第244話:同じものは二つと存在しない
倉木日向が参戦するということを知ったとき、怜は大きく深呼吸した。
この展開を考えていなかったわけではない。しかし、本当にそうなってみると、なかなかのヘビーブローだった。ノックアウトされそうである。
「この件に関しては、ヒナちゃんはわたしの友だちだっていうことを考慮に入れて、発言してね、レイくん」
「オレは何も発言しない。沈黙は金」
「金なんてつまんない。金閣寺よりも銀閣寺が好きだって、去年の修学旅行のとき言わなかったっけ?」
「特に寺に興味があるような発言はしてなかったと思うけどな」
「じゃあ、今聞いたでしょ」
「それなら、雄弁に行こう。倉木はオレのことを嫌っている。これは間違いないな?」
「嫌っているというか、癇に障るんだね」
「同じことだろ。オレは倉木のことを何とも思っていない」
「何か思っていたら、レイくんのことを嫉妬の炎で焼き尽くすから」
「理不尽じゃないか。こっちは何とも思っていないのに、あっちは一方的にオレを嫌っている。理不尽なことが起こるのが世の中だとしても、それに耐えられるかどうかはまた別の話だ」
「わたしのために耐えて」
「努力はする。ただ、それ以上のことは神のみぞ知るだ」
怜はカノジョとの電話を切った。
すると、友人からメールが入っているのを認めた。
「橋田さんの件で謝っておくよ」
とのことである。
怜は再び電話した。
「お前のせいじゃないから謝る必要は無いよ、ケン」
「わざわざ電話してくれなくてもよかったのに」
「気にするな。最近よく電話しているんだ。知ってたか、電話って声が聞こえるんだ」
「レイの声がよく聞こえるよ」
「じゃあ、よかった」
「正直に言ってほしい」
「ケンに嘘をついたことは無いと思うけど」
「オレたちが邪魔だったら、そう言ってほしいんだ。いや、そもそも邪魔ではあるだろうけど、本当に邪魔だったら、当日ヒナタの前に立ちふさがって行かせないようにするよ」
「お前にそんなことをさせるくらいなら、倉木と楽しくトークするくらい何ともない」
「ヒナタはレイの話し相手としては楽しくないんじゃないか」
「そんなことはない。色々勉強になる」
「例えば?」
「自分では気がついていないことを教えてくれるんだ。カレシの義務とか」
「カレシがいたことがないあいつがどうしてそんなことを知っているんだ?」
「……将来に備えてるんだろ」
「相手になるやつが大変だ」
「……そうだな。とにかく、倉木とケンは、とりわけお前は邪魔なんかじゃない。というか、倉木が来るのだとしたら、是非お前にも来てもらいたい」
「じゃあ、そうさせてもらうよ」
「オレからも謝っておくよ」
「何を?」
「初めから誘わなくて悪かったな」
「気にしてないよ。レイがすることにはきちんとした理由があることは分かっている。そして、それをわざわざオレに話す必要は無いよ。友だちってそういうもんだろ」
怜は親友との通話を終えると、勉強に戻った。彼は今、可処分時間の全てを勉強に費やしていた。
「一日何時間勉強すべきかといった質問は、加藤くんならしないと信じています。使える時間は全て勉強に費やして当然の時期です」
と塾の講師には言われていた。
それを聞いたとき怜は重々しくうなずいてはおいたが、内心では客観的に使える時間を全部は勉強に充てていないことを申し訳なく思っていた。しかし、これは仕方が無い。人間は山奥に一人でこもっているのでもない限りは自分のためだけに時間を使うわけには行かないのである。付き合いがあるのである。その結果、志望校に入れなかったとしても、それはそれとしてもう受け入れるしかないのだった。来年志望校に入れればあとはもうどうでもいいというわけにはいかない。生きるということは、そんな単純な話ではないのだ。少なくとも怜にとっては。
部屋のドアががちゃりと開いた。ノックしないのだとしたら、ドアの意味も無いのだから、もう取り外してしまおうかと怜は思った。その方がすっきりする。
「お兄ちゃん、分からないところがあるの、教えて」
怜にも分からないことはあった。この妹という存在それ自体の意義である。なぜ妹なのか。それはおそらく自分が彼女の兄だからだろう。
「それ、後にすることはできないか?」
「分からないところはすぐに解消することにしているの。気分悪いでしょ」
「スマホで調べることもできるぞ」
「お兄ちゃんに教えてもらって分からなかったらそうする。ここなんだけどさ」
妹は兄の座っている机に来ると、机の上の教科書類をぐいっと脇に押しやるようにした。そうしてできたスペースに英語の教科書を置いた。
「英語は自信無いな」
「自信なんて必要無いよ。実際に教えてくれて、それでわたしが分かればそれでいいし、分からなければそれもそれだけのことでしょ。お兄ちゃんはただやってみるだけでいいのよ」
これほど思い切りがいいのにどうして勉強ができないのか不思議であるが、よくよくと考えるまでもなく、それはただやっていないからということになるだろう。いくら素質があっても、やらなければできないのは当たり前である。
「これなんだけど」
と言って、妹が出してきたのは、
I will study English tomorrow.
