第241話:旅は道連れ
家に帰って来た怜は、その日の夕食を取ったのち、ついさっき会った部活動仲間に余計なことを話しすぎたかと後悔したが、もちろん後の祭りである。そうして、どうも自分はこの頃話しすぎなのではないかと思った。大した知見を備えているわけでもないというのに、何でもかんでもしゃべりすぎる。しゃべった分だけお里が知れるというものである。
「そうは思わないか、スズ?」
「そんなの分かんないよ。ていうか、そんなことで電話してきたの?」
「たまには電話しないと、電話の仕方を忘れるからさ」
「カノジョに電話しなさい」
「話したいことがあるんだ。今のは本題の前の枕だよ」
「その枕を聞いているうちに眠くならないとも限らないでしょ。もう本題に入って」
「キミに対するサプライズについてなんだ」
「それを先に聞いて、どうやってサプライズを感じればいいの?」
「驚いた振りをしてくれればいいよ。人生なんて煎じ詰めれば振りができるかどうかだろ。いい息子の振り、いい兄の振り、いい生徒の振り」
「全部できているんだ?」
「いや、全部できていない。だから、オレは最悪の人生を過ごしている」
「お気の毒さま。何かしてあげられることがあるといいけど」
「それが驚いた振りなんだな」
「了解。それで?」
「スズがどこに行きたいかと思って」
「この世のほかならどこへでも」
「なんだって!?」
「どうしたの?」
「いや、どっかで聞いたことがあるなあと思って」
「自分がどこかで言ったことがあるんじゃないの」
「そうかもな」
「どこでもいいよ。リムジンで迎えに来てくれるなら」
「そんな理不尽なことは言わないでくれよ」
「それ、はやってるの? マイブーム?」
「オレに言うなら、『ユアブーム?』と訊くべきじゃないかな」
「英語得意なんだね」
「イエス。話を続けよう」
「秋だから紅葉狩りにでも連れて行ってもらおうかな」
「そのあと、バーベキューっていうのはどう?」
「ライク」
「なに?」
「いいね」
「バーベキューの前に寺院とか回ってもいいぞ」
「参考までに、加藤くんは修学旅行の時、回った寺院で何かいいことあった?」
「特には思い当たらないな。おみくじを引いて、大凶だったことは覚えているけど」
「もともと神社やお寺には興味があるわけでもないから、それスキップしてもらっていいよ」
「よかった。オレも実はあんまり興味が無いんだ」
「それじゃあやめておきましょう。人数集まりそう?」
「オレは友だちが少ない」
「そうかなあ」
「でも、一人か二人くらいなら集められると思う」
「最悪三人でもいいよって、前に言ったっけ?」
「言った言った。でも、それ、オレがいる意味あるか?」
「加藤くんの企画でしょ」
「そうだった。じゃあ、オレは必ず行くようにするよ。それまでは健康に最大限の配慮をする」
「早寝早起き腹八分目?」
「アイスも食べないことをここに高らかに宣言する!」
「アイスも食べないの!? わたしのためにそんなことまでしてくれるなんて!? ケーキは?」
「ケーキも食べない。クッキーも。約束する」
「お楽しみ無しだったら精神的に参っちゃうんじゃないの?」
「それはしょうがない。何事も八方うまくいくなんてことはありえないんだ。体のために心を犠牲にするよ。そのせいで、学校でとげとげしくしても許してくれ」
「例えば?」
「スズが消しゴムを忘れたとする。オレに貸してくれと頼んできてもオレは貸さない」
「教科書も見せてくれない?」
「そもそも隣の席じゃない」
「給食の牛乳も代わりに飲んでくれないの?」
「牛乳はオレも嫌いだ」
「そんなことをされるんだったら、たまに甘いもの食べてもらった方がいいな」
「ならそうしよう。是非にと言われれば」
「ねえ、加藤くん」
「ん?」
「こういう会話する必要ある?」
「必要かどうかということを言えば、この世の中のことは全部不必要で無駄だってことも言える」
「また随分と大きな話ね」
「頭だけは大きいから」
「普通サイズだと思うけど」
