第228話:旅行は行く前の計画が楽しい
中学生にとっての一大イベントとは何か。当然に、修学旅行だろう。二泊三日、友人たちと同じ釜のメシを食べることで、友情を深め、あるいは、旅先の解放感から、カップルが誕生することもあるだろう。そんな素晴らしいイベントが、宏人に迫っていた。彼の在籍する中学校では、二年生の秋に、修学旅行が予定されている。
「楽しみだなあ、京都。オレ、清水の舞台で、お前に告白しようかなあ。『付き合ってくれないと、ここから飛び降りてやるからな!』みたいな」
宏人は、志保に向かって言った。昼休みである。午後の二時間を使って、修学旅行の班決めと班別行動のスケジュールを決めることになっていた。
「人が飛び降りるところ見るなんて一生のトラウマになりそうだから、絶対やめて」と志保。
「なんで、断ること前提なんだよ」
「前提っていうか、確定っていうか」
「ちょっとくらい可能性はあるだろ? こっちは、命を賭けてるんだぞ」
「ステキ、ロマンチック。そう言えば、昔のドラマで、愛を証明するために、トラックの前に飛び出した人がいたなあ」
「ええっ! マジで? なんで、トラックの前?」
「歩道で告白したからじゃないの」
「トラックの運転手にとっては、迷惑な話だな」
「そうでしょ。死んでいく方は、辛くないかもしれないけど、残された方はいろいろと大変なんだから。だから、死ぬなんて言わないで、倉木くん」
「……話、変わってないか?」
「変えたのはわたしじゃないと思うけど」
「班の話をしよう。まずオレたち二人は同じ班だよな」
「なんで?」
「なんでって、オレたちは、運命の黒い鎖によって、がんじがらめにつながれてるからだよ」
「そのうち、鎖を切る何かしらのカッターで、断ち切らないとね」
「とにかく、お前はオレと同じ班になる。いいな? 女の子は時に強引な男子に弱い、そうだろ?」
「ただし、イケメンに限る」
「じゃあ、オレは大丈夫だな」
志保は、じいっと宏人の顔を見た。じいっっと見た。そうして、ニッコリと笑うと、
「そうだね」
と答えた。
五六時間目を使った班作りは、おおむね楽々とまとまった。宏人は、一哉と瑛子を班に加えた。六人で班を作ることになっているので、あと二人はどうしようかと思っていたところ、折良くと言っていいのか分からないけれど、二人、班からあぶれた子がいて、その二人を引き取ることになった。あまり、絡んだことのない二人であるが問題は無い。宏人としては、とりあえず、志保と瑛子を同じ班に入れることができればよかったので、あまり、他のメンバーについては気にしていなかった。
「オレのことも気にしてなかったのか、ヒロト」とワイルドな風貌の親友。
「いやだなあ、そんなわけないじゃないか、カズヤくん」
「してなかったんだろ。女子二人がいれば、オレなんかどうでもいいってわけだ」
「だって、お前、めちゃくちゃ、あっちこっちの班の女子に誘われていたじゃないか。引く手あまただっただろ」
「ひくてあまた?」
「人気者ってことだよ」
「よくそんな言葉知っているな」
「実は頭がいいんだよ、ボクは。見かけによらず。九九も言える」
「今後の妹の算数の宿題を教える係は、おまえに任せるよ」
五時間目に班を決めて、六時間目に班別行動のスケジュールを決める。なんでまたこんなに慌ただしいのだろうかと宏人は思った。こういうことは、ずっと前から、何度も何度も話し合って、じっくりと決めることではなかろうか。中学三年間で一回しかないビッグイベントなのだから、「総合」の時間を、20コマくらい使ったっていいだろうに。そう、宏人が演説をぶつと、
「そんなに時間いらないだろう」
と親友が言うので、
「言うね、カズヤくん。じゃあ、キミに仕切ってもらおうじゃないか」
と宏人は言ってやった。
「オレが?」
「班長だし、当然だろ」
班長は一番リーダーシップのある人間がふさわしかろうということで、一哉に決まっていた。
ちなみに、副班長は瑛子になった。
「別に班長だからって、班別行動のスケジュールを決める役割を担当しているわけじゃないだろ」
「でも、他にやりたい人がいなければ、それをやるのが班長じゃないか。班長と書いて、雑用係と読む」
「他にやりたいやついないのか?」
一哉は、班のメンバーを見回したが、みな一様に首を横に振ったので、やれやれと言いながらも、みんなの行きたいところをリストアップした上に、6時限目はパソコンルームに移動していたので、パソコンを使って目的地への距離と時間を計算し、簡単なルート表を制作してしまった。
「カズヤ……お前、すごいな」
「別にどうってことないだろ、こんなこと」
「いや、そんなことないよ、なあ?」
みんなに訊くと、みんなうなずいた。
「おだてても、これ以上は何もしないからな」
そのとき、チャイムが鳴った。
このあとは、掃除をしてから、部活に行って、それから帰ることになる。教室を出たところで、宏人は、呼び止められた。同じ班になったこれまで絡みのない子の一人、花山さんである。
「あの……少しだけ、時間もらってもいいかな?」
