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プラトニクス  作者: coach
226/281

第226話:五年後の空の色

 教室を出た(ツムギ)は、文化研究部が部室としている視聴覚教室へと向かった。正式な部室がないので、視聴覚教室を部室としているらしいということを聞いて、紬は、何となく楽しくなった。この「何となく」は、本当に「何となく」で理由がある話ではない。理由が無いことというのが、本当に楽しい。

 芦谷紬は、少し前まで、つまりは転校してくるまで、ほとんど理詰めで生きてきた。理詰めというと、合理的で計算高いイメージがあるかもしれないが、そういうことではなくて、しっかりと考えて行動してきたということに過ぎない。何をするにも、何を話すにも、その原因と結果について、よくよくと考えてきた。

 そうして、よくよくと考えて生きてきて、それでいいと思っていた。紬がそのようになったのは、小学四年生のときの経験がきっかけだった。当時、彼女のすることなすことが、ある少年によってことごとく否定された。こうすべきだと思ったことが、彼によって、そうすべきじゃないとさとされ、それにも関わらず無理に行ったことは、ことごとくが裏目に出てしまった。

 それは、まるで悪夢のようなものだったが、しかし、彼の忠告に従わずに、出した裏の目であって、だとすれば、それはどうしても自分自身の責任にしかならないわけである。紬はそれからよくよく物事を考えるようになった。そのおかげで、それから、やはり失敗もしたけれど、成功の方が増えて、まずまず無事な学生生活を送ることができていた。しかし、最近になって、

――なんかつまんないな……。

 と思うことが多くなった。この感覚は、どう説明すればいいのか分からないが、何というか、生活に張り合いが無いのである。不満があるわけではけしてないのだけれど、面白くない。昔はもっと面白かった。楽しかった。毎日をドキドキして過ごしていた。それが今は無い。いつなくしてしまったのかと言われると、つらつらと考えてみたところ、それは、小四以降だということに気がついたのだった。

 確かによく考えるようになった。そのことで、人生は楽になった。しかし、その分、楽しくなくなったわけである。よく考えて行動する。なるほど、それは、生きていくのに大切なスキルかもしれない。しかし、その結果、自分の考えの中に存在するものしか、立ち現れなくなった。自分が考えたことしか、自分の現実として現われてこない。それじゃあ、つまらないのも当然だった。いっつも家の中で遊んでいるようなものである。安全だけれど、退屈。外に出れば、危険はあるかもしれないが、その分だけ面白い。

 だから、紬は、もうチマチマと物事を考えるのをやめた。そうして、昔のように、フィーリングで生きることにした。すると、世界が輝き出した。昔の自分に戻ったような気がした紬は、しかし、前と同じではないようだった。まったく後先考えずに、あるいは、自分の考えをよしとして行動するような向こう水さはなくなり、言わば、考えながら大胆な行動をするという具合になった。

 それもこれも全て、

――加藤くんのおかげかもしれない、悔しいけど。

 と紬は思った。小学四年生のときの彼のおかげで、今の自分があるような気がする。もしも、あのとき、彼に出会わなければ、あるいは、もしかしたら、今よりも人生をエンジョイしていたかもしれないけれど、その分、人生の深みを知らなかったような気がする。

 こっちに帰ってきて、まずしたかったのが、彼に会うことだった。そう思って、街をうろついていたところ、たまたま入ったモールで、赤ちゃんにもどされて立ち往生している母親を助けている彼を見つけた。これは運命かもしれないと思った紬だったが、彼の方はまったく紬に気がついていなかった。しかし、それは、自分があの頃とはまったく見違えてしまったからではないかと思うことにしておいた。なにせ、小四の頃からかれこれ、五年ほど経っているのである。それは成長の証であると考えておいた。

 そうして、学校が始まると、まさかの、同じクラスだったわけで、これにも、紬は運命を感じた。まあ、クラスは六つしかないわけだから、6分の1の運命と言えば、若干安っぽくなるわけだけれど、何も、1億分の1だけが運命というわけでもないだろうから、ということで、素直に喜んでおいた紬は、早速加藤くんに、自分のことをどのくらい覚えているか尋ねてみた。もちろん、五年前の話なのだから、それほど覚えているとは期待していなかった。しかし、少しは覚えているだろうとは思っていた。なにせ、こっちが覚えているのである。その半分とは言わない、10分の1くらいは覚えていてもらいたかった。しかし、

「え、誰?」

 とは言われなかったが、ほとんどそんなような対応だった。これは、さすがに想定外だった。まさか、ほとんど覚えられていないなんて。それなりに絡んでいたのにもかかわらず、初対面のような反応である。そんなことあるだろうか。あっていいのか。しかし、加藤くんは、別に何かしらの意図があって、そのようなことをしているようには見えなかった。あるいは、そうであればまだマシだったかもしれないが、どうも本当に、心の底から、完全に、忘れているようなのである。

 紬は、呆然としたけれど、それもそれで加藤くんらしいとも思った。逆に言えば、フレンドリーになっていたら、それこそ彼らしくないということである。とはいえ、気づいてもらえないことはやはりそれなりにショックであり、紬なりにその話を引っ張ってみたわけだけれど、それでもなお気づいてもらうことはできず、自分で、彼との関係を明かすことにした。関係と言っても、別に付き合っていたとかそういうことではなく、単なる友だちだったわけであるが、それが、「単なる」と言えるかどうかは、紬自身の価値観によった。

 視聴覚教室に着いて、扉をノックしてみたが、誰も出て来なかった。

 やむをえず、自分で扉を開いた紬は、

――あれ、ここって演劇部?

