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プラトニクス  作者: coach
218/280

第218話:お昼休みの廊下であの人の名字を知る

 学校のお昼休み時間、教室で、鈴音(スズネ)は、周囲から楽しそうな笑い声を聞いた。以前から笑声が少なくないクラスだったけれど、この頃では、そのボリュームがさらに大きくなっているようである。鈴音は、教室の一角を見るとはなしに見た。一人の女の子を取り囲むようにして四人の女の子がいて、談笑している。中心にいる、まるで萩の花のような清楚な彼女が笑うと、周囲の子も笑った。彼女は、この頃、転校してきた子であり、以前はこの町に住んでいたこともあって、鈴音も、小学校の頃、少し話したことがあった。

 その彼女から、鈴音は、パーティに来てほしいと誘いを受けた。旧交を温め直すために、昔の友だちを呼んでわいわいやろうというのである。鈴音は、お誘いはありがたいけれど、と前置きしてから、

「わたし、この前まで不登校でね、家に引きこもっていたから、あんまり外に出かけすぎると、かえって母が心配するから」

 そう続けて、断った。

 いきなりの不登校告白を受けても彼女はひるんだ様子もなく、招待を断っても嫌な顔をすることもなく、

「また機会があったら、こりずに誘うからね」

 と白い歯を覗かせて愛嬌たっぷりに微笑むと、背を見せたのだった。それが昨日のことである。彼女に答えたことはウソではなかったけれど、それよりも、彼女と交わりを結びたいと思わないことが大きかった。彼女自身は感じが悪いわけでは全然無いけれど、彼女と付き合うことによって交際関係が広がりすぎるような気がして、それがわずらわしいことになりそうだったからである。

 鈴音は、不登校から復帰したときに、今後はこれと思う人としか付き合わないようにしようと、力んで決めたわけではないのだが、自然にそうしたいと思うようになっていた。不登校によって、せっかくこれまでの人間関係から清算されたのだから、これからは可能な限り、人間関係をあとから断捨離しないで済むようにしたい。

 鈴音は、頭を巡らせて、一人の少年を見た。休み時間であるにも関わらず、机に向かって、何かの教科書を開いて勉強している彼の姿は、受験生としてはいかにもふさわしいものだったけれど、他にそんなことをしている子は誰もいないので、周囲からは見事に浮き上がっていた。鈴音は自分の席から立ち上がると、彼の机へと歩いた。

「それ、面白い?」

 鈴音が尋ねると、彼は顔を上げて、

「こんなもの、面白いわけないだろ」

 仏頂面を見せた。

「夢中でやっているから、なにかわたしが知らない面白いところがあるのかなあと思って」

「そんなものがあったら、オレが教えてもらいたいよ」

「何か力になれる?」

「なれるね」

「言ってみて」

「隕石でも降らせて、学校を破壊してくれないかな」

「わたしのこと、なんだと思ってるの? それに、仮にそんなことできたって、問題は何も解決しないと思うけど」

「ストレスのせいだよ。現実逃避(とうひ)したいんだ」

「そんなに思い詰めたら、頭皮(とうひ)によくないよ」

「髪の毛なんてどうだっていいだろう。アリストテレスも、ハゲは障害じゃないって言ってるしな」

「アリストテレスって、アレクサンダーの家庭教師だった哲学者でしょ?」

「そう」

「なんで、そんなこと言ったの?」

「そんなことは知らないよ。帝王学に必要だったんだろう。あるいは、アレクサンダーにハゲの兆候があったか、すでにハゲていて、それをなぐさめるために言ったのか」

「本当にそんなこと言ったの?」

「直接聞いたわけじゃない。祖父からのまた聞きだよ」

「おじいさまは、髪の方は」

「ふさふさしている」

「だったら、信じられるね」

「ハゲは英語で?」

「bald。つづりは、b・a・l・d」

「なるほど、ballボールのようなbald(ハゲ頭)と覚えておくよ」

「受験用の英語長文では見たことない単語だけどね」

「登場人物がハゲているなんていう情報、普通は必要無いからな」

「必要が無いことが面白いってことはあると思うけど」

「受験に面白さ自体が必要とされていないんだろ」

「面白くないね」

「その通り。この面白くなさにどのくらい耐えることができるのか、問われているのは、個々の問題の解決なんかじゃなくて、実はそこなんじゃないかと思っているんだ」

「忍耐力?」

「そう。昔は、滝に打たれることで測っていたけど、風邪を引くヤツが多すぎてそれはとりやめて、もっと平和的なやり方にしたんじゃないか? それが高校受験っていうわけだ」

「でも、忍耐力なんて測ってどうするの?」

「煎じ詰めれば、この世の中で生きるのに必要なのは、それだけだろ」

「そうかなあ。他にもあるんじゃない?」

「たとえば?」

「想像力とかさ。知らない、赤毛のアン?」

「知っているけど、あれは、世界一穏やかな島の中の話だろう。同じ島でも、日本列島は、過酷なんだ。地震もあれば台風もある。地震や台風が起きたときに、『空が飛べたら』とか想像していたら大変なことになるだろ」

