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プラトニクス  作者: coach
221/281

第221話:遠くからかけられない想いがある

 塩崎(ヒカル)は、眠れぬ夜を過ごしていた。残暑で、純粋に寝苦しいということもあったけれど、それ以上に、一人の女の子のことを考えてしまって、目が冴えてしまうということであった。夏休みに、たった一度会っただけの子である。しかも、なんらかドラマティックな出会いというわけでは全然無い。交通事故に遭いそうなところを助けたとか、チンピラにからまれているところを助けただとか、そんな劇的なものではなく、ただ単に家に来て、ちょっと話しただけの子だった。彼女のプロフィールはほとんど何も知らない。

 その日は、それで終わったのだけれど、それから日が経つにつれて、彼女の像が鮮明になってきた。もう一度会いたいと思えば、会うのは簡単である。なにせ、同じ学校の別のクラスというだけの話だ。自分のクラスから5分も歩かないうちに到着する。物理的には簡単な話であって、それで二の足を踏むというのは、心理的に難しいからかと言えば、そうなのだけれど、それは、輝側の事情ではない。どういうことかと言えば、彼女の側から、

「会いに来ないで」

 と釘を刺されているからである。会いに来るなと言われたら、それを無視して会いに行くわけにもいかない。無理に行けば、変質者になってしまう。あるいは、ストーカーと言うべきか。どちらにせよ、そんな不名誉な称号はごめん被りたい輝としては、どうすればよいのか、迷っているのだった。

 これまで、輝は自分から女の子を好きになったことがない。いや、あると言えばあるけれど、それは、幼稚園時代までさかのぼるものであって、恋といった類のものではなかった。小学校と中学校のこれまでは、向こうから告白されたことはあっても、こちらから告白したことはなかった。された告白は全て断っていた。付き合っても、面白そうではなかったからである。それなら、男子同士でいた方が面白かった。実際、付き合っても、多分面白くなかっただろうと、今でもそう思う。しかし、今回の彼女に関しては違ったのだった。もっと彼女のことを知りたいと思っている自分がいる。それなのに、こちらから会いに行くこともできないとは。

――クラスの外から、ちょっと見るくらいならいいかな……。

 と思いもしたが、それでは、やはりストーカーである。

 そうして、悶々としている間に、9月が半ばを過ぎていった。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 小学生の妹にも心配される始末。

「恋の悩みだったら、わたしがいつでも聞いてあげるからね」

 そう言って、胸を張るようにする小4の妹に、微笑みかける力も弱い輝は、このままではダメだ、と思って、しかし、自分ではどうしようもないわけだから、友人の力を借りることにした。ある土曜日、相談があると言って呼び出した彼を、いつか一緒に入ったことがあるカフェに連れて行った。家だと、家人がいるので落ち着かない。

「恋の悩みなんだ」

 切り出すと、呼び出しに快く応じてくれた彼――加藤(レイ)は、なるほど、とうなずいた。

「どうすればいいか分からないから、レイに教えてほしい」

 彼とは名前で呼び合う仲である。

「ヒカル、たぶん、オレは力にはなれないと思う」

「えっ、どうして?」

「そういう方面には暗いんだ」

「でも、オレよりは明るいだろう。今、女の子と付き合っているわけだから」

 彼はカノジョ持ちなのである。しかも、その彼女は学校一の美少女ときていた。

「付き合っているって言っても、月とスッポンみたいなものだからな。オレは彼女のことを、いつも首をすくめて、見上げているだけだ」

「それだって、オレよりはマシだろう」

「どうかな」

「頼むよ、レイ。レイにしか頼めないんだ」

 輝は真情を吐露した。

 怜は、ふうっと息をついたが、話すだけ話すようにと言ってきた。喜んだ輝が、相手の女の子のことを話すと、

「ナナミ?」

 と彼は、常に似つかわしくない驚きを見せた。

「ヒカルが気になっている女の子って、ナナミなのか?」

「そうだよ。レイ、仲いいだろ」

「いや、別に良くはない」

「でも、話はする」

「話くらいはするだろ」

「その話もできない状態なのが、今のオレなんだよ。まずは、それがどうしてか知りたい」

 すると、怜は、口を閉ざした。今さっきの驚きといい、何かを知っていそうな雰囲気である。輝は、何か知っているなら教えてほしいと、語勢を強めて言った。怜は、口を閉ざしたままである。

「頼むよ、この通りだ」

 輝は頭を下げた。こんなことは一度もしたことがなかったけれど、何かしらでも彼女のことが分かるのであれば頭くらいいくら下げても構わない気持ちだった。もしも土下座しろと言われても、ためらわずしたことだろう。