I am going to study English tomorrow.
という二文だった。
「この二つの文って同じ意味だって事になってるでしょ」
「そうだな」
「わたし、さっき突然疑問に思ったんだけど、二つの別々の文が同じ意味になるってどういうこと? そんなわけないじゃん」
「……これやるのって、一学期だよな」
「うん」
「今は二学期」
「当たり前のこと言わないでよ。何が言いたいの?」
「一学期に習ったことを、二学期の今疑問に思ったのか?」
「思ったもんはしょうがないでしょ。お兄ちゃんも分からないの?」
「いや、分かることは分かるけど」
「じゃあ、グダグダ言わないで、さっさと答えてよ。わたしだって暇じゃないんだから」
それを言ったらこっちだってよっぽど暇ではないのだが、抗弁するだけさらに時間の無駄、怜はそれ以上は何も言わなかった。
「ミヤコが言う通り、この二つの文は同じ意味じゃない。willが表わしているのは、『意志』で、上の文は、『明日、英語を勉強しよう』という気持ちを表わしている。対して、be going toが表わしているのは、『予定』で、『明日、英語を勉強する予定だ』というすでに決まっていたことを表わしている」
「お兄ちゃん」
「ん?」
「書いて、何かに。わたしが聞いているだけで覚えられると思っていたら大きな間違いだよ!」
自らの過ちを潔く認めた怜は、ルーズリーフにwillとbe going toを書き、その隣に「意志」と「予定」と書き込んだ。
「疑問文にすると、その違いはもっとはっきりする。たとえば、友だちに『わたしと一緒に買い物に行く?』と尋ねるときは、そのときの意志を聞くわけだから――
Will you go shopping with me?
と書くことになる。これを、
Are you going to go shopping with me?
と書くと、『わたしと一緒に買い物に行く予定?』と聞くことになってしまう」
「ふんふん。わたしと一緒に買い物に行く予定なんて、勝手に組まれてもこっちとしては大変だよね。てか、仮にそんな予定が立っていたら、こっちもその予定を知っているだろうから、いったいどんな状況で使う文なんだっていうことになるね」
「そうだな。『来月京都に修学旅行に行くの?』と聞きたいときは、予定を聞くわけだから――
Are you going to go on a school trip to Kyoto next month?
と書くべきで、
Will you go on a school trip to Kyoto next month?
と書くと、『来月京都に修学旅行に行く気ある?』と今の意志を聞くことになってしまう」
「なるほど、なるほど。来月の結構重たいイベントの話に行くかどうかを今聞かれてもって感じになるね」
「そういうことだな」
「その二つの違いについては分かったと思うけど、どうしてそんなに違いがあるものを、学校では同じものとして教えてくるわけ?」
「それはオレには分からない。何かしら大人の事情があるんだろ」
「大人の事情ってどんな?」
「さあ、その方が勉強しやすくなるからとかじゃないか」
「区別を教えてもらった方がよっぽど勉強しやすいと思うけど」
そういうクレームは、学校か教育委員会か文部科学省にでも言ってくれと怜は思いつつ、
「他に分からないところは?」
と尋ねた。
「無いけど、お兄ちゃん、ダテに受験生を名乗っているわけじゃないね。見直したよ」
その見直しは、おそらく別の教科の質問事項にうまく答えられなかったときに帳消しになって、名誉は返上され、汚名が挽回されることになるだろうから、怜は一時の栄誉を楽しむことにした。
「これからも分からないところがあったら、まずお兄ちゃんのところに持ってくることにするよ。スマホで検索するより早いし、書いてもらえるから楽だしね」
妹はルーズリーフをテーブルから取ると、
「助かったよ、ありがとう、じゃあね」
と言って、入ってきたときと同じく、颯爽と部屋を出て行った。
妹の口から感謝の言葉を聞くとは、もしかしたら、明日は天変地異でも起こるかもしれないと怜は危ぶんだ。こころみに窓を開けてみると、月は見えなかったけれど、星は綺麗に瞬いている。何か悪いことが起こりそうな気配は無い。どこからか虫の声が聞こえてきている。
星はただ輝いているだけ、虫はただ鳴いているだけだというのに、それを美しいと感じることが不思議だった。そうして、星が星で虫が虫であることと自分が自分であることが、今「美しい」と感じることによって確かなつながりを持つこともまた不思議である。これを古人は、「もののあはれ」と呼んだのだろうかと怜はふと思ったけれど、確かめられる話ではなかったし、そもそもそれが何を表わすのであれ、その分だけ今のこの気持ちが増えたり減ったりするわけではないとも思うのだった。