第234話:「ある日の文化研究部」2
三人がじゃれ合っているところに入ってきたのは、1年生の川名円と、3年生の橋田鈴音だった。二人とも今年から入部した新参である。円は、ゆくゆくは、この文化研究部をしょってたつ逸材だった。というのも、今のところ1年生は彼女しかいないからだ。蒼と違って、文化研究部の将来について考えないというわけではないが、考えているのかどうかはよく分からないクールビューティである。物に動じない彼女は、物に動じっぱなしの文化研究部の良識とも言える存在だった。一方の橋田鈴音は、杏子や怜と同じ年ながら、優に2歳は年上に見えるような大人びたたたずまいを持つこちらも良識人だった。この二人が入ったことによって、文化研究部はかなりまともな部になったと言えるだろう。精神的な意味で。
杏子は、二人と挨拶を交わすと、目に見えて機嫌を良くした。二人のことを気に入っているからということももちろんあるが、二人が加わったことによって、この場に五人というグループが誕生したことが嬉しかったのだ。五人……。何という素敵な響きだろう。杏子は、五という数が好きだった。それは、戦隊もののヒーローの数であり、愛読している三国志の中に出てくる大将軍の数であり、昔やったとあるロールプレイングゲームシリーズのナンバリングでもあった。三人ではできないことも五人いたらできる。いや、五人もいれば、何でもできると言っても過言ではない。その五人のリーダーが誰あろう自分なのだ。こんなにステキな話は無い。
「部長。古代中国の文化についてまとめたものをプリントアウトしてきました。確認していただけますか?」
円が怜悧な目で言った。
プリントを受け取った杏子は、蒼と怜を、意味ありげに見た。しかし、蒼は手鏡で自分の前髪を直すことに集中しており、怜は再び英単語帳へと戻っていたので、部長の視線を受けとりはしなかった。杏子は、やれやれと首を横に振って、
「ありがとう、マドカちゃん。よく書けているわ」
とプリントを見もせずに言った。
円の目がほんの少しだけ鋭さを帯びた。ちゃんと読んでほしかったのだろう。しかし、彼女は、部長に対しては何も言わずに、そのまま席の一つについた。視聴覚教室のいいところは、席には困らないということである。
「部長、これは、わたしがまとめたものです」
橋田鈴音が同じように渡してきたプリントを、部長は受け取った。受け取りざまに、また、蒼と怜を見たが、やはり彼らは部長の方を見ようともしなかった。やる気の無い二人に対して、やる気に満ち満ちた二人。円と鈴音の二人は、蒼と怜を譴責するために天から使わされた使者なのではないかと思われた。
「さて、と。じゃあ、次の研究課題でも決めましょうか」
杏子は、改めて教卓に立った。
「他のメンバーを待たなくていいんですか、部長?」
蒼が、いかにも、やる気無さそうに言った。
「おいおい来るでしょうから、あとから参加してもらうことにしましょう」
「ちぇっ、少しでも先延ばししたかったのに」
「出てるよ、心の声が」
「じゃあ、もっと言いましょうか。わたしが部長に対して普段どう思っているのか」
「いい、聞きたくない」
「残念です」
それから、五人は、次の研究課題についてしばらく話し合いの時間を持った。文化研究部とは一体何なのか。読んで字のごとく、文化を研究する部活である。しかし、文化などというものは、古今世界中に、数え切れないほどあり、一口に文化を研究すると言っても、その対象は星の数ほどある。そこからどうやって次のテーマを決めるのかと言えば、それは全くのテキトーだった。
「じゃあ、次は、日本のサブカルチャーにしましょうよ。今はやっているアニメとかマンガの研究でいいんじゃないですか? 楽だし」
蒼が言った。
「それ、この前もやったじゃない」と杏子。
「別に何度も研究しても悪いことは無いじゃないですか。前回で研究し尽くしたってわけでもないんですから。楽だし」
「うーん、でもねえ……」
「そもそもが、古代中国文化って、何なんですか。そんなのフィーチャして、どこの誰が読んでくれるんですか?」
「大衆におもねるものは、文学とは呼ばないわ!」
「わたしたちのやっていることは創作じゃなくて、研究でしょ。大衆がどうこう言う前に、部長の体臭どうにかしてください」
「わ、わたしは、体臭なんて無いから!」
「いや、あるでしょ、誰だって。部長からは、なんかこうストロベリーの匂いがしますよ。自分にも他人にも甘いからそうなっているんじゃないんですか?」
「ひどい言い方しないでよ……でも、ストロベリーって……なんかいいかも、それ」
「あっ、知ってましたか、部長。ストロベリーって、最も残留農薬が多い果物なんですって」
「知らないよ! そんな豆知識!」
「知っておいた方がいいですよ。まあ、これアメリカの研究だから、日本には当てはまらないかもしれませんけど」
杏子は、蒼から怜の方へと顔を向けた。
「加藤くんはどう思う?」
「そうだな……その研究が本当かどうかは分からないが、念のため流水でしっかりと洗ってから食べたほうがいいだろう」
「何の話よ!」
「果物や野菜の食べ方の話じゃないのか?」
「そんな話じゃないわよ。家庭科部でもないのに、なんでそんな話しないといけないの! 次のテーマの話でしょ!」
