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プラトニクス  作者: coach
247/281

第247話:ある秋の休日 ~岡本士朗の場合~

 その日、士朗(シロウ)は街に出ていた。

 取り立ててすべきことがあったというわけではない。受験生である彼は毎日の勉強に追われる格好であって、ただ単に屈託したのである。友人を誘ってもよかったのだけれど、友人も受験生である限りはうかつに誘うこともできないし、一人でも気にならない性質(たち)でもあった。

 街の中でどこに行くのかということも特には決めない道行きだった。街で何かをしたいということではなくて、街の喧騒が好きなのである。喧噪を感じると、確かに人が生きているという気がする。その人も何かに悩みながら生きているのだろうと思うと、自分もそうであっても仕方が無いのだと思えるようになるのである。もちろん、その分だけ気が楽になるということもなければ、まして具体的に悩みが解決するなんていうこともないわけだけれど、そんなことまでは望むべくもなかった。気分転換になるだけで十分。

 駅前に至るメインストリートを歩いて行くとそこはかつての商店街であって、シャッターを下ろしているところもちょこちょことあるけれど、それでも繁栄していた昔日の面影が偲ばれた。自分の親に当たる世代が若い頃、ちょうど今の自分と同じ年頃にこのあたりの店を冷やかして回ったのかと考えると面白かった。

 駅までに至る道から外れて、一本中に入ったところが現在の繁栄の中心地であって、車や自転車が乗り入れ不可の歩行者天国になっていた。気持ちよく晴れ渡った秋空の下を、友だち同士や、恋人同士、家族連れ、休日も働いているらしき会社員風の男女が、楽しげにせわしなく歩いている。

 士朗はその中を歩いた。目的があったわけではないけれど、繁華街をただ行って戻ってくるというのはさすがに寂しいので、カフェにでも入って何か軽いものでも食べようかとは思っていた。時刻は3時前である。昼食を早く済ませたので小腹が空いていた。カフェでティタイム。ちょっとした贅沢になるけれど、毎月きちんともらっているお小遣いを無駄遣いすることもないので、そのくらいはどうということもなかった。

 そんなとき、人波の中に見知った顔を認めた。坊主頭の彼は、アクセサリーの露店をひやかしているようである。声をかけるべきかどうか迷ったけれど、満更知らない仲でも無いので士朗は近づいて行くことにすると、こちらから声をかける前に彼の方から気がついたようだった。

「岡本」

「よお、瀬良」

 ファーストネームで呼び合う関係ではない。

 向こうは学校内ではそこそこの有名人で、眉目秀麗の女好きだった。その彼が近頃、毎朝三時間くらいかけて整えているようなきちんとした前髪をばっさりと切って坊主にしたことは、校内にセンセーションを巻き起こした。もちろん、女子の間だけのことである。士朗を始めとした男子は、瀬良くんが髪を切ろうが染めようが、ピアスを空けようが、特に気になるはずも無かった。

「岡本も母親の誕生日プレゼントを買いに来たのか?」

 瀬良くんは破顔した。

「何のことだよ」

「他にアクセサリーを買いに来る理由があるか?」

「たまたまお前のことを見かけたから来ただけだよ。え、お前の家では、母親のプレゼントにアクセサリーを贈るの?」

「そういう法律があるって、子どもの頃言い聞かされてたんだ」

「アクセサリーどころか花を贈ったこともない。せいぜいが、肩たたき券くらいのもんだな」

「肩たたきはむやみにやると、逆効果になるらしいぞ」

「マジで? じゃあ、今年のプレゼントには肩たたき100回券10枚綴りを12セット渡すのはやめておくか」

「その方がいい。これから、どこかに行くのか?」

「行くと言えば行くし、行かないと言えば行かないな。カフェで何か食べようと思ってるだけだから」

「せっかく会えたんだし、邪魔じゃなければオレも一緒に行っていいかな?」

「オレは男だぞ」

「知ってるよ」

「念のためだよ。別に構わないけど楽しい会話を提供できなくても怒るなよ」

「怒るわけないだろ。こっちが勝手を言っているんだから」

 士朗は奇妙な成り行きになったと思ったけれど、学校でちょっと話をする男子と一緒にカフェに入るくらい、それほど奇妙でもないかもしれないと思い直した。

 そこから二人で並んで歩いて、道沿いにある広々としたカフェに入ると、瀬良くんは慣れているのか、店員の女性に明るく挨拶してテーブルの一つについた。

「よく来るのか?」と士朗。

「たまにな」

「常連みたいな感じに見えたけど」

「月に一回来ていれば顔を覚えられもするだろ」

 あるいは、店員の彼女が瀬良くんに気があるのかもしれないと士朗は思った。瀬良くんの人気は坊主になったくらいではびくともしなかった。髪を短くしたことでワイルドさが加わってむしろ男ぶりが上がったような気さえする。とともに、どこか人間的にも、以前には無かった奥行きが現われたような気がした。

「そう言えばこのまえ国語の授業でさ」

 瀬良くんは学校のことやテレビのこと、スマホで見たおもしろ動画のことなど、特にとりとめのない話を、押しつけがましくない程度に抑揚をつけて話した。こちらが適当に相づちを打つと、嬉しそうにそれに応じてくれて、さも自分といるのが本当に楽しいという様子を見せてくれる。さすがにコミュ力は高い。ただルックスだけで人気があるというわけではないようである。