 と首を傾げることになった。というのも、五、六名の部員らしき人たちが、体を動かしたり、セリフ回しを行ったりと、なにやら演技らしきことをしていたからである。

 紬が入って行くと、みなの注意が彼女に向いたので、

「あの、ここって、文化研究部であっていますか?」

 と尋ねてみた。違うなら、文化研究部のある場所を探しに行かなくてはならない。

「合ってますよ~、で、おたくは?」

 何やらやたらと軽い口調で言ってきたのは、おそらくは、二年生の女の子だった。一年先に生まれてきたことに特に価値を置かない紬は、気分を害することなく、

「入部希望の者ですが」

 と笑顔を返した。その瞬間、

「ひえっ!」

 と奇妙な驚きの声を上げたのは、スクエア型の眼鏡をかけた、お団子頭の、こっちはおそらくは三年生だった。落ち着きがある。見た目には。彼女の表情には、まったく落ち着きはなくて、今にも卒倒しそうだったけれど。

「あの……大丈夫ですか?」

 心配になった紬が尋ねると、

「大丈夫ですよ~、この人、こういう人なんで」

 さっきの二年生の子が言った。

 とても大丈夫そうに見えないけれど、大丈夫だと言うならそれはそれとして、紬は、あたりを見回して、

「部長さんは、どなたでしょうか」

 尋ねると、

「そこの鳩が豆鉄砲を喰らったような目で、あなたを見ている人ですけど」

 と同じ彼女から、やはり同じ眼鏡の女の子を指差された。

 紬は、いまだ驚きの仮面を顔に貼り付けている少女のところに、向かうと、

「3年6組の、芦谷紬と言います。転校してきたばかりで、しかも中途入部になるんですが、入れてもらえますか?」

 と言って、ぺこりと頭を下げた。

「も、も、も、も、も、も……」

 部長の口から、「も」が連呼されて、止まらない。

 かなり変わった人である。やっぱり加藤くんに一緒に来てもらうべきだったと思った紬は、他の部員の中に、見知った顔を見つけた。クラスメートである彼女は、

「部長は、『もちろん』って、言いたいんです。芦谷さん」

 と助け船を出してくれた。そうして、

「ようこそ、文化研究部へ」

 その子が続けてくれると、部長は、

「ようこそ、文化研究部へ!」

 と同じ言葉を繰り返した。

 紬は、無事入部できてホッとしたが、部長がかなりユニークな人なので、本当に入部してよかったのかどうか、多少不安になった。まあ、取って食われるようなことはないだろう、と思った紬は、その日は、自己紹介と今日来ている部員の紹介を経たあと、見学させてもらうことになった。見学と言っても、この日の部活動は、来たる文化祭で披露する劇の練習なので、ひたすらその劇を見させられることになったのだが。

――そう言えば、加藤くんが劇の練習をしているとかなんとか言ってたっけ……。

 その劇が終わると解散ということになった。

 紬は、部長にくっついて視聴覚教室の鍵を、職員室に返しにいったついでに、顧問の先生に入部希望を伝えておいた。職員室を出ると、

「これからよろしくお願いします」

 と言われて、部長から、握手を求められた。

 それに応じると、ぎゅっと強い力で握られて、これは本当は入部を歓迎されていないのではないかと思われるほどの握力だったが、彼女の表情はまるで天国にいるかのようであるので、そういうわけでもないらしかった。

 生徒用玄関の前で、部長と別れた紬は、五年前のことを想ってみた。あの頃、いつもではないけれど、一緒に帰っていた男の子のことを。

――五年か……。

 あのまま、引っ越さなかったらどうだろうか、と紬は、たまに考えることがある。あるいは、そうしたら、今でもまだ彼の隣にいて、一緒に帰って、で、なんやかや、呆れられたりたしなめられたりしていたのだろうか。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。そういう仮想を楽しむことができる一方で、しかし、紬としては、彼に手を引いてもらいたいとは思っていなかった。紬の希望は、彼の隣に立つことであって、先に行く彼の後ろを歩くことではない。だとしたら、この現実の方が仮想よりも優れていることは疑い得ないことである。

――そのはずだよね。

 校門を出た紬の頭上に、秋の空が広がっていた。

 その空は、五年前のそれより、美しく見えた。

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