「分かった」

 怜はそう言ったあと、ただし推測に過ぎないから、そのつもりで聞いてくれ、と付け加えた。

「推測でも何でもいいさ。何かしらそれが突破口になるかもしれない」

 頭を上げた輝は目をきらめかせながら言った。

「突破口か……」

 怜はその言葉を重たげに口にした。輝の抱いた期待は、怜の推測を聞いたときに、

「えっ、じゃあ、水野さんがオレのことを好きで、その友だちである平井さんは、オレのことを見定めに来たってこと?」

 軽く裏切られた。

「多分」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ、レイ。だとしたら、これは……」

「突破口どころか、袋小路だな」

「そんな……」

 輝は唖然とした。初めて自分から好きになった女の子に振り向いてもらえる可能性が無いと言われたのだ。こんなことってない。

「水野さんに、オレの気持ちを伝えても、無駄だと思うか?」

「問題はそういうことじゃないから、おそらくは無駄だな」

「……水野さんと関係なく、平井さん自体に告白するっていうのは?」

「歴史が違う。水野よりもお前を選ぶ必然性が、ナナミには無い」

「必然性って……人が人に惹かれるのは偶然じゃないか。それを『縁』って言うんじゃないのか?」

「いや、『縁』というのは、偶然を必然とみなす考え方のことだ。全ては偶然であるが故に必然なんだって」

「お前だから言うけど、初めて女の子を好きになったんだ。……レイだったら、どうする?」

「オレだったら?」

「そう。好きになったけど、何のアクションも取れないってことになったら」

「オレだったら……」

「レイだったら?」

「……思いが届けられなくても、その思いを得たこと自体が尊いということはあるんじゃないか?」

「その考えに従って行動するっていうこと?」

「ああ」

 輝は、細く長い息を吐き出した。怜の言うことは分かる。頭では。しかし、心が納得していない。ならばどうするか。心が納得するようにするしかない。

「ヒカル」

「ん?」

「ナナミのことはそれほど知っているわけじゃないけど、ただ……」

「ただ?」

「あいつは、自分の気持ちに正直に動くことは多分嫌いじゃない。だから、賭けるとしたらその一点だろうな」

「ありがとう、レイ。……もし賭けるとしたら、成功と失敗のどっちに賭ける?」

「悪いが」

「じゃあ、ここのスペシャルティコーヒーを賭けよう」

「オレが負けることを祈るよ」

 輝は、七海の情報を得るために、もう一人くらい彼女のことを、友人に尋ねた方が良かろうかと思ったが、やめておいた。相手のことを知るのも大事だが、それよりも自分自身を見せることが先だと考えたからである。その先は無いかもしれないけれど、だからこそいっそう為すべきことをしておきたかった。

 翌日、輝は、校門前で、七海を待った。5組が先にホームルームを終えたことを確認した上で、七海を待っていたのである。彼女に何か用があったら遅くなるかもしれないが、それでも待つつもりだった。あるいは、もしも一人でなかったら、そのあとをつけて一人になるまで待つつもりでいた。それはもう立派なストーカーと言えるかもしれないが、これに関しては、許してもらいたいところである。

 七海はほどなくして一人で出てきた。輝は、幸先の良さを感じるとともに、緊張も覚えた。彼女の背を少しだけ追ったあとに、周囲に人がいないことを確認してから、

「あの、平井さん」

 後ろから声をかけた。

 七海は振り返った。おやっという顔をしたあとに、真面目な表情になった。まるで、こちらの意図を悟られているような、と輝は考えて、そもそもがわざわざ下校時に話しかけるなんていう行為には、多様な解釈を待たないということを、改めて悟った。

「覚えてるかな。塩崎輝だけど」

「もちろん、覚えているよ。この前は、ご馳走様でした」

「ちょっと話したいことがあるんだけどいいかな?」

「わたしの方には無いけど」

 この答えは予想済みだったので、

「この前はオレの方に無かった。でも、オレは、お茶を出したよね」

 輝は事前に用意していた答えを与えた。そうして、口の中を苦くした。ちょっと感じ悪かったかもしれないと思ったのである。しかし、彼女は、気分を害するどころか、ちょっと笑ってくれたようである。

「お茶のお礼をしてほしいっていうなら、今度、茶葉でも届けさせるわ」

「それはいいよ。ほんの5分でもオレの話を聞いてくれたら」

「いいわ。ここじゃなんだから、そこの公園にでも行きましょう」

 そう言って、七海は先に立った。輝はそのあとに従った。園内には、子どもの声が響いている。

「それで、話したいことって?」

 輝は息を吸うと、

「単刀直入に言うけど、この前、キミが来てから、キミのことが気になってる。だから、結婚してほしい」

 一気に吐き出した。

 七海はまた笑った。「結婚は法律上、無理よ」

「じゃあ、付き合ってほしい」

「それも無理」

「それなら、友だちになってほしい」

「悪いけど、友だちは選ぶことにしているの。わたしは、あなたには興味が無い」

 笑いを収めた七海の目は澄んでいて、硬質だった。

「それはこの前も聞いたよ。でも、たとえば、じゃあ、メールだけの関係とか、あるいは、手紙を書いてもいいよ」

「あなたは、多分、わたしのことを勘違いしていると思うけど」

「うん、勘違いかもしれない。ただ、オレが今キミのことをこうだと思っているそのこと自体は変わらないだろ」

「それ、哲学?」

「哲学でジュリエットは作れない」

「ほら、勘違いしている。わたしは、ジュリエットっていうガラじゃないよ。友だちには似合う子もいるけど」

「オレが勝手にそう思っているだけさ」

「話がそれだけなら、これで帰らせてもらうね」

「一つだけ聞かせてほしいんだけど」

「なに?」

「今、誰かと付き合っている? それか、付き合いたいと思っている人いる?」

「それを聞いたら帰らせてくれる?」

「いや」

「え?」

「もしも聞かせてくれなくても、帰らせるさ」

 七海は澄んだ瞳のまま、

「いないわ」

 と答えた。

「ありがとう。公園の入り口まで送っていくよ」

「ここでいいよ」

 そうして、七海は去っていった。

 輝は、彼女の背をただ見送った。成果有り、としておこうと思ったが、それが具体的にどのような成果であるのかを考えるのはやめておいた。

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