こ、これは……と宏人は思った。いや、これはもどれはもない。放課後に、女子が男子を呼び止めるということは、多様な解釈を待たないではないか。宏人は、ようやく自分にも春がめぐってきたことを感じた。花山さんとは接点が全然無かったものの、あるいは、遠くから思いを寄せてくれていたのかもしれない。自分にだってそんなことがあったっていいだろう。もちろん、いいに決まっている! 宏人は、彼女を校舎裏に連れて行った。それにしても、本当に自分にこんな時がくるなんて、感無量である。ありがとう、愛のキューピッド。
「倉木くんて、カズヤくんと仲がいいよね」
宏人は、がっくりと肩を落とした。意気揚々とした気分は、一気に吹き飛んだ。誰にでも告白される機会が一生に一度くらいはあると思っていたのだけれど、それは間違いなのか、あるいは、今この時では無いということか。後者であることを祈った宏人は、校舎裏で少女に向かって、力なくうなずいた。
「ど、どうしたの?」
「いや、こっちの問題だよ。それで?」
「カズヤくんって、付き合っている人とかいるのかなって思って」
「いないと思うよ」
「あっ、そうなんだ。誰か好きな人とかは? 二甁さんとか。よく話しているし」
「正確にはどうか分からないけど、多分、二甁に対しては、好きとか好きじゃないとかっていう気持ちは無いように見えるけど」
「そうなんだ……」
「修学旅行の時に告白するの?」
「わ、わたしじゃないよ! 他のクラスの友達に頼まれたのっ!」
「ふーん……」
「ほ、本当だよ!」
それが本当でもウソでも、どちらでもよかった。宏人のモテ期は、始まる前から終わりを告げていたのである。
「話はそれだけ?」
「うん、ありがとう。あと、倉木くん……」
「ん?」
「班に誘ってくれてありがとう。嬉しかった」
そう言って、彼女は、にっこりと微笑んだ。彼女が笑ったところを見たことがなかった宏人は、笑った方が可愛いよと言おうとしたところで、さすがに馴れ馴れしすぎるだろうかと思って、口をつぐんだ。その代わりに、
「いい旅行にしよう」
バカみたいなことを口にした。しかし、彼女は、
「うん、そうしようね」
とうなずいてくれた。いい子そうである。よかった、よかったと思って、告白が受けられなかった無念を抱いて部活に行き、一汗流して、さあ帰ろうというところで、
「ヒロトくん」
後ろから、聞き慣れた声が聞こえてきた。振り返ると、姉がいるではないか。もうとっくに部活を引退したはずの彼女が何をしているのかと言うと、たまに請われて、後輩の指導をすることがあるというので、今日はそういうことなのだろう。
「ヒロトくんも今帰りなの?」
姉が、営業用のスマイルを向けてきた。もちろん、周囲の目をはばかっているのである。
「一緒に帰ろう」とか言い出すんじゃないだろうなと戦々恐々とした宏人が、それでも、仕方なくうなずくと、
「じゃあ、シホちゃんと帰ったらいいんじゃない?」
と言ってくるではないか。姉のプレッシャーのせいで、よく見ていなかったが、少し後ろに、確かに志保の姿がった。
「いや、でも、今日はもう遅いし、結構疲れてるし、それに、藤沢とは家も逆方向だし……」
「だから?」
はい、と宏人はうなずいた。姉と議論しても意味など無い。それにもかかわらず議論しようとしてみたのは、なんでも、即いいなりになるのが癪だったからである。今後の関係にとってもよくない。
志保と二人きりになった宏人は、帰りながら、さっき起こったことを話しておいた。
「モテるね、カズヤくん」
「そりゃ、モテるだろうな。顔が良くて、性格もいいんだから」
「倉木くんだって、そこそこいい線行ってるよ」
「なら、そのうち、オレのことを校舎裏に呼び出して、告白してくれよ」
「面白い遊び」
「ならやってくれるんだな?」
「気が向いたらね」
「いつ、気が向くんだよ」
「さあ、明日か明後日か、10年後か」
「オレたちさ、10年後、結婚してなかったから、結婚しないか?」
「そういうのあるよね、恋愛ドラマで」
「ハゲててもいいかな?」
「倉木くん、ハゲるの?」
「男はしょうがないんだよ。ハゲていないほうが、例外なんだ」
「ハゲててもいいけど、潔くハゲてよね。脇にちょっとだけ残すようなことしないでよ」
「分かった。もう全部剃るよ」
「よろしい」
「修学旅行、楽しみだな」
「そう?」
「楽しみじゃないのか?」
「あいにく、小学校の時のそれに、いい思い出がなくてね」
志保は遠い目をしたようである。何を見ているのか分からないその目が、宏人には、何とも悲しく思われた。宏人は、志保の手を取った。
「ちょ、ちょっと、何?」
少し振りほどこうとするような様子を見せたけれど、それほどの力でも無いので、宏人は、そのまま彼女の手を取ったままで、
「別に、なんとなくだよ」
と答えた。
「倉木くんって、なんとなく女の子の手を握るの?」
「そんなわけないだろ」
「じゃあ、今はどうしてよ。ひょっとして、わたしのこと、女の子じゃないと思ってるわけ?」
「オレは、なんとなく女子の手を握るようなことはしない」
「だったら――」
「でも、なんとなく、お前の手を握ることはある」
「はあ」
志保は、ため息をつくと、
「いいわ。じゃあ、なんとなく、握ってなさい」
そう言って、宏人に手を取られたまま、別れ道まで歩き続けた。