第225話:好きな季節はいつですか?
目覚めると、すっきりとした仲秋の朝だった。怜は、秋が好きだった。秋というか、過ごしやすい季節が。ところで、日本に、過ごしやすい季節はわずかしかない。わずかも何も、そもそもが「四」季と言う通り、四つしか無いではないか、という意見も成り立つのだけれど、もうちょっと細かく分けてみると、二十四節気といって、二十四の季節に分けることができるそうである。
ちょっとこれが、分けすぎ、あるいは分けるのはいいけれど、覚えきれず実用に適さないというのであれば、四つの季節をさらに三つずつに割って、十二にすることをお勧めする。これは、結局は十二ヶ月になってしまうわけだけれど、月の切り替わりで必ずしも季節の趣が変わるわけではないので、もっと感覚的な分け方になる。
たとえば、秋であれば、秋の始まりを初秋といい、秋が深まってくるときを仲秋と言って、秋の終わりを晩秋と言う。初秋は孟秋と言ってもよく、晩秋は季秋と言ってもいい。仲秋は、「中」秋ではないので、気をつけなければならない。ちなみに、中秋という言葉もちゃんと存在していて、これは、中秋の名月、というときの中秋である。中秋とは、秋の中日を意味して、昔の暦だと、7、8、9月が秋だったので、その真ん中の日、すなわち、8月15日が中秋ということになる。この日に見る満月が、もっとも美しいと言われており、それを中秋の名月と言ったわけである。昔の暦は月の満ち欠けをもとに作られているので、月の半ばである15日は、必ず満月となった。
怜が好きなのは、十二の季節のうち、仲春と、仲秋だった。彼にとっての過ごしやすい季節である。暑さ寒さに弱い現代人を地で行く彼は、夏と冬を好まない。加えて、それに近い季節も好まないので、冬が終わったばかりで冬の名残を残す初春や、夏にかかろうとしている晩春、残暑のある初秋や、冬が迫る晩秋などは、あまり好みではなかった。
「一年のうち6分の1しか、季節を楽しめないとしたら、それってかなりもったいなくないかな?」
隣から、環が言った。
いつもの通学路である。
カノジョを迎えに行って、そのまま、一緒に登校している格好だった。
「いや、むしろ、6分の1でもお気に入りの季節があっただけ、ありがたいと思っているんだ」
「謙虚だね、レイくんって」
「これ、謙虚って言うのか?」
「言わないとしても、レイくんが謙虚だってことは、知ってるから」
「世の中って相対的なものだからな」
「わたしが傲慢だって言いたいわけじゃないよね?」
「自覚は?」
「その質問ずるくないかな」
「なんで?」
「だって、『ある』って言ったら傲慢だってことを認めていることになって、『無い』って言ったら、そういう態度自体が傲慢ってことになるでしょ。どちらにしても、わたしが傲慢だってことになるじゃない」
「考えすぎじゃないか。それじゃあ、まるで、オレがキミのことを陥れようとしているみたいじゃないか?」
「違うの?」
「タマキ、キミは何かオレのことを勘違いしているんじゃないかな。さっきの『謙虚』ってことも含めて」
「勘違いどころか、レイくんのことは、ほとんど何も分かりません」
「だったら、謙虚かどうかも分からない理屈じゃないか」
「理屈っていうのは考えるものでしょ。Don't think, feel.って言ったの、誰でしたっけ?」
「さあ、少なくともオレじゃない」
車道に面する歩道に出た怜は、歩く位置を車道側に変えた。
「ピクニックの件をご相談したいんでけど」
「何の話だよ」
「二人で、公園で、色づく木の葉を見上げながら、サンドイッチを食べる一大プロジェクトのことだよ」
「そんなプロジェクトが進行していたとはな」
「忘れていたわけじゃないでしょ?」
「モチロン。そのプロジェクト参加者が、3人だってことも覚えているよ」
「レイくん、真面目な質問してもいい?」
「いいけど、時に、沈黙が金だっていうことがあるってことは、お前も認めるよな?」
「答えないことが時に答えになるっていうことは認めるよ」
「どんな質問?」
「わたしが、妹に比べて優れているところって、どんなところかな」
「人と人を比べるのはあまりいい趣味とは言えないな。というのも、人はそれぞれが――」
「ただ一人だからだ」
「オレの心の中が読めるのか?」
「だったら、こんなに苦労してません」
「苦労に見合うだけの報酬はもらってるんだろうな?」
「モチロン。それで?」
「キミが妹さんに比べて優れているところか、そうだな……背が高いところかな」
「ありがとう。これで、自信を持って生きて行けそう。もっと自信つけたかったら、ハイヒール買おう」
「あとはまあ、おいおい何か見つけるさ」
「プロジェクトについても、考えておいてね」
「了解」
学校前の登り坂をのぼって、生徒用玄関で上靴に履き替え、教室の前で環と別れた怜は、
「わっ」
と後ろからおどかされた。振り向くと、芦谷紬が、華やかな笑みを浮かべていた。
「命拾いしたね、加藤くん。真剣勝負だったら、終わってたよ」
「今が平和な時代でよかったよ」
怜は、自分の席に着いて、バッグから教科書を出し始めた。
