第236話:スマートな女の子の誘い方
翌朝、カノジョに「計画」を話すのに怜は緊張した。カノジョと話をするのに緊張することなど無い身としては珍しいことであるが、それはもしかしたら、この「計画」が間違いを含んでいるからかもしれなかった。いや、もしかしたらも何も、そうに違いない。しかし、もう決めてしまったことだし、もしも間違っているというのであれば、それは彼女の方に判断してもらえばいいことである。そう思って、怜は朝の登校時に合流した彼女に向かって言ったのだった。
「スズをハワイに連れていってやりたい」
隣を歩いていた環はちらりとこちらを向くようにして、
「レイくん、スズちゃんのことでふざけるのはやめてください」
と答えた。
「悪かったな。お前の親友に対して」
「そうじゃなくて、ふざけるのはわたしについてのことだけにしてほしいの。そんなこと言ったら、引きますか?」
「引かないけど、変な願望だなあとは思う」
「受け入れてくれるの? くれないの?」
「受け入れるよ。後ろの席から髪を引っ張るのはキミだけにする」
「よかった。それで、なに? ハワイ?」
「ハワイじゃないなら、隣の市の遊園地でもいい」
「スズちゃんを遊園地に連れて行きたいっていうのは、わたしと別れたいっていう、婉曲な言い方ですか?」
「全然違う。そろそろ修学旅行の時期だろ。だからだよ」
環は、じっと押し黙るようにした。
その間、歩道を歩いていた怜は、かたわらの車道を通り過ぎる軽自動車の数を数えていた。車には詳しくないので、軽自動車かどうか分からない車については、0.5でカウントした。それが、10を越えないうちに、
「スズちゃん、すごく喜ぶと思う」
と環は言った。
「だといいけど。キミの親友は、彼女の親友であるキミと同じように繊細だから、楽観できない」
「大丈夫だよ。ありがとう、レイくん」
「礼を言われるのはまだ早いと思うけどなあ」
「どちらにしても、スズちゃんのことを考えてくれたっていうだけでわたしは嬉しいの」
「じゃあ、タマキは賛成なんだな?」
「それ、わたしも付いていっていいのよね?」
「当たり前だろ。それどころか、できれば、もう一人二人、女子を誘ってもらえるとありがたい」
「レイくん」
「その方が『旅行』っぽいだろ」
「なるほど」
「オレも男子を誘ってみる。そう知り合いは多くないけど」
「スズちゃんにはもう話したの?」
「昨日電話して、とりあえず時間だけは空けてもらった。何をするかは話してない」
「他にも事後報告があるなら、聞きますけど」
「まだない。でも、そのうちできるかもしれない」
「できれば、事前報告にしてもらえるかな?」
「今度からはそうするよ」
「よかった」
「問題はここからだ。話すにしても言い方が分からない。『修学旅行代わりに遊園地に行くぞ、つべこべ言うな』で、いいか?」
「ちょっと上からすぎないかな」
「じゃあ、『もしよかったらみんなで遊園地に行かないか。たまにはみんなで遊ぼうじゃないか』だったら?」
「それだとただのお遊びの誘いになっちゃう」
「苦手なんだよ、こういうのは。いっそ、Shall we dance? でいいかな」
「それ、今までの中で一番ダメなヤツ」
「オレは、スズに対して同情しているんだと思うか?」
「しているの?」
「してないと思うけど、もしも、外から見てそう見えたんだとしたら、そう見られても仕方ないことになる」
「問題は外からどう見えるかっていうことじゃなくて、スズちゃんがどう見るかっていうことでしょ」
「だから、彼女の半身のキミに訊いている」
「わたしは、もう一人の彼女よ」
「だったら、なおのこと都合がいい」
「レイくんはレイくんの心のままにすればいいと思う。スズちゃんがそれをどう考えるかは、究極的には、スズちゃん自身の問題だから」
「オレにも想像力がある」
「想像は想像、現実は現実。そうして、現実っていうのは、おおよそ想像通りにはならないものでしょう?」
その通りだった。そんなことは言われなくても分かっていたはずなのに。実行できていないということは、分かっていないというその事である。知行合一。怜は、実際にやってみることにした。生徒用玄関前で環と別れた怜は、一人でクラスに入っていった。そうして、自分の席にカバンを下ろすと、鈴音の席へと行った。
