第209話:たまには妹に感謝を
遊園地に着いた怜は、まあだからといって特に心浮き立つものも覚えず、何時間くらいここにいることになるのだろうかと、ぼんやりと考えた。遊園地とは何か。それは著しく想像力を枯渇させる場所である。ここには楽しむための全てがあるけれど、ただ一つ、想像性がない。それさえあれば、本当は楽しむためのものなど必要としないのだが。
「タマキ先輩、何から乗りますか?」
想像力のカケラも無い妹が、だからこそ、満面の笑みで、環に向かっていた。その彼女が、チラとこちらを見たので、怜は、
「オレは乗らないよ」
との意を込めて、手を振っておいた。めずらしいことに、その意図は正しく伝わったようである。怜は、今日は母と父側に立つことにした。娘盛りの娘を生暖かく見守る役である。その役目から、
「怜も一緒に乗ってきたらいいじゃないの」
二人の少女が立ち去るのを見送った母が、早速、解任しようとしてきたが、怜は左遷されないように頑張った。
青天の空の下、賑やかな音楽が流れる中、家族連れやカップルや友達同士が、楽しげに一日を満喫しているのを遠目にしながら、怜は、ベンチで親と一緒に座っていた。いったい何だろうかこの時間は、と考えないこともないのだけれど、まあ、ひなたぼっこしていると思えば何ということもなかった。
「ああ、楽しかった!」
はしゃいだ声を上げて妹が帰ってきた。その顔は幸福に満ちあふれている。特段妹に対して情愛を持たない怜としても、それでもやはり、家族が喜んでいるのを見るのは素直に嬉しかった。怜は、妹の隣で静かに微笑んでいる少女に感謝した。その感謝を何かしらの形で返さなければいけないと思ったが、いったいどんな形で返せばいいのか、困ったときは花でも贈ればいいのかもしれないが、どうもそういうのは安直に過ぎる気がした。嫌な臭いがするから芳香剤を置くに類する安直さである。かといって、では、他にどうすればいいのか、すぐには思いつかなかったが、幸いなことに時間はたっぷりとあった。
女の子たち二人が、二つ目のマシンを乗り終えたところで、ただ見ていることに飽きたのか、あるいは、長男と一緒に見ていることがバカバカしくなったのか、
「乗らないなら、荷物見ていてちょうだい。お母さんたちも何か乗ってくるわ」
と母が若やいだことを言った。怜は承知した。母に連れられて父もその場を離れると、怜は一人になった。遊園地でひとりぼっちとは、はたから見たらいじめられているように見えるかもしれなかったが、特に気にしなかった。見たいように見ればいい。
小さな子どもが駆けていって、途中で転んだのが目に入った。えーんえーんと上がる泣き声に、母親らしき人が駆け寄って、あやし始めた。かつてはあんな頃が自分にもあったのだろうと怜は思った。ほとんど覚えていないけれど、確かにあったのだ。これまで自分一人で生きてきたように思われる人も自分一人だけでは生きられず、必ず誰かの助けがあって生きられてきたのである。そう考えて、保護者に対して謝意を持つのが、大人としての振る舞い方かもしれない。
一方で、彼らによってこの世に産み落とされていなければ、いろいろと面倒なこともなかったのに、とうらめしい気持ちを抱かないでもないけれど、生まれてこなかったらなどという想像は不可能なのである。試みに自分がいない世界を想像してみるといい。そうすると、必ずその世界を見ている自分というものがいることになる。だとしたら、どこかには生まれてきていたと考えるほかなく、それならば、今の家族のもとでよかったと思わないでもないのだった。可愛くない妹も含めて。
「レイくんも一緒に乗りませんか?」
絶叫的な何かに乗り終えてきた環と妹が近づいてきて、環が言った。怜は、首を横に振った。
「お兄ちゃん、乗り物苦手だもんね」
妹がすばやく兄の排除に乗り出したので、あえて、怜はその手に乗った。環にばかり妹の相手をさせて申し訳ないけれど、そもそも、今日という一日がそのためにあるので、やむをえなかった。妹が手洗いに立ったときに、怜は、
「これで向こう一週間くらいは妹の機嫌がいいよ」
言った。
「ミヤコちゃんとは、いつからうまくないの?」
「そうだな……小学校の3年生くらいからか?」
「思い当たる原因は?」
「さあ、プールに突き落としたことくらいかな」
「どうしてそんなことしたの!?」
「特に理由なんか無いよ。山があれば登る、プールサイドに妹がいれば突き落とす」
「レイくん、わたし、ちょっと真面目だったんだけど」
「だと思ったからふざけたんだよ。兄と妹の仲を取り持とうなんて、そんなことをさ」
「できないと思ってる?」
「できると思ってるから、嫌なんだ。妹とは今のままでいいんだよ」
「レイくんの素晴らしさを知ってもらいたいんだけど」
「タマキが知ってくれているだけでいいさ、もしも、そんなものがあるならな」
「レイくん」
こちらを向いた少女の顔は、いつも微笑んでいるけれど、その目の光がいつもより少し深いように、怜には見えた。
「なんだよ?」
「なんでもない」
「でも、呼びかけてきた」
「呼びかけることくらいするでしょ。わたしなんか、朝起きたら、いつも朝日に呼びかけてるよ」