「問題はやったことをどう活かすかだ。そうだろ?」
「活かせるかなあ、さっきの会話」
「努力すれば夢は叶う」
「本当に?」
「それを信じて勉強をしている」
「その勉強時間をわたしは奪っていることになると思うけど」
「その心配は無い。今日の勉強はもう終わりだ。スズは?」
「わたしはまだするよ」
「じゃあ、電話を切るしかないな。貴重な時間を奪ってしまって申し訳ない」
「わたしのサプライズパーティのことだもん。気にしてないよ」
「そりゃよかった。消しゴムは貸すからいつでも借りにきてくれ」
「シャープペンは?」
「お気に入り以外のヤツだったら」
「ルーズリーフも?」
「五枚までな」
怜は電話を切った。
鈴音用修学旅行については順調に進んでいるとは言いがたかった。難点は一緒に行く人である。ありがたいことに怜にも心の友と呼べる子はいたが、その子たちはみな恋人を持っているので、うかつにパーティへの参加を促したら、その恋人たちから恨みを買う可能性が高かった。
――タクミに頼むか。
脳裏に鮮やかに現われる顔、怜は今切った電話を再びかけた。
「急用かい?」
「頼みたいことがあるんだ、タクミ」
「いいよ」
「まだ何も言ってない」
「レイがオレに頼みたいことがあるってことは、オレならできると思っているってことだろう。だったら、やるしかない」
「あんまりオレを買いかぶらないでほしい。無茶を言ったらどうする」
「一緒に魔王を倒しに行ってほしいって言われたって付き合うさ」
「そのくらいキツいことかもしれない」
「おいおい」
「可愛い女の子にサプライズプレゼントしたいから付き合ってほしい」
「レイ。穏やかじゃないな」
「最初にそう言っただろ」
「オレに付き添いを頼むってことは、その可愛い女の子っていうのは、もちろんカノジョさんじゃないんだよな」
「ああ」
「まさかレイを殴るときが来るとは思わなかったよ。でも、安心してほしい。キミの親友として務めを全うするつもりだ、きちんと」
「親にも殴られたことないんだ。殴られたくない」
「殴られることで、一人前の大人になれるっていうもっぱらの噂だよ」
「エビデンスは?」
「そんなものは無い。何となくの世の中だから」
「もう少しきちんと説明するよ」
「いや、必要無いよ。今のは冗談だよ。オレはレイを信用してる。だから、説明はしなくていい。やることだけ教えてもらえればそれでいいよ」
「タクミ、これは老婆心だけど――」
「大丈夫だよ。レイ以外にだったら、こんなことは言わない」
「大人になったら一杯おごらせてほしい」
「大人になるまで待たなくてもいいよ」
「じゃあ、今度学校の外で会ったときにコーラを奢る」
「楽しみにしているよ。レイの奢ってくれるコーラは美味いから」
「コカコーラは偉大な会社だ」
「コカコーラは関係ない。キミが偉大なんだ」
「頭は大きいけどな」
「普通サイズだろ」
「また連絡する」
「了解。いつでもいいよ。この電話はホットラインだからさ」
「ほっとしたよ」
怜は電話を切った。
とりあえずこれで一人確保した。一人でいいだろうかと考えると、ちょっと心もとない。というのも、昨年行った修学旅行は男子三人女子三人の六人パーティだったからだ。それに倣うとしたら、男子はもう一人必要である。しかし、その一人がどうにも思い当たらない。……待てよ。そこで、怜の頭に電撃のようにひらめいた考えがあった。今日はよくひらめく日である。受験当日にもそんな風であったらいいと思いながら、怜は電話をしてみた。番号は知っている。
「珍しいな、加藤がオレに電話してくるとか。何か用か?」
「頼みたいことがあるんだけど」
「頼みたいこと?」
「ああ」
「ますます珍しいな。加藤って人に頼み事とかするやつだったんだな」
「自分の手に余ることは何でも他人に頼むことにしているんだ。妹のことも早く誰かに頼みたいと思っている」
「妹さんと付き合ってくれとか言うんじゃないだろうな」