「おはよう、加藤くん」
「おはよう、スズ。お昼のときに、ちょっと時間もらえないか」
「いいけど、それ、今じゃなくてお昼に言ってもらうわけにはいかなかったのかな。何の話なんだろうって、お昼までの四時限の間、気になるじゃん」
「お昼の時に何か用がないとも限らないだろ」
「お昼の用なんか、お昼ご飯食べるだけでしょ」
「そのあとだよ。図書室に本を返しに行くかもしれないし、先生に分からないところを質問しに行くかもしれない」
「変身して地球を救いに行くかもしれない」
「そうそう。それで?」
「いいわ。お昼食べたあとね。どこかで待ち合わせる?」
「人目が付かないところがいいな。校舎の裏とか」
「えっ、どうして?」
「スズに引っぱたかれても、誰にも見られずに済む」
「わたしが加藤くんを引っぱたくの?」
「可能性の問題だよ」
「そういう風に伏線張られると、今すぐにでも訊きたくなってくる」
「お昼までのお楽しみだ」
「それって、昨日電話くれた件と別じゃないよね」
「その件だよ」
「じゃあ、よかった。二度じれったい思いをする必要が無くて」
お昼休みになるまでの四時限を適当にこなした怜は、給食をさして味わわずに食べた。というか、元から味わってもいない。給食は不味いものではないが、特に心待ちにするものでもなかった。小学校の時からずっとそうである。残しもしないけれど、お代わりを求めもしない。おおよそ、栄養補給以上の意味合いがないような水準のものだった。簡単に言えば、美味しくない。
それでも、食べるものがあるということに一応感謝をしながら食べ終えた怜は、廊下で鈴音を待った。六組の怜は、隣の五組から見知った顔が現われるのを見たけれど、親しく挨拶を交わす間柄でもないので、互いに一瞥を与えたのみだった。カノジョも五組だったが、カノジョには会わなかった。
そう、カノジョ。そもそもこの件を環から伝えてもらうというのはどうだっただろうか。そんなことに気がつかないとは、怜は己の不明を恥じた。その方がよほどスムーズだったのではなかろうか。……しかし、と怜は心の中で首を横に振った。世の中は効率だけで動いているわけではない。もしも効率だけで動くのであれば、話は簡単であるけれど、その分だけ味気ないとも言える。怜は人生を味わいたいと思っていた。給食よりは美味しいはずである、きっと。そうだといい。
鈴音が教室から出てきた。「待った?」
「いや、今来たところだよ」
「いいね、このやり取り。わたしの憧れだったんだ」
「希望がかなってよかった」
「渡り廊下のところでいいよね?」
「引っぱたかれるところをみんなに見られる」
「大丈夫。引っぱたきはしない。引っぱたきたくなっても、衝動に耐えてみる」
「耐えられなかったら?」
「わたしの左手を信じて。左手で右手を押さえ込むから」
「スズの利き手は右手じゃないか。利き手じゃない方で利き手を押さえ込めるのか?」
「もちろん。左手は右手より力が強いのよ。証明してみようか?」
「手短に頼む」
「左手はお茶碗を持っている。右手は箸。お茶碗は箸よりも重い。重いものを持っている方が力がつく。ゆえに、左手は右手よりも力が強い。証明終わり」
怜は、鈴音のいい加減な証明を受け入れる代わりに、引っぱたかれることを覚悟しておいた。棟と棟をつなぐ渡り廊下まで彼女を導くと、おもむろに空を見て、
「いい天気だな」
気持ちの良い秋晴れを指摘した。
「そうだね」
「今日はこのまま晴れているみたいだ」
「そうなんだ」
「ただ明日は雨になるかもしれない」
「ふうん」
「明後日は、また晴れるらしいけどな」
「加藤くん。1週間の予報が知りたければ、天気予報を調べるよ」
「イギリスでは会話のとっかかりとして、よく天気の話題を使うらしい」
「ここ日本だけどね」
「分かった。スズに修学旅行をプレゼントしたい。何も聞かずに受けてくれ」
鈴音は、えっと呆けた顔をした。
「変な顔も無しだ」
「変な顔にもなるでしょ。なに? 修学旅行? 京都に行くの?」
「悪いが京都には行けない。近場だ。あと、泊まりもなし」
「加藤くん……」
「言いたいことはあるだろう。だけど、それをぐっと飲み込んで、親友にでもぶちまけてもらいたい。オレにじゃなくて」
「タマちゃんのこと?」
「オレは何も言っていないけど、お前がそう言うならそうなんだろうな」