「日本の歴史っていうのはどうだ?」
「日本の歴史?」
「ああ」
「……加藤くんにしてはまともなことを言うじゃん」
「オレを何だと思っているんだよ」
「変な人」
「ありがとう」
「どういたしまして。それで、日本の歴史って言っても広いから、どのあたりを考えているの?」
「江戸時代がいいだろうな。ちょうど、そこでちょっと詰まってるんだ」
「詰まってるって何が?」
「勉強だよ」
「……ん?」
「文化とか、三大改革とか覚えなければいけないことがたくさんあって、参ってるんだ。だから、そこを勉強したいんだよ」
「ふーん、そうなんだ……って、ちょっと! それじゃあ、ただの受験勉強じゃないの! どうして、部活動で、加藤くんの受験の手伝いをしないといけないのよ!」
「別にオレだけの話じゃないだろう。部長のためにだってなるし、部内の他の三年生のためにもなるし、何だったら学校中の三年生のためにだってなる」
「それが目的だったら、ボランティア部にでもなってるわよ!」
「なるほど、一理あるな」
杏子は、やれやれと首を横に振った。彼に訊いたのが間違いだったと思った彼女は、
「加藤くんに話して損した」
はっきりと口に出して言った。
「だったら、これから話しかけられなくて済むな」
そう言って、受験勉強に戻る彼に、杏子は、
「話しかけられる価値のある人になってよ」
と追撃した。彼女は、まだ何か加藤くんに対して言いたいことがあったようだが、口を開く前に、また別の部員が到着したようである。
三年生部員の塩崎輝は、先頃転校してきた転校生であり、主に友人を作るためという邪な理由で入部したのだったが、もちろん、部長は理由のいかんなど問わなかった。部員数を増やすためだったら悪魔に魂を売ってもいいとまで思いつめていたのだから、友人を作るために入部することを許すのはもちろん、なんだったら、自分が彼の心の友になってあげることも辞さなかった。しかし、おそらくは、思春期の男子の繊細微妙な心持ちゆえのことだろう、
「ボクと友だちになってよ」
というセリフが、輝から部長に対して発せられることはついぞなかった。多分、これからも無いだろう。それほど、男心というのは難しいのだ。これに関しては、別の意見もあるかもしれないけれど、杏子は認めない。
「ヒカル」
輝に友人はちゃんとできた。怜がそれだった。友情が結ばれるのは簡単だった。このほぼ女所帯に果敢に入ってきてくれた輝に対して、怜は初めから格別の親しみを感じていたのだった。親しみを感じもしたし、勇気に敬服もした。自分だったら絶対にできない。そもそも、する気も無い。
「何を話してたの?」
輝が柔らかな声で言った。
「いや、大した話じゃない」
「大した話でしょ。次の特集のテーマを決めているの。何がいいと思う、塩崎くん?」と杏子。
「じゃあ、イギリスの文化はどう?」
「イギリスの文化? どうして?」
「いつか留学したいと思っているので。でなければ、オーストラリアとか」
「なるほど、いいかもね」
「ちょっと待ったー」
「なに、アオイちゃん?」
「わたしに対する態度と、塩崎先輩に対する態度で露骨に違いすぎませんか。わたしの提案はすぐ却下したのに。言っちゃなんですけど、塩崎先輩の個人的などうでもいい理由による提案をすぐに受け入れるなんて、おかしいじゃないですか。ですよね、橋田先輩?」
蒼は鈴音に話を振った。
「でも、部長は加藤くんの提案も却下したから」
「だから、よっぽどおかしいんですよ。加藤先輩の提案だって個人的なものだったのに、それを却下して、塩崎先輩の方を取るなんて、これはもう部長は、塩崎先輩に好意を抱いていると思われても仕方ない案件ですよ。そう思いませんか?」
「逆もあるかもしれないわよ」
「逆ってどういうことですか?」
「アオイちゃんや、加藤くんに対して個人的な悪意を持っているのかも」
「ひえっ!」
「ちょっと待ってよ、二人とも、わたしは、部員のみんなをひいきなんてしません! 学校一平等主義の部長だって自負してるんだから」
三人の少女達の言い合いをよそに、輝は怜と歓談していた。一人取り残される格好となった円に、怜が声をかけて、そちらも三人で話を始める。
「にぎやかだなあ、日本の政治について激論でも交わしているのか?」
と入ってきたのは、頭のトップ部分を勇ましく整えた三人目の男子部員、岡本士朗だった。その校則ギリギリを攻めるような髪型は、権力への抵抗を示そうとしているわけでもなければ、自己主張をしたいということでもなかった。ただそういう髪型が好きだっただけなのである。一見は不良のようにも見えるが、穏やかな常識人であり、成績もそこそこ良い。彼も先頃、文化研究部に入ったばかりだった。
「ちょうどよかった、岡本くんは、次の特集のテーマ何がいいと思う?」
部長が訊いた。
「そうだなあ」
士朗は、ちょっと考える時間を取ってから言った。
「アフリカの文化とかは?」
「アフリカ?」
「ああ、アジアとも欧米とも違う文化だろうから、馴染みがなくて面白いんじゃないか?」
士朗の意見に、満座は水を打ったように静まりかえった。
「え、オレ、何か変なこと言ったか?」
変なことどころか、あまりに真っ当すぎる意見に、みな黙るしかなかったのである。
つまりは、そういう部であった。