「でも、さっき、加藤くんは、隕石で学校が破壊されるところを想像したわけでしょ?」

「だからこそのストレスなんだよ、忍耐力の限界がきて、()んできているんだ」

「そのストレスが()んでくれるといいね」

「あるいは、忍耐力を底上げするかだな」

「そのために、もっと受験勉強するの?」

「そう問われると、もうやりたくなくなってきた。オレはもう十分にやった、そうだろ?」

「受験がまだ来ていないんだから、十分ではないんじゃないの?」

「じゃあ、八分くらいか? 腹八分目っていうしな。返ってその方がいいのかもしれない」

「お腹と頭はまた別ものなんじゃないの?」

「そんなことないだろう。腹が減れば悲しくなるし、腹がいっぱいになれば幸せになるじゃないか」

「悲しくなったり幸せになったりするのは心でしょ。心と頭は違うんじゃない。ちなみに、英語で、心はheart、頭はmind」

「なんでそう英語の話ばかりするんだ? ballとbaldとか」

「それを訊いたのは加藤くんだよ。どうして、そんなこと訊いたの?」

「さあ、それがホットな話題だからだろ」

「そうは思えないけど」

「じゃあ、そんなものはほっといて、他の話でもするか?」

「面白いね」

「それは何より」

「でも、加藤くんの勉強時間を奪い過ぎると申し訳ないから、これで失礼した方がいいかも」

「もっと奪ってくれたっていいんだ。そうすれば、勉強しない言い訳をすることができる」

「それで受験が上手くいかなくても、加藤くんは、いいわけ?」

「面白い」

「よかった」

 鈴音は、それ以上の会話をやめて、教室を出た。まだ昼休み時間は半ば以上残っていた。教室を出ても行くあてなどなかったが、と言って不審者よろしく、ただそのあたりをうろつくというわけにもいかないので、図書室に向かうことにした。時は九月の上旬であり、窓の外には残暑があるけれど、日の光には真夏ほどのギラつきはなく、不快は覚えない。

 一人の男子生徒が前から歩いてきて、すれ違ったとき、鈴音は、あれ、と心に引っかかるものを覚えた。立ち止まって振り向くと、彼も同じようにしている。

「タクミくん?」

 いつか街で、高校生に絡まれていたときに助けてくれた少年だった。

「スズネさん」

 少年は、歩を進めてきた。

「やっぱり、同じ学校だったんだ」

 街で会ったときも、どこかで見た顔だと思っていたのである。

「そうみたいだね」

「『そうみたい』って、タクミくんは、知っていたんでしょう?」

「うん、知っていたよ」

「秘密主義なんだ」

「いや、フェアにいきたいだけだよ」

「学校内でわたしに会わないようにコソコソすることがフェアなの?」

「そんなことはしていないよ。ただ、遠目に見たら、隠れていただけさ」

「同じことでしょ」

「そうかもしれない。でも、こうして出会えたわけだから、これからはスパイの真似をしなくてもいいわけだね」

 鈴音は、彼の胸元に留まっている名札を見た。

「椎名くん」

「うん、椎名巧です。どうぞ、よろしく」

「こちらこそ。橋田鈴音です」

 鈴音が大仰に頭を下げてからまた顔を上げると、巧は微笑んでいた。

「スズネさんは、どこかへ行くところだったの?」

「当てのないさすらいだよ」

「さすらうには、あまり面白いところじゃないような気もするけれど」

「そうかな。面白い人に出会えたけど」

「オレはそんなに面白い人間じゃないよ」

「人間って自分のことは意外に分からないものだよね」

「それは認めるよ。オレの友だちにも、善人なのに自分が善人だっていうことには気がついていないヤツがいるから」

「その人のこと、知っているかも」

「世の中、広いようでいて狭いからね」

「タクミくんは、どこかに行くつもりだったんじゃないの?」

「委員会の集まりがあって、その帰りだよ」

「お昼休みにもお仕事、ご苦労様」

「そんなに大したことじゃないよ」

 そう言うと、巧は、歩いてくる二人組の生徒を避けるために窓際に寄った。鈴音も同様にしてから、

「このあたりにカフェってある?」

 冗談をやると、巧は真面目な顔を作って、首を横に振った。

「残念ながら見たことないな。ただ、職員室で先生がコーヒーを飲んでいるのは見たことあるけど」

「押しかけて、コーヒーをねだってみようか?」

「まずもらえないし、万が一もらえたとしても、職員室でオレたち何を話せばいいのかな」

「それはまあ、職員室で話すべき内容だから……教師の果たすべき役割とかじゃないの?」

「そんなことを話したら、職員室から生徒指導室に連行されるよ」

「コーヒーも取り上げられる?」

「だろうね」

「だったら、叱られるだけってことになって、行っても意味ないね」

「気づいてくれてよかった。……っと、引き留めちゃったね」

「引き留めたのはわたしの方だよ。ゴメンね」

「いや、スズネさんの名字を知ることができてよかった」

「本当にそれは知らなかったの?」

「うん」

「怪しいなあ」

「いや、本当だよ。それじゃあ、これでね」

 そう言うと、巧は、その身を翻した。

 鈴音は彼の背中を見送ったあと、図書室へ行こうとして、気分を変えた。もうさすらう必要が無かったのである。犬も歩けば棒に当たると言うが、鈴音は、どうやら自分が犬よりは上等であるらしいということが分かった。教室に戻ると、鈴音は、なお明るく響く笑声をよそにして、自分の席に着いた。教室を出る前に話した彼の方をチラリと見ると、まだ勉強を続けているようだった。

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