていうのはどうかな。互いに皿に自分の食べたいものを盛り合わせて、それを相手に渡す」
「……ごめん、意味が分からない」
「だよな」
田沢くんは、立ち上がって自分のものを取りに行った。
「ナイストライ、ヒロト」
一哉が笑いながら肩を叩いてきた。
「苦手なんだよ、こういうのは」
「どういうのが?」
「自分からアプローチするのが」
「そんなことはないと思うけど」
「カズヤはもう仲良くなっただろ」
「だといいけどな」
ふと見ると、花山さんは瑛子と話していた。もともと瑛子はクラスの誰とでも話していたので、二人の間に以前から会話はあったようだった。
「お前の目論見は当たったみたいだな、カズヤ」
「みんなで仲良くなるってことか?」
「そう。お前のことを誇りに思うよ」
「別に大したことはしてないさ。腹減ったからオレたちも取りに行こう」
一哉は照れてるようでもないようだった。これが彼の素であれば、もうかなうところがない。イケメンで弟妹思いで、周囲にも気を配ることができるのである。まさに、完全無欠ではないだろうか。こういう人間もいるのである。お手本にするのはいいけれど、劣等感を抱くのはやめようと宏人は思った。彼は彼、自分は自分。
「枯れ木も山の賑わいだよな、藤沢」
「いきなり何のこと? わたしまだ枯れてないけど」
志保は嫌な顔をした。
「いや、こっちのことだよ。ところで、藤沢、オレたち好きなものを取って、そのプレートを交換しないか?」
「一人でやってなさい。じゃ」
志保は素っ気なく言って離れていった。
「わたしやってもいいよ、倉木くん」
瑛子が手を挙げた。
「倉木くんが乗せるものを、全部わたしが指示させてくれたらだけど」
「えっ?」
「その代わりにわたしのお皿に乗せるものは全部、倉木くんに指示させてあげるね。そうして、その二つを取り替えるの」
「それ……いいね!」
宏人は瑛子と一緒に、とりあえずプレートを取りに行った。