「お前さ、大丈夫なのか?」

 士朗はいきなり尋ねた。特に何を思ったわけでもないのだが、瀬良くんの表情がちょっと明るすぎるきらいがあって、それが気になったのである。

「大丈夫かっていうのは?」

 瀬良くんはやや笑いを収めるようにした。

「訊いているのはこっちだぞ」

「質問の意味が分からなければ答えようがないよ」

「うーん……まあ、ふとそう思っただけだから」

「大丈夫じゃ無いように見えるか?」

「普段を知らないから何とも言えないな。やっぱり坊主だからかな」

「野球部なら坊主は当たり前だろ」

「ところがお前は野球部じゃない。そもそも部活引退しただろ」

「ああ」

「オレでよかったら、話してみるか?」

「なんでよくしてくれるんだ? オレは男だぞ」

「知っているよ。下心は無いよ。オレはただ、『それが瀬良くんと会った最後の時でした』っていうセリフを言いたくないだけだ」

「誰に?」

「ニュースキャスター的な人にだよ。オレの顔にはモザイクがかかり、声は変えられてる」

 瀬良くんはふうっと軽く息をついた。

「悩みと言えば悩みだけど、悩みじゃないと言えば悩みじゃない」

「おい」

「何だよ?」

 士朗はまっすぐに瀬良くんを見ると、

「話すか話さないかどっちかに決めろよ。こっちは聞く準備を整えているんだから、どっちつかずの態度は失礼だろ」

 言った。

 瀬良くんは背筋を正した。

「お前の言う通りだな。じゃあ、話さないことにするよ」

「話さないのかよ」

「話せないと言った方が正しい。『要するにこうだ』っていう話はできるけど、そもそも、『要するに』って言ってまとめられることなのかどうか自信が無い」

「分かった」

「ちょっと岡本の印象が変わったよ」

「近づけば山の大きさが分かる」

「おいおい。でも、気を遣ってもらってありがとうな」

「別に気を遣ったわけじゃない。お前に言ったことが全てだよ」

「岡本は悩むことはないのか?」

「オレを何だと思ってるんだよ。切ったらちゃんと血が出る人間だぞ」

「じゃあ、今何を悩んでいるんだ?」

「今夜、英語を勉強すべきか、数学を勉強すべきか」

「英語をおすすめする」

「その心は?」

「英語は将来使う可能性がある。数学は無い。世の中に出れば数学的なことは全てAIがやってくれる」

「英語だって、超高性能超小型の全自動翻訳機が出るかもしれない」

「だとしても、使う喜びがある。Speaking English is a lot of fun.」

「やっぱり国語にするよ。英語が楽しいとかいうお前みたいな日本人が増えたら、将来日本語が絶滅するかもしれない」

「岡本がその最後の使い手になると?」

「今はもう使われなくなった言葉を操ることができる男……ファンタジーだったら主役にはなれないな」

「ここが現実世界でよかった」

 それぞれに頼んだメニューを平らげると、お茶会は終わりを告げた。カフェを出た後は、二人で遊びましょうと誘われることもなく――もしなっていても士朗は断っていた――そのまま解散ということになった。瀬良くんと別れた士朗は、瀬良太一という男が、見かけ通りのナンパヤローではないということが分かってやや興味を持ったけれど、それは「やや」にとどまった。成り行きはなかなか面白いものであって、あるいはこれから先再び街で出会うことがありまた同じようなことにならないとも限らないが、自分から彼と仲を深めようとは特には思わなかった。向こうも同じだろう。だからこそ、自分の悩みだか心のつかえだがトラウマだか何だか分からないことを話さなかった。そう考えるのは考えすぎだろうか。

――ま、どっちでもいい。

 士朗の信条はすこぶるシンプルであり、それは、その時時においてベストだと思われる行動を取ればそれだけでいいというものだった。その行動がどのような結果を招いたとしても、そんなことはどうでもいいことである。結果を考慮するのは意味が無い。ある行動がどんな結果を生むかなんていうことが誰に分かる? 北京で蝶が羽ばたけばニューヨークで嵐が起こる世の中で、そんなこと分かりようがない。先々を見通すことは不可能。事が起これば対応するしかないのである。

 瀬良くんへの対応が良かったか悪かったかは分からないが、士朗は信条通りに事を行った。それだけが大事なことである。そうして、瀬良くんとの邂逅は士朗に一つの着想をもたらした。歩行者天国を歩いて戻りながら、士朗は一軒の店の前で歩みを止めた。花屋である。中に入って、

「あの、カーネーションってありますか?」

 色とりどりの美しい花々に囲まれたお姉さんに訊くと、

「ありますよ。お母さんにプレゼントですか?」

 とのこと。

「肩たたき券から卒業したくて」

「喜ばれると思います」

 士朗は、可愛いウサギ型の小鉢に入ったカーネーションを買った。買ってから、

――カーネーションって5月の母の日あたりの花なんじゃないのか?

 と思い直して訊いてみたところ、原種はそうだけれど、品種改良されて四季咲きのものがあり、

「今買っていただいたのがそうです」

 ということだった。

「勉強になりました。もう今夜は受験勉強しなくてもいいですか?」

「花に関する知識を覚えても入試には出ないでしょうから、勉強はされた方がいいと思いますよ」

 店外まで丁寧に送られて、士朗は店を後にした。

 瀬良くんはどうだったか知らないが、士朗にとってはまずまずの一日になりそうだった。

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