「『おはよう、お日様さん』みたいな?」
「そそ、悪い?」
「いや、全然。ついでに歌でも歌ったら、小鳥が寄ってくるんじゃないか?」
「今度やってみるよ」
妹が帰ってきたタイミングで、母と父も帰ってきた。時刻は12時30分を回っている。フードコートで昼食を取ろうということになって、同じように考える客たちと一緒に、歩き出した。混み合っている中でそれでも四人がけの丸テーブルを見つけ、隣のテーブルから使っていない椅子を拝借して五人がけとした。環の隣に座った怜は、彼女の横顔を眺めた。楽しそうに妹と話しているけれど、それが本心からのものかは分からない。そうであることを祈るのみである。
オーダーはセルフサービスなので、みなめいめい食べたい物を言って、それを聞いた怜が立ち上がると、
「わたしも一緒に行きます」
と環も立ち上がった。すかさず、妹が、お兄ちゃんに任せておけばいいですよ、と椅子から微動だにせず言い放ったが、環はそれに対して微笑を返して、一人じゃ大変だからと言って、妹の言葉を退けた。テーブルから離れた後、
「一人でも大丈夫だよ」
と怜は抗弁してみたが、
「気の利く女の子を演じて点数を稼ごうと思って」
と環は舌を出した。
「これ以上稼ぐのはやめてくれないか」
「どうして?」
「我が息子と比較されるのは困る。『どうして環さんみたいにできないの?』みたいな」
「そんなこと言われているの?」
「言わなくても分かることってあるだろう」
「それ、言わないことの責任逃れじゃないかな」
「端的な事実だよ。現にお前は、オレが何も言わなくても、分かってるじゃないか」
「わたしが?」
「そう」
「それはレイくんの誤解じゃないかな。わたし、レイくんのこと、全然分からないけど」
「本当に?」
「うん」
うなずいた少女の顔には真剣味があったけれど、女の子が平気でウソをつく生物であるということは、この彼女と付き合った中で得た、さして知りたくもなかった、しかし真実であって、その表情を信用するわけにはいかなかった。
怜は注文をしてから、テーブルに戻ることなく、近くで時間をつぶすことにした。
「今日の服、よく似合ってるよ」
怜は朝の義務を果たすことにした。
「ありがとう。でも、もうちょっと表現を凝ったものにしてくれると、よりありがたいと思う気持ちが増すんだけど」
「そうだな……じゃあ、その服はまるでキミのために作られたかのようによく似合っているよ、で、どう?」
「それを、もっとこう気持ちを込めて、言ってみて」
言ってみたところ、怜は、
「うん、まずまずかな」
とオーケーをもらったあとに、
「でも、できれば、初めからそういう風に言ってもらえるとよかったかな」
とダメ出しされた。
怜はうなずいた。
周囲の人から、特に若い男性から、環に注目が集まっているのを、怜は感じた。はきだめに舞い降りた鶴のような光輝が彼女にあることを、怜は改めて認めざるを得なかった。どうして、彼女が自分と付き合っているのという不思議は、考えてもしかたがないことだと思っているのだけれど、それでも、どうしても時折考えてしまうのだった。
「どうかした、レイくん?」
「いや、タマキは、天に祝福されているんじゃないかなと思ってさ」
「わたしも自分でそう思うよ」
そう言って、環は、にっこりと笑った。
「だから、レイくんに会えた」
怜は何と応えてよいか分からなかった。「そうだとも」と胸を張ることもできず、かといって、買いかぶりだよと応えれば、彼女の目を信じていないことになる。結果、
「そうであることを祈るよ、タマキのために」
そうとだけ言うと、
「祈ってもらう必要はないよ、もう現実にそうなっているから」
と返されて、さらに言葉を失わせられた。
怜たちの注文が読み上げられた。怜は、トレイの一つを持って、テーブルまで歩いていった。それを、環と一緒に二三回行って、テーブルセッティングを済ませると、昼食になった。
まずいというわけではないけれど、栄養補給以上の意味を持たない昼食を取り終えると、再び、なんとかコースターとか、スーパーウルトラスプラッシュマウンテンフォール的なものに、女の子たちは嬉々として乗りに行った。少女たちだけではなく、大人である母と父もそれに乗って、怜はやはり一人で、彼らが帰ってくるのを待っていた。さすがに遊園地に来て何も乗らないわけにはいかず、お義理で乗ったのは、ゴーカートとメリーゴーラウンドだった。これなら、地に着いているし、遠心力もたかが知れていた。
「お兄ちゃんとは遊園地には来ない方がいいですね、先輩」
妹が聞こえよがしに言った。
そう言えば環と遊園地に来たのは、初めてかもしれなかった。いや、確か、二年生の頃に、グループデートをもよおした友人にメンバーに入れられて来たことがあったことを思い出した。環が遊園地を心から愛しているのであれば、連れてくるのにやぶさかではないが、そうでないのならば、あまり来たいとは思わない場所である。とはいえ、環がどう思っているのかなどということは読めない話なのだから、たまには一緒に来た方がいいのかもしれない、と怜は、その一言で気づかせてくれた妹に感謝しておいた。