紬は、バッグを自分の机に預けただけで、怜のそばに戻ってくると、
「聞いてもいい?」
「オレの将来の夢とか?」
「聞きたかったのはそれじゃないけど、それも聞いてみてもいいかな。何なの?」
「晴耕雨読だよ」
「畑を耕したりできるの?」
「少しは」
「すごい。え、それ、昔から?」
「昔っていうと、小4の時ってこと?」
「責めてるわけじゃないからね」
そう言うと、紬は、にやにやと意地悪い笑みを浮かべた。
「学芸会があったら、シンデレラの姉役とかになれそうだな」
「演技派だっていう意味で受け取っておくね。加藤くんって、何部?」
「文化研究部」
「……侮辱しているわけじゃないんだけど、それって、何の部活?」
「それが分かったら、新しい世界が開けるよ。二年半通っているオレにもいまだ分からない。今はとりあえず、文化祭の出し物を練習してる」
「シンデレラ?」
「いや、『リアル文化研究部』っていう、ドラマ」
「面白い?」
「問題は面白いか面白くないかじゃないんだ。やるかやらないかなんだ。部長が燃えてる」
「文化研究部って引退とかあるの?」
「あると信じてるけど、疑わしいことこの上ない」
「わたしが入りたいって言ったら、迷惑かな」
「部長は狂喜するだろうな。数こそが正義っていうのが、彼女の口癖なんだ」
「加藤くんは、迷惑じゃない?」
「なんでオレが」
「だって、わたしって、加藤くんにとっては、亡霊みたいなものでしょ」
「なんだって?」
「だって、小4の時に別れて、すっかり忘れていた人間がさ、いきなり現われたわけだから、そんな感じじゃないかなって」
「そんな風に思ったことはないよ」
「じゃあ、どんな風に思ってるの?」
「頭が良くて性格もいいし、見た目もいいし、いいって言う言葉が、十項目くらいに当てはまる子だと思っているけど」
紬は目を細めるようにした。
「加藤くんって、そんな人だったっけ」
「『そんな』っていうのは?」
「女の子に気楽にお世辞が言える人」
「昔はそうじゃなかった?」
「たぶん」
「じゃあ、人は変わるんだな。オレも変わったし、芦谷も変わった。だから、オレが芦谷のことが分からなかったのも無理がないっていう結論はどう?」
「気に入るかってこと?」
「そう」
「気に入ると思う?」
「『寛容性』っていう項目を1点減らさないといけないな」
「じゃあ、気に入るっていうことにしておいてもいいよ。1点戻して、10点満点にしておいてね。今日、放課後、時間もらえる、加藤くん」
「どうして?」
「一人で、文化研究部に行けっていうの?」
「一人で行けるだろ。場所は教えるよ」
「でも、今日、部活行くでしょ?」
「いや、今日は休むつもりだった。もう、部長にも言ってある」
「休むって、どうして?」
「どうしてもこうしてもなく、休みたいときだってあるだろ。労働者には有休がある」
「わたしたち学生だけど」
「だったら、なおのこと、有休はあるべきだろ。労働者は、自分の意志で労働をしているわけだけれど、こっちは、自分の意志で学校に来ているわけじゃないからな」
「学校、嫌いなの?」
「嫌いとまではいかないけど、好きなところでは全然無い」
「わたしは、学校好きだけどな」
「そりゃよかった。ということで、一人でいけるな?」
「気は進まないけどね」
「芦谷ならできるさ」
「信頼してもらって嬉しいわ」
紬は、そう言うと、自分の机に戻った。
怜は、視線を巡らした。その先に、黒髪をハーフアップにした細身の少女の姿があった。彼女は、怜の方を見ずに、クラスメートと話をしていた。そのうちに、ちらりとだけ怜の方を見たようだけれど、怜と視線は合わせなかった。怜は、カバンの中の教科書類を綺麗に机の中へと収める作業に集中した。
六時限のお勤めを終えると、
「じゃあ、わたし、文化研究部に行ってきます、隊長!」
と紬は、敬礼の真似などして、教室を出た。そこで、怜は、んっ、と首を傾げた。そう言えば、この教室には、文化研究部員がいるではないか。彼女に、つまりは、朝チラ見していた少女に頼めばよかったのではないかと思ったが、あるいは、彼女にも何か用があるかもしれず、やはり、一人で行ってもらった方がよかろうと思った。それに、紬ならば、よけいな介添えは必要無いだろうと、そんな風に怜は、感じていた。
生徒用玄関に出た怜は、今日はカノジョと約束をしていないので一人で帰ろうかと思ったが、そこで、待てよ、と思った。そう言えば、あらかじめの約束が無いときにここで環を待ったことが無い。もしも、そうしたら、彼女はどういう反応をするだろうか。驚くだろうか、あるいは、平然としているだろうか、どちらにせよ、面白い見物だと思った怜は、彼女を待つことにした。環の組は、まだ終わっていなかったようだが、それほど待つ時間は無いだろう。
果たして、その通りだった。5分もしないうちに、環は、やってきた。友だちと連れ立っていたようだけれど、怜の顔を見た途端に、友だちに別れを告げて、怜の元へとやって来た。
「ピクニックの計画について、話したいと思って」
怜が言うと、環は、心の底から嬉しそうな笑みを見せ、怜は少しの間、彼女の笑顔に見とれていた。