「それはさすがに岡本に申し訳ない。ただそうしてくれるって言うならコーラをおごる」
「妹を何だと思っているんだよ」
「それについてこの電話で語り始めると、電話料金が天文学的数字になる」
「かけ放題にしたら?」
「それはうちの親に言ってくれ」
「で? 頼み事って言うのは?」
怜は電話相手にかいつまんで説明した。
少しの間沈黙があった。
「それってお前のカノジョさんも承諾していることなんだろうな?」
「ああ」
「個人的には、お節介のような気がするけど」
「オレもそう思う。そして、それは多分正しい」
「でも、それはお前とか川名とか橋田の問題であって、オレには別に関係ない。勉強、勉強で疲れているから、単純に遊びに行くのでいいなら付き合うよ」
「断っておくけど自費参加だぞ」
「見損なうなよ」
「それほど岡本のことを知らない」
「じゃあ、今回で知ることができるな」
「恩に着るよ。オレは友だちが少ない」
「カノジョがいない友だちが少ない、だろ」
「え、岡本いないの?」
「さっきのコーラの話だけど、500mlのやつにしてくれ」
「妹と付き合ってくれるのか?」
「いや、今の発言に対するペナルティとして」
「了解」
「じゃあ、切るぞ」
怜は二人目に部活動仲間の岡本士朗を選んだことについて果たしてどうだろうかと思ったけれど、彼についてはこれまで嫌な印象を受けなかったので、その直感に従う格好でよしと判断した。
怜は最後にもう一本電話をかけた。
「はい、こちら司令部」
「事後報告があるであります!」
「これからは事前報告にしてくれるんじゃなかったの?」
「全部をそうする必要は無いだろ。おやつに何を食べるかまで報告してもしょうがない」
「おやつに何食べたの?」
「チョコパイ」
「これからは全部報告してください」
「何のために?」
「レイくんをもてなすときの参考になるでしょ」
「だったら、食べたものじゃなくて、好きなものを聞いた方がいい」
「好きなものは?」
「ストロベリーチョコパイ」
「ありがとう。それで?」
「オレにも友だちがいたんだということを報告したい」
「どうぞ」
「例の件だけど、椎名巧と岡本士朗を旅の道連れに選んだよ」
「どっちもいい人だね。素晴らしい人選だと思う」
「そっちは?」
「アヤちゃんとナナちゃんにお願いしました」
怜は心の中で深呼吸した。
「安心した、レイくん?」
「何のことだか分からないな。キミの友だちなら、ボクは誰だって構わないよ」
「そうかな」
「モチロン」
「ところで、レイくん。スズちゃんの旅行の前にあるお出かけの件だけど」
「行きたいところでもあるのか?」
「その逆よ。無理しなくていいからね」
「というと」
「今回はスルーしてもいいんじゃないかな」
「そうして、この世に舞い降りた天使とも言っていいような子を悲しませるくらいだったら、オレは親に外で一晩中正座させられることを選ぶよ」
「レイくんは、ちょっとアサちゃんに甘いんじゃないかな」
「逆にどうしたら厳しくなれるのか訊いてみたい。オレに対して唯一、海よりも深い愛情をもって接してくれる子に対して」
「わたしのこと責めてるわけじゃないよね?」
「まさか」
「外で一晩中正座なんかしてもらいたくないな」
「もののたとえだよ。そんなことにはならない。せいぜいが口頭でちょこっと厳重注意されるだけだ。手は出されない」
「それだってどうなんだろう」
「いいんだよ。何だったら殴られてみてもいいんだ。殴られると大人になれるっていうもっぱらの噂だから」
「そんな噂初めて聞いたけど」
「キミにも知らないことはある」
「レイくんが知っていることは何でも教えてね」
「了解」
「きっとよ」
怜は環との電話を切った。人選だけ決まればあとは簡単である。一仕事終えた気分になった怜は鈴音に言った通り、今日はもう勉強はよしてこのまま寝ようかとも思ったが、壁に掛かっているカレンダーを見て気分を変えた。カレンダーはいつも通り、受験までの残り期間が何日あるのかということをざっくりと冷静に伝えてきていた。