「ありがとう」
「お前にも言いたいことは、いろいろとあるだろう。でも、オレも思いついた限りは実行するしかなかったんだ。思い立ったが吉日だよ。だから……え、今何て?」
「『ありがとう』って。お受けするわ、その招待」
「本当に?」
「うん。楽しみ」
「何人か呼ぼうと思っているんだけどいいか?」
「任せます」
「そうか……案ずるより産むが安しってこのことだったんだな」
「何を心配してたの?」
「スズがぶち切れるんじゃないかって」
「わたし、加藤くんに対して切れたことある?」
「あきれたことは何度かあると思うけどな」
「あきれることとと切れることとは違うでしょ」
「あきれることがレベルアップすれば、切れるところに行くんじゃないのか」
「そんな関係性はないよ。とにかく、ありがとう。左手で押さえ込まなくて良かったわ、わたしの右手を」
「そうか……じゃあ、Shall we dance?」
怜は、うやうやしく右手を差し出した。
鈴音は、その手を取らずに、あきれた顔をした。
「加藤くんって、本当に分からない人だよね」
「オレほど分かりやすい人間はいないと思うけどな」
「どこがよ。ダンスの招待はお受けしません。それじゃあね。いろいろと詳細が決まったら、連絡して。でも、サプライズも大歓迎」
「サプライズもいける?」
「いける、いける」
「メンバーを見繕うよ」
「最悪三人でもいいからね」
「スズとオレとタマキ?」
「うん」
「それじゃあ、両手に花で、むせ返ることになる」
「じゃあ、頑張って誰か探してください」
「スズ、本当に怒ってないか?」
「怒っているように見える?」
「見えないけど、見えるものだけを信じることはやめにしているんだ」
「じゃあ、わたしの言葉を信じて。Believe me. 怒ってないよ」
「英語で言うのが怪しい」
「だったらもう怪しんでなさい。じゃあね」
鈴音は背を見せると、先に立って教室に向かったようである。
怜はホッとした。
自分が彼女に寄せる気持ちが一体何なのか、よく分からなかったが、あるいは分からなくてもいいのかもしれない。高校入試向けの英語の問題も分からないのだ。せめて、自分の心はそれよりも複雑なものであってほしかった。
「二人でどこに行ってたの?」
席に戻ると、芦谷紬が、薔薇のような微笑みを浮かべながら訊いてきた。
「なんのことだよ」
「橋田さんとどこか行ってた。怪しい」
「クラスメートと連れ立ったから怪しいってことになったら、このクラスのほとんどはテロリストになる。ていうか、よく気がついたな?」
「わたしは常に加藤くんを見ている」
「ウソだろ」
「本当よ」
「全然気がつかない」
「監視のプロなの。前の学校じゃ、パノプティコンって呼ばれてたわ」
「それ監獄のことだろ」
「誰もわたしの目からは逃げられない。面白そうな話だったら、わたしも混ぜて」
「どうして芦谷のことを思い出さないのか。オレなりに考えたことがある」
「聞かせて」
「失礼かもしれない」
「全然思い出さないことそれ自体と比べてどっちが失礼?」
「もしかしたら、芦谷ってオレに対するトラブルメイカーだったんじゃないか。だから、オレは思い出したくないっていうのはどう? 思い出したくないから思い出さない」
「なかなかいい線を行っているね、ワトソン君」
「じゃあ、そうじゃないってことだな、よかったよ」
「今回の事件は解決だよ」
「何だって?」
「つまり、その通りなの。めちゃくちゃ迷惑かけてたのよ、加藤くんに」
「今の芦谷からじゃ、想像がつかないな」
「それ褒め言葉?」
「いや、実感」
「あの頃は、まだ若かったのよ。赤ちゃんだったの。右も左も分からないくらいだったのよ」
「右は箸を持つ方で、左はお椀を持つ方だ。ただし、逆も可」
「ありがとう。話を戻してもいい?」
「何も面白いことなんて無いよ。オレはそういうのを考えるのが不得意なんだ」
「わたしは面白かったけどな。加藤くんと同じクラスだったときに色んな事を学んだよ」
「だとしたら、芦谷が勝手に学んだんだよ。オレは何も教えてない」
「わたしのメンターにはなってくれないの?」
「誰を導くこともできない。自分のことで精一杯だから」
そこで五時限目の予鈴が鳴った。
「諦めないからね」
紬は、楽しそうな表情を作って、自